「先輩、起きてください、先輩」
「んー、あと5分、いや1分でもいい」
ポカポカと身体が暖かく何かに寄りかかっていて心地いい。
「……よだれ、たれてるんですけど。あーあ口開けて寝ちゃってるし」
呆れたような声が耳朶をくすぐる。
直後、口の端に柔らかい布の感触がした。
「しょうがないなー」
あれ、すげーいい匂い。
柔軟剤かな。
どこかで嗅いだ覚えがある。
どこだっけ。
「こんなに無防備で。何されても知らないよ」
フッと耳に吐息を感じた途端、一気に眠りから覚醒した。
「んあっ?」
寝ぼけ眼でキョロキョロ周りを見回すと、すぐ隣には超絶イケメンが驚いたように目を見開いている。
後輩の源聖夜、まるでテレビの中から飛び出して来たような整った顔立ちでとても一般人とは思えない。
もう10回以上会ってるけど、たまに男の俺でもドキッとしてしまうくらいの色香がある。
周りでこんな美形の友達なんて皆無だから、まだ慣れないだけなのかもしれない。
はぁ、ある意味寝起きにこいつの顔は心臓に悪い。
「先輩、勉強するって言って5分も経たないうちに眠ってましたよ」
「へ?勉強?なんで俺が」
「忘れてるんですか?明日の数学の補習テストで50点とらないといけないから猛勉強するんだって言ってたじゃないですか」
「あ、そうだ、そうだった」
放課後、自習しようと思って学校の図書室にきたら源がいたから、隣の席に座ったんだった。
どうやら源は、毎日図書室に来ていて退室時間ギリギリまで勉強しているらしい。
と言っても本を読んでいるだけの時もあるみたいだけど。
この時、源が読んでいたのはトルストイの『戦争と平和』という辞書くらい分厚い本。
ずいぶん難しそうな本を読んでるんだなってちょっと感心した。
漫画しか読まない俺からしたら活字だらけの分厚い本を読んでるだけで、尊敬に値する。
あ、そっか。源は頭もいいんだっけ。
入学試験、首席だって井川が言ってたもんな。
まあ、そんな源の隣で俺は明日のテストの勉強を始めたわけなんだが、数学が苦手すぎてどこからどう手をつけていいか分からず。
あろうことか即寝落ちしてしまったらしい。
窓から木漏れ日が差し込む暖かい席だったから余計に気持ちよく眠ってしまったようだ。
源の肩にもたれながら。
「わりー、わりー」
後輩の肩をポンポンと軽く叩いて謝ったら、ため息で返された。
「先輩、数学苦手なんですか?」
「ああ、でも文系なら得意なんだけどなっ」
いや、文系科目だって数学に比べたら少しマシって程度だけど。
そこは先輩として、ちょっと見栄を張りたい気分だった。
「教えましょうか?」
「は?バカにすんなよっ。後輩に勉強なんて教えてもらうわけないだろっ」
とは言ったものの源の自信ありげな態度が気になる。
この際、背に腹は変えられない。
俺は上目遣いに源を見上げる。
「ち、ちなみにおまえ2年の数学とか理解できてるのかよ?」
「俺、数学は得意です。基礎ならもう大学受験レベルまで終わらせてますよ」
「す、すっげー」
よくよく聞けば、有名な進学塾にも通っていて学校の範囲以上のことを教わっているんだとか。
「教えましょうか?」
「お願いしまっす」
プライドをかなぐり捨てて頭を下げた。
源が見下すような雰囲気ではなかったので余計に頼りやすかった。
実は明日のテストで最低でも50点が取れないとマジでヤバいことになるんだ。
担任からは進級できないかもしれないぞって脅されている。
「今からじゃ全て網羅するのは間に合いそうに無いから、俺がヤマをかけておきました。
最低限の公式だけは今から死ぬ気で覚えてください」
源はそう言ってルーズリーフを差し出して来た。
「へ」
なんと俺が寝ている間に重要な公式や問題の解説等をまとめてくれていたようだ。
それにサッと目を通したら綺麗な字が整然と並んでいて、びっくりした。
こんなにも協力してくれるなんて、それだけで感激で涙がでそうだ。
こいつ、神様かよ?
