十一月の中頃、指定校推薦の合否が発表され、無事に合格を決めて以降は、暢気なものだ。
あんなに緊張していた面接も、小論文もたったの二週間で、随分遠いものに感じられる。
「宮古、今日バイト?」
「あー、うん。五時から八時まで」
「いいなぁ……」
受験勉強真っ只中の友人は、ため息を吐きながら、椅子の背凭れにずるずると寄り掛かる。
「宮古は今まで内申頑張ってきたんだから、仕方ねえだろ」
もう一人の友人の言葉に、彼は唸るように不平不満を飲み込んで、手に持っていたテキストを机に放った。俺はそれを眺めながら、紙パックの甘すぎるレモンティーを一気に飲み干す。
「俺だって今頑張ってる~」
「宮古はそれより前から頑張ってたんだよ」
友人を慰める姿を眺めながら、俺は何と言って良いか分からずに、苦笑いをした。
頑張ったというか、まあ……手近で終わらせられる範囲を選択したのだから、「頑張った」なんていう大層なものではないけれど。
「悪い、飲みモン買ってくるわ」
「おー、いってら」
俺は居心地の悪くなった席を立つと、財布をポケットに入れて教室を後にした。
高校三年生の十一月下旬。
既に街並みの色どりはクリスマス一色だけれど、俺達の季節は「受験」という過酷な一色に染められている。推薦組も浮かれたい気持ちをやんわり隠しながら、友人の「受験」の色に染められており、何だか学校自体が窮屈な気がする。
「ねえねえ、クリスマス彼氏とデートする?」
「わかんない、あっち受験だし。なんか最近イラついてるし」
ちらりと耳についた言葉を横目で流し、俺は自動販売機のある昇降口へと階段を下りた。
「なあ、クリスマスどーする?」
「俺、彼女できたしデートかなあ?」
「うっぜえ」
学年が違えばお気楽な声も聞こえてくる。俺は一階にある一年の教室そばを通りながら、まだ初々しい会話にほっと息を吐いた。
三階は息が詰まるけど、高校に進学したて(と言っても、もう半年以上経っているけれど)の彼等の自由な会話は、締め付けられている喉元の紐を、やんわりと解いてくれるような、気楽さがあった。
まあ、俺が受験生当事者だったら、こういう会話にもイラっとする事あるんだろうけど。
俺は自動販売機の前で、お茶のペットボトルを買いながら、そんな事を考えていると、不意に入江青の事を思い出した。
そう言えばと顔を上げると、目の前には一年のクラスが連なっており、この中に彼がいるのだと思うと、何だか少し不思議な気分になった。
彼もまた、クリスマスはどうしようなんて考えているのだろうか。クリスマスライブとか、彼女と過ごすとか、意外と家族と過ごす――なんて。
一度しか話した事のない相手の事を、何となく想像して、すぐにあほくさいと思考を投げ出すと、
「いちごミルクが美味しいのに」
背後からそんな声がして、慌てて振り返る。
「やっば、おにーさんじゃん」
自分よりも背の高い男が、驚きのない表情で俺を見下ろしていた。
「え、なんで……、ここに……」
驚き過ぎて思考が追い付かず、何とか声を絞り出すと、
「なんでって、俺一年だし。てか、おにーさん、三年だったんだ?」
男――入江青が目の前で首を傾げる。
まさか当人に鉢合わせるなんて、思いもしなかった。驚きで毛穴が開いて、じんわりと汗が無意味に湧き出す。
「びっくりした……」
「俺もびっくりしました」
「そんなふうに見えないけど」
「よく顔と言動が別行動って言われます」
別行動。
思わずその例えに吹き出してしまうと、彼の口元が少しだけ柔らかく弧を描く気がした。
「いつも世話になってます、入江青です」
「あ、こちらこそ。いつもご来店ありがとうございます、宮古理都です」
つられて社会人みたいな挨拶をしてしまう。
「理都先輩」
宮古先輩ではなく、理都先輩と下の名前で飛ばれて、俺は顔を上げて一瞬戸惑ってしまう。普通なら苗字で呼ばれるような気もするのだけど……。
「理都って珍しい名前っスね」
ああ、珍しいからそっちが印象に残ったのか。俺はそう納得すると、自虐を込めて、
「女っぽいんだけどねー」
と笑って誤魔化して見せる。
「そっスか? いい名前だと思うけど」
彼はそう言いながら、俺を通り過ぎると、自動販売機にお金を入れて、いちごミルクのボタンを押した。カコン、と音を立てて紙パックのそれが降りてくると、彼はそれを取り出す。
「俺あの店結構通ってたし、あんたの顔も覚えてたのに、なんで今まで気づかなかったんだろ……」
彼はそう呟きながら、じっと俺を覗き込んでくる。
真っ直ぐと向けられる形の良い二重の双眸に、細い鼻梁、薄い唇。ルーズパーマの掛かっているだろう長めの髪は、遠目で見た時の奇抜さより、柔らかそうな優しい色をしているように感じられた。そして、その優しさを裏切るように、左右の耳にピアスが幾つもはめられているのが目立つ。
こんな派手なイケメンなら、擦れ違えばすぐに分るだろう。だけど、俺はどこからどう見ても「大衆一般人A」でしかないのだから、気付かれないのも無理はない。
「俺はまあ、地味だし、教室も三階だしね」
「地味? 地味っすかね?」
「地味だろ、入江に比べたら全然日陰じゃん」
「青が良いです」
「え、ああ……あ、お……」
「よくできました」
えらいえらい、と頭を撫でられて、思わずぽかん、としてしまうと、俺の背後から「あおー」という間延びした声が聞こえてくる。振り返れば、彼の友人だろう二人組が渡り廊下の窓に寄り掛かりながら手を振っていた。
「呼ばれてるから行きます。じゃ、理都先輩、今後ともよろしくお願いします」
深々と礼儀正しいお辞儀をすると、青はいちごミルクの紙パックにストローを差しながら、ふわりと俺をすり抜けていく。
彼と擦れ違い様に、柑橘系の心地良い香りがふわりと香った。



