……やがて授業が終わり、放課後になる。
「俺たち、これからコンビニヨシ子に行くけど、小夜たちはどうするよ?」
先生が教室から出るとすぐに、新也が声をかけてきた。
ちなみにコンビニヨシ子というのは、港の近くにある商店のこと。
日用品から雑貨、駄菓子まで売っているので、誰かが島のコンビニと呼んだのが由来らしい。
「あたしはカフェの店番があるからパス。今日、おじーちゃん本土に行ってるのよ」
「わたしも今日は用事があるの。ごめんね」
「付き合いわりーなー、祐二、行こーぜ」
「僕も読みたい本があるんだけど……わ、わわわ」
新也は一瞬だけ不満顔をするも、それから祐二を引っ張って教室を出ていった。
「……祐二も行きたくなさそうだったけど、よかったのかしら」
「お、男の子同士、わたしたちにはわからない絆があるんだよ。きっと」
必死に養護するなっちゃんに感服しつつ、あたしは教室をあとにした。
そして外に出ると、船の汽笛が聞こえてくる。
視線を送ると、赤と白の縞模様をした独特なデザインの連絡船がゆっくりと港に入ってきた。
「あ、小夜ちゃんのおじいちゃん、あの船に乗ってるんじゃない?」
「そうかもしれないわねー。とりあえず、しまねこカフェで待つことにする」
「うん。それじゃあ、またね」
最後に軽く会話をして、なっちゃんと別れる。
それから校門を抜けて、車一台がやっと通れる広さのメインストリートを通り、しまねこカフェに向かう。
この島は山の斜面に家が張り付くように建てられているので、急な坂が多い。
道も狭いので、車で乗り入れることができるのは港周辺だけ。大抵はバイクか、徒歩での移動になる。
だからこそ猫たちが安心して生活できるのだけど……この急坂は何度上ってもきつい。
「サヨー、頑張れー」
道中、塀の上にいた黒猫が一匹、しっぽを振って応援してくれるも、とても反応する余裕はなかった。
ようやくしまねこカフェへ帰り着き、のれんの下がった門をくぐる。
門の先には小さな庭があって、その奥に海を一望できるウッドデッキが見える。
そのデッキと繋がるように母屋が並び建ち、畳敷きの和室へと通じるガラス戸は常に開け放たれていた。
ここがカフェスペースで、飲み物や食事を提供するほか、日中は無料休憩所としても開放している。
あたしはここで、おじーちゃんと二人で暮らしているのだ。
「おかえり。待ってたよ」
そして帰宅したあたしを出迎えてくれたのは、ハートマークのついた猫、ネネだった。
「待ってたのはあたしじゃなくて、ごはんでしょー」
少し小さめの声で言って、カフェの中を見渡す。あたしのほうが早かったのか、おじーちゃんの姿はない。
「ごはんはもう少し我慢しなさい。他の皆が帰ってきてからよ」
「ちぇー。ミミとハナは今日も港でごちそうもらってたけどネ」
「あの子たちは観光客に大人気だから。あんたも負けずに愛嬌振りまいてきたら?」
「幸運のハート猫は限られた人の前にだけ現れるのさ」
「自分で言ってたら世話ないわねー」
ネネとそんな会話をしながら台所の奥へと向かい、扉を開ける。ここから先はあたしたちの居住スペースになる。
自分の部屋で着替えを済ませて台所へ戻ると、やかんにお湯を沸かす。
「サヨ、そういえばさっき、例の虫が出たよ」
「虫?」
そこで自分用のコーヒーを淹れていると、背後に座ったネネが思い出したように言う。
「黒光りして高速で動く、例のヤツさ」
「げ。そこはあんたが人知れず駆除しなさいよ」
「健闘虚しく、シンク台の裏に消えていった。あいつら速いネ。敵ながらあっぱれ」
「むー、ネネの役立たずー」
淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを手にあたしは口を尖らせる。
「あの筒を使いなよ。文明の利器。猫としては鼻に来るから嫌いだけどネ」
そう言った後、ネネはその場で毛づくろいを始めた。
「……おや? 小夜、もう帰っていたのかい」
そんな矢先、カフェのほうからおじーちゃんの声がした。
