あざらしの体調を優先すべく、『おにぎりの白熊堂』は二日ほど、臨時休業にすることにした。
カーテンの閉められた薄暗い寝室。布団の中に横たわるあざらしに、畳の上から添い寝してくれている白熊。
とん、とん、とあざらしの背中の辺りを優しく叩きながら、白熊は心配そうにあざらしを見つめている。
「お腹は空いてない?」
「……ちょっと、食欲が」
「昨日の夜も、朝も、具のない味噌汁しか飲めてないよね。お粥とかおじや作るからそれを」
「固形物は、ちょっと」
「……分かった」
白熊は叩くのをやめて、あざらしの頬に触れてくる。少しかさついていた。次に額に触れると、ほんのり熱い。
昨日、ぺんぎんからとある名前を聞かされてから、あざらしは少し不安定になっていた。
寝室に運び込んですぐに泣き出し、彼が落ち着くまで店には戻れなかった。その間、常連の方々が店の看板を支度中に変えてくれ、白熊が戻るまで待ってくれていたから、本当に頭が上がらない。今度お礼をしなくては。
あざらしが泣き疲れて眠っている内に、彼を布団に寝かせ、常連達に詫びながら閉店作業をして、あざらしが起きるまで傍にいた。
日付けが変わる頃に目を覚まし、あざらしの為に味噌汁とおにぎりを持っていったが、味噌汁は具を避けて飲み干し、おにぎりには手を付けなかった。
そのおにぎりは白熊が食べたが、「おにぎりを食べられなくてごめんなさい」と泣いて謝られた。無理してまで食べてもらいたいわけではないから、白熊はあざらしが泣き止むまで抱き締めた。
気絶するように白熊は眠り、あざらしの泣く声で目を覚ます。──ごめんなさいと、彼は何度も言っていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、無理です、ごめんなさい──母さん」
「あざらし君。そんな人、ここにはいないから。俺しかいないから」
「……しろくま、さん」
抱き締めながら話し掛け続けていると、だんだんとあざらしが落ち着いてきたから、朝食を用意する。具なしの味噌汁にしたら、弱々しく喜んで、飲んでくれた。
そうしてまたあざらしは眠りに就いたから、白熊は添い寝をして、昼近くに目を覚ましたから昼食の話をしたと。
また、具なしの味噌汁にするべきか。冷蔵庫の中に食べられそうなものがないか、白熊は思い返して──あるものを買っておいたことを思い出す。
ちょっと待っていて、と立ち上がろうとすれば、あ……と言って、あざらしが手を伸ばしてくる。
白熊はその手を掴み、あざらしに顔を寄せ、軽く唇を触れ合わせると、すぐ戻るからと言って、下の階の冷蔵庫を目指した。
五分も掛からなかったと思う。
戻ってきた白熊の手には、蜜柑ゼリーとスプーンがあった。
「冷たくて美味しいよ」
「……」
横たわるあざらしの横に胡座をかいて、スプーンで一口分掬うと、それをあざらしの口許まで運ぶ。あざらしは警戒するように口を閉じている。
つん、つん、と何度も突いて、あざらし君と呼び掛ける白熊。
「……一口だけ、じゃあ」
ようやく口を開けたあざらし。白熊はゆっくりとスプーンを口の中に入れ、舌の上にゼリーを乗せる。白熊がスプーンを引いてすぐ、あざらしは飲み込んだ。表情が少し、和らいだかもしれない。
もう一口いる? と白熊が訊ねると、あざらしは迷ったように瞳を揺らしてから、小さく頷く。二口目には蜜柑も混ぜたが、咀嚼をして飲み込んだ。その調子でもう一口、もう一口と食べさせている内に、全て平らげてしまった。
白熊が頭を撫でてやると、あざらしは嬉しそうに目を細める。ゼリーの空容器を遠ざけ、白熊も布団の中に入ると、あざらしが寄ってきたから抱き締めた。
「お疲れ様、よく食べられたね」
「ありがとうございます……」
背中をとんとんと叩いている内に、あざらしが寝息を立て始める。
あざらしが眠っても、白熊は叩くことをやめなかった。
「……」
海豹乙音。確か、あざらしの義理の妹の名前、だったはず。
ぺんぎんと彼女がどういう関係なのかはまだ分からないけれど、今後のぺんぎんの動向には気を配らないといけない。いっそのこと、出禁にするべきか。そういうことも、あざらしが落ち着いてきたら話し合おうと白熊は考える。
「……あざらし君」
白熊の横にいてくれるあざらし。どこにも行かないと誓ってくれるあざらし。
もうずっと長いこと一緒にいるような気がするが、まだ、二年経つかどうかなのだ。
出会った頃のあざらしに比べれば、これでも大分良くなってきた。あの時は──何度も海に向かっていた。そのたびに、白熊が止めに行った。