「みなもとー、大好きだっ」
感動のあまりガバッとその胸に抱きついたら、源は一瞬固まったけどハアッと大きく息を吐きだした。
「距離近いです」
「おまえ、いいやつだなー」
「はいはい、お礼はテストで50点とってからでいいですから」
冷静にそう言って俺を引き剥がす。
「うん、頑張るよ」
それからマンツーマンで勉強を見てもらったのだが、頭のいい奴ってたいてい教え方は下手だったりするのに源はそんなことはなかった。
飲み込みの悪い俺に何度でも一から解説してくれる。
「はあっ、もう一生分の勉強したかも」
それから数時間後、頭から湯気が出そうなくらい暗記と演習を繰り返した俺はぐったりと机に突っ伏した。
「頭いてー、ガンガンする」
普段、頭脳を使って無いからか今にもショートしそうだ。
すると、後頭部にふわりと大きな手が触れる。
そのまま優しく撫でられたから気持ちがよかった。
グーキュルー。
その時、俺の腹が空腹で死にそうだと悲鳴を上げた。
「うー、腹減った。でも動けねー」
満身創痍でぐったりしていたら源がスッと立ち上がり、なんか買って来ますねと言って歩きかけた。
俺はそんな源の手をギュッと握り一言。
「豚汁、食いたい」
「あー、オッケーです。テイクアウトしてきます」
源は気軽に応じてくれた。
なんていい奴。
この時間でも、食堂はまだやっていて夜食を準備してくれる。
運動部の部活終わりによく食べに行くんだけど、疲れた時は胃にも優しい豚汁が1番なんだ。
でも、こうしちゃいられない。
待ってる間も少しでも自習しておこう。
せっかく源があれだけ協力してくれてるんだから、カッコ悪いとこ見せられないよな。
と、現時点で充分醜態を晒しているけど明日結果をだせばチャラのはず。
が、待つこと20分。
あれ?ちょっと遅いかな。
何かあったんだろうか。売り切れてたとか?
少し心配になったので、食堂に様子を見に行くことにした。
実を言うと、まだスマホの連絡先を交換していない。
こんな時、連絡をとりあえたら便利なんだろうけど。
向こうからも聞いてこないし、俺からもなんとなくその一線を超えられないでいた。
妹の件が気になっていないと言えば嘘になる。
この前なんて源と2人で話していた時に、美奈が通りかかったので慌てて隠れてしまった。
源は多分それに気づいていたと思うが、何も言わなかった。
俺だけが源との距離を縮めていくことに小さな罪悪感があるんだよな。
それに、源だって、いつ兄弟ごっこに飽きて俺から離れていくかわからないし。
委員会や部活が同じとか、幼なじみだとか、もともと特別な接点のある先輩後輩関係じゃ無いんだし。
そんなことをぼんやり考えていたら、食堂の入り口まで来ていた。
すると聞き覚えのある声が食堂横の自販機コーナーから聞こえてきた。
「話がそれだけならもう行っていいすか?これ冷めちゃうんで」
少し苛立ちを含んだ低い声。
急いでそちらの方向へ歩を進めたら、源が大柄な男子生徒3人に囲まれているところに出くわした。
「はあ?おまえ、この野郎。さっきから生意気な奴だな。
俺の女に手を出しておいてその言い草かよっ」
「だから、あんたの女なんか知らねーよ」
激昂する男に対して、きわめて冷静な源の声色。
複数人に詰められているようだが、源に恐れの色は無い。
あれ、この人を食ったような態度は既視感がある。
そうだ、初めて俺が源に会った日とそっくりだ。
「しらばっくれんなよ」
「どうでもいいけど、早く解放してもらえませんか?これ、待ってる人がいるから」
源は両手に持ったトレーを大事そうにかかげる。
トレーの上には蓋をしたどんぶりが2つ。
あ、あれは、おそらく豚汁。
「これ、届けたらまた戻って来ますから一旦解散しませんか?
