「理都先輩、お迎えきましたよー」
 まるで幼稚園の如く、ホームルームを終えた教室の前扉から、青がひょこりと顔を出す。
「うーわ、いかちーな」
 隣にいた男子が若干たじろぎながら、そう呟いた。
「え、俺かっけーって思うけど。てか動画見た?」
「見たけど、あのピアスいたそー……」
「そこかよ」
 俺は彼の評価が囁かれる方へと耳を傾けてから、青の元へと向かう。彼は控え目に教室に入らず、ドアの前で俺をきちんと待っていた。
 目の前まで来ると、青はゆっくりと形の良い双眸を細めて、
「理都さん、って呼んじゃだめ?」
「理都先輩」
「けち」
 一体何を考えているのか分からない。でも、どうしても何故か、彼を避けることができない。俺達は教室を後にすると、下駄箱のある一階に降りて、靴に履き替える。
「先輩のカフェいこーよ」
「いいけど、練習は?」
「五時から合流なんで気にしないでください」
 俺達は学校の最寄り駅にある、俺のバイト先へと向かった。流れる学生の達の中、やっぱり青はひと際人目を引きつける存在を放ち続けている。
 誰かを追い越せば、背後を指さされ、誰かの背後を歩けば、ちらりと振り返られる。ちらちらと聞こえてくる青への羨望の眼差しや好意は、あからさまに彼へと突き刺さっていた。
「なんか動画きっかけで話しかけてきたり、告ってきたりする人多いンすよねー」
 なんの前触れもなく、青が呟く。こんな人混みの中で、そんな話をしていいのかと思ったけれど、彼が今吐き出したいと言うなら、聞いてやるべきなのかもしれない
 俺は一瞬迷ってから、うん、と彼の言葉の続きを促した。
「昼休みも、全然話した事ねー女に告られました。俺の何が好きなのか、全然分からんかった」
 浅いため息を吐いて、青はつまらなさそうに空を見上げた。俺はその横顔を見ながら、自分もまだ青の事を全然知らないと思う。
 どのくらい知ったら、彼を知ってるって言えるのだろう。
「それに今、俺は音楽以外、恋愛とかちょっと考えらんねーし」
「そうなんだ」
 彼の何気ない宣言に、つん、とつまずくような引っ掛かりと、何もないところで転んだような軽い痛みが胸に走る。
 ……なんで?
「自分のやりたい事で手一杯」
「そうだよな、バンドの事もあるしね」
 なんで、痛みを感じる必要がある?
 つきつきと痛む胸を感じながら、俺は少しだけ混乱した。――だってこれではまるで、自分が傷ついてるみたいじゃないか。
「でも先輩は別」
「俺?」
 覗き込まれて、思わず歩みが止まった。
「理都先輩は、そばにいて欲しい」
「な、なんで?」
 痛みがふっと途切れて、緊張に身体が強張った。どういう意味だろう。見つめられて心臓が少しずつ鼓動を早くしていくのが分かった。
「分かんねーけど、あんたには傍で見てて欲しいンすよ」
「俺はお前の母ちゃんじゃねえからな」
「分かってますよ」
 俺は青を避けて先に歩き出すと、追いかけてきた彼の手が俺の肩を掴む。軽い力で引かれて振り返ると、
「あんたも俺と似た事思ってんじゃねーの?」
 そう突き付けられた。
 似た事――それは例えば、そばで青を見ていたいという事?
 そう思った瞬間、背筋からぶわりと熱いものが走り出し、身体全身を熱が覆い尽くした。
「あ、真っ赤。わっかりやすい」
「うるさいな、そういう風に揶揄うならもう帰る!」
「拗ねんなよ、先輩」
 速足になるのを二の腕を引っ掴んで引き止められ、俺は大人しく青の隣に並んだ。もうどんな顔をして彼を見ればいいのか分からない。
 あんなふうに真っ直ぐ切り返されるなんて、思っても見なかった。不意打ちも良いところだ。
「やばい、男相手にときめいちゃった……」
「……お前、それ以上余計な事言ったら、また殴るからな」
 真剣な俺の忠告にも関わらず、青は「こわーい」と笑うばかりで、それ以上この話を深堀りしようとはしてこなかった。
 きっとお互い、分かっているんだと思う。
 触らぬ神に、祟りなしっていう感じのことを。