『おにぎりの白熊堂』、とある街の海沿いにあるその店では、おにぎりの販売と、店内での飲食もできるのだけど、もう一つ、特徴があった。
本が読める。
雑誌数冊と共に、何冊か本を置いていて、それを自由に読むこともできるけれど、客が各々自分の本を持ってきて、好きなだけ読んでいていいのだ。まあ、混雑した時には時間制限を設けることもあるけれど。
店に出すおにぎりは、具なしの塩おにぎりと、日替わりおにぎりの二種類。これまた日替わりでお味噌汁もあるし、店内で食べる場合には無料でほうじ茶を提供している。
海沿いではあるけれど、海からは少し離れているし、壁や窓もある為に波の音は届かない。ということで、店内では読書の邪魔にならない程度の音量で、波の音をラジカセから流している。
地元民からの評判もいいし、海に遊びに来た者がついでに寄ってきて、ネットに感想などを上げることで、それを見た人が来てくれたりし、『おにぎりの白熊堂』はそれなりになんとかやっていけている。
晴れた冬のある日のこと。
店の出入り口から男が出てくる。真っ黒な男だ。
肩までの髪は黒く、前髪の左側だけを伸ばして左目が隠れてしまっている。それでも視界に問題はないのか、慣れた様子で扉のドアノブに掛けた木札を引っくり返す。角のない丸っこい木札には『春夏冬中』と書かれていた。
男は店内に入ろうとしたが、扉のガラス部分に映った自分の姿を見て、何か思う所があったのか、格好を整える。黒いワイシャツに黒いスキニーパンツ。その上から黒いエプロンを身に付けていた。エプロンには『おにぎりの白熊堂』と白い糸で刺繍されている。
満足した男は店内に入る。L字型のカウンター。奥には丸いテーブルの席がいくつかあり、その内の一つで、懸命に拭き掃除をしている者がいた。
男よりも少しばかり年下と思われる、あどけない顔立ちの青年。男と同じくらいの長さの髪は焦げ茶色で、前髪は適度な長さで切られており、こちらは白いワイシャツの上からエプロンを付けていた。
「──あざらし君」
男が呼び掛けると、あざらしと呼ばれた青年はすぐに振り返り、嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「何ですか、白熊さん」
「お客さん少なかったら、俺達も本を読もうよ」
「え、うーん……お仕事しないと……」
悩む様子のあざらしに、男こと白熊はくすりと笑う。
あざらしは普段であれば、白熊がそう言えば仕事しましょうと返してくるものだが、今日は悩んでいる。その理由を知っているから、白熊はそのように提案したのだ。
「続き、気になるでしょ?」
「……気に、なりますけど」
本が読める場所で働いていることもあり、白熊もあざらしも本が好きだ。
昨夜、寝る時間を削って買ったばかりの本を読むあざらしに、白熊は眠るように促し、名残惜しそうに枕元に本を置くあざらしの姿を目にしていたから、早く読ませてやりたかった。
まあ、下心がないわけではないけれど。
「いいんだよ、あざらし君。読みたい本は読みたいと思う内に読んでしまわないと」
「……ですが」
「それでさ」
白熊はあざらしに近付き、彼の耳元に口を寄せる。
「──君の夜は俺にちょうだいよ」
「……っ!」
白熊こと白熊丁治。
あざらしこと海豹丙吾。
二人は店舗兼住宅でもある『おにぎりの白熊堂』に共に住んでいる──恋人同士であった。
あざらしは白熊の言葉に顔を真っ赤にさせながらも、頷き、口を開く。
「……なるべく早く、読み終わります」
「焦らないで、楽しんで」
白熊があざらしの頭を撫でた所で、軽やかな鈴の音が店内に鳴り響く。扉が開かれたのだ。
二人は揃って扉に身体を向け、笑みを浮かべて言うのだ。
「いらっしゃいませ」
「ようこそ、『おにぎりの白熊堂』へ」
本が読める。
雑誌数冊と共に、何冊か本を置いていて、それを自由に読むこともできるけれど、客が各々自分の本を持ってきて、好きなだけ読んでいていいのだ。まあ、混雑した時には時間制限を設けることもあるけれど。
店に出すおにぎりは、具なしの塩おにぎりと、日替わりおにぎりの二種類。これまた日替わりでお味噌汁もあるし、店内で食べる場合には無料でほうじ茶を提供している。
海沿いではあるけれど、海からは少し離れているし、壁や窓もある為に波の音は届かない。ということで、店内では読書の邪魔にならない程度の音量で、波の音をラジカセから流している。
地元民からの評判もいいし、海に遊びに来た者がついでに寄ってきて、ネットに感想などを上げることで、それを見た人が来てくれたりし、『おにぎりの白熊堂』はそれなりになんとかやっていけている。
晴れた冬のある日のこと。
店の出入り口から男が出てくる。真っ黒な男だ。
肩までの髪は黒く、前髪の左側だけを伸ばして左目が隠れてしまっている。それでも視界に問題はないのか、慣れた様子で扉のドアノブに掛けた木札を引っくり返す。角のない丸っこい木札には『春夏冬中』と書かれていた。
男は店内に入ろうとしたが、扉のガラス部分に映った自分の姿を見て、何か思う所があったのか、格好を整える。黒いワイシャツに黒いスキニーパンツ。その上から黒いエプロンを身に付けていた。エプロンには『おにぎりの白熊堂』と白い糸で刺繍されている。
満足した男は店内に入る。L字型のカウンター。奥には丸いテーブルの席がいくつかあり、その内の一つで、懸命に拭き掃除をしている者がいた。
男よりも少しばかり年下と思われる、あどけない顔立ちの青年。男と同じくらいの長さの髪は焦げ茶色で、前髪は適度な長さで切られており、こちらは白いワイシャツの上からエプロンを付けていた。
「──あざらし君」
男が呼び掛けると、あざらしと呼ばれた青年はすぐに振り返り、嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「何ですか、白熊さん」
「お客さん少なかったら、俺達も本を読もうよ」
「え、うーん……お仕事しないと……」
悩む様子のあざらしに、男こと白熊はくすりと笑う。
あざらしは普段であれば、白熊がそう言えば仕事しましょうと返してくるものだが、今日は悩んでいる。その理由を知っているから、白熊はそのように提案したのだ。
「続き、気になるでしょ?」
「……気に、なりますけど」
本が読める場所で働いていることもあり、白熊もあざらしも本が好きだ。
昨夜、寝る時間を削って買ったばかりの本を読むあざらしに、白熊は眠るように促し、名残惜しそうに枕元に本を置くあざらしの姿を目にしていたから、早く読ませてやりたかった。
まあ、下心がないわけではないけれど。
「いいんだよ、あざらし君。読みたい本は読みたいと思う内に読んでしまわないと」
「……ですが」
「それでさ」
白熊はあざらしに近付き、彼の耳元に口を寄せる。
「──君の夜は俺にちょうだいよ」
「……っ!」
白熊こと白熊丁治。
あざらしこと海豹丙吾。
二人は店舗兼住宅でもある『おにぎりの白熊堂』に共に住んでいる──恋人同士であった。
あざらしは白熊の言葉に顔を真っ赤にさせながらも、頷き、口を開く。
「……なるべく早く、読み終わります」
「焦らないで、楽しんで」
白熊があざらしの頭を撫でた所で、軽やかな鈴の音が店内に鳴り響く。扉が開かれたのだ。
二人は揃って扉に身体を向け、笑みを浮かべて言うのだ。
「いらっしゃいませ」
「ようこそ、『おにぎりの白熊堂』へ」



