河川敷についた時にはもう遅かった。

 目の前に広がる凄惨(せいさん)な光景に、私は足を止めてしまった。
 無力感が波のように押し寄せる。こんな気持ちになるくらいなら、もっと早いうちに魔法少女をやめてしまえばよかったと思う。
 だって、ずっと前から、私は魔法少女をやめたかったのだから。
 砕けてしまいそうな心を隠すように、私は駆ける。これ以上止まってしまったら、二度と動けなくなってしまいそうだった。

 突然の緊急連絡で指定された現場には、十分と経たずに到着したはずだ。それなのに、これは。
 花火大会の会場から川を隔てて下流にある、河川敷の広場。普段ならば地域の人々が憩いの場とするようなのどかな場所には似つかわしくない光景が広がっている。
 思わず鼻を塞ぎたくなるほど血のにおいが充満する。火薬に混じり、強烈なにおいが漂っている。それは眼前に佇む、背中を向けた異形によるものだとすぐに分かった。ここに到達するまでに、よく見知った顔が落ちていた。洞のような穴を抱えた顔が。
 手足はそれぞれのつながりを断たれ、四方に散らばっていた。肺や心臓を守る堅牢な檻は無残に開かれ、その在り方を否定されている。やわらかな腹部だけはどこにもなかった。
 ベルトに付けていた小さなステッキを手に握る。そのわずかな音に、ようやく異形は私を認識したらしく、ゆっくりとこちらを振り向いた。ぐちゃぐちゃと鳴る咀嚼(そしゃく)音。空に舞う大輪に照らされた口元からは、誰かの臓物があふれていた。
 異形に対してステッキを構える。白を基調にしたステッキは前腕と同じほどの大きさへ伸び、その先端には透明色の大振りの宝石が輝く。異形はこぼれた腸を(すく)い、嚥下した。
 魔法少女であるかぎり、私はこれに立ち向かわなくてはならない。逃げ出したい心を、魔法少女としての矜持だけでこの場に縫い付ける。
 異形の下卑(げび)た笑いが打ち上げ音と混ざっていく。

 宝石からの光は全身を包み、長い髪を一本に結う。パンツスタイルから短いフリルのスカートのコスチュームを(まと)う。異形――魔獣と呼ばれるそれは、私の変化を不思議そうに見ているようだった。左手でステッキを構え、二十メートルほど離れている魔獣と対峙する。
 立ち上がった魔獣の体躯は想像以上に大きく、二階建てのビルに匹敵するほど。狼のように鋭い牙や大きな口をもちながら、耳は細かな音を拾うためか兎のように長く大きい。全身を青白い薄毛で覆われた敵の口元は、酸化し赤黒くなった血液がついたままだ。
 筋肉は肥大し、体躯以上の大きさを感じてしまう。びりびりと肌を刺すような緊張感。私が奴を見ているのと同じように、奴も私を見ていた。互いに互いの力量を図ろうとしている。
 先に動いたのは私だった。宝石を囲むようにハートの意匠がついたステッキの先端から、白い光線を飛ばす。夜空を裂く一閃。奴はそれを簡単に避け、花火の音に負けないほど大きな咆哮をあげた。
 攻撃の合図のようだった。重心を下に落とそうと動いた瞬間、咄嗟に身を捻る。近づいた奴が大きく腕を薙いだ姿を、遅れて認識する。風圧にバランスを崩し、後方へ吹き飛ばされるが、なんとか立ち直す。
 夜風に左の脇腹が冷え、同時に熱を感じた。筋層まで達している切創が左の脇腹に大きく生まれていた。脂汗が背中に滲む。これまでの経験が、こいつと戦うのは危ないと鐘を鳴らしている。

