おにぎり同好会の活動は、昼休みから始まる。
四時間目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。数学の教師が腕時計を確認し、今日はここまでと言うなり、海豹丙吾は一礼し、机の上を片付けた。
騒がしくなる教室。後ろのドアに一番近い席に座る海豹の元に、近付いてくる人影があった。
海豹の肩までの髪は焦げ茶色だが、その人物のアシンメトリーの髪は明るい茶色をしている。珈琲色のカーディガンの袖で両手を隠しながら、相手は海豹に話し掛けてくる。
「あざらし、二年の教室行こうぜ」
「ぺんぎん君は準備が早いですね」
苦笑いと共に海豹──いや、あざらしが返事をすれば、ぺんぎんと呼ばれた少年は楽しそうに笑ってみせた。
人鳥庚斗。
ぺんぎんというあだ名を付けられている彼は、あざらしのクラスメイトにして、同好会メンバーである。
スクールバッグの中に突っ込んでいた、レジ袋の中のおにぎり六個。学校に来る前に買っておいたもので、全て違う種類になっている。それと、学校の自販機で買ったほうじ茶を持って、あざらしはぺんぎんと共に教室を出た。
──二年四組。
あざらし達の目的の場所はそこなのだが、奥にあり、廊下をかなり進む必要がある。
一年生のあざらしとぺんぎんが他学年の領域に足を踏み入れるのは、本来気後れしそうなものだが、半年以上通っているので、もう慣れたもの。視線だって感じなかった。
「白熊さーん、斑鳩さーん」
二年四組に着いてすぐ、ぺんぎんがそう声を上げると、うるせーよぺんぎんと怒鳴り返す声があった。本当に怒っている、というより、どこか笑いを含んだ声。ぺんぎんも気にせず、すいませーんと言って、ずかずか教室の中に入った。あざらしも後ろからついていく。
目指すは窓際の一番後ろの席。そこには、刈り上げた頭と鋭い三白眼が特徴的な男子と、癖のない肩までの黒髪の、男子と思われる後ろ姿がある。どちらもきっちり、着崩すことなくブレザーを着ていた。それを目にして、あざらしは自然と自身のブレザーの乱れを直す。
男子二人は一番後ろの席と、その一つ前の席を、向きを変えてくっつけており、いかつい男子の前に座る男子は、あざらし達に背を向ける形で座っていたが、二人が近付いていくと、ゆっくり振り返ってきた。
その男子は、右目は晒されているものの、左目が伸びた前髪によって隠れてしまっている。それでも、見るのに不便はないのか、あざらし達の顔を見ると、優しく微笑んだ。
「ここまでお疲れ様、あざらし君。それにぺんぎん君も。許可は取ってあるから、隣の席の椅子を使って」
「なんかおれはついでみたいな感じしますー」
「ごめんごめん、ぺんぎん君。おにぎり一個あげるから」
「わーい」
はしゃぎながら椅子を用意するぺんぎんの横で、あざらしは少し俯きながら椅子を動かす。
──いいな、ぺんぎん君。おにぎりもらえて。
そう、思いっきり顔に書かれていた。誰が見ても分かるほどに。
左目が隠れた男子はくすりと笑い、あざらし君の分もあるよ、と声を掛けてくる。途端に、あざらしの顔は明るくなった。
「ありがとうございます! 白熊先輩!」
白熊、と呼ばれた左目が隠れた男子は、あざらしが彼の横に座るなり、あざらしの頭を撫でた。抵抗することなく受け入れるあざらしの顔は嬉しそうだ。
白熊とあざらしの様子を、ぺんぎんといかつい男子は苦笑気味に眺め、それぞれレジ袋からおにぎりを取り出した。
ぺんぎんもあざらしと同じくコンビニで買ったおにぎり、いかつい男子のはラップに包まれたおにぎりだった。
「手作りっすか?」
「いや、弁当屋の。あそこはラップなんだよ」
「ほへー。斑鳩《いかるが》先輩の手作りも美味しいんすけどね」
「俺はあげねえからな」
「ひんっ!」
白熊丁治。
斑鳩鈴鹿。
それぞれ、二年の同好会メンバーであり、昼休みは、あざらしとぺんぎんが彼らの元に来て、共におにぎりを食べている。
買ったり、自分で作ったり、それは自由であり、ただおにぎりを食べながら仲良くお喋りをする、そんな平和的な同好会だ。
「はい、まずはあざらし君」
