「真宙さんって、車の運転できるんですね」
「そりゃあ、もう大学三年ですからねぇ」
「そっか……」
冗談めかしたようで、どこか得意げなその口調に嫌味は感じない。僕の頬は自然と緩んだが、真宙さんはそれからすぐに、真面目な口ぶりになった。
「農業の道へ進むなら、車の免許はあったほうがいいからね。それもマニュアル。俺、そのうち大型とフォークリフトも取りたいんだ」
真宙さんは目を輝かせてそう言った。その横顔をぼんやり見つめながら、僕はやっぱり彼が羨ましくなる。自分の夢を当然のように追う彼は、僕の理想像に近いものがあった。同時に、まだ高校生の僕からすれば、真宙さんはとても先を歩いている。彼のいる場所に追いつくことがすでに、夢物語のようなものだと思った。
たかが数年。されど数年。僕は高校三年生で、真宙さんは大学三年生。そんなに年齢が離れているはずはないのに、今の自分と真宙さんを比べると、自分だけがひどく幼く感じられてならなかった。
「いいなぁ。真宙さんは……」
本心がこぼれる。すると、真宙さんは言った。
「葵くんだって、これからだよ」
真宙さんが当然のように返してくれる。まるで、僕の心の中をすべて察しているみたいに。だが、僕は彼のように夢に向かって真っすぐ進んでいけるのかわからない。僕の場合は家族という障壁があって、それを乗り越えなければならないから、その道を行くのにはそれなりに苦労しそうだ。
「どうだろう。僕んちは、真宙さんと違って応援してくれる人がいないから……」
僕がそう言ったあと、真宙さんはしばらくなにも言わなかった。車内には少しの間、沈黙が続いたが、やがて。大きな交差点で信号につかまったタイミングで、真宙さんが言う。
「ほんと言うと、俺もね。似たようなところあるんだよ。農業やりたいって言い出して、応援してくれたのは、じいちゃんだけだったから」
「え……、そうだったんですか?」
「俺んち、父が歯医者でさ。歯科医院、開業してるんだ。俺は長男坊だから、当然のごとく歯学部進学のレールに乗せられてたわけ。でもね、すっげえ抵抗した。俺はずっと農業やりたかったから。父さんも母さんも、ふたりして猛反対で、もう顔真っ赤にして怒ってたよ」
真宙さんはそう言ってけらけら笑ったが、僕は自分の浅はかさを思い知っていた。少し恥ずかしかった。自分の状況を悲観して、言い訳して、真宙さんが本当はどうだったとか、そういうことはなにも考えなかった。彼は明るくて陽気で、あっけらかんとしているから、きっと進路を決めるときには誰の反対も受けず、順風満帆に農業大学へ通っているのだろうと、そう思い込んでいた。だが、違った。
「真宙さんも、大変だったんですね……」
「まあね。でも、大変だったことって、案外乗り越えると忘れちゃうもんだよ。今が楽しすぎてさ」
「へえ……」
「喉元過ぎれば熱さを忘れるって言うじゃん? あんな感じ」
そういうものなのだろうか、と僕は考える。もし、僕が家族――特に祖父とちゃんと話し合って、分かり合えたあと、農業大学へ通うようになって、夢を追うようになったとき、真宙さんのようになれるのだろうか。マニュアルの運転免許を持って、車を運転し、大型免許も取らないといけない――なんて話を、軽い口調で話すのだろうか。その頃にはもう、祖父との関係にわだかまりがあったことなど、忘れてしまっているだろうか。しかし、そう思った時だ。ふと、僕は真宙さんがそのときにどうしているのか気になった。僕が大学三年になる頃、真宙さんはもう社会人になって数年経っているはずだ。もしかしたら、このまま彼が野々川園に就職する可能性もあるかもしれない。
「真宙さんは卒業したら、どうするんです? うちに就職するんですか?」
「えぇ? いや、そこまでは考えてなかったけど……。でも、縁があればいいなとは思ってるよ。竜三さんとこなら、通勤楽ちんだし、じいちゃんの面倒も引き続き見てやれるしね」
