それから日々が過ぎ、ついにゴールデンウィークがやってきた。
島民にとって、一年で最も忙しい時期だ。
十一時の船が、無数の乗客を吐き出しているのをしまねこカフェのデッキから眺めつつ、あたしは息巻く。
「ココア、ネネ、報告」
「港のミミとハナによると、相当な数の人がやってきているみたい。すごいねぇ」
「港に近い食堂は早くも満席みたいだネ」
「さすがゴールデンウィーク……やばいわね。だからこそ、燃えるんだけど」
ちなみにおじーちゃんは港にお客さんを迎えに行っている。
なんでも、関西から島猫ツアー目的の団体さんがやってくるそうだ。
なので、現在のしまねこカフェはあたしと猫たちだけ。お店を開けたばかりということもあって、他のお客さんの姿もない。まるで、嵐の前の静けさだ。
だからこそ、こうやって猫たちと話すことができるのだけど。
「……む、無数の人の気配を感じる。それじゃ、僕は隠れる」
島の狭い路地に流れ込むように入っていく人々を見ていると、トリコさんがそう言って和室の窓から外へ出ていった。
その特徴的なかぎしっぽが見えなくなると、次第に表が賑やかになってくる。
カフェの入口に視線を移すと、のれんの隙間から、たくさんの人が行き交っているのが見えた。
つばの大きな白い帽子を被った女性に、若い学生さん、元気な子どもを連れた家族……その顔ぶれは多種多様だ。
「へー、しまねこカフェだってさ。飲み物もあるみたいだし、ちょっと休んでいこうか」
「そうね……この坂道はなかなかにきついわ」
その時、のれんをくぐって一組のカップルがやってきた。
「いらっしゃいませー。こちらに見やすいメニューがございますよー」
あたしはできる限りの営業スマイルを浮かべてメニュー表を指し示す。
二人はしばし悩んでから、オレンジジュースを二つ注文した。
「かしこまりましたー。少々お待ちくださーい」
台所へ向かいながら、飲み物が提供できるまでお客さんの相手をするよう、ココアとネネに目で合図を送る。二匹は顔を見合わせたあと、愛嬌を振りまきながらカップルの元へ歩いていった。
そのカップルを皮切りに、一気にお客さんが増えてきて、ウッドデッキにあるテラス席と和室の座卓はあっという間に満席になってしまった。
「アイスコーヒーを二つください。両方砂糖なしで。この子にはオレンジジュースを」
「はいはーい! 少々お待ちください!」
「島名物のタコ飯があるって聞いたんだけど、テイクアウトお願いできる? 二人前」
「はいー! お持ち帰りですね? ひとつ五百円になります!」
大混雑の中、お客さんから矢継ぎ早に飛んでくる注文をあたしは必死にさばいていた。
……おじーちゃん、まだ戻ってこないのかしら。
あらかじめパックに詰めておいたタコ飯はとうに売り切れてしまったので、炊飯器に保温しておいたタコ飯をパックへ詰めていく。
このタコ飯はさくら荘の哲朗さんに教わって、おじーちゃんが作ったもの。当の本人は本家の味には程遠いと言うけど、孫という立場を抜きにしても十分においしいと思う。
「やー、サヨ、大変そうだねー」
そんなことを考えながらパック詰め作業をしていると、背後から猫の声がした。
一瞬だけ後ろを見ると、いつの間にか神社三兄弟の末っ子がやってきていた。
「見ての通り、猫の手も借りたいほど忙しいの。よかったら、お客さんの相手してくれない?」
「いいよー。ココアとネネだけじゃ役不足だろうしねー。その代わり、あとでおいしいやつ食べさせてね」
その子はしっぽを軽く振りながら交換条件を出すと、和室へと向かっていく。
ちょ~る一本でお客さんの気を紛らわせてくれるのなら、安いものだった。
「タコ飯二人前、おまたせしましたー」
「すみません、この瓶に入ったちょ~るって売り物ですか?」
タコ飯をお客さんに手渡していると、新しくやってきた女性からそう尋ねられた。
「そうですよー。代金はその貯金箱にお願いします!」
そう伝えると、彼女は頷きながら硬貨を投入してくれた。
「あのー、アイスコーヒー二つもらえますか?」
「はーい! お砂糖とミルクはどうしますかー?」
その様子を見ていると、新たに二人の女性客がやってくる。
注文を受けたあたしは、それを脳内で反すうしながら台所へ取って返す。
夏や秋にも観光客の多い時期はあるけど、ゴールデンウィークは別格……島で飲食店をしている人たちの口から、そう聞いたことがある。
あたしは今、全身でそれを体感していた。
「……これは予想以上だね。小夜、大丈夫かい?」
そんなふうに全身全霊でお店を回していると、おじーちゃんが帰ってきた。
