扉の開閉音で、あざらしは目を覚ます。身体を起こして耳を澄ませるが、もう物音はしなかった。きっと、出ていった音だろう。
 居間を確認すると、食卓の上に封筒が置いてあった。母がお金を入れてそこに置いたのだろう。もうそんな時間かと、時計を確認した。
 午前九時過ぎ。白熊との待ち合わせは午後二時。
 台所に行って炊飯器を確かめると、米は炊けていた。あざらしは微笑みを浮かべ、朝の身支度をしていく。
 おにぎりを作ろうと昨日から決めていた。ふりかけを混ぜて握るつもりだが、いつもより多く作ろうと思っている。──白熊に持っていく用に。

「おばあさんの分も作ろうかな」

 本職の方相手に恥ずかしいかなと思いつつ、たまに白熊に食べさせてもらっているから、そのお礼に。
 母のことはもう考えない。白熊との楽しい時間だけを考えた。

◆◆◆

 白熊の店には、予定より五分ほど早く着いた。レジ袋の中に手作りのおにぎりをいくつか入れて手にしっかり持ち、出入口から中を覗き込もうとしたら、ちょうど白熊が中から出てきた。

「あざらし君! こんにちわ!」
「こんにちわです、今日はよろしくお願いいたします。これ、作ってきたので、おばあさんにも」

 レジ袋を見せると、白熊の前髪に隠れていない右目がきらりと光り、白熊はそっとあざらしを抱き締めてきた。
 あわわとなりつつ、白熊から、あざらし君……と掠れた声で名前を呼ばれ、おずおずと、あざらしも抱き締め返す。
 あったかい。
 ずっとこうしていたい気もするが、そこは出入口、お客の邪魔になってしまうと、ぽんぽんとあざらしは白熊の身体を叩いた。

「ああ、ごめん、つい。あざらし君、中に入って」

 優しく手を掴まれ、中に誘導される。L字型のカウンター内には白熊の祖母がいて、笑顔であざらしを出迎えてくれた。

「こんにちわ~、あざらし君。今日も可愛いわね~」
「そっ、そんなことは」
「あざらし君は可愛いよ。さすが俺のおばあちゃん」

 二階に行ってるねと口にし、あざらしは手を繋いだまま、白熊と共に二階に行く。
 こないだも来たばかりの、白熊と鮫島の部屋。本棚で仕切られた白熊のスペースまで来ると、既に座布団が敷かれており、座ってと白熊に言われて腰を降ろした。
 荷物を脇に置かせてもらい、コートを脱ぐ。少し寒いから、黒いタートルネックのセーターを今日は着ていた。

「それなら首元、隠せるね」
「え、何がですか?」
「ううん、こっちの話」

 荷物の整理が済み、背筋を伸ばして白熊を見ると、立っていた白熊は畳に片膝をついて、素早くあざらしの唇に自分のを重ねてきた。
 あざらしが驚く間もなく離れていき、あざらしの頭を撫でると、お茶持ってくるねと白熊は行ってしまった。

「……急、です」

 触れられた唇に指をそっとあてる。温もりが少し残っており、その感触を思い出して悶えたくなった。

◆◆◆

 お茶を持ってきた白熊に、あざらしは震える手で手作りのおにぎりを渡した。キスの緊張がまだ続いていたが、白熊にそんな様子はなく、嬉しそうにおにぎりを受け取り、流れるような動作でそのまま食べていく。

「美味しいよ、これは止まらないね」
「大袈裟ですよ。でも、ありがとうございます」

 あざらしはかなり気にしているのに、なんというか、白熊は余裕だ。いつも白熊からそういうことをしてくる。自分は戸惑うばかり。
 これでいいのか、みたいな気持ちが芽生えてくる。
 リードされるばかりで、ずっと受け身で呆れられないか。自分からも何か、するべき、なのかもしれない。
 そう考えている内に、白熊が一個目のおにぎりを食べ終えた。おかわりありますよとあざらしが言えば、食べたいと返ってくる。
 じゃあ……と二個目を渡そうとして、あることを思いついた。
 ラップを半分剥がして、あざらしは白熊の傍に寄っていき、口の前までおにぎりを持っていく。

「あ……あーん……」
「……」
「……」
「……」
「……っ」

 やらかしたと、羞恥におにぎりを引っ込めようとしたら、手首を掴まれた。そのまま、持っていたおにぎりは白熊の口へ。
 性急になくなっていくおにぎり。残り少なくなると、あざらしの手首を掴むのとは反対の手でおにぎりは取られて、ぺろりと食べられてしまう。
 そして、手首を引き寄せられ、あざらしの唇に白熊の唇が触れてくる。さっきよりも激しくて、思わず口を開けば、舌が入ってきた。
 おばあさんが下にいるのに、とか、おばあさんの分のおにぎりどうしよう、とか、考えている内に、ゆっくりと畳の上に押し倒される。
 キスは止まらない。いつの間にか両の手首を掴まれ、ひたすらキスをされていく。
 いつの間にか瞼を閉じていたあざらし。キスの雨が止むと、うっすらと開けた。

「……あざらし君、あーんは反則だと思う」
「……すみません」

 白熊の顔も赤く、息が荒い。

「……もっとする?」
「……っ!」

 目を見開いたあざらしに、にっこりと微笑みながら頭を撫でると、白熊の身体は離れていった。

「また今度ね。あ、おばあちゃんの分もらうね。届けてくるから待ってて」
「……」

 足音が遠ざかっていくのを確認すると、身体を起こし、座布団の上に正座し直す。
 ……もうちょっとだけ、と思ったのは、白熊には内緒だ。