「そっかぁ。いいな……」
僕はそれ以外に言葉が出なくなってしまった。僕も真宙さんみたいになりたい。そう思っても、彼と僕とではあまりに状況が違いすぎて、リバーコーミングをしたときのように、彼の背を追おうにもできない。だが、不意に。
「わ……ッ」
頭の上に、ぽん、と手が乗った。そうかと思うと、くしゃ、と髪を撫でられる。それはほんの一瞬で――だが、とても優しい手つきだった。
「葵くんさ。そんなに心配しなくたって、葵くんは大丈夫だから。きっとそのうち、野々川園を継ぐことになるよ」
彼はそう言った。明るい声と口調で、明らかに僕を励ましてくれようとしていた。ただ、今の僕には、あまりに現実味のない言葉だった。
「いい加減なこと言わないでくださいよ……。僕は今、作業場へ入ることも許されてないんですよ。じいちゃんがいないときに、こっそり顔を出すのがやっとなんですから」
そう言って、口を尖らせる。だが、真宙さんは言った。
「そうかもしれないけどさ、葵くんって、話聞いてると、すげえ一途っていうか……、思いが強いじゃん。それだけ家業のこと思ってて、家族に伝わらないはずないよ。きっと今に、君はあそこの長になるって」
「そうだといいんですけど……」
「なるさ。でも、その前に、竜三さんを説き伏せないといけないだろうけどね」
そうなのだ。せっかくポジティブな気持ちになっても、あのガンコで融通の利かない祖父と対峙しなければならないと思うと、途端に萎えてくる。
「じいちゃん……。農大だの農学部だの言い出したら、絶対怒り出すだろうな……」
「ああいうタイプは、すぐにわかってもらおうと思っても無駄だろうね。ゆっくり、ゆっくり懐柔していかなくっちゃ」
「ゆっくりかぁ……。できるかなぁ……」
「どのみち、葵くんはただ、葵くんの思う通りにすればいいんだよ。それだけでいい。あとは時間が解決することもあるし」
「そりゃあ、もう大学三年ですからねぇ」
「そっか……」
冗談めかしたようで、どこか得意げなその口調に嫌味は感じない。僕の頬は自然と緩んだが、真宙さんはそれからすぐに、真面目な口ぶりになった。
「農業の道へ進むなら、車の免許はあったほうがいいからね。それもマニュアル。俺、そのうち大型とフォークリフトも取りたいんだ」
真宙さんは目を輝かせてそう言った。その横顔をぼんやり見つめながら、僕はやっぱり彼が羨ましくなる。自分の夢を当然のように追う彼は、僕の理想像に近いものがあった。同時に、まだ高校生の僕からすれば、真宙さんはとても先を歩いている。彼のいる場所に追いつくことがすでに、夢物語のようなものだと思った。
たかが数年。されど数年。僕は高校三年生で、真宙さんは大学三年生。そんなに年齢が離れているはずはないのに、今の自分と真宙さんを比べると、自分だけがひどく幼く感じられてならなかった。
「いいなぁ。真宙さんは……」
本心がこぼれる。すると、真宙さんは言った。
「葵くんだって、これからだよ」
真宙さんが当然のように返してくれる。まるで、僕の心の中をすべて察しているみたいに。だが、僕は彼のように夢に向かって真っすぐ進んでいけるのかわからない。僕の場合は家族という障壁があって、それを乗り越えなければならないから、その道を行くのにはそれなりに苦労しそうだ。
「どうだろう。僕んちは、真宙さんと違って応援してくれる人がいないから……」
僕がそう言ったあと、真宙さんはしばらくなにも言わなかった。車内には少しの間、沈黙が続いたが、やがて。大きな交差点で信号につかまったタイミングで、真宙さんが言う。
「ほんと言うと、俺もね。似たようなところあるんだよ。農業やりたいって言い出して、応援してくれたのは、じいちゃんだけだったから」
「え……、そうだったんですか?」