「ぜ、全然大丈夫! おかえりなさーい!」
空元気で応えて、おじーちゃんにカフェの仕事を引き継いてもらう。
その後は団体のお客さんを連れて島猫ツアーに出発するも、いつも猫たちがいる神社や漁港は人で溢れかえり、普段の半分ほどの猫たちにしか出会うことができなかった。
いくら佐苗島の猫が人に慣れているとはいえ、人が多すぎると隠れてしまう子もいる。
人が増える前にさっさと隠れてしまったトリコさんなど、その最たる例だった。
やがて一時間ほどの島猫ツアーを終えると、再びカフェの手伝いが待っていた。
お昼時はとうに過ぎたというのに、客足は途絶えず。ようやく休めたのは十四時を回った頃だった。
「はー、これがあと数日は続くのかぁ……」
一時的に仕事から開放されたあたしは、休憩がてら港をぶらついていた。
しまねこカフェにはまだたくさんのお客さんがいるし、外で休もうにも、今日はどこも人で溢れていた。
五月にしては少し強い日差しの中、特設の売店や屋台、果てはお手洗いにまで人の列ができている。普段の佐苗島とはかけ離れた光景がそこにはあった。
「島の夏祭りでも、ここまで人集まらないわよ……ゴールデンウィーク、おそるべし」
誰にともなく呟いて、比較的人の少ない屋台でマリンソーダを買う。
本土からやってきたお店のようで、店員さんは知らない人だった。
「はー、おいしい」
空と同じ色をした炭酸水を喉に流し込むと、しゅわしゅわとした刺激のあとに強烈な甘味が口に広がる。普段なら甘すぎると感じるけれど、今は疲れた体に染み渡る。
「……あれ?」
飲み物を片手に港を歩き、いつもミミとハナがいる郵便局の前へとやってくるも、そこに彼女たちの姿はなかった。
あの子たちは人懐っこいけど、あまりに人が多いと隠れてしまう。
島唯一の観光名所である灯台に行くには、ここを通るのが一番近いし、さすがに今日は人通りが多すぎるのだろう。
一人で納得しながらストローに口をつけた時、少し離れた港の駐車場に、人の姿があることに気づいた。
パステルカラーに統一されたブラウスとスカートを身に着け、腰ほどまでありそうな髪は桜色のリボンでポニーテールに結われていた。
どうみても観光客で、年はあたしより少し上だろう。モデルと言われても納得してしまいそうな、可愛らしい容姿をしている。
そんな人が、スカートや髪が汚れるのも気に留めず、車の下を覗き込んでいた。
声をかけようか迷っていると、彼女は立ち上がり、肩を落としながら人波へと消えていった。
「なんだったのかしら。まるで何か探してるみたいだったけど」
「あれ、小夜じゃん。こんなところで何してんだ? 暇なのか?」
不思議に思っていると、すぐ近くから知った声がした。
見ると、黒のワイシャツ姿の新也が驚いた表情であたしを見ていた。
「暇なわけないでしょー。ずっとカフェを手伝ってて、ようやく休憩時間なの。そーいうあんたこそ、暇そうねー」
「しょ、しょーがねーだろ。うちは別に商売してるわけじゃねーしさ。父ちゃんは忙しそうだったけど、俺が手伝えるもんじゃねーし」
ばつが悪そうに言って、彼は被っていた帽子の位置を整えた。
「それなら、なっちゃんの手伝いでもしてあげたらいいのに。ゴールデンウィークは民宿忙しいって言ってたし、きっと喜ぶわよー?」
「男と女じゃ持ち場が違うんだよ。すぐに親父のほうに捕まって、魚の下ごしらえばっかやらされる」
すでに経験済みなのだろう。言いながら、彼はげんなりとした表情を見せる。
今のうちに将来のお義父さんと仲良くなっとけばいいのに。わかってないわねー。
あたしはつい、そんなことを考えてしまう。新也となっちゃん、実は両思いなのだ。
知ったのはつい最近で、その情報源はもちろん、猫たちだ。
そりゃあ、あたしたちもそろそろ異性を意識する年頃だし? 吐き出せない心のモヤモヤを、偶然居合わせた猫に告白する……なんてことがあっても不思議じゃない。
普通なら絶対バレないと思う。猫の言葉がわかる、あたしがいなければ。
小耳に入れておきたい話があるんだけどネ……と、どこか嬉しそうに寄ってきたネネの話を興味本位で聞いてしまったことを、あたしは今更ながら後悔していた。
「あーもー、ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと手伝いに行く! ほらほら!」
「ちょっ……押すなよ! わかったって! 行くって!」
二人の秘密を知ってしまった後ろめたさを隠すように、あたしは新也の背後に回ると、その背中を押す。
恋のキューピットになるつもりはないのだけど、この二人にはうまくいってほしい。

