「マジでありがとな!」
猪村にチケットを見せて誘った所、彼はものすごく喜んで、ライブに来てくれた。
「俺、こういうハコのライブ初めてだけど、なんかいいな」
ワンドリンク制のジンジャエールを片手に、猪村はそれなりに人の埋まりつつある会場内を見渡した。
キャパシティとしては二百人くらいだろうか。会場が地下というせいか、天井が低く少し圧迫感がある。天井はコンクリートの通気口等がむき出しになっており、全体的に退廃的な印象があった。しかも壁も床も黒いのに、照明が最低限で照らされており、足元が覚束ない。
「俺もこういうところ初めて……」
青に誘われなければ、絶対に来ない場所だなと思いながら、俺は物珍し気に辺りを見渡した。
周りには、俺達よりも年上、もしくはずっとこういう場に慣れているような、人達で溢れている。手にお酒を持っている人も多い。
「入江たちは三番目だっけ?」
「三番目。ていうか、なんかこっちが緊張して来た……」
「宮古、入江の母ちゃんみてえだもんなあ」
けらけらと笑ってくれる猪村に「恋愛関係です」なんて言えるわけもなく、俺は苦笑いを浮かべてその場をやり過ごした。
「あ、だれか出て来た!」
猪村の声に俺達はスポットライトの灯った方へと顔を上げると、観客の声がわっと上がり、すぐに曲が始まった。俺達は前に出る勇気もなく、後方から舞台を眺める。観客の姿がライトで影となり、暗い海の波のように揺らいで、その上で叫ぶようにして誰かが歌う。
鼓膜を劈くような激しい音に、先日の軽音楽部で見たライブとは全く違うものを感じた。
「すっげえ……」
猪村が呟く。ライトでその表情を染める彼の眼差しは煌めいていた。
俺達は暫くの間、自分たちとは全く違う世界を、ただただひたすらに眺めていた。あまりにも接した事のない世界で、傍観するより他に方法がない。
けれど、目の前の激しい渦のような世界感に、強くひきつけられてしまう。
青もあっちの世界にいるんだ。
不意にそんな事を思った。けれど、それは寂しさなんかではなく、むしろ、憧れに近いような感覚かもしれない。
俺の知らない世界で生きている彼を、早く見てみたい。そんな欲求が湧き上がってくる。
「次、入江のバンドじゃね?」
二組目のバンドが引っ込んだ所で、また緊張がぶり返してくる。
「ちょっと前に行こうかな……」
「俺も!」
二人でようやく、人の密集した中に飛び込んでいく。
「ドラムの子、新しくなるらしいね」
「この前のライブに出てた子でしょ? すんごいイケメンだった」
隣の女の人からの言葉が、耳に届いてくる。
やっぱり青ってかっこいいんだな……。
なんて再確認していると、控え目な照明がふっと消え、メトロノームのようなチッチという音が聞こえてきた。
はっとして顔を上げると同時に、突風が吹いてくるようなサウンドにぶつかる。目の前に光が溢れて、ハーレーションを起こしたかのように、目の前が白くちかちかする。わあっと歓声が上がった。
鳴り響く音楽に頭がくらり。黒い残像を追い払うように瞬きをすると、力強いドラムの音が聞こえて、俺は青を探した。
光の奥に、青がいる。
青は俺なんか見てないし、誰も見てない。ただ自分の出す音、周りの音楽に向き合っていた。時折メンバーと目が合うと、零れる笑顔に、強烈に自分の心が惹かれているのを、再確認する。
振り下ろされる腕に、目の前で響くギター音。声量のあるボーカルの声。
俺は瞬きを忘れて、その渦に魅せられた。
「かっけえな、入江」
「うん、すごくかっこいい」
周りが跳ねれば地面が揺れ、声を出せば身体がぶつかり、俺はもみくちゃにされながら、ただ真っ直ぐに青を見つめる。
光と音楽に溢れた世界の中心に、青がいて、俺はそこから目を外すことなんて、できなかった。