「俺んち、父が歯医者でさ。歯科医院、開業してるんだ。俺は長男坊だから、当然のごとく歯学部進学のレールに乗せられてたわけ。でもね、すっげえ抵抗した。俺はずっと農業やりたかったから。父さんも母さんも、ふたりして猛反対で、もう顔真っ赤にして怒ってたよ」
真宙さんはそう言ってけらけら笑ったが、僕は自分の浅はかさを思い知っていた。少し恥ずかしかった。自分の状況を悲観して、言い訳して、真宙さんが本当はどうだったとか、そういうことはなにも考えなかった。彼は明るくて陽気で、あっけらかんとしているから、きっと進路を決めるときには誰の反対も受けず、順風満帆に農業大学へ通っているのだろうと、そう思い込んでいた。だが、違った。
「真宙さんも、大変だったんですね……」
「まあね。でも、大変だったことって、案外乗り越えると忘れちゃうもんだよ。今が楽しすぎてさ」
「へえ……」
「喉元過ぎれば熱さを忘れるって言うじゃん? あんな感じ」
そういうものなのだろうか、と僕は考える。もし、僕が家族――特に祖父とちゃんと話し合って、分かり合えたあと、農業大学へ通うようになって、夢を追うようになったとき、真宙さんのようになれるのだろうか。マニュアルの運転免許を持って、車を運転し、大型免許も取らないといけない――なんて話を、軽い口調で話すのだろうか。その頃にはもう、祖父との関係にわだかまりがあったことなど、忘れてしまっているだろうか。しかし、そう思った時だ。ふと、僕は真宙さんがそのときにどうしているのか気になった。僕が大学三年になる頃、真宙さんはもう社会人になって数年経っているはずだ。もしかしたら、このまま彼が野々川園に就職する可能性もあるかもしれない。
「真宙さんは卒業したら、どうするんです? うちに就職するんですか?」
「えぇ? いや、そこまでは考えてなかったけど……。でも、縁があればいいなとは思ってるよ。竜三さんとこなら、通勤楽ちんだし、じいちゃんの面倒も引き続き見てやれるしね」
「そっかぁ。いいな……」
僕はそれ以外に言葉が出なくなってしまった。僕も真宙さんみたいになりたい。そう思っても、彼と僕とではあまりに状況が違いすぎて、リバーコーミングをしたときのように、彼の背を追おうにもできない。だが、不意に。
「わ……ッ」
頭の上に、ぽん、と手が乗った。そうかと思うと、くしゃ、と髪を撫でられる。それはほんの一瞬で――だが、とても優しい手つきだった。
「葵くんさ。そんなに心配しなくたって、葵くんは大丈夫だから。きっとそのうち、野々川園を継ぐことになるよ」
彼はそう言った。明るい声と口調で、明らかに僕を励ましてくれようとしていた。ただ、今の僕には、あまりに現実味のない言葉だった。
「いい加減なこと言わないでくださいよ……。僕は今、作業場へ入ることも許されてないんですよ。じいちゃんがいないときに、こっそり顔を出すのがやっとなんですから」
そう言って、口を尖らせる。だが、真宙さんは言った。
「そうかもしれないけどさ、葵くんって、話聞いてると、すげえ一途っていうか……、思いが強いじゃん。それだけ家業のこと思ってて、家族に伝わらないはずないよ。きっと今に、君はあそこの長になるって」
「そうだといいんですけど……」
「なるさ。でも、その前に、竜三さんを説き伏せないといけないだろうけどね」
そうなのだ。せっかくポジティブな気持ちになっても、あのガンコで融通の利かない祖父と対峙しなければならないと思うと、途端に萎えてくる。
「じいちゃん……。農大だの農学部だの言い出したら、絶対怒り出すだろうな……」
「ああいうタイプは、すぐにわかってもらおうと思っても無駄だろうね。ゆっくり、ゆっくり懐柔していかなくっちゃ」
「ゆっくりかぁ……。できるかなぁ……」
「どのみち、葵くんはただ、葵くんの思う通りにすればいいんだよ。それだけでいい。あとは時間が解決することもあるし」
