――そして現在。
 俺は放課後のファストフード店にいた。入学式で会った御影に似ている後輩とともに。自宅の最寄り駅なので、同じ制服は俺たち以外に見当たらない。通っていた中学校の制服を着た生徒と親御さんと思われる組み合わせが一番多い。懐かしさが浮かぶ光景に、不安定に揺れていた鼓動がようやく落ち着いていく。改めて正面に座る御影似の後輩に向き直る。
「さっきはほんとに……ありがとう」
 深々と頭を下げれば、揚げたてのポテトの匂いが近づく。これくらいで足りるとは思えないけど、相手の申し出なので仕方ない。
「いえ、たまたま居合わせただけなんで」
 それより、と一段低くなった声に視線を上げる。
「先輩は大丈夫ですか?」
「ぜ、全然大丈夫。一瞬だったし、よくわかんなかったっていうか」
 口にしたそばから再び心臓が揺れ出す。一瞬。よくわからない。嘘ではないけど百パーセント真実とも言えない。ほんの一瞬でも気持ち悪さはあって、わからないながらも「どうして」と「なんで」が膨らんでいく。
「なんていうか、こういうの初めてで、正直どう言っていいか……いや、マジで男相手に痴漢するやついるんだっていう驚きが大きいと言うか……」
 最初は偶然だと思った。手があたるのも、やたら距離が近いのも。たまたまだと。でも車内はそれほど混み合っているわけではなく、どうしてこのひとはこんなに近くにいるのだろう、と疑問に思って――ぞわり、と悪寒に似た心地悪さが駆け上がった瞬間「何してるんですか」と御影似の後輩が男の手を掴んだ。たまたま隣の車両から移動してきたところだったらしい。「次の駅で降りてもらいますから」唸りにも似た低い声に、自分が何をされたのかを自覚して、恐怖と恥ずかしさでいっぱいになった。何? 痴漢? 男の子に? ひそひそと囁かれる声がいたたまれない。唇を噛むことでしか鼻の奥の痛みを紛らわせられなくて。助けてもらったことよりも早くその場から逃げたくて仕方なかった。
「すみません、結局逃げられちゃって」
「いや、み――きみが謝ることじゃないし」
皆藤(かいとう)です。俺の名前」
「かいとう……そっか」
 御影に似ていると、もしかしたら本人かもしれないと思ったけど、違うのか。そうだよな、本人だったら俺をわざわざ助けないよな。わずかに持っていた期待を押し込め、視線を繋ぐ。御影とは反対に傾く目線に、改めて他人なのだと、御影ではないのだと自分に言い聞かせる。
「皆藤くん、ほんとにありがと。すぐにお礼言えなくてごめん」
「いえ、あんなことあったら誰だって平気じゃいられないですし………っていうか、もう食べていいですか?」
 皆藤くんが言い終わるか終わらないかのうちに、ぐうぅぅぅと大きな音が響く。
「あっ、お腹空いてるよね。ごめん。どうぞ、どうぞ」
「じゃあ、遠慮なく。いただきます」
 駅のホームに降り立ったあとも俺はどうしていいのかわからず、促されるまま皆藤くんのあとを歩いていた。そんな俺を心配して振り返ったときに、痴漢が逃げた。皆藤くんは追いかけるか迷ったみたいだったけど「とりあえず外出ましょうか」と俺のそばにいるほうを選んだ。情けない……ふたつも年下の子に迷惑かけるなんて。駅を出たところでようやく頭が回り出すと、助けられたお礼をなにもしていないことに気づき――いまに至る。
「本当にこれでよかったの?」
 右手にポテト、左手にチーズバーガーを持つ皆藤くんが、こく、と喉を動かす。はっきりと目立つ喉仏に、御影とは違うのだと改めて思った。
「十分です。めちゃくちゃお腹空いていたので」
「……だろうね」
 皆藤くんのトレーには手の付けられていないチーズバーガーがあとふたつ、ナゲットも二箱ある。俺より体大きいし、当然といえば当然か。ぱくぱくと口に入れていくのは見ていて気持ちがいい。表情はあまり変わらないけど。まあ、珍しいものじゃないから美味しくて笑顔になるってこともないか。
 ――木内先輩、ほんとにこれ食べていいんですか?
 御影はポテトひとつでめちゃくちゃ嬉しそうに笑っていたけど。自然に蘇った思い出をコーラの炭酸で飲み込む。なんだか今日はやたら御影を思い出すな。別人だとわかっても、やっぱり皆藤くんは御影によく似ている。黒く丸い瞳とか、ちょっと太めの眉とか、食べるときに右頬が上がるクセとか……御影が成長したら、こうなるのだろうと思えてならない。二年の間にこんなに身長伸びてたら悔しいけど。
「――い、先輩」
「あっ、ごめん。なに?」
「先輩は部活何やってるんですか?」
「部活?」
「はい」
「あー、俺、いまは部活入ってないんだ。ときどき行事の手伝いはするけど。塾あるから」
 皆藤くんは? と尋ねるより早く「じゃあ、登下校は俺と一緒にできますね」と、なんの躊躇もない言葉が鼓膜に届いた。