「そんなんじゃ気づかないと思うよ、あいつ鈍感だから」

「別に上杉さんには関係ありませんよ」

「いちお、俺はあいつの親友だから。あいつやあいつの妹が傷つくのは見たく無いんだよ」

「妹……」

そこまでの会話を聞いて2人が俺の話をしているのだとわかった。

部活が終わった後、約束通り図書室に立ち寄ったら親友の上杉拓と源が話をしていた。

拓は、左腕に腕章をつけているからどうやら図書委員の当番でたまたま図書室にいたのだろう。

2人は知り合いなのかな。

そう言えば、拓は以前、源の話をしていたっけ。

俺はなんとなく出ていきづらくて、本棚の陰に隠れてタイミングを伺っていた。

というのも2人とも深刻そうな顔をして俺と美奈に関する話をしていたからだ。

「傷つくって、どうしてそんな風に決めつけるんです?俺が小川先輩にひどいことをすると思ってるんですか?」

「こじらせたら面倒だろ。特に君みたいなタイプ」

拓に冷ややかにそう言われた源は、視線を下げる。

あれ、どうしたんだろ、あいつ。

凄く辛そうに見える。

「安心してください……元々小川先輩に言うつもりなんてありませんから」

そう言うが早いか、源は机の上に広げていた参考書やノートを急いで片付け始める。

そして、立ち上がると拓にこう言った。

「小川先輩に先に帰ると伝えてください」

それを聞いて俺はたまらず、2人に歩み寄った

「お、おい。源、なんで帰ろうとするんだ。俺との約束は」


2人とも弾かれたようにこっちを見て、狼狽える。

「蓮、いたのか」

「いたよ。なんだなんだー?まさかおまえまで後輩いびりかよ?」

俺は肘で拓の脇腹を小突くと、彼は口をへの字に曲げた。

「そんなんじゃない。確かに源君は生意気だけど、本が大好きだから悪い奴じゃ無いさ」

本好きイコールいい奴って本気で思っている拓自身が無類の本好きだったりする。

そういう拓の独特な判断基準は嫌いじゃ無いけど。

だけど、俺はまだ納得いかない。

「じゃあ、なんで源が急に帰ろうとすんだよー」

「それは……」

俺のツッコミに目を泳がせる拓。

「悪い奴じゃ無いのはなんとなくわかるけど、蓮のことが心配だったからつい忠告したくなったんだ」

「はあ?忠告って?」

「蓮、おまえもおまえだぞ。イケメンの後輩に懐かれたからって浮かれすぎだろ。妹ちゃんのことを、ないがしろにするなんておまえらしく無いぞ」

「は?浮かれてって」

チラッと源の方に目をやって、恥ずかしくてすぐにそらせた。

本人の前でなんてこと言うんだよっ。

浮かれてた?俺が?

