いつもこの時間は、実家の洋食屋で仕込みをしている斑鳩だが、珍しく店主である父から休みをもらい、今日は客として、『おにぎりの白熊堂』に来ていた。

「働いてるお前を眺めるのもたまにはいいな」
「うちは私語厳禁だよ、ベルーガ」
「ちょっとくれぇならいいだろうが」
「だめだめ、お口チャック」

 ぐいっと口をジッパーで閉めるような素振りを白熊がすれば、んだよ、と笑いながら軽口のように言って、斑鳩は頼んでいたおにぎりに手を伸ばす。
 塩握り三個に鮭の混ぜ込みおにぎりを五個頼んだ斑鳩。その日本刀の鋭さを体現した細い身体のどこに、大量のおにぎりを受け入れるスペースがあるのか。
 まずは塩握りに手を伸ばした斑鳩。口の中へと運ぶと、鋭い三白眼は途端に柔らかくなる。

「ばあさん譲りの味だな」
「変わらぬ味と、あざらし君への愛を込めていますから」
「……うーん。うん。そうか」

 何も言うまい。顔にはそう書かれていた。
 味わうように残りの塩握りを食べると、次は鮭の混ぜ込みおにぎりを食べ進めていく。

「鮭の塩気が良い塩梅だな」
「でしょう? あざらし君も喜んで食べてたよ」
「おお、そうか。つうか、あざらしはどうした?」

 店内を見回しながら斑鳩が訊ねる。珍しいことに、あざらしの姿がどこにもない。
 皿を洗いながら、白熊が彼の行方を教えた。

「買い出しに行ってるよ。ほうじ茶のお茶パックが切れちゃってさ。帰ってきたらそのまま休んでもらうつもり」
「そうか」

 そろそろ斑鳩のおにぎりもなくなる。追加でもういくつか頼むか、なんて考えながら、ほうじ茶に手を掛けた時だ。──カランコロン、と軽やかな音が店内に響く。
 ちらりと斑鳩が音のした方へと視線を向ければ、出入り口に突っ立っている少年がそこにいた。
 高校生だろうか、アシンメトリーの髪は明るい茶色。ジャケットは羽織らず、珈琲色のカーディガンに袖を通している。

「いらっしゃいませ」

 柔らかな声で白熊が話し掛ければ、少年はどこか安心したような顔をして、白熊の正面まで近付いてきた。

「──おにぎり屋さん、なんすか?」

 レジの横に置いてあるメニュー表を見ながら少年が訊ねれば、ええ、そうなんですよと白熊が丁寧に答える。どうやら、初めての客らしい。

「うわっ、おにぎりが俵型だ!」
「塩握りと日替わりの二種類用意しています。店内ご利用の場合はほうじ茶が無料で付きます」
「じゃあ、店内で。おにぎりは……塩握りを一個」

 お好きな席にどうぞと言われ、少年は店内を見回し──斑鳩と目が合う。
 スキンヘッド・三白眼・休みの日なので背中に龍の刺繍がされたジャージと、少し近寄りがたい雰囲気の斑鳩。怖がられることが多々あるので、斑鳩はそっと視線を逸らす。
 だが、少年は斑鳩の隣に座った。

「こんにちわ」
「……おう」
「お兄さん、ここの常連なんすか?」

 えらく親しげに距離を詰めてくる少年。少し困惑しながら、斑鳩はまあなと返した。
 注文を終えた後に、ほうじ茶と一緒に渡されるおしぼりで手を拭きながら、尚も少年は話し掛け続けた。

「この町、初めて来たんすよね。海の傍におにぎり屋って、なかなかないっすよね」
「……そうか? 子供の頃からこの店あっから、あんまりそういう風には」
「えぇっ! じゃあ、あの人いくつなんすか?」

 何か勘違いしているのか、白熊を見つめる少年。白熊は今、次の客の対応をしていた。

「俺と同じ二十五だよ」
「え、あ……じゃあ元々は違う人が」
「あいつのばあさんとじいさんがやってた」
「はー、そうですか……。昔ながらの味ってやつですか。楽しみです」

 ほうじ茶を呷ると、満足そうに吐息を溢していた。
 なんか、あんまり見ないタイプの奴だなと思いながら、斑鳩もほうじ茶を一口飲む。そろそろなくなりそうだ。

「一応言っとくがな、この店、読書とおにぎりを楽しむ所なんだわ」
「ブックカフェ的な感じっすか? あ、本読んでる人ばかり。黙った方がいいっすかね」

 ついさっきまで白熊相手に話し掛けていて、言い辛さもあるにはあるが、顔には一切出さずに、そうだなと斑鳩は返す。

「ちょうど本持ってるし、読みまーす」

 そう言ってリュックから取り出したのは、一冊の本。タイトルと共にでかでかと写る将棋の駒からして、将棋関係の本なんだろう。
 斑鳩はそんなに本を読まない。ただおにぎりを楽しむのみ。追加分の注文をしようと、席を立った。

◆◆◆

 追加分も食べ終え、そろそろ帰るかって頃に、あざらしが買い出しから帰ってくる。

「白熊さん、戻りました」
「ありがとう、あざらし君。ケガしなかった?」
「僕、そんなおっちょこちょいじゃないので大丈夫ですよ」
「おっちょこちょいとか言うの、あんまり聞かないね」
「そういえばそうですね」
「あざらし君は可愛いなあ」
「何でそうなるんですか……」

 いつものことだな、と思っていたら、そんな二人を凝視する少年の姿が目に入る。何か気になるんだろうか。

「……白熊と、あざらし」
「そういう名前なんだよ」

 あざらしの方はあだ名だが、確か名字がそう読めるんだよな、と斑鳩はぼんやり考えながら、少年の様子を窺う。

「……ぼく、人鳥(ひととり)って言います。人間の人に鳥で人鳥」
「……ぺんぎんって確か」
「人鳥って書きます。だからぼくはぺんぎん君っすね」
「そうかよ」

 おしぼりで手を拭きながら、斑鳩は適当に返事をした。

「あざらし、あざらし君ですか」

 少年ことぺんぎん的にも、斑鳩のことは気にならなかったんだろう。独り言のように呟いていた。

「──ぼくの好きな人も、あざらしなんですよね」
「……あ?」

 斑鳩はぺんぎんに視線を向けるが、彼はずっと二人を──あざらしを見続けている。

「何か関係、あるのかな」