『おにぎりの白熊堂』は、年末年始と臨時休業、それから火曜日以外は毎日営業しており、常連客もそれなりにいることから、顔を見れば誰が誰なのか、白熊もあざらしもすぐに分かった。
「こんにちわ、マダム」
「こんにちわ、白熊さん。今日もハンサムさんね」
「前髪で顔半分隠れていますけどね。ご注文はどうしますか?」
「そうね……今日はいっぱい歩いてお腹の空きがあるから、日替わりおにぎり三つと味噌汁にしようかね」
「かしこまりました、お好きなお席でお待ちください」
「あらあら、あざらし君。今日も可愛いわね」
「えっ、そんなこと、ないですよ」
「可愛いわ。白熊さんも、こんなに可愛い彼氏さんがいて幸せね」
「……僕なんか、そんな……」
「自信持って、あざらし君」
「いらっしゃいませ」
「いらっ……ああ!」
「……来たぞ」
出入り口から入ってきたその男は、全体的に白い。
プラチナゴールドに染めた短髪、日焼け知らずの白い肌、銀縁の眼鏡越しに見える鋭い瞳は色素が薄く、アッシュグレイのロングカーディガンに身を包んでいる。
月に三度か四度訪れるその男は、特に印象深い客であり、白熊もあざらしもすぐにそれぞれ動き出した。
まずは白熊が男の傍に行き、彼に肩を貸して、手近な席に座らせる。その間にあざらしが塩握り五個と日替わり味噌汁をお盆に乗せていった。ちなみに本日の味噌汁は白菜と人参の味噌汁だ。
お盆を男の前に置くと、素早くあざらしは男から離れる。あざらしが初めて男に会った際に、彼は男に強く抱き締められたことがあり、それ以来白熊から近付きすぎないようにと注意されているのだ。
男は気怠そうに手を動かしていき、まずはいただきますと手を合わせる。そしておにぎりを一つ手に取って、口へと運んだ。
「……旨い」
「あざらし君への愛情を込めて握っているからね」
「客相手にはないのか、愛情」
「幸せのお裾分けをさせてもらってるよ」
「もらってもな……独り身には、嫌味にしかならない」
どこまでも無表情に、冷ややかな声で淡々と語るその男は、黙々とおにぎりを食べ進めていき、最後に味噌汁を呷って、ごちそうさまでしたと手を合わせた。
──南極甲鎧。
近くのマンションに住んでいるらしい常連客。今はそれだけの関係だ。
ほうじ茶も呷り、どこか満足した顔で空になった皿を眺めてから、南極はあざらしが事前に置いておいた立て札を立たせる。あざらしではなく白熊が南極の元に行った。
「追加?」
「塩握り十個」
「かしこまりました」
あざらしの耳にも注文は届いていたので、素早く袋におにぎりを入れていき、白熊に渡す。受け取った白熊がそのまま南極に渡すと、一度中を覗き、満足したように鼻を鳴らした。
白熊はほんのり目を細めながら南極を見つめ、その口を開く。
「宅配もしてあげるよ、特別に」
「いや、いい運動になる。また来る」
「お待ちしているよ」
立ち上がる南極に、もう白熊は肩を貸さなかった。出入り口へと進んでいく南極の様子を、後ろから眺めるのみ。
どこか不安そうにあざらしも見守っているが、客の立て札に気付いて、そちらの対応に向かった。
南極は出ていこうとして、一度その足を止める。出入り口の脇には写真が貼られたボードがあり、それを見ているのだろう。
白熊とあざらしのツーショットが多いが、中には、白熊に顔立ちの似た女性と男性の写真もあったり、その女性が老いた姿と、彼女に両脇から抱きつく二人の少年が写っていた。一人は白熊の幼少期だと分かるが、もう一人、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした少年は──。
「……じゃあな」
南極はまた歩きだし、店から出ていった。
◆◆◆
閉店後の片付けが終わると、すぐにあざらしは白熊に抱きついた。
「南極さんが来ると、変に緊張してしまいます」
「ごめんね、もう二度と君に触れさせるようなことはしないから」
「いつもありがとうございます。悪い人じゃないのは、分かるんですけど……」
「……俺も、あの人も、何もできなかった。ただそれだけだよ」
だから今も、白熊は店を続けるし、南極も店に来る。
お互いが死ぬまで、それは変わらないんだろうなと、白熊は理解していた。
あざらしを抱く手に力を込める白熊。彼が何を考え、何を想いながら今、あざらしを抱き締めているのか、あざらしには分からないだろう。
これだけは、分かってほしくない。
「傍にいてよ、離れないで。お願い」
「僕はもう、白熊さんの傍以外のどこにも居場所はないんです。絶対に離れませんよ」
とん、とん、とあざらしは優しく白熊の背中を叩いていく。その温もりに、思いやりに、しばし、白熊は溺れた。
南極が来るといつもこうなる。ほんの少し、気持ちが不安定になる。
