そんな時緖(ときお)の様子を見てか、青年は眉を下げて頬を緩めると、それからそっと腰を屈め、時緖と視線を合わせた。
突如と重なる視線、間近に迫る柔らかな微笑みに、時緖は条件反射のようにドキリと胸を震わせ、それから慌てて顔を背けた。

何をドキリとしているのか、この人が本物の月那(つきな)である筈がないのに。

「真夜中の魔物」
「…え?」

単純な自分に情けなさすら感じてしまうが、それでも消せない可能性が、時緒に繰り返し訴えかけてくる。
そんな風に葛藤を繰り返していれば、思いがけない言葉が月那の口から聞こえ、時緒は巡る思いも忘れ、驚いて顔を上げた。

「…知ってますか?」

その優しくもどこか遠慮がちな問いかけに、時緖は目を丸くしながら頷いたが、すぐにはっとして身を乗り出した。

「でも、本当に、あの真夜中の魔物?私の知ってる、あの話?」

焦る時緒は気づいていないが、「私の知ってる話か」と聞かれても、彼が時緒の何もかもを知っている訳がないのだから、困惑の一つも浮かべられても仕方ないだろう。だが、彼は顔を顰めるどころか、ほっと安堵したように頬を緩め、屈めていた体をゆっくりと起こすと、その物語の概要を聞かせてくれた。

「真夜中の魔物はいつも寂しくて、でも、魔物と一緒に居たい人間なんていない。だから魔物は、真夜中の力を使って人間の夢の中に入り込み、朝が来るまで側にいて貰うんだ。その人が会いたい人の姿になってね。
でもそれは、人間にとっては悪夢になる。夢の中に現れた魔物は、いくらその人が会いたいと望む人間に化けたところで中身は魔物、会いたいその人とは違う。おまけに魔物の力に囚われた人間は、魔物が作り出した夢の中を彷徨う事になる、その人は目を覚ます事が出来ず、夢の中から帰って来れなくなるんだ。
人間を苦しめると分かっていても、それでも魔物は誰かといたくて、その夢の中に人間を縛り続けた。
そんな時、同じように寂しい思いをして夜を過ごす少年と出会った。魔物は少年と出会った事で、人に寄り添い、誰かの為に真夜中の力を使うようになる」

その物語は、時緒もよく知る物語だった。やはり、あの真夜中の魔物なのだと時緒は嬉しくなって、更に身を乗り出した。

「真夜中の魔物は、少年と一緒に、夢の中で色々な人の思いに触れていくんだよね?」
「そう」
「少年の会いたかった人とも夢で会えた」
「病院に入院している母親だ」
「やっぱり!それ、絵本のだよね?愛嬌があって、可愛い真夜中の魔物」

確かめるように尋ねる時緒に、彼はひときわ嬉しそうに「うん」と頷いた。時緒はまるで信じられない思いだった。

本当に、自分の知る真夜中の魔物だった。

それが驚きで、でも、それ以上にこの心を満たしていくのは、真夜中の魔物を知る人物とようやく出会えたという喜びだ。だって時緒は、今まで真夜中の魔物という絵本を知る人に会えた事がなかったのだから。


“真夜中の魔物”。

時緒がその絵本を知ったのは、七歳とかその位の年齢だったろうか、同じ年頃の男の子が、たまたまその絵本を持っていて、時緒に見せてくれたのがきっかけだ。その男の子は近所の公園で出会った子で、今となってはその男の子の顔も特徴も思い出せないが、その絵本の事だけは、どうしてか記憶に残っていた。近所の子だろうと漠然と思っていたが、その日以降、その男の子に会う事はなかった。それでも時緒は、時折思い出す絵本の事が、どうしても気になっていた。

出来るなら、もう一度あの絵本を読んでみたい。そう思って子供の頃から探しているのだが、真夜中の魔物という絵本は、どうしても見つける事が出来なかった。

様々な書店や図書館、ネットの中、その絵本を知っている人すら見つからない。
だから今夜、真夜中の魔物を知る彼に出会えたのは、時緒にとっては願ってもいない事だった。まさに長年探し求めていた夢の在処を掴めた、そんな気分で、身を乗り出したついでにその手を握りしめ、ハグでもしそうな勢いではあったが、時緒はそんな浮かれた自分に気づき、慌てて乗り出した身を引っ込めた。

嬉しくて流されそうになったが、問題が解決した訳ではない。