「あっ、大賀美くーん!」
「……」
名前を呼べば、大賀美くんは(うるさい奴がきた)と言わんばかりの顔で眉を顰める。
だけど面倒くさそうな顔をしながらも、僕が追い付けるように歩く速度を緩めてくれているってこと、僕は気づいてるんだ。少しは心を開いてくれたような気がして嬉しい。
「大賀美くん、おはよっ、って、うわっ」
大賀美くんに一直線に意識が向いていた僕は、足元の僅かな段差に気づかなかった。転びそうになったけど、大賀美くんが僕の手を引いて助けてくれる。
「び、びっくりした……ありがとう、大賀美くん」
「ったく。お前は満足に歩行もできないのかよ」
「うっ……すみません」
「保育園児の方が、まだまともに歩けるかもな」
……大賀美くんが心を開いてくれたのは、すごく嬉しいんだけどさ。意地悪なことを言われる頻度が、ぐんと増えた気がするんだよね。
「僕ね、思うんだ。大賀美くんは、もう少し僕を敬ってくれてもいいんじゃないかって」
「はぁ?」
「だって僕、一応大賀美くんの先輩なんだよ? だからさ、もう少し優しくしてくれてもいいんじゃないかな?」
「……俺が優しく?」
「そう! ついでに、もっと仲良くなれたら嬉しいな。ほら、休みの日に一緒に出掛けたりとかさ!」
大賀美くんと休みの日に一緒に過ごせたら、すごく楽しいだろうな。
大賀美くんのことをもっと知ることができるかもしれないし、大賀美くんの私服姿も気になる。……実は何度か見たことがあるんだけど、いつも遠目から見ているだけだったから。
「先輩らしく敬う、ねぇ」
何か考え込むように呟いた大賀美くんに、鼻先をぎゅっと摘ままれる。
「うあ、大賀美くん、やめてよ」
「俺に優しくされたいなら、もう少ししっかりするんだな。センパイ」
意地悪な顔だ。だけど、ほんのり口角を上げて目を細めているその表情は、見惚れちゃうくらいには格好いい。
「……しっかりっていうのは、具体的にはどうすればいいの?」
「さあ? 自分で考えてみろよ」
「僕がしっかりした先輩になれたら、もっと優しく接してくれるってことだよね? 休みの日には、一緒に遊んでくれる?」
「……まぁ、いいけど」
よし、言質を取ったぞ。大賀美くんに認めてもらえるような、しっかりした先輩になってやる。そして大賀美くんに尊敬されて、優しくしてもらえて、休みの日は一緒に出掛けられる。うん、いいこと尽くしだ!
***
「――ということなんだけどね。どうしたら大賀美くんに、しっかりした先輩だって思ってもらえるかな?」
「……羊が? しっかりした先輩?」
「そう! 何かいい案はない?」
僕は朝の教室で、早速大樹に相談していた。
大賀美くんの得意分野(?)の喧嘩は論外だとして、大賀美くんが頭がいいってことも分かっているから、勉強面でもほとんど力になれないことは分かっている。
自分で考えてみても、いい案が全然浮かばなかった。でも大樹なら、何かいいアドバイスをくれるかもしれない。
「んー、そうだなぁ……。ありがちだけど、“押してだめなら引いてみろ作戦”とかいいんじゃね?」
「押してだめなら、引いてみろ?」
「そっ。羊って、大賀美見つけたらすぐ尻尾振って近づいてくだろ? それを控えてみたらいいんじゃねーの?」
「……そんなこと、僕にできるかな」
大賀美くんを見かけたら、条件反射のように名前を呼んでしまうし、駆け寄ってしまう。
それを我慢したところで、大賀美くんにしっかりした先輩だって思ってもらえるんだろうか。
「今のお前らの関係を見てると、羊の方が後輩って感じがするんだよな。もっと年上らしい余裕を見せるのも有りだと思うけど」
「年上らしい余裕かぁ」
「まっ、騙されたと思って一回やってみろって。大賀美に、優しくされたいんだろ?」
大樹は自信ありげな顔で笑っている。
「……分かったよ。やってみる!」
友人のアドバイスを信じることにした僕は、早速“押してだめなら引いてみろ! ~余裕のある先輩を目指して~”作戦を実行することにしたんだ。
***
放課後。先生に頼まれたクラス分のノートを集めて教務室まで届けにいく。
