春の風は爽やかであたたかくて、気持ちがいい。
四月半ばを過ぎたけど、街路樹にはまだ桃色の花が咲いている。
美しい花に目を奪われながら、すっかり歩き慣れた通学路を歩く。

僕、小西羊(こにしよう)は、公立の男子校に通う二年生だ。
家から徒歩十五分で通えることが入学の決め手だった。

実際に一年過ごしてみて、この高校を選んで本当によかったと思っている。親しい友人もできたし、クラスの雰囲気もいい。何の不自由もなく楽しい学校生活を送れている。

そしてもう一つ。
僕がこの高校を選んでよかったと思える最大の理由があった。それは……。

「あっ」

横断歩道で立ち止まっている、眩しい金色を見つける。
僕は駆け足で近づいて、その背に声をかけた。

「大賀美くん、おはよう!」
「……」

僕をチラリと見て、だけど無反応ですぐに前を向いてしまった彼は、大賀美遙(おおがみはる)くん。僕の一つ下の後輩だ。
僕がこの高校に入学してよかったと思える最大の理由は、彼がこの高校に入学してきてくれたことだ。

信号が青になると、大賀美くんは僕のことなんて見えていないみたいに無視を決め込んで、歩いていってしまう。だけどそれはいつものことなので、気にせずに後を追いかける。

「大賀美くん、もうそろそろ中間テストだけど、勉強はできてる?」
「……」
「僕は数学が自信ないんだよね。文系は得意なんだけど、理系科目がどうも苦手で……」
「……」
「あ、そうだ! 僕の友達がね、部活の後輩に一年の頃のテストを見せてほしいって頼まれたんだって。参考にするらしいんだけど、よければ大賀美くんも僕のを…「おい」

提案しようとした言葉は、低い声に遮られてしまった。
大賀美くんが振り返る。鋭いまなざしに、真正面から射抜かれた。

「何度も言ってるが、迷惑なんだよ。余計なお世話だ。俺に構うな」

切れ長の目がぎらりと光っている。大賀美くんは美人だから、余計に迫力がすごい。
普通だったら怖いという感情に真っ先に支配されるんだろう。でも、僕は違った。

「一人でべらべら話しちゃって、うるさかったよね。ごめんね」
「……」
「僕、大賀美くんの力になれたらなって、そう思ってたんだけど……でも、迷惑だったよね」
「……」
「はぁ。僕、最低だ。むしろ大賀美くんを不快な気持ちにさせちゃうなんて……」

大賀美くんに嫌な思いをさせてしまった。
その事実に落ち込んでいたら、僕の前を歩いていた大賀美くんが足を止めた。

「……そこまでは言ってないだろ」
「……え。それじゃあ、これからも話しかけていいってこと?」

眉を顰めた大賀美くんは、無言で僕を見下ろしている。
僕は期待を込めて、その顔をジッと見つめ返した。

「……勝手にすれば」

先に目を逸らしたのは、大賀美くんだった。前を向いて歩き出す。
僕は笑顔でその背を追いかけた。

「ねぇ、大賀美くん。よければ一緒にテスト勉強しようよ」
「……学年が違うんだから、そもそもテスト範囲がちげーだろ」
「それはそうだけど、一人でやるよりも、誰かと一緒にやった方がやる気も上がると思うんだ! 大賀美くんが分からないところは、僕が教えてあげることもできるし!」
「お前、人に勉強教えられるくらいの余裕があんのかよ」
「僕、これでも大賀美くんの先輩だからね! 一年生のテスト範囲なら、多分……だ、大丈夫だと思う!」
「全然信用できねーんだけど」

大賀美くんはあきれ顔だ。だけど、横目に僕を見つめる瞳は優しい。

「ねぇ、大賀美くん。僕、大賀美くんのことが好きだよ!」
「……はいはい」

大賀美くんにこの言葉を伝えるの、これで何回目になるんだろう。
大賀美くんは聞き飽きたとでも言いたげな軽い調子で頷いている。
だけど僕は、いつも本気で思ってるんだ。

よく晴れた冬の日。
君に出会ったあの日から、ずっとずっと。

――僕、小西羊は、一つ年下の男の子に恋をしている。……多分。

この気持ちが恋愛感情なのか、友愛なのか、もしくはただの憧れなのか。
これまでの人生で誰かとお付き合いしたこともない、恋愛偏差値底辺の僕は、この気持ちが恋愛感情だって自信を持って頷くことはできない。