話は後で聞くんで」
源の話口調からして相手は上級生のようだ。
「届けるって誰に?女か?」
「違います」
「だったら誰にだよ?」
「そんなのあんたらには関係ない。これだけ届けさせてくれたら、俺のことは気の済むようにしてくれていいですから」
「はあ?んなこと言って逃げる気だろ。卑怯だぞっ」
男のうちの1人が源に腕を伸ばそうとしたから、俺は咄嗟に割って入っていた。
「どっちが卑怯だよっ」
「……っ」
「よってたかって下級生に絡みやがって」
「……」
「かっこわりーんだよ、おまえら」
カーッと頭に血が昇っていた俺は1番吠えていた奴に掴みかかったが、すんでのとこである事に気づく。
「あれ?宮崎?」
よく見れば今胸ぐらを掴んでいる相手は1年で同じクラスだった宮崎、それに後ろにいるのは現在同じクラスの後藤と原田。
3人とも俺の知りあいだったのか。
暗がりだったせいですぐには気が付かなかったようだ。
「え?小川か?どうしてここにいるんだ。ってかこいつと知り合い?」
バツが悪そうに尋ねる宮崎。
後ろの2人もイタズラを見つかった悪童みたいに気まずそうだ。
そりゃあそうだろう。こんなイジメみたいなことをしていたんだから。
「いや、違うんだよ。聞いてくれよ」
それから、グダグダと言い訳をしだした宮崎。
彼の言い分はこうだ。
宮崎が今付き合っている同学年の彼女が、1年に凄いイケメンがいると友達同士でしょっちゅう話しているんだとか。
それに、スマホの待受に源とのツーショット写真が設定されていたらしい。
証拠だと言うその写真を見せられたが、それはほんとにひどい言いがかりだった。
廊下を歩く源の横で宮崎の彼女がピースサインをして勝手に写したものであることは明らかだった。
その証拠に源はカメラ目線ですら無い。
そうか、それで源は身に覚えの無い濡れ衣を着せられていたわけか。
「くっだらねー」
「へ」
「こんなことで女をとられたなんて言いがかりつけてたのかよ」
ギリッと歯軋りしながら宮崎達を睨んだ。
「言いがかりなんかじゃねーよ」
宮崎はオロオロしながらまだ何か言おうとする。
てっきり同じ2年同士だから俺が仲間になるとでも思っていたんだろう。
すうっと息を吸い込んで、反撃を開始した。
「いいかよく聞け。源はな、恋愛になんてこれっぽっちも興味が無いんだよ」
「あ、ちょっと小川先輩、もう俺はいいですから」
源は慌てて俺を止めようとしたが、構わず続けた。
「その証拠にどんなに可愛い女の子が寄ってきても見向きもしないんだぞ」
そうだ、、うちの妹のような美少女ですらあっさりフッてしまうような奴だ。
「そんな源が他人の彼女なんかを奪うわけ無いだろっ。そこまでして面倒な相手を狙うと思うか?」
「まあ、そうか」「確かにな」
俺の意見に同調したのはさっきから成り行きを見守っていた後藤と原田。
それに力を得て、さらに俺は口を開く。
「源は分厚くて難しい本を読む秀才なんだぞ。そんな頭のいい奴が、わりに合わないことをするはずがないだろ」
「ちょっ、小川先輩。なんかそれ無理やりすぎませんか」
横から源が困ったように意見するが、俺は背中に庇うように両手を広げる。
「いいから、おまえは黙って俺の後ろにいろ」
「えっ、あ、はあ」
「どうだ、反論できるならしてみろよ」
腰に両手をあてて宮崎に詰め寄ると、心底嫌そうな顔をして口をつぐむ。
気がつけば食堂の方から騒ぎを聞きつけた生徒達が何事かと集まってきていた。
「おい、もういいだろ、宮崎。行こうぜ」
「あ、ああ」
これ以上はマズイと思ったのか後藤と原田が宮崎を促してそそくさと立ち去っていく。
去り際にクラスメイトの原田だけは、「悪かったな」と声をかけてからこの場を後にした。