「……私が逃げられるわけないじゃない」

 弱い自分に蓋をするように、ステッキを強く握り直す。私は魔法少女なんだから。白羽の矢が立つ、始まり魔法少女は逃げることなど許されない。
 間合いを詰められないよう、じりじりと後退する。奴は爪に付着した私の血液を、長い舌でべろりと舐めていた。
 ステッキから出る光線を、今度は一本の鞭のように伸ばす。しならせた光線の鞭を魔獣に向けて打つ。腹に力が入る度に、激しい痛みに襲われた。魔獣は俊敏に私が動かす鞭を躱すが、軽い数打は奴に当たっているようだった。
 その数打が、やわらかな箇所に触れた。悲鳴のような、くぐもった声ともならない音が地鳴りのように響く。顔を振った魔獣の目に当たったと理解したのは、奴が目を押さえていたからだった。
 動きを止めた魔獣に向けて、光線から弾幕の雨を降らせる。攻撃は最大の防御だと習ったことがある。相手の動きを止めるために、この追撃の力を緩めてはいけない。奴に当たった攻撃が、奴を中心として土埃を巻き上げる。
 これで決めてしまいたい。
 動かなくなった奴にトドメを刺すために、弾幕を消して力を溜める。ステッキの先に生まれた小さな光が、少しずつ大きくなっていく。片手だけでは制御しきれないほどの光球に右手を伸ばそうとした時だった。強い衝撃に、今度は私が振り返る番だった。
 私の背後、十メートル近くは離れているだろう距離にいる魔獣も、ゆっくりと私の方を見る。その口には棒状の物が咥えられていた。左腕はついている。――右腕は。
 骨がひしゃげ、断たれた筋肉。赤子の手をひねるほど容易に、それは行われた。吹き出した血液がその事実をありありと映し出す。ぼたぼたと白いコスチュームが赤く濡れていく。理解した瞬間、左手で右上腕をきつく握りしめる。心臓が危険を察知して高鳴り、明るい動脈血が噴出していた。
 この戦いが終わったら、魔法少女をやめよう。こんな戦場から逃げ出して、遠くでひっそりと木陰に包まれながら暮らそう。そう思うのに、私の足も眼も、全てが魔獣を倒すために向けられる。
 魔獣は私の様子を見て、(いや)らしく口端を釣り上げた。白く鋭い牙が赤く染まっている。
 手だけでは止血はままならず、小さな光輪で上腕をきつく締めあげる。自然と息は上がっていた。血を失い過ぎている。奴はクッキーを食べるように、私の腕を噛み砕いて飲み下した。そうすることで、奴は私との力量さを知らしめようとしているかのようだった。
 距離を詰められてはいけない。再び弾幕を飛ばすけれど、魔獣はその攻撃をものともせずに私目掛けて跳躍し、突撃をしかける。右に半身をずらして避け、奴の背中に向けて弾幕を注ぐ。着地と同時に、まるでパチンコで弾かれるように威力を溜めた奴が、再び私に向けて跳びかかった。
 私が身体を制御するより速く、奴の爪が私の背中に食い込んだ。背骨から脳に強い痛みと痺れが届く。爪は深く突き刺さり、背骨から肝臓へと削り取られ、強い痛みと熱が広がる。骨の軋みが、全身に伝わった。地面に叩きつけられた身体が、勢いを殺せず地面を転がる。ようやく体が止まった。わずかに指を動かすだけでも苛烈な痛みが走る。自分がうつ伏せでいることだけは、なんとか理解した。
 開いた薄目に、後輩が映った。叫んでいたのか口を力なく開き、目も見開かれたまま、頭頂だけががらんどうになってしまった後輩。後輩だったもの。私もこうなってしまうんだろうか。誰のことも守れず、非難されてしまいそうだ。
 魔法少女になんかなってしまわなければ、今頃大輪を咲かせる花火を見ていたかもしれない。痛い思いなんかには縁がなくて、誰かと恋をしていたかもしれない。人のためじゃなくて、私自身のために生きることができたかもしれない。ずっと前から考えていた。私は魔法少女をやめたいんだ。
 もう逃げたい。もう、やめたい。それでも、落ちたステッキを必死に拾い上げる。息をするだけで肺が刺されているように苦しい。魔獣は唸り声を上げながら、四つん這いになって狼よろしく駆け寄って来た。絶え絶えな私に油断をしている。食らってやろうとしていることが、手に取るように分かる。
 私に覆いかぶさるように両手を上げた魔獣へ放つ、これまでで一番強いひと瞬き。
 ぼたぼたと垂れ落ちた生臭く汚い液体が、私にかかった。数歩後ずさりした魔獣の腹部には巨大な風穴が空いていた。