だけど大賀美くんを“好きだ”って思う気持ちは本物だ。
大賀美くんと、もっと仲良くなりたい。大賀美くんのことを、もっと知りたい。

「あ、始業開始まであと十分しかないよ! 早く行こう、大賀美くん」
「……前見て歩かないと、転ぶぞ」
「え、もしかして心配してくれてるの?」
「……」
「あ、待ってよ大賀美くん!」

だから僕は、今日もめげずに大賀美くんに話しかける。


***

「今朝も大賀美くんと話せたんだ。へへ、朝からラッキーだったな」

教室で、前の席に座っている川端大樹(かわばただいき)に話を聞いてもらう。
大樹は昨年から同じクラスだった。話しやすくて一緒にいて居心地がいい。僕が一番親しくしている友達だ。

「へいへい、それは良かったな」
「それにしても大賀美くんって、どうしてあんなに綺麗なんだろう? 地上に舞い降りた天使みたいだよね」
「まぁ、見た目はな」
「見た目はもちろん、中身だって優しいんだよ。少し分かりづらいところはあるけど……今日も僕が落ち込んでたら、声をかけてくれたんだ」

まぁ、そもそもの落ち込む原因を作ったのは、大賀美くんなんだけどね。
でも、僕を突き放すようなことを言いながらも、最終的にはそばにいることを許してくれるし、面倒くさそうにしながらも、会話だってしてくれるんだ。

「アイツに優しいとか言ってんの、この学校でお前くらいだと思うけどな」
「そうかな?」

だとしたら、もったいないと思う。
実際に話してみたら分かると思うんだけどな。大賀美くんが優しい人だってこと。

でも、そもそも大賀美くんは人を寄せ付けないオーラを常に放っている。だから根気強く話しかけ続けないと、まず会話を成立させることが難しいかもしれない。
僕も入学式の日からしつこく声をかけていたけど、はじめは無視されていた。最近になってようやく、言葉を返してもらえるようになったんだ。

「なぁ、羊。お前さぁ……マジなわけ?」
「え? マジって何が?」
「大賀美遙のこと。本気で好きなの?」

大樹は頬杖をつきながら、僕の胸の内を探るような目で真っ直ぐに見つめてくる。その瞳が憂いを帯びていることには、すぐに気づいた。

――大賀美くんは、素行が悪いことで有名だ。それに危ない人たちと関わっているっていう、悪い噂も絶えないらしい。
他校の生徒と喧嘩もしているらしくて、傷だらけになっている姿を見たこともある。巷では最強の男って恐れられているらしい。

だから大樹は、僕が大賀美くんの話をするたびに複雑そうな顔をする。
それは、僕のことを心配してくれているからだ。

「大賀美くんのことは好きだよ。でも大賀美くんは、噂に聞くような悪い人じゃないから大丈夫だよ」
「……何で羊にそんなことが分かるんだよ。実際アイツ、喧嘩とかよくしてるみたいだし、皆に怖がられてるじゃん。お前が危ないことに巻き込まれるんじゃないかって、普通に心配なんだけど」
「うーん、それは……実際に関わってみて、大賀美くんが優しい人だってことを知ってるから。喧嘩だって相手から絡まれているだけで、大賀美くんが無闇に暴力をふるっているわけじゃないと思うんだ」

僕は実際に、喧嘩している場面を見たことはない。だけど、絶対にそうだって確信を持って言える。大賀美くんは勘違いされやすいだけなんだよ。

「まぁ、羊がそう言うなら……俺がこれ以上とやかく言うのも野暮ってやつだよな」
「大樹、心配してくれてありがとう」
「……おう。まぁ、大賀美にガブッと喰われないように気をつけろよ」

大樹が僕の頭を軽く小突く。
そのタイミングで先生が教室にやってきて、話はそこで途切れた。

――大樹の言う通り、大賀美くんは皆に恐れられている。

頭髪は金色で目立つし、制服だって指定のものじゃないパーカーを羽織ったりして着崩している。素行も悪くて授業もよくサボっているみたいだから、先生たちにも目をつけられているみたいだし。
それに、あの顔面の美しさも目を引く要因の一つだ。そこらのモデルや俳優に引けを取らないくらい、整った顔立ちをしているから。あの顔で凄まれたら、大体の人はそれだけで怯んじゃうと思う。

こうして皆に距離を置かれている大賀美くんだけど、僕にはむしろ……大賀美くんが、自分から周りに壁を作っているように思えるんだ。

だけど僕は、その壁をぶち壊したい。大賀美くんのことを諦めたくない。
不器用で優しくて、多分、本当は寂しがり屋な彼を、独りにはしたくないんだ。