よっしゃ、勝ったぞ。
グッと拳を握り締め振り返る。
「見たか?源、あいつらを論破してやったぜ」
「はぁ、そうですね。かなり強引でしたけどありがとうございました」
「おう」
俺は誇らしげに胸の高さで腕組みをして頷いたが、源は眉を下げて手元のどんぶりに目をやる。
「せっかくの豚汁が冷めてしまったみたいです」
「あ、ああ。そうか、でも仕方ないよ」
「先輩に暖かいうちに食べて欲しかったのにな」
残念そうにそう言って肩を落としてしまう。
「あ、えっと、そっか。ありがとな、
その気持ちだけで嬉しいよ」
気にするなよって言って源の肩をポンポンと叩いたけど、元気がない。
そう言えばさっき源はやたらと豚汁を早く届けたがってくれてたもんな。
まるで、自分が疑われてることよりもその方が優先って感じで。
「いや、俺が見たかったんです」
ぼつりと力無く言う。
「え?何を?」
「先輩が、うまいうまいって言って幸せそうに食べる姿」
「そ、そう」
どんな反応をすればいいのかわからなくて、目が泳いでしまう。
源って変わってるんだろうか。
俺なんかのためにいろいろしてくれて。
単に、すげーいい奴ってだけなのか。
うーん、でも誰にでも優しく接するタイプでも無さそうなんだよな。
「あ、そうだ」
その時、項垂れていた源が何かを思いついたように顔を上げる。
「確か食堂に電子レンジがあったはず。これ、温めなおしましょう」
表情がさっきとはうってかわって明るくなる。
「先輩、いきましょう」
「うん、そうだな」
源が元気を取り戻したのを見て俺はホッと胸を撫で下ろしたのだった。
「んー、あと5分、いや1分でもいい」
ポカポカと身体が暖かく何かに寄りかかっていて心地いい。
「……よだれ、たれてるんですけど。あーあ口開けて寝ちゃってるし」
呆れたような声が耳朶をくすぐる。
直後、口の端に柔らかい布の感触がした。
「しょうがないなー」
あれ、すげーいい匂い。
柔軟剤かな。
どこかで嗅いだ覚えがある。
どこだっけ。
「こんなに無防備で。何されても知らないよ」
フッと耳に吐息を感じた途端、一気に眠りから覚醒した。
「んあっ?」
寝ぼけ眼でキョロキョロ周りを見回すと、すぐ隣には超絶イケメンが驚いたように目を見開いている。
後輩の源聖夜、まるでテレビの中から飛び出して来たような整った顔立ちでとても一般人とは思えない。
もう10回以上会ってるけど、たまに男の俺でもドキッとしてしまうくらいの色香がある。
周りでこんな美形の友達なんて皆無だから、まだ慣れないだけなのかもしれない。
はぁ、ある意味寝起きにこいつの顔は心臓に悪い。
「先輩、勉強するって言って5分も経たないうちに眠ってましたよ」
「へ?勉強?なんで俺が」
「忘れてるんですか?明日の数学の補習テストで50点とらないといけないから猛勉強するんだって言ってたじゃないですか」
「あ、そうだ、そうだった」
放課後、自習しようと思って学校の図書室にきたら源がいたから、隣の席に座ったんだった。
どうやら源は、毎日図書室に来ていて退室時間ギリギリまで勉強しているらしい。
と言っても本を読んでいるだけの時もあるみたいだけど。
この時、源が読んでいたのはトルストイの『戦争と平和』という辞書くらい分厚い本。
ずいぶん難しそうな本を読んでるんだなってちょっと感心した。
漫画しか読まない俺からしたら活字だらけの分厚い本を読んでるだけで、尊敬に値する。
あ、そっか。源は頭もいいんだっけ。
入学試験、首席だって井川が言ってたもんな。
まあ、そんな源の隣で俺は明日のテストの勉強を始めたわけなんだが、数学が苦手すぎてどこからどう手をつけていいか分からず。