「……はは、やっぱ、あんたも、お腹は脆いんだ」

 はは、と力なく笑いながらも、これまでできた創面がどくどくと脈打つ。少し動くだけで意識が消えかける。両足の感覚が遠い。きっとあの時傷ついた神経が、首の皮一枚だけつながっているんだろう。浅い息を吐きながら、重りのような足でなんとか地面に立つ。
 魔獣の雄叫びが夜空に響き渡る。手に握るステッキの先、宝石にピシリとヒビが生まれた。

「みんなと、一緒だね」

 音が鳴るより、奴が理解するよりも、速く瞬く(ひらめ)きだった。今まで感じたことがないほど大きな力を感じる。それは私を魔法少女たらしめる透明な宝石から漏れ出ていた。光球が大きくなるほど宝石のヒビが深くなる。
 一際大きく叫んだ魔獣の姿を、もう見つけられない。頭が動かない。視界が霞んでしまった。
 ごぷりと、口から液体が溢れた。血だった。まさしく、体内を循環しているはずの暖かな血液。どこが痛いのかも分からないまま、身体は立っているだけでも限界に向かっている。
 暗い視界の中、臭気の強いあたたかな息が顔にかかり、奴が今触れられる位置にいることが分かった。
 ――これで、おしまい。
 視界の端がちらちらと明滅する。光の束が正面に向かって飛んでいく。痛みにもだえる魔獣の声が頭上から聞こえて、奴だったものが足元にどさりと落ちたようだった。同時に、花火の炸裂音が響く。
 空がやけに眩しくて、ゆっくりと見上げる。霞む視界の中にぼんやりと、夜空を染め上げる大きな四尺玉が見えた。
 膝が折れ、私の身体も地面に倒れた。戦える魔法少女は私しかいなかったのだろうか。誰かが他の子を呼んでいたなら、ちゃんと、もう終わったよって伝えなくちゃ。
 魔獣の躯はもう消えてしまったようだ。それは魔獣の核を破壊したことを意味する。遠のく意識の中、もう死んでしまった友人の笑顔が見えた。私も、そこに。痛みなんて感じない、魔法少女じゃない世界へ。
 
 宝石は、魔法少女になるための核は粉々に崩れてしまった。耳の奥に、花火大会の終わりを告げるアナウンスが届く。身体が白く透けていく。
 ――こうなるって分かっていたのに、私は。
 溢れた涙が頬を伝うより速く、意識は宙に溶けだした。



 真っ暗な夜空に、白い光が昇っていく。

「わあ……!」

 川向いの花火大会会場は、帰路に着く大勢の客たちで進まない。その頭上に、白く大きな花が咲いた。その光に、無数のスマートフォンが向けられる。歓声や感嘆の声が漏れる。
 誰も知らない。一人の命が散ったことを。その光が、今まさに散った魔法少女によるものだとは知らない。送り火は静かに消えていく。光の余韻に浸る夜は、変わらぬ調子で過ぎていった。


*

 生まれて初めて、人の葬儀に報道陣が駆けつける様を見た。たくさんのテレビ局の報道員が、揃って喪服を身につけて、葬儀会場には不似合いな大型のテレビカメラを背負っている。
 つい先日、始まりの魔法少女が死んだ。魔獣との戦いで命を散らしたと。誰よりも強くて優しい英雄の訃報は、瞬く間に世間に広がった。
 彼女は英雄だった。世の中のヒーローで、私たち魔法少女が目指すべき道標(みちしるべ)だった。だからこそ彼女に送られる弔辞は、マジカル・サポート・カンパニーの社長であって彼女の実の父親である占卜(せんぼく)光介(こうすけ)によって行われた。