拓にはそう見えていたってことだろうか。

けど、確かに否定はできない。

源聖夜という後輩は俺が持っていないものをたくさん持っている。後輩だけど、尊敬に値する男なんだ。

そんな相手から先輩として、もしくは兄貴のような存在として慕ってもらえて嬉しく無いわけは無い。

「そう、かもしれないけど。別にいいだろそんなの、拓には関係ない」

「美奈ちゃんのことは?関係無いっていうのか?
蓮、今のおまえズルいよ。どっちつかずのままで、このままだと大事な人を傷つけるぞ」

「……」

確かに美奈のことを言われたら何も反論できない。

源との関係を黙っている俺は……ズルい。

そもそも、美奈が源に告白しなければ俺と彼は知り合うことさえなかったのだから。

すると……。

「ごめん先輩。俺のせいで困らせて」

源はそう言って、その場から逃げるように走って出て行ってしまった。

あいつ、どうしたんだ。

明らかに様子がおかしかった。

いてもたってもいられず急いでその後を追いかける。

後ろで拓が何か言っていたみたいだけど、耳に入ってこなかった。

だって、さっき俺は気づいてしまったから。

源の今にも崩れそうな表情に。

今、別れたらもう2度とあいつは俺のところに来てくれなくなるような気がした。

だから必死に走って追いかけていた。

なんなんだよ、今日は。俺があいつを追いかけてばっかじゃん。

なんであいつ、俺から逃げようとすんだよ。

ふざけんなよ。

最初は気に食わない奴だったはずが、いつのまにか人の心に入り込んできて。

それなのに、勝手に出ていこうとするなんて。

「せいやー、待てよ、せいやっ」

幸い、サッカーで鍛えた足が役に立ってなんとか彼の背中を視界にとらえた。

「せいや、待てって」

大声で呼んだけどさっきみたいに立ち止まってくれない。

ダメだ、あいつの足はクッソ速い。

「せいっ、あっ……」

俺は勢いあまって前のめりに転ぶ。

「うーっ、いってー」

冷たい廊下に這いつくばってしばらく動かない。

すると、案の定……。

「先輩、大丈夫ですか?」

心配そうな声が降ってくる。

「あ、ああ」

「わざと転びましたね?」

「おまえこそ、それわかってたくせに戻ってきたんだろ?」

「はい、バカですから俺、小川先輩に出会ってからずっとこんなです。自分でもわけがわからない」

「俺のせい?」

「たぶん」

差し伸べられた手に引き上げられた。

「……っ」

俺は咄嗟に源の胸に飛び込んでいた。

「俺から逃げるな」

広い背中に腕をまわして強く抱きしめたら、彼はビクッと身体を揺らす。

源の表情は暗くて、今にもまた走り出しそうだったからこうして捕まえておく。

「……」

「拓となんの話してたんだよ?俺に言えないことってなんだよ?」

「それ、やっぱ聞くんですね」
 
源の掠れた声が耳に響くと一瞬胸の奥がピクンとした。

「気になるから」

どうしてだろう、喉が渇いて身体が熱い。

「俺、ズルいこと考えてたんです。言わない方が、このままそばにいられるんじゃないかって」

「えっ」

「けど、もう無理でした。いくら頑張っても抑えられそうにない。
このままそばにいたらきっと」

「聖夜?」

腕の力を緩めて、彼をまじまじと見た。

辛そうに眉を寄せている顔を見たら、不安になる。

「ほんとは胸の中にしまっておくつもりでした。言っても嫌われるだけだとわかってたから」

「嫌われるって、そんな」

「だけど、これで最後だから言いますね」

最後?

何が?

もう会えなくなるなんて、信じられなかった。

そんなことを、突然源が言い出すなんて。

こんな急展開、訳がわからない。
 
頭が真っ白になった。

そして、源の次の言葉で動けなくなった。

「好きです、先輩のことが」

「え……あ、あの」

ますます喉がカラカラに渇いて、うまく言葉にならない。

「それじゃあ」

むしろ潔いほどあっさりとそう言った彼は俺から離れていく。

「ま、待って」

頭が混乱していて、何をどうしたらいいのかわからない。

とにかく追いかけなきゃ。だって、こんなの嫌だ。

そう思うのに足がなかなか動かなくてハッとする。

俺、膝がガクガク震えてる。

告白されて、こんなになるのは初めてだ。

それにこんなに悲しくてたまらないのも。

だって、あいつが最後だからなんて言うから。

本当にもう会わないつもりなのかよ。

そんなの、そんなの嫌だ。

腹の底から踏ん張って足を前に進めようとした。

今ならまだ間に合う。

とにかく、もっと話し合いたいんだ。

源の小さくなっていく背中に呼びかける。

「聖夜、行くな」

その時だった。

源が歩いていく方向、廊下の向こう側から聞き慣れた声が響いた。

あ、あの声は。

毎日聞いている鼻にかかった可愛らしい声、俺が聞き違える訳がない。

「ねー、今日スタパの新作飲みに行こうよー」

「あ、あの桃のジュースだよね、行く行く」

「やったー」

妹の美奈だった。

友達と楽しそうにはしゃいでいる。

それを見た途端、足が止まった。

このまま進めば鉢合わせだ。

マズイと思った。

前を行く源が振り返ったけど、俺は反射的に空き教室に飛び込んでいた。

一瞬だけ見た彼の寂しそうな顔が目に焼きついた。

灯りの無い暗闇で息を殺して隠れる。

美奈達が通り過ぎるまでやり過ごしている間、ずっと考えていた。

何やってんだ、俺。

聖夜を追いかけたいのに。

でも、美奈を傷つけたくない。

こんなのどっちつかずで最低じゃ無いか。

自分のどうしょうも無さが情けなくなる。

耳の奥でさっき拓に言われた言葉が呪いのように響いていた。

『蓮、今のおまえズルいよ。どっちつかずのままで、このままだと大事な人を傷つけるぞ』