あろうことか即寝落ちしてしまったらしい。
窓から木漏れ日が差し込む暖かい席だったから余計に気持ちよく眠ってしまったようだ。
源の肩にもたれながら。
「わりー、わりー」
後輩の肩をポンポンと軽く叩いて謝ったら、ため息で返された。
「先輩、数学苦手なんですか?」
「ああ、でも文系なら得意なんだけどなっ」
いや、文系科目だって数学に比べたら少しマシって程度だけど。
そこは先輩として、ちょっと見栄を張りたい気分だった。
「教えましょうか?」
「は?バカにすんなよっ。後輩に勉強なんて教えてもらうわけないだろっ」
とは言ったものの源の自信ありげな態度が気になる。
この際、背に腹は変えられない。
俺は上目遣いに源を見上げる。
「ち、ちなみにおまえ2年の数学とか理解できてるのかよ?」
「俺、数学は得意です。基礎ならもう大学受験レベルまで終わらせてますよ」
「す、すっげー」
よくよく聞けば、有名な進学塾にも通っていて学校の範囲以上のことを教わっているんだとか。
「教えましょうか?」
「お願いしまっす」
プライドをかなぐり捨てて頭を下げた。
源が見下すような雰囲気ではなかったので余計に頼りやすかった。
実は明日のテストで最低でも50点が取れないとマジでヤバいことになるんだ。
担任からは進級できないかもしれないぞって脅されている。
「今からじゃ全て網羅するのは間に合いそうに無いから、俺がヤマをかけておきました。
最低限の公式だけは今から死ぬ気で覚えてください」
源はそう言ってルーズリーフを差し出して来た。
「へ」
なんと俺が寝ている間に重要な公式や問題の解説等をまとめてくれていたようだ。
それにサッと目を通したら綺麗な字が整然と並んでいて、びっくりした。
こんなにも協力してくれるなんて、それだけで感激で涙がでそうだ。
こいつ、神様かよ?
「みなもとー、大好きだっ」
感動のあまりガバッとその胸に抱きついたら、源は一瞬固まったけどハアッと大きく息を吐きだした。
「距離近いです」
「おまえ、いいやつだなー」
「はいはい、お礼はテストで50点とってからでいいですから」
冷静にそう言って俺を引き剥がす。
「うん、頑張るよ」
それからマンツーマンで勉強を見てもらったのだが、頭のいい奴ってたいてい教え方は下手だったりするのに源はそんなことはなかった。
飲み込みの悪い俺に何度でも一から解説してくれる。
「はあっ、もう一生分の勉強したかも」
それから数時間後、頭から湯気が出そうなくらい暗記と演習を繰り返した俺はぐったりと机に突っ伏した。
「頭いてー、ガンガンする」
普段、頭脳を使って無いからか今にもショートしそうだ。
すると、後頭部にふわりと大きな手が触れる。
そのまま優しく撫でられたから気持ちがよかった。
グーキュルー。
その時、俺の腹が空腹で死にそうだと悲鳴を上げた。
「うー、腹減った。でも動けねー」
満身創痍でぐったりしていたら源がスッと立ち上がり、なんか買って来ますねと言って歩きかけた。
俺はそんな源の手をギュッと握り一言。
「豚汁、食いたい」
「あー、オッケーです。テイクアウトしてきます」
源は気軽に応じてくれた。
なんていい奴。
この時間でも、食堂はまだやっていて夜食を準備してくれる。
運動部の部活終わりによく食べに行くんだけど、疲れた時は胃にも優しい豚汁が1番なんだ。
でも、こうしちゃいられない。
待ってる間も少しでも自習しておこう。
せっかく源があれだけ協力してくれてるんだから、カッコ悪いとこ見せられないよな。
と、現時点で充分醜態を晒しているけど明日結果をだせばチャラのはず。
が、待つこと20分。
あれ?ちょっと遅いかな。
何かあったんだろうか。売り切れてたとか?