「皆さま、本日はお忙しい中、娘――占卜ひかりの葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございます。彼女の父であり、また彼女が所属していた当社マジカル・サポート・カンパニー」の代表を務めております、占卜(せんぼく)光介です」

 大きな祭壇の前に用意されたマイクに、声を震わしながらも気丈に努める社長の声がのる。社長の言葉を聞き漏らさないようにと報道スペースギリギリまで報道陣は寄り、まぶしいフラッシュがいくつも焚かれる。

「本来、この場に立つのは、もっと穏やかな日々の中で、平凡な父としての言葉であってほしかった。しかし、私が今日ここで読み上げるのは、ひとりの娘の死を悼む言葉と、ひとりの魔法少女の功績を記す言葉です。 娘は人知れず散ってゆきました。花火大会の夜、誰もが夏の終わりの光を見上げるその裏側で、娘は魔獣と戦い、そして、命を落としました。
 あの場所で、彼女がどれほどの痛みに耐え、どれほどの恐怖と孤独の中でも魔法少女として立ち続けたか。私たち家族はもちろん、会社の仲間たちも、その最期を知る者は誰もいませんでした。 ただ、残された記録を読み、私は知りました」

 社長は遺影をまっすぐ見つめていた。それは私たちがこの会社に入社した時に撮った集合写真から抜粋されている。ホワイトカラーに染め上げ、やわらかくウェーブする髪。占卜ひかりは、静かに笑っている。
 ふいに肩をツンと突かれ、視線を隣に座る響へと向ける。葬儀が始まり、献花が行われるまでずっと泣き続けていた響の目は、痛々しく赤く腫れていた。

「社長泣かないね」
「そりゃぁ、愛娘が死んだとはいえ会社の社長だしね。ここでぼろ泣きでもしようもんなら、マスコミ大歓喜でしょ。さんっざん私たちのことぼろくそ言ってたくせに、こういう時だけ悲劇の社長とか会社存続の危機か、とか報道すんの。すぐ飽きられるよ、ひかりさんが死んだことなんて」
(すい)ちゃん口悪ぅ。……ひかりさんのこと、大好きだったもんね」
「うん。あの人がいなかったら、私はここにいないもの」
「……響が死んだときは、翆ちゃんは泣いてくれる?」

 響が甘えるように、私の肩に頭を載せる。私は彼女の手を優しく握ってあげることしかできなかった。ぽっかりと空いた穴はあまりにも大きくて、悲しいはずなのに涙は流れてこない。ひかりさんの遺影を見て、当時傷ついた私を助けてくれたひかりさんの背中を思い出す。
 白いコスチュームが赤く染まって、それでも私に優しく笑いかけてくれた、そんなひかりさんの背中を。

「あの子は最後の一瞬まで――魔法少女だからという理由だけで、最期の瞬間まで戦い抜いたのだと。父として思います。本当は逃げてよかった。傷つく前に助けを求めてよかった。家に帰ってきて、「もう嫌だ」と泣いてよかった。
 あの子は、そんな簡単なことすら、自分には許せなかったのでしょう。幼い頃から、優しくて、責任感が強くて、弱い者を見ると放っておけない子でした。魔法少女に選ばれたあの日、彼女は震えながらも微笑んで言いました。『お父さん。私、ちゃんと役に立てるかな』 ……十分すぎるほど、役に立ってくれた。あなたは、誰よりも人のために生きた。父として、胸が裂けるほど誇らしい」

 会場のあちこちから鼻をすする音がする。響は静かに社長の背中を見つめているようだった。私はじっと、遺影に閉じ込められたひかりさんを見る。ねえ、ひかりさん、どうしてですか。

「そして、社長としても述べさせてください。ひかりは、日本においては原初とも呼べる魔法少女の一人でした。およそ二十年前、魔獣という未知の脅威に国家も社会もどう向き合えばよいか分からなかった頃、彼女らが勇気をもって立ち上がってくれたことが、今日の防衛体制の礎となりました。彼女が変身して前線に立つ姿は、数多の人々に安心をもたらし、子どもたちには、悪夢のような恐怖に立ち向かう希望を示しました。彼女が作った道があったからこそ、後輩たちが同じ場所に立つ覚悟を持てた。会社にとっても、社会にとっても、彼女が示した魔法少女としての在り方は並大抵のものではありませんでした」