そう言って白熊があざらしに手渡したおにぎりは、俵の形をしている。いつも通りの白熊のおにぎり、彼の手作りだ。
「美味しそうです」
「いつもと変わらない、塩握りだよ」
「食べるとなんだか妙に安心します、あったかいんですよね」
「作ってからわりと時間が経っているのに。あ、あざらし君への愛情を込めているからかな」
「白熊先輩、その冗談好きですよね」
ははは、なんて笑っているのはあざらしだけで、白熊は笑顔で固まり、ぺんぎんと斑鳩はそれぞれ顔を見合わせる。
冗談、ではない。
というのが、白熊・ぺんぎん・斑鳩の三人の認識であるが、あざらしがそこに含まれる日は来るのだろうか。
「ああ、そういえば先輩方、鮫島先輩と南極先輩は今日も欠席ですか?」
三人の様子に気付かずに、あざらしが訊ねれば、白熊がそれに答えた。
「みーちゃんも南極さんも、勉強に集中したいみたい」
「三年生ですもんね、大変ですよね……」
「だね、みーちゃんなんて、ひいひい言いながら勉強してるよ」
みーちゃんは鮫島のことで、白熊は彼をそのように呼んでいる。
白熊はぺんぎんと斑鳩にもおにぎりを配りながら、話を続けた。
「受験勉強の差し入れに、みーちゃんにはおにぎりと味噌汁あげてるから、まあ、大丈夫でしょう」
ちなみに鮫島と白熊は、母親同士が姉妹の従兄弟であり、諸事情で共に母方の、おにぎり屋を営む祖母の家で暮らしている。
「じゃあ、今は白熊さんのお店にお邪魔したらいけませんね」
「あざらし君ならいいよ」
食い気味に白熊が返事をするが、そういうわけには……と遠慮するあざらし。
「ちょっとくらいなら大丈夫だよ」
「うーん」
「今日来ても大丈夫」
「今日はちょっと。明日なら」
「じゃあ、明日おいで。おばあちゃんも歓迎すると思うから」
「……なら、お言葉に甘えて」
机の下でガッツポーズする白熊に、気付くのはぺんぎんと斑鳩のみ。やれやれ、と言わんばかりの顔の二人を見て、あざらしだけが、不思議がっていた。
──あざらしが好きな白熊と、微妙に想いが伝わっていないあざらし、そんな彼らを見守る友人達の、日々を綴る物語。
四時間目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。数学の教師が腕時計を確認し、今日はここまでと言うなり、海豹丙吾は一礼し、机の上を片付けた。
騒がしくなる教室。後ろのドアに一番近い席に座る海豹の元に、近付いてくる人影があった。
海豹の肩までの髪は焦げ茶色だが、その人物のアシンメトリーの髪は明るい茶色をしている。珈琲色のカーディガンの袖で両手を隠しながら、相手は海豹に話し掛けてくる。
「あざらし、二年の教室行こうぜ」
「ぺんぎん君は準備が早いですね」
苦笑いと共に海豹──いや、あざらしが返事をすれば、ぺんぎんと呼ばれた少年は楽しそうに笑ってみせた。
人鳥庚斗。
ぺんぎんというあだ名を付けられている彼は、あざらしのクラスメイトにして、同好会メンバーである。
スクールバッグの中に突っ込んでいた、レジ袋の中のおにぎり六個。学校に来る前に買っておいたもので、全て違う種類になっている。それと、学校の自販機で買ったほうじ茶を持って、あざらしはぺんぎんと共に教室を出た。
──二年四組。
あざらし達の目的の場所はそこなのだが、奥にあり、廊下をかなり進む必要がある。
一年生のあざらしとぺんぎんが他学年の領域に足を踏み入れるのは、本来気後れしそうなものだが、半年以上通っているので、もう慣れたもの。視線だって感じなかった。
「白熊さーん、斑鳩さーん」
二年四組に着いてすぐ、ぺんぎんがそう声を上げると、うるせーよぺんぎんと怒鳴り返す声があった。本当に怒っている、というより、どこか笑いを含んだ声。ぺんぎんも気にせず、すいませーんと言って、ずかずか教室の中に入った。あざらしも後ろからついていく。
目指すは窓際の一番後ろの席。そこには、刈り上げた頭と鋭い三白眼が特徴的な男子と、癖のない肩までの黒髪の、男子と思われる後ろ姿がある。どちらもきっちり、着崩すことなくブレザーを着ていた。それを目にして、あざらしは自然と自身のブレザーの乱れを直す。