少し心配になったので、食堂に様子を見に行くことにした。
実を言うと、まだスマホの連絡先を交換していない。
こんな時、連絡をとりあえたら便利なんだろうけど。
向こうからも聞いてこないし、俺からもなんとなくその一線を超えられないでいた。
妹の件が気になっていないと言えば嘘になる。
この前なんて源と2人で話していた時に、美奈が通りかかったので慌てて隠れてしまった。
源は多分それに気づいていたと思うが、何も言わなかった。
俺だけが源との距離を縮めていくことに小さな罪悪感があるんだよな。
それに、源だって、いつ兄弟ごっこに飽きて俺から離れていくかわからないし。
委員会や部活が同じとか、幼なじみだとか、もともと特別な接点のある先輩後輩関係じゃ無いんだし。
そんなことをぼんやり考えていたら、食堂の入り口まで来ていた。
すると聞き覚えのある声が食堂横の自販機コーナーから聞こえてきた。
「話がそれだけならもう行っていいすか?これ冷めちゃうんで」
少し苛立ちを含んだ低い声。
急いでそちらの方向へ歩を進めたら、源が大柄な男子生徒3人に囲まれているところに出くわした。
「はあ?おまえ、この野郎。さっきから生意気な奴だな。
俺の女に手を出しておいてその言い草かよっ」
「だから、あんたの女なんか知らねーよ」
激昂する男に対して、きわめて冷静な源の声色。
複数人に詰められているようだが、源に恐れの色は無い。
あれ、この人を食ったような態度は既視感がある。
そうだ、初めて俺が源に会った日とそっくりだ。
「しらばっくれんなよ」
「どうでもいいけど、早く解放してもらえませんか?これ、待ってる人がいるから」
源は両手に持ったトレーを大事そうにかかげる。
トレーの上には蓋をしたどんぶりが2つ。
あ、あれは、おそらく豚汁。
「これ、届けたらまた戻って来ますから一旦解散しませんか?
話は後で聞くんで」
源の話口調からして相手は上級生のようだ。
「届けるって誰に?女か?」
「違います」
「だったら誰にだよ?」
「そんなのあんたらには関係ない。これだけ届けさせてくれたら、俺のことは気の済むようにしてくれていいですから」
「はあ?んなこと言って逃げる気だろ。卑怯だぞっ」
男のうちの1人が源に腕を伸ばそうとしたから、俺は咄嗟に割って入っていた。
「どっちが卑怯だよっ」
「……っ」
「よってたかって下級生に絡みやがって」
「……」
「かっこわりーんだよ、おまえら」
カーッと頭に血が昇っていた俺は1番吠えていた奴に掴みかかったが、すんでのとこである事に気づく。
「あれ?宮崎?」
よく見れば今胸ぐらを掴んでいる相手は1年で同じクラスだった宮崎、それに後ろにいるのは現在同じクラスの後藤と原田。
3人とも俺の知りあいだったのか。
暗がりだったせいですぐには気が付かなかったようだ。
「え?小川か?どうしてここにいるんだ。ってかこいつと知り合い?」
バツが悪そうに尋ねる宮崎。
後ろの2人もイタズラを見つかった悪童みたいに気まずそうだ。
そりゃあそうだろう。こんなイジメみたいなことをしていたんだから。
「いや、違うんだよ。聞いてくれよ」
それから、グダグダと言い訳をしだした宮崎。
彼の言い分はこうだ。
宮崎が今付き合っている同学年の彼女が、1年に凄いイケメンがいると友達同士でしょっちゅう話しているんだとか。
それに、スマホの待受に源とのツーショット写真が設定されていたらしい。
証拠だと言うその写真を見せられたが、それはほんとにひどい言いがかりだった。
廊下を歩く源の横で宮崎の彼女がピースサインをして勝手に写したものであることは明らかだった。