 原初の魔法少女。始まりの魔法少女と呼ばれる存在は、ひかりさんを含めて三人いたらしい。ひかりさんを除く二人は魔法少女という名が認知されてきた頃、偶発的な事故に巻き込まれて亡くなった。ひかりさんは二人を喪ってからも魔法少女として世間を守り続けていた。私や響、他の魔法少女のように、彼女の思いに賛同する後進に常に背中を見せ続けてくれていた。
 どれだけの批判があったのか、当時ことは伝聞でしか知らない。けれど、女の子が一人で得体のしれない魔獣と戦うなんてシーンは、多くの否定的な意見を伴っただろう。

「しかし親としては、ただ一人のかげがえのない、大切な娘でした。もっと笑わせてやりたかった。もっと叱ってやりたかった。……ほんとうなら、もっと普通の人生歩ませてやりたかった。花火大会のあの日、最後に輝いた白い大輪は、誰よりも優しい、ひかりそのものだった。ひかりが守ったこの世界で、後輩たちが今日も前に進んでいる。ひかりが残した希望を、必ず未来へ繋いでいく。だから、どうか安心して眠りなさい。父さんは、ひかりを誇りに思う。ひかりが魔法少女として生きた証は、必ず語り継がれる。ありがとう。そして――どうか、安らかに」

 弔辞を終えた社長に会場全体から割れんばかりの拍手が送られる。始まりの魔法少女を傍で支えた社長の父としての一面、愛娘へ届ける父の言葉。そんな安っぽい見出しの新聞やネットニュースが大量に流れるんだろう。ひかりさんがどうやって戦ってきたのか、なにと戦ってきたのかなんてことは、きっと世の中のほとんどの人が興味なんてないのだ。
 参列者が少しずつ会場を出て行く。皆、ひかりさんのことばかりを想って涙を流している。
 あの日、花火大会が行われたあの夜。ひかりさんが到着した時、すでに数名の魔法少女の遺体があった。彼女たちの親は魔法少女という存在に何を思っているんだろう。ひかりさんに尋ねても、返事はない。
 棺の中は空だった。私が言葉を交わしたいと思っても、ひかりさんはここにはいない。花火のように夜空に消えてしまったから。

「みんな、裏口に車を停めているから行くわよ」

 参列者の数がまばらになり、社長の奥さん――会長が私たちに声をかけた。両の頬に涙の筋ができている。響の手を握ったまま、私たちは葬儀会場を後にする。ひかりさんと先輩たちが死んで、残った魔法少女は十人もいない。実戦経験がある者は、片手で足りるほどしかいない。
 みんなの心にぽっかりと空いた穴は、あまりにも大きすぎた。
 中型バスの四方は黒いカーテンで遮蔽され、私たちのことを外から隠す。バスの後方に座っていた衛が握っていた手を解き、銀に光るネックレスを首につける。彼だけ、ひかりさんとお別れすることができないでいた。

「ありがとう(まもる)。……それじゃ、会社に戻るわね」

 車が発進する。すでにネット上には葬儀の情報が流れていた。参列した著名人のインタビュー映像や、ひかりさんの遺影を会場の外から映した映像に、たくさんのコメントがつけられている。みんな哀しみの中にいながらも、そうした情報をそれぞれ見ているようだった。
 ――葬儀に他の魔法少女がいないってことは、皆〇されちゃったってこと? 会社も終わりだな
 ――誰が私たちのことを守ってくれるの? 国が何もできなくて民間に頼ってたのに、自衛隊とか警察とかが対応できるわけないじゃない!
 流れてくる情報のほとんどが、不安に駆られたもの。携帯を閉じて、目を瞑る。私たちも同じように不安だった。誰よりも間近で魔獣を見て、それと戦う魔法少女の姿を見てきているんだ、不安がないわけない。
 隣に座る響が私の手に触れた。それに応えるように、私は響と指を絡める。ひかりさんが死んだ。私たちの英雄が散った。たった一人で、静かに消えてしまったのだ。涙が頬を伝っていく。響の肩に身体を預けて、嗚咽を堪える。

