受験と期末考査が一気に押し寄せる時期になると、一般受験組の神経がピリリと敏感になる気がした。
 指定校推薦を終えている俺や猪村は、何処となく肩身が狭く、二人で一緒に過ごすことが増えた。弁当片手に勉強しているような奴は、いないけれど、話題は受験や塾と、クリスマスイベントへの恨み節が増えている為、何となく居場所がない。
「宮古、クリスマスは?」
「バイト。そっちは?」
「俺はライブ」
 そう言いながらスマホの画面を見せられる。画面は彼が押している、海外バンドのライブ日程ツイートだった。
「取れたんだ、すげーじゃん」
「だろ、今年の運使い切った感じ!」
 猪村は嬉しそうに笑って、菓子パンに噛り付く。
 そんな時、不意にポケットの中のスマホが震えた。俺は何となくそれを取り出し、画面を覗くと、それは青からだった。
『今日バイトありますか?』
『ないよ、だから来ても、あのミルクティーは出せないよ』
 そう返すと、猫が泣いているスタンプが返ってきた。
「なに、だれから? 彼女?」
「んなわけないない。なんでだよ」
「だって、なんかすげえにやけてるから」
「え、そんな顔してた?」
 思わず自分の頬に触れて、表情筋の確認をしてしまうと、猪村は「隠さないでもいいぞ」なんて揶揄おうとしてくる。俺はそれを「いやいや」と否してから、またスマホに視線を落として、青からのメッセージを見つめた。
 青から届くメッセージは、正直嬉しい。
 バイト出勤の確認の他にも、おはようとかおやすみ、とか本当に送ってくるから、何だかくすぐったい気持ちにさせられる事もある。でもだからって、そんなあからさまに顔に出てるのか、俺は。
 気を付けよう、と気を引き締めてから、俺は席を立った。
「飲みもん買いに行くけど、猪村なんかある?」
「俺はいーや、いってら」
 ひらりと手を振って教室を出ると、俺は三階から一階へと階段を下りていく。ふと無意識に「青に会えるかな」なんて考えている自分がいてしまう事に戸惑いながらも、頭を軽く振ってそれを散らした。
 一階に降りて、昇降口前の自動販売機前で辺りを見渡す。学生の波の中に、青を探した。金髪に近い明るい髪は、否が応でも目立つのだけど……いまはいないようだ。
 なんだ、なんて残念に思っている自分が、少しだけ鬱陶しい。俺はさっさとお茶を買うと、踵を返した。
「入江君、ちょっといい?」
 ふとそんな声がして顔を上げると、一年の教室から出ていく青と長い黒髪女子の後ろ姿を見つけた。あ、と一歩踏み出しそうになり、俺はそこを堪えて立ち止まる。
 ――なんか、あれは追いかけちゃいけない気がすると、本能的にそう感じた。俺はその場で二の足を踏みながら、去って行く二人を見送った。なんだか胸の奥がすうすうする、この感覚は何だろう。
すると、不意にまたジャケットの中のスマホが震えた。
『放課後、時間ありますか?』
 青からだった。
 お前いま女の子と二人きりだろ! なんて頭の中で突っ込みながらも、
『あるよ、なんで』
 と、返している厄介な自分がいる。二人きりであるというのを知りながら、邪魔している性格の悪い自分を、強く意識しながら――それでも、すぐに既読をつけてくれる青とのやりとりから目が離せない。
『喋りたいから、だめ?』
 ずるい奴だな、ホント。
『いいよ』
 俺もホント、最低最悪な奴。
 俺はペットボトルのキャップを開くと、教室には戻らず、下駄箱の側面に背中を預けて、ぼんやりと目の前を通り過ぎていく人を眺めた。
 暫くすると、目の前を黒髪の女の子横切っていく。
 俺はそれを視線で追いかけて見つめた。
 青と人ごみに紛れて行ったはずの子が、一人で走ってどこかに行ってしまう。振り返ることもない彼女に、擦れ違う人がたまに振り返って驚いた顔をしている。
「あれ、理都先輩」
 声がした方へと顔を向けると、青と目が合った。人波の中でもひときわ目立つ青は、右手を上げて足早にこちらへと寄ってくる。
「何でいンの? 俺に会いにきたンすか?」
「ばか、お茶買いに来ただけ」
「えー? ほんとかなァ?」
 俺がペットボトルを軽く振って見せると、青は俺の真正面に立つと、ものすごく意地の悪そうな顔をして、俺を覗く込む。内心見透すような真っ直ぐな双眸に気圧されて、俺は「それ以外ある?」苦笑いを浮かべてみた。
 青はそんな俺の言葉を待っていたように少し屈むと、俺の右耳に唇を寄せてくる。
触れていないのに、体温が分かる距離。
「それ買ったの、何分前?」
 ――見られてたんだ。
 俺は驚いて、青の胸を押し返した。心臓がどくどくと嘘がバレた戸惑いで、暴走する。
 青は何もかもを知ったような顔で、楽し気に俺を見つめている。
 彼女と二人で消えていく前に、俺の事を青は見つけてたんだ。
 そう自覚すると、かっと頭に血が上った。
「理都、大丈夫。振ったよ」
「ば、……っ! 先輩付けろ!」
 頭の中の内側の内側、硬く隠していた部分をあっさりと見つけられて、俺は思わず青の頭を叩いた。
「いってえ!」
 俺は頭を抱えてしゃがみ込んだ青を置いて、急いで階段へと向かい、名前を呼んでくる声も無視して、階段を駆け上がる。
「おー、遅かったな」
 教室へと飛び込むようにして入ると、俺は椅子を引いて腰を下ろし、特大の溜息を長く吐く。
「なに、どした?」
「いや、なんかもう……」
 そう言いかけたところで、またスマホが震える。恐る恐る取り出して、見てみれば、
『理都先輩、放課後迎えに行きます』
 そう短い文章と共に、釘バットを持った犬のいかついスタンプが飛んで来る。
 俺はもう一度長い息を吐き出すと、机の上に突っ伏して、
「大丈夫かよ、どした~?」
 と猪村に揺すぶられながら目を閉じた。
 どんな顔して会えばいいんだよ。