大切な人にできなかったことを、あざらしで償うように。
カーテンの閉められた薄暗い寝室。布団の中に横たわるあざらしに、畳の上から添い寝してくれている白熊。
とん、とん、とあざらしの背中の辺りを優しく叩きながら、白熊は心配そうにあざらしを見つめている。
「お腹は空いてない?」
「……ちょっと、食欲が」
「昨日の夜も、朝も、具のない味噌汁しか飲めてないよね。お粥とかおじや作るからそれを」
「固形物は、ちょっと」
「……分かった」
白熊は叩くのをやめて、あざらしの頬に触れてくる。少しかさついていた。次に額に触れると、ほんのり熱い。
昨日、ぺんぎんからとある名前を聞かされてから、あざらしは少し不安定になっていた。
寝室に運び込んですぐに泣き出し、彼が落ち着くまで店には戻れなかった。その間、常連の方々が店の看板を支度中に変えてくれ、白熊が戻るまで待ってくれていたから、本当に頭が上がらない。今度お礼をしなくては。
あざらしが泣き疲れて眠っている内に、彼を布団に寝かせ、常連達に詫びながら閉店作業をして、あざらしが起きるまで傍にいた。
日付けが変わる頃に目を覚まし、あざらしの為に味噌汁とおにぎりを持っていったが、味噌汁は具を避けて飲み干し、おにぎりには手を付けなかった。
そのおにぎりは白熊が食べたが、「おにぎりを食べられなくてごめんなさい」と泣いて謝られた。無理してまで食べてもらいたいわけではないから、白熊はあざらしが泣き止むまで抱き締めた。
気絶するように白熊は眠り、あざらしの泣く声で目を覚ます。──ごめんなさいと、彼は何度も言っていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、無理です、ごめんなさい──母さん」
「あざらし君。そんな人、ここにはいないから。俺しかいないから」
「……しろくま、さん」
抱き締めながら話し掛け続けていると、だんだんとあざらしが落ち着いてきたから、朝食を用意する。具なしの味噌汁にしたら、弱々しく喜んで、飲んでくれた。
そうしてまたあざらしは眠りに就いたから、白熊は添い寝をして、昼近くに目を覚ましたから昼食の話をしたと。
また、具なしの味噌汁にするべきか。冷蔵庫の中に食べられそうなものがないか、白熊は思い返して──あるものを買っておいたことを思い出す。
ちょっと待っていて、と立ち上がろうとすれば、あ……と言って、あざらしが手を伸ばしてくる。
白熊はその手を掴み、あざらしに顔を寄せ、軽く唇を触れ合わせると、すぐ戻るからと言って、下の階の冷蔵庫を目指した。
五分も掛からなかったと思う。
戻ってきた白熊の手には、蜜柑ゼリーとスプーンがあった。
「冷たくて美味しいよ」
「……」
横たわるあざらしの横に胡座をかいて、スプーンで一口分掬うと、それをあざらしの口許まで運ぶ。あざらしは警戒するように口を閉じている。
つん、つん、と何度も突いて、あざらし君と呼び掛ける白熊。
「……一口だけ、じゃあ」
ようやく口を開けたあざらし。白熊はゆっくりとスプーンを口の中に入れ、舌の上にゼリーを乗せる。白熊がスプーンを引いてすぐ、あざらしは飲み込んだ。表情が少し、和らいだかもしれない。
もう一口いる? と白熊が訊ねると、あざらしは迷ったように瞳を揺らしてから、小さく頷く。二口目には蜜柑も混ぜたが、咀嚼をして飲み込んだ。その調子でもう一口、もう一口と食べさせている内に、全て平らげてしまった。
白熊が頭を撫でてやると、あざらしは嬉しそうに目を細める。ゼリーの空容器を遠ざけ、白熊も布団の中に入ると、あざらしが寄ってきたから抱き締めた。
「お疲れ様、よく食べられたね」
「ありがとうございます……」
背中をとんとんと叩いている内に、あざらしが寝息を立て始める。
あざらしが眠っても、白熊は叩くことをやめなかった。
「……」
海豹乙音。確か、あざらしの義理の妹の名前、だったはず。
ぺんぎんと彼女がどういう関係なのかはまだ分からないけれど、今後のぺんぎんの動向には気を配らないといけない。いっそのこと、出禁にするべきか。そういうことも、あざらしが落ち着いてきたら話し合おうと白熊は考える。
「……あざらし君」
白熊の横にいてくれるあざらし。どこにも行かないと誓ってくれるあざらし。
もうずっと長いこと一緒にいるような気がするが、まだ、二年経つかどうかなのだ。
出会った頃のあざらしに比べれば、これでも大分良くなってきた。あの時は──何度も海に向かっていた。そのたびに、白熊が止めに行った。
大切な人にできなかったことを、あざらしで償うように。