あざらしはいつも、そんな白熊にとことん付き合ってくれるから、絶対に手放せないと思いながら、また更に、力を込めるのだった。
「こんにちわ、マダム」
「こんにちわ、白熊さん。今日もハンサムさんね」
「前髪で顔半分隠れていますけどね。ご注文はどうしますか?」
「そうね……今日はいっぱい歩いてお腹の空きがあるから、日替わりおにぎり三つと味噌汁にしようかね」
「かしこまりました、お好きなお席でお待ちください」
「あらあら、あざらし君。今日も可愛いわね」
「えっ、そんなこと、ないですよ」
「可愛いわ。白熊さんも、こんなに可愛い彼氏さんがいて幸せね」
「……僕なんか、そんな……」
「自信持って、あざらし君」
「いらっしゃいませ」
「いらっ……ああ!」
「……来たぞ」
出入り口から入ってきたその男は、全体的に白い。
プラチナゴールドに染めた短髪、日焼け知らずの白い肌、銀縁の眼鏡越しに見える鋭い瞳は色素が薄く、アッシュグレイのロングカーディガンに身を包んでいる。
月に三度か四度訪れるその男は、特に印象深い客であり、白熊もあざらしもすぐにそれぞれ動き出した。
まずは白熊が男の傍に行き、彼に肩を貸して、手近な席に座らせる。その間にあざらしが塩握り五個と日替わり味噌汁をお盆に乗せていった。ちなみに本日の味噌汁は白菜と人参の味噌汁だ。
お盆を男の前に置くと、素早くあざらしは男から離れる。あざらしが初めて男に会った際に、彼は男に強く抱き締められたことがあり、それ以来白熊から近付きすぎないようにと注意されているのだ。
男は気怠そうに手を動かしていき、まずはいただきますと手を合わせる。そしておにぎりを一つ手に取って、口へと運んだ。
「……旨い」
「あざらし君への愛情を込めて握っているからね」
「客相手にはないのか、愛情」
「幸せのお裾分けをさせてもらってるよ」
「もらってもな……独り身には、嫌味にしかならない」
どこまでも無表情に、冷ややかな声で淡々と語るその男は、黙々とおにぎりを食べ進めていき、最後に味噌汁を呷って、ごちそうさまでしたと手を合わせた。
──南極甲鎧。
近くのマンションに住んでいるらしい常連客。今はそれだけの関係だ。
ほうじ茶も呷り、どこか満足した顔で空になった皿を眺めてから、南極はあざらしが事前に置いておいた立て札を立たせる。あざらしではなく白熊が南極の元に行った。
「追加?」
「塩握り十個」
「かしこまりました」
あざらしの耳にも注文は届いていたので、素早く袋におにぎりを入れていき、白熊に渡す。受け取った白熊がそのまま南極に渡すと、一度中を覗き、満足したように鼻を鳴らした。
白熊はほんのり目を細めながら南極を見つめ、その口を開く。
「宅配もしてあげるよ、特別に」
「いや、いい運動になる。また来る」
「お待ちしているよ」
立ち上がる南極に、もう白熊は肩を貸さなかった。出入り口へと進んでいく南極の様子を、後ろから眺めるのみ。
どこか不安そうにあざらしも見守っているが、客の立て札に気付いて、そちらの対応に向かった。
南極は出ていこうとして、一度その足を止める。出入り口の脇には写真が貼られたボードがあり、それを見ているのだろう。
白熊とあざらしのツーショットが多いが、中には、白熊に顔立ちの似た女性と男性の写真もあったり、その女性が老いた姿と、彼女に両脇から抱きつく二人の少年が写っていた。一人は白熊の幼少期だと分かるが、もう一人、艶やかな黒髪を腰まで伸ばした少年は──。
「……じゃあな」
南極はまた歩きだし、店から出ていった。
◆◆◆
閉店後の片付けが終わると、すぐにあざらしは白熊に抱きついた。
「南極さんが来ると、変に緊張してしまいます」
「ごめんね、もう二度と君に触れさせるようなことはしないから」
「いつもありがとうございます。悪い人じゃないのは、分かるんですけど……」
「……俺も、あの人も、何もできなかった。ただそれだけだよ」
だから今も、白熊は店を続けるし、南極も店に来る。
お互いが死ぬまで、それは変わらないんだろうなと、白熊は理解していた。
あざらしを抱く手に力を込める白熊。彼が何を考え、何を想いながら今、あざらしを抱き締めているのか、あざらしには分からないだろう。
これだけは、分かってほしくない。
「傍にいてよ、離れないで。お願い」
「僕はもう、白熊さんの傍以外のどこにも居場所はないんです。絶対に離れませんよ」
とん、とん、とあざらしは優しく白熊の背中を叩いていく。その温もりに、思いやりに、しばし、白熊は溺れた。
南極が来るといつもこうなる。ほんの少し、気持ちが不安定になる。
あざらしはいつも、そんな白熊にとことん付き合ってくれるから、絶対に手放せないと思いながら、また更に、力を込めるのだった。