今朝、作戦を実行することを決めてから、授業の合間の休み時間や昼休みに、大賀美くんに会いに行っていない。
今朝会ったばかりだと言えばその通りなんだけど……同じ校舎内にいるのに会うのを我慢しなくちゃいけないのは、中々辛いものがある。
「はぁ……深刻な大賀美くん不足だよ」
「おいおい、作戦始めてまだ一日も経ってねーじゃん」
手伝いを申し出てくれた大樹が、隣でノートの半分を持ちながらあきれた顔をしている。
「だって、大賀美くんに今朝からずっと会ってないんだよ? 作戦は、今日でやめることにしようかな……」
「早すぎだろ」
作戦を実行したところで、大賀美くんから何かアクションがあったわけでもないし。
このまま僕が会いに行かなかったら、大賀美くんは僕のことなんて忘れてしまうかもしれない。そこまで想像して落ち込んでいたところで、数メートル先にある廊下を横切ろうとしている、想い人の姿を見つけた。
「おっ……」
名前を呼びそうになったのを、咄嗟にこらえる。
隣を見れば、目が合った大樹が小さく頷いた。
(い、いつもみたいに駆け寄らないで……でも無視するのは、感じが悪いよね)
遠目だけど、確実に目が合っている大賀美くんに、ニコリと笑顔を向けた。
視線を大樹に向けて、小声で話す。
「こ、これでいいんだよね?」
「おう、ばっちりだな」
「今の僕、先輩らしい余裕、醸し出てる?」
「んー、まぁ、先輩らしさが出てるかって言ったら、それは皆無だけど」
「えっ」
「でも、作戦は成功なんじゃね?」
意味ありげに笑みを深めた大樹が、視線を前に向けた。僕もその視線を辿れば、大賀美くんがこちらに歩いてくるのが見える。っていうか、大賀美くん……何か、怒ってる?
「おい。ちょっと面貸せよ」
「え、つらって……あ、ノートが!」
大賀美くんに強引に腕を引かれた。両手で持っていたノートが地面に散らばる。
僕の声に反応した大賀美くんは一旦足を止めてくれたけど、大樹を見ると、何故か苦々しい顔になる。
「あー、これは俺が持っていっておくから」
片手でシッシッと払うような仕草をした大樹が、屈んでノートを拾ってくれる。
だけど元々は僕が頼まれた仕事なのに、全部大樹に押し付けるだなんて、申しわけなさすぎる。
「いや、でも……!」
「あー、じゃあ今度昼飯奢ってよ。幸福本堂のクリームあんパンな」
「……わかった! ありがとう、大樹!」
僕たちが会話をしている間に、大賀美くんは歩き出す。僕の手はしっかり握りしめたままで、その足は止まらない。
振り返りながら小さくなっていく大樹を見ていたら、大賀美くんが僕の手をつかむ力が強くなった。
「あの、大賀美くん? どうしたの?」
「……」
「おーい。どこに向かってるの?」
「……」
無視だ。完全なる無視を決め込まれている。
仕方がないから、僕は大人しく大賀美くんに付いていくことにした。
放課後でひと気のない廊下を進み、辿りついた先は空き教室だった。
教室に入った大賀美くんは、扉を閉めると、僕をギラリと鋭い目で射抜く。
……やっぱり、どう見ても怒ってるよね。でも僕には、その理由が全く分からない。
戸惑っていたら、大賀美くんが壁に手をついて、僕を見下ろしてくる。――これはいわゆる、壁ドンという体制だ。
「……さっきの。何の真似だよ」
「え? さっきのって、何のこと?」
「……何で無視した」
「え? ……むっ、無視なんてしてないよ!?」
「でも、いつもみたいに寄ってこなかったじゃねーか」
「それは、作戦を実行していたからで……」
「作戦?」
「あっ」
言うつもりはなかったのに、口を滑らせてしまった。
大賀美くんは“全部吐くまで逃がさない”とでも言いたげなオーラを放ちながら、無言の圧をかけてくる。観念した僕は、正直に作戦のことを話すことにした。
「ほら、今朝話したでしょ? もっとしっかりした先輩になれたら優しくしてくれるし、休みの日には一緒に遊んでくれるって言ったよね?」
「……ああ、言ったな」
「だから、年上らしい余裕を見せられるように振る舞ってみたつもりなんだけど……」
大賀美くんからしたら、僕の態度は気に入らなかったのかな。僕の笑顔が不自然過ぎたとか?