「さっき帰ったの。おかえりなさい」
マグカップを持ったまま出迎えると、おじーちゃんは大きな段ボール箱を抱えていた。
「ただいま、サヨ」
そんなおじーちゃんの脇をすり抜けて、一匹のオス猫が家の中に入ってくる。
このキジ猫はココア。臆病なくせに人に甘えるのが大好きな猫で、よくこうやって人について回るのだ。
「ココアもおかえりー。ネネも戻ってるわよー」
そう声をかけながら、あたしは和室の座卓にマグカップを置く。
それと時を同じくして、ネネが台所からやってきた。
「ココア、例の虫が出た。ここは共闘しない?」
その言葉を聞いたココアはびくっと震え、素早くあたしにすり寄った。
「相変わらず怖がりだネ。取って食われるわけでもないんだから、ココアもヤツに戦いを挑めばいいのに」
「いやだよ。怖いもん」
威勢がいいネネとは裏腹に、ココアはあたしの足の間で縮こまる。
このしまねこカフェに居着いているのは、ここにいるネネとココア、それにトリコさんの三匹なのだけど……トリコさんのほうは、まだ戻ってきていないみたいね。
「あんたたち、仲がいいのか悪いのかわかんないわねぇ」
「……小夜、お客さんかい?」
思わずそう口にして、ココアの背中を撫でていると……台所からおじーちゃんの声が飛んできた。
「て、テレビの声よー! さすがに平日のこの時間にお客さんは来ないでしょー!」
「はは、それもそうだね」
そう誤魔化しながら、あたしは急いでテレビの電源を入れた。
……危ない危ない。何年も猫たちと会話を続けているせいか、その状況に慣れすぎて、あたし以外には猫の声が聞こえないことをつい忘れそうになる。気をつけないと。
あたしは気持ちを落ち着かせながら、ココアの頭を撫でる。その手が、意図せず耳に触れた。
……この島に住む猫たちの耳には、全て切り込みが入っている。
これは不妊去勢手術を終えた、さくら猫の証。
彼らは、飼い猫でも野良猫でもない、島の皆の猫……しまねこなのだ。
――そんな猫たちとの日常、始まります。
「俺たち、これからコンビニヨシ子に行くけど、小夜たちはどうするよ?」
先生が教室から出るとすぐに、新也が声をかけてきた。
ちなみにコンビニヨシ子というのは、港の近くにある商店のこと。
日用品から雑貨、駄菓子まで売っているので、誰かが島のコンビニと呼んだのが由来らしい。
「あたしはカフェの店番があるからパス。今日、おじーちゃん本土に行ってるのよ」
「わたしも今日は用事があるの。ごめんね」
「付き合いわりーなー、祐二、行こーぜ」
「僕も読みたい本があるんだけど……わ、わわわ」
新也は一瞬だけ不満顔をするも、それから祐二を引っ張って教室を出ていった。
「……祐二も行きたくなさそうだったけど、よかったのかしら」
「お、男の子同士、わたしたちにはわからない絆があるんだよ。きっと」
必死に養護するなっちゃんに感服しつつ、あたしは教室をあとにした。
そして外に出ると、船の汽笛が聞こえてくる。
視線を送ると、赤と白の縞模様をした独特なデザインの連絡船がゆっくりと港に入ってきた。
「あ、小夜ちゃんのおじいちゃん、あの船に乗ってるんじゃない?」
「そうかもしれないわねー。とりあえず、しまねこカフェで待つことにする」
「うん。それじゃあ、またね」
最後に軽く会話をして、なっちゃんと別れる。
それから校門を抜けて、車一台がやっと通れる広さのメインストリートを通り、しまねこカフェに向かう。
この島は山の斜面に家が張り付くように建てられているので、急な坂が多い。
道も狭いので、車で乗り入れることができるのは港周辺だけ。大抵はバイクか、徒歩での移動になる。
だからこそ猫たちが安心して生活できるのだけど……この急坂は何度上ってもきつい。
「サヨー、頑張れー」
道中、塀の上にいた黒猫が一匹、しっぽを振って応援してくれるも、とても反応する余裕はなかった。
ようやくしまねこカフェへ帰り着き、のれんの下がった門をくぐる。
門の先には小さな庭があって、その奥に海を一望できるウッドデッキが見える。