その証拠に源はカメラ目線ですら無い。
そうか、それで源は身に覚えの無い濡れ衣を着せられていたわけか。
「くっだらねー」
「へ」
「こんなことで女をとられたなんて言いがかりつけてたのかよ」
ギリッと歯軋りしながら宮崎達を睨んだ。
「言いがかりなんかじゃねーよ」
宮崎はオロオロしながらまだ何か言おうとする。
てっきり同じ2年同士だから俺が仲間になるとでも思っていたんだろう。
すうっと息を吸い込んで、反撃を開始した。
「いいかよく聞け。源はな、恋愛になんてこれっぽっちも興味が無いんだよ」
「あ、ちょっと小川先輩、もう俺はいいですから」
源は慌てて俺を止めようとしたが、構わず続けた。
「その証拠にどんなに可愛い女の子が寄ってきても見向きもしないんだぞ」
そうだ、、うちの妹のような美少女ですらあっさりフッてしまうような奴だ。
「そんな源が他人の彼女なんかを奪うわけ無いだろっ。そこまでして面倒な相手を狙うと思うか?」
「まあ、そうか」「確かにな」
俺の意見に同調したのはさっきから成り行きを見守っていた後藤と原田。
それに力を得て、さらに俺は口を開く。
「源は分厚くて難しい本を読む秀才なんだぞ。そんな頭のいい奴が、わりに合わないことをするはずがないだろ」
「ちょっ、小川先輩。なんかそれ無理やりすぎませんか」
横から源が困ったように意見するが、俺は背中に庇うように両手を広げる。
「いいから、おまえは黙って俺の後ろにいろ」
「えっ、あ、はあ」
「どうだ、反論できるならしてみろよ」
腰に両手をあてて宮崎に詰め寄ると、心底嫌そうな顔をして口をつぐむ。
気がつけば食堂の方から騒ぎを聞きつけた生徒達が何事かと集まってきていた。
「おい、もういいだろ、宮崎。行こうぜ」
「あ、ああ」
これ以上はマズイと思ったのか後藤と原田が宮崎を促してそそくさと立ち去っていく。
去り際にクラスメイトの原田だけは、「悪かったな」と声をかけてからこの場を後にした。
よっしゃ、勝ったぞ。
グッと拳を握り締め振り返る。
「見たか?源、あいつらを論破してやったぜ」
「はぁ、そうですね。かなり強引でしたけどありがとうございました」
「おう」
俺は誇らしげに胸の高さで腕組みをして頷いたが、源は眉を下げて手元のどんぶりに目をやる。
「せっかくの豚汁が冷めてしまったみたいです」
「あ、ああ。そうか、でも仕方ないよ」
「先輩に暖かいうちに食べて欲しかったのにな」
残念そうにそう言って肩を落としてしまう。
「あ、えっと、そっか。ありがとな、
その気持ちだけで嬉しいよ」
気にするなよって言って源の肩をポンポンと叩いたけど、元気がない。
そう言えばさっき源はやたらと豚汁を早く届けたがってくれてたもんな。
まるで、自分が疑われてることよりもその方が優先って感じで。
「いや、俺が見たかったんです」
ぼつりと力無く言う。
「え?何を?」
「先輩が、うまいうまいって言って幸せそうに食べる姿」
「そ、そう」
どんな反応をすればいいのかわからなくて、目が泳いでしまう。
源って変わってるんだろうか。
俺なんかのためにいろいろしてくれて。
単に、すげーいい奴ってだけなのか。
うーん、でも誰にでも優しく接するタイプでも無さそうなんだよな。
「あ、そうだ」
その時、項垂れていた源が何かを思いついたように顔を上げる。
「確か食堂に電子レンジがあったはず。これ、温めなおしましょう」
表情がさっきとはうってかわって明るくなる。
「先輩、いきましょう」
「うん、そうだな」
源が元気を取り戻したのを見て俺はホッと胸を撫で下ろしたのだった。