「……別にいいだろ。お前はそのまんまで」
さっきの態度を思い返していたら、大賀美くんはそう言う。けど、大賀美くんが言ったんだよ。“優しくされたいなら、もっとしっかりしろ”って。
「だけど最近の大賀美くんは、何だか意地悪っていうかさ……」
「意地悪? ……俺が?」
大賀美くんは心外だといった顔で目を瞬く。自覚はなかったみたいだ。
「うん。だから、やっぱりもう少し優しくされたいっていうか……いや、意地悪な大賀美くんも嫌ではないんだけどね」
軽口も叩けるほどの関係になれたんだ。それだけ僕に心を許してくれたってことだと思うから、それは嬉しい。だけど、やっぱり好きな人には優しくされたいとも思ってしまう。
「……わかった」
壁についていた手を離した大賀美くんは、その手で僕の左頬に触れてくる。大きな手に優しく撫でられて、少しだけくすぐったい。
「多分だけど、俺は……可愛い奴ほど虐めたくなる性格なんだよ。俺は他人と関わってこなかったから、普通の優しくってのができるかは分からないが……でも、それでお前が離れてくっていうなら、これからは俺なりに優しくできるよう、努力する」
真剣な顔でそう言った大賀美くんは、頬に触れていた手で、今度は僕の頭をそっと撫でる。すごく優しい手つきで。
「……顔、真っ赤だな」
「お、大賀美くんが、急に触ってくるからだよ」
「触られるの、嫌なのか?」
「嫌、ではないけど」
「それじゃあ問題ないな。俺に優しくされたいんだろ?」
大賀美くんの手が、また僕の頬に触れる。慈しむように撫でられたかと思えば、すらりとした小指に、下唇をふにゃりと押される。
「唇、乾燥してんじゃねーか」
「え、と、ごめんね?」
「リップとか持ってねーの」
「ううん、持ってないよ」
「ふーん」
気のない返事をした大賀美くんの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
……近づいてくる? うん、どうしてだろう? 何故かは分からないけど、これ以上は色々とまずい気がする。
「っ、あのっ!」
声を上げれば、大賀美くんはピタリと動きをとめた。
「や、やっぱり優しくしてくれるのは、ほどほどで大丈夫!」
「はぁ? 何だよそれ」
大賀美くんは怪訝そうな顔をしている。
だけど、僕は気づいてしまったんだ。大賀美くんからの致死量の優しさは危険だって。
――だって、僕の心臓が持ちそうにないから! 今にも破裂しちゃうんじゃないかってくらい、バクバク鳴り響いているんだ。
「優しくしろって言ったり、ほどほどでいいって言ったり……めんどくせーセンパイだな」
あきれたように溜息を漏らした大賀美くんが、口角を上げて笑う。最近よく見る、ちょっぴり意地悪な顔で。向けられた表情に、また心臓が跳ねあがる。
――結局僕は、どんな大賀美くんでも大好きみたいだ。