「あれ? 携帯動かなくなった」
「ええ? 通信障害とか?」
「強制終了もできない……」

 後方の声が次第に大きくなる。

「響、翆、二人の携帯動くか?」

 焦った(まもる)の声に目を開く。濡れた目を拭き携帯を確認する。ホーム画面には入れたようだけれど、画面は黒くアプリが表示されない。ロック画面に戻ることも不可能だった。響の携帯も同じだ。電波ジャックできるほどの知能を持つ魔獣はいない。人による作為的なものなのか。この車内だけで巻き起こっている事象であるかすら判断ができない。

「か、会長! あれ!」
「――何よ、あれ」

 運転手の焦った声。カーテンをずらし外を見つめる。交差点に差し掛かるバスの前方、ビルの壁面に作られた大型ビジョンにあるマークが映し出された。それはマジカル・サポート・カンパニーを象徴する社章。正位置と逆位置、2つのハートの中にハートのステッキが描かれたデザインの社章が、大型ビジョンにはっきりと映っている。
 よく見れば、信号機は全て電灯が消え交差点の手前で車が全て停まっている。

『みなさん、こんにちは。私は株式会社マジカル・サポート・カンパニーに所属しています魔法少女の一人、占卜ひかりです』

 車内の至る所から聞こえた声。暗転していた携帯の画面には、死んだはずのひかりさんが映る。大型ビジョンにも同じように映るひかりさんは、生き生きとしている。

『社章を無断で使用しましたこと、まずは謝罪申し上げます。私の葬儀は盛大に行われましたか? 父や母は泣いていたんじゃないでしょうか。みなさんも不安の中、生活されていらっしゃることかと思います。けれど後輩たちがいますから、安心してください』

 悪意ひとつ感じられない笑顔に、聞き覚えのある声。ひかりさんが生きていると錯覚してしまいそうなほど、精巧な映像から目が離せない。ひかりさんは確かに死んだ。死んだと聴かされて、実際にひかりさんが使っていた遺品を見せられた。死んだはずの人間が、あたかも生きているかのような姿で話している。

『私、占卜ひかりは確かに死にました。けれどそのずっと前から私は殺され、死に続けていたのだろうと思います。死に方も選べないまま、私は魔獣との戦いに敗れて殺されました。――いいえ、殺されるのです。私は、これから。魔獣との戦いに敗れて』

 ひかりさんは表情一つ変えず、淡々と事実を告げるかのように言葉を続ける。

『私の葬儀への参列感謝します。誰も死なない世界がこの先続きますようにと、願わずにいられません。誰も、殺されてしまいませんように』

 一瞬にも近いごくわずかな秒数、ひかりさんの視線が画面中央から外れた。そして深く一礼をしたところで映像が終わる。

「……翆ちゃん、なに、今の」
「ひかりさんが死ぬ前に撮ったってこと? でもあれって緊急の招集だったんじゃないの……?」

 ざわざわと不安の波が広がっていく。震える響の手を優しく握る。携帯の画面は正常に戻り、大型ビジョンも広告映像へと変わっていた。信号が灯り、クラクションが鳴りながらもどうにか車の波はあるべき形に整っていく。死んだ人は、死人に口なしという言葉の通りに静かに消えていく。それがあるべき形のはずだった。
 ひかりさんの――始まりの魔法少女、占卜ひかりの告白は、社会全体を混乱の渦に巻き込んでしまった。
 ねえ、ひかりさん、あなたがいなくなった世界をどうやって生きろというんですか。あなたはいったい、なにに殺されたんですか。
 携帯のロック画面に映るひかりさんの笑顔はいつもの光景だ。この笑顔の裏に彼女が何を抱えていたのか、私はそれを知りたくてしかたがない。