そのデッキと繋がるように母屋が並び建ち、畳敷きの和室へと通じるガラス戸は常に開け放たれていた。
ここがカフェスペースで、飲み物や食事を提供するほか、日中は無料休憩所としても開放している。
あたしはここで、おじーちゃんと二人で暮らしているのだ。
「おかえり。待ってたよ」
そして帰宅したあたしを出迎えてくれたのは、ハートマークのついた猫、ネネだった。
「待ってたのはあたしじゃなくて、ごはんでしょー」
少し小さめの声で言って、カフェの中を見渡す。あたしのほうが早かったのか、おじーちゃんの姿はない。
「ごはんはもう少し我慢しなさい。他の皆が帰ってきてからよ」
「ちぇー。ミミとハナは今日も港でごちそうもらってたけどネ」
「あの子たちは観光客に大人気だから。あんたも負けずに愛嬌振りまいてきたら?」
「幸運のハート猫は限られた人の前にだけ現れるのさ」
「自分で言ってたら世話ないわねー」
ネネとそんな会話をしながら台所の奥へと向かい、扉を開ける。ここから先はあたしたちの居住スペースになる。
自分の部屋で着替えを済ませて台所へ戻ると、やかんにお湯を沸かす。
「サヨ、そういえばさっき、例の虫が出たよ」
「虫?」
そこで自分用のコーヒーを淹れていると、背後に座ったネネが思い出したように言う。
「黒光りして高速で動く、例のヤツさ」
「げ。そこはあんたが人知れず駆除しなさいよ」
「健闘虚しく、シンク台の裏に消えていった。あいつら速いネ。敵ながらあっぱれ」
「むー、ネネの役立たずー」
淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを手にあたしは口を尖らせる。
「あの筒を使いなよ。文明の利器。猫としては鼻に来るから嫌いだけどネ」
そう言った後、ネネはその場で毛づくろいを始めた。
「……おや? 小夜、もう帰っていたのかい」
そんな矢先、カフェのほうからおじーちゃんの声がした。
「さっき帰ったの。おかえりなさい」
マグカップを持ったまま出迎えると、おじーちゃんは大きな段ボール箱を抱えていた。
「ただいま、サヨ」
そんなおじーちゃんの脇をすり抜けて、一匹のオス猫が家の中に入ってくる。
このキジ猫はココア。臆病なくせに人に甘えるのが大好きな猫で、よくこうやって人について回るのだ。
「ココアもおかえりー。ネネも戻ってるわよー」
そう声をかけながら、あたしは和室の座卓にマグカップを置く。
それと時を同じくして、ネネが台所からやってきた。
「ココア、例の虫が出た。ここは共闘しない?」
その言葉を聞いたココアはびくっと震え、素早くあたしにすり寄った。
「相変わらず怖がりだネ。取って食われるわけでもないんだから、ココアもヤツに戦いを挑めばいいのに」
「いやだよ。怖いもん」
威勢がいいネネとは裏腹に、ココアはあたしの足の間で縮こまる。
このしまねこカフェに居着いているのは、ここにいるネネとココア、それにトリコさんの三匹なのだけど……トリコさんのほうは、まだ戻ってきていないみたいね。
「あんたたち、仲がいいのか悪いのかわかんないわねぇ」
「……小夜、お客さんかい?」
思わずそう口にして、ココアの背中を撫でていると……台所からおじーちゃんの声が飛んできた。
「て、テレビの声よー! さすがに平日のこの時間にお客さんは来ないでしょー!」
「はは、それもそうだね」
そう誤魔化しながら、あたしは急いでテレビの電源を入れた。
……危ない危ない。何年も猫たちと会話を続けているせいか、その状況に慣れすぎて、あたし以外には猫の声が聞こえないことをつい忘れそうになる。気をつけないと。
あたしは気持ちを落ち着かせながら、ココアの頭を撫でる。その手が、意図せず耳に触れた。
……この島に住む猫たちの耳には、全て切り込みが入っている。
これは不妊去勢手術を終えた、さくら猫の証。
彼らは、飼い猫でも野良猫でもない、島の皆の猫……しまねこなのだ。
――そんな猫たちとの日常、始まります。