男子二人は一番後ろの席と、その一つ前の席を、向きを変えてくっつけており、いかつい男子の前に座る男子は、あざらし達に背を向ける形で座っていたが、二人が近付いていくと、ゆっくり振り返ってきた。
その男子は、右目は晒されているものの、左目が伸びた前髪によって隠れてしまっている。それでも、見るのに不便はないのか、あざらし達の顔を見ると、優しく微笑んだ。
「ここまでお疲れ様、あざらし君。それにぺんぎん君も。許可は取ってあるから、隣の席の椅子を使って」
「なんかおれはついでみたいな感じしますー」
「ごめんごめん、ぺんぎん君。おにぎり一個あげるから」
「わーい」
はしゃぎながら椅子を用意するぺんぎんの横で、あざらしは少し俯きながら椅子を動かす。
──いいな、ぺんぎん君。おにぎりもらえて。
そう、思いっきり顔に書かれていた。誰が見ても分かるほどに。
左目が隠れた男子はくすりと笑い、あざらし君の分もあるよ、と声を掛けてくる。途端に、あざらしの顔は明るくなった。
「ありがとうございます! 白熊先輩!」
白熊、と呼ばれた左目が隠れた男子は、あざらしが彼の横に座るなり、あざらしの頭を撫でた。抵抗することなく受け入れるあざらしの顔は嬉しそうだ。
白熊とあざらしの様子を、ぺんぎんといかつい男子は苦笑気味に眺め、それぞれレジ袋からおにぎりを取り出した。
ぺんぎんもあざらしと同じくコンビニで買ったおにぎり、いかつい男子のはラップに包まれたおにぎりだった。
「手作りっすか?」
「いや、弁当屋の。あそこはラップなんだよ」
「ほへー。斑鳩《いかるが》先輩の手作りも美味しいんすけどね」
「俺はあげねえからな」
「ひんっ!」
白熊丁治。
斑鳩鈴鹿。
それぞれ、二年の同好会メンバーであり、昼休みは、あざらしとぺんぎんが彼らの元に来て、共におにぎりを食べている。
買ったり、自分で作ったり、それは自由であり、ただおにぎりを食べながら仲良くお喋りをする、そんな平和的な同好会だ。
「はい、まずはあざらし君」
そう言って白熊があざらしに手渡したおにぎりは、俵の形をしている。いつも通りの白熊のおにぎり、彼の手作りだ。
「美味しそうです」
「いつもと変わらない、塩握りだよ」
「食べるとなんだか妙に安心します、あったかいんですよね」
「作ってからわりと時間が経っているのに。あ、あざらし君への愛情を込めているからかな」
「白熊先輩、その冗談好きですよね」
ははは、なんて笑っているのはあざらしだけで、白熊は笑顔で固まり、ぺんぎんと斑鳩はそれぞれ顔を見合わせる。
冗談、ではない。
というのが、白熊・ぺんぎん・斑鳩の三人の認識であるが、あざらしがそこに含まれる日は来るのだろうか。
「ああ、そういえば先輩方、鮫島先輩と南極先輩は今日も欠席ですか?」
三人の様子に気付かずに、あざらしが訊ねれば、白熊がそれに答えた。
「みーちゃんも南極さんも、勉強に集中したいみたい」
「三年生ですもんね、大変ですよね……」
「だね、みーちゃんなんて、ひいひい言いながら勉強してるよ」
みーちゃんは鮫島のことで、白熊は彼をそのように呼んでいる。
白熊はぺんぎんと斑鳩にもおにぎりを配りながら、話を続けた。
「受験勉強の差し入れに、みーちゃんにはおにぎりと味噌汁あげてるから、まあ、大丈夫でしょう」
ちなみに鮫島と白熊は、母親同士が姉妹の従兄弟であり、諸事情で共に母方の、おにぎり屋を営む祖母の家で暮らしている。
「じゃあ、今は白熊さんのお店にお邪魔したらいけませんね」
「あざらし君ならいいよ」
食い気味に白熊が返事をするが、そういうわけには……と遠慮するあざらし。
「ちょっとくらいなら大丈夫だよ」
「うーん」
「今日来ても大丈夫」
「今日はちょっと。明日なら」
「じゃあ、明日おいで。おばあちゃんも歓迎すると思うから」
「……なら、お言葉に甘えて」
机の下でガッツポーズする白熊に、気付くのはぺんぎんと斑鳩のみ。やれやれ、と言わんばかりの顔の二人を見て、あざらしだけが、不思議がっていた。
──あざらしが好きな白熊と、微妙に想いが伝わっていないあざらし、そんな彼らを見守る友人達の、日々を綴る物語。



