外灯の弱い光が照らす先に見覚えのある姿があった。バスケットゴールは、学校と地区センター以外にはこの公園しかない。だからバスケ部の誰かが使っていてもおかしくはない。だけどこんな暗い時間に、それもひとりで、なんて。俺がここを使うのは、友達に誘われたときだけだった。ひとりで来たことはないし、日が暮れる頃には解散していた。
 冬の冷たい匂いに、じゃり、とスニーカーの底が砂を擦る音が響く。体育館とは違う、ボールの弾む音。リングが揺れる音。御影は転がったボールを追いかけ、すぐにまたゴールへと向かう。ゴールが巨大な怪獣みたいだった。御影が、何度弾かれても立ち向かう小さな勇者に見える。息を弾ませ、体から薄く気体を上らせて。寒さなんてもうないのだろう。ただひたすらゴールに向かっていく体は、とても小さいのに、ちっとも弱くは見えない。
 目が離せなかった。誰にも何にも縛られることのない姿が、羨ましくてたまらなかった。
 ――御影はこれからだよ。
 なんて無責任な言葉を俺は言ったのだろう。自分は大した努力もしなかったくせに。楽しければいいとしか思っていなかったくせに。
 ――俺、努力って嫌いなんですよね。なんかダサいじゃん。
 自分が吐き出した言葉が刃となって返ってくる。
「本当にダサいのは、俺じゃん……」
 努力することがダサいわけない。結果をこわがって努力すらしない自分が一番ダサい。周りがしないから、と手を抜いて。兄みたいになりたくない、と言い訳にして。どうしてモヤモヤするのか、イライラするのか。先生のせいじゃない。全部自分のせいだ。ぐっと唇を噛みしめ、滲みかけた視界に耐えていると、
「木内先輩?」
 ふわりと柔らかな声が耳を撫でた。
「どうしたんですか、こんな時間に」
 ぱっと顔を上げれば、タオルで汗を拭う御影が目の前に立っていた。Tシャツは黒いのに色が変わっているのがわかる。ダウンを着ている俺と同じ季節にいるとは思えない。季節どころか世界すら違うのかもしれない。ただ立ち止まってラクなほうへと流されているだけの俺と、御影が同じわけない。
「もう結構暗いですよ」
 視線をうまく上げられずにいると、頼りない外灯の明かりに見慣れたオレンジ色が浮かんでいた。変わらないもの。俺でも触れられたもの。御影の脇に抱えられたボールは、俺の記憶にあるものと何も変わっていなかった。
「その言葉、そっくりそのまま返すわ」
 え、と御影が油断している間にボールを奪う。「ちょっと、先輩」後ろから追いかけてくる気配を感じながら、ゴールへとドリブルで進む。靴底が砂を擦り、馴染んだ皮の感触が手のひらへと返ってくる。ゼロじゃない。何もしなかったわけじゃない。体は動く。引退してから触れていなかったのに。当たり前にゴールへと足が進む。
 努力と呼ぶには足りなかったかもしれないけど。楽しさばかりを優先していたけど。その中には「もっと上手くできたらもっと楽しい」が確かにあった。限界を知るのをこわがっていたけど、勝手に自分で線を引いていたけど、兄の、御影の、足元にも及ばないけど。それでも、ちゃんと俺にも努力した瞬間がある。
 地面を蹴る力、ゴールへと伸びる体、手のひらから離れていくボールの感触、シュートに必要なものが、体に刻まれていた。
 ボールがゴールへ吸い込まれようとしていたところに、すっと手が伸びてきた。指先がわずかにボールの表面を掠め、軌道が変わる。リングをくるくると回ったボールは、ネットを通らず地面に落ちた。
「おいー、邪魔すんなよ」
「え、勝負じゃないんですか?」
 ボールを拾い上げた御影が、不思議そうな顔を見せる。
「勝負……じゃなかったんだけど」
「じゃあ、ちゃんと『貸してください』って言わないと」
 勝負じゃないならボールの貸出許可を取れと。なるほど。確かに。でも、じっと俺を見上げる顔に怒っている感じはなくて。むしろ練習相手を見つけたとでも言いたげな表情だった。
「ボールってこれひとつ?」
「そうですよ」
「じゃあ、借りるより奪い返すほうが楽しそうだな」
 言い終わらないうちに手を伸ばすが、今度は御影も予想していたようで、素早く体を引かれた。
「木内先輩って、こういうひとだったんですね」
「こういうって?」
 ボールが地面で弾む。御影が体を低くする。
「か――――」
 同時に駆け出した音が重なって、答えは聞き取れなかった。