「いや、なんでリズのせいなんだよ」

突然出てきた弟の名前に、アズは一層不可解に眉を寄せる。弟の事が大好きな双子の兄は、弟がちょっとでも悪口を言われていると知れば、後先考えずに殴り込みに行くタイプだ。月那(つきな)はそれもよく分かっているので、「リズのせいっていうか、勘違いされたんだ」と言葉を返した。

「ほら、リズも可愛いから。まず男だとは思われないし、だから時緒(ときお)さんが僕とリズとの仲を勘違いしてもおかしくないなって」
「ハッ、自惚れてんなー。まあ、それだけ俺達が人間の女から見ても魅力的ってことは否定しないけどな!」
(あやかし)の世では、奇妙な目でしか見られないからね」

苦笑えば、アズはまったくだと言うように唇を尖らせた。

「本当、それな!妖の世に比べて人の世は自由でいい、何を着るかなんて俺の自由だろ?俺、可愛い服好きなんだよねー、このワンピも手作り。似合うだろ?」
「はいはい、君は何でも良く似合うよ」

おざなりな賛辞だが、それもいつもの事と、アズは気にした様子もなく、テーブルに置かれたカップを手にした。

「それに、俺が男の姿でいたら時緒とは仲良くなれなかったかもしれないしな。女の姿だから、俺とも“うちの猫”とも仲良くしてくれたのかもな。でも、まさかさ、ようやく再会出来たっていうのに、猫の姿で会うとは思わなかったよ俺は。なぁー、アトムー?」

にやりと笑って言うアズに、アトムと呼びかけられた月那は、なんとも言えない表情を浮かべこめかみを掻いた。



月那がアズの家に転がり込んだ後、時緒がアズの部屋を訪ねてきた事があった。その時、月那が咄嗟に猫の姿に化けて出迎えたものだから、アズはぎょっとしながらも、「最近、飼ったんだ」と苦し紛れに答えていた。時緒は「可愛い」と、それから「私もいつか猫を飼ってみたいんですよね」なんて言うものだから、月那は気が大きくなって、その体を時緒の足に擦り寄せ、ちらりとアズを見上げた。アズは、そのキラキラとした眼差しで訴える月那に苦い顔を浮かべ、「…たまにで良いからさ、預かってくれたら助かる。実は、そもそも預かり猫でさ」と、月那の望みを叶えてやったのだ。

それからは、月那はアトムの姿で、時緒の部屋を訪れるようになった。今日、月那が時緒の家に連れて行ってとアズに頼んだのも、時緒の様子を見て心配になったからだ。リズが店に来た時、時緒の姿も遠目に見えたのだが、彼女は逃げるように帰ってしまったから。



「…アズには、本当に感謝してるよ」

素直に感謝を伝えると、アズは満足そうに、ふふん、と仰け反った。

「しかし、相変わらず無用心な家だなー。ベランダの鍵、普通に開いてたぞ」
「だから、僕が毎晩、鍵を締めて寝てる」
「どこでどんな術を使ってるんだよ…」

力の無駄遣いだと言いたげなアズに、月那は表情をムッとさせた。

「彼女の安全を守る為だよ。鍵を締めるといっても、戸の外から術を使うだけだ。猫のアトムに化けていたって、勝手に部屋に忍び込むような真似はしてないよ」

玄関の鍵はさすがに忘れないが、時緒はベランダの鍵をかけ忘れる事が多い。二階とはいえ小さなアパートだ、登る気なら簡単にベランダに上がられてしまうだろう。その為、月那はアトムとして時緒の部屋にいなくても、時緒が眠りについた頃、アトムの姿となってベランダに忍び込み戸締まりの確認をしているという。鍵があいていれば、念力のような力で扉越しに鍵を掛けているというが、その前にそろりと戸を開けて、時緒の寝顔を見て帰っているのだろうと、アズは思っている。部屋に入らずとも遠目からでも様子は見える、安全の為なんて聞こえはいいが、やっている事は犯罪ではないかとアズの疑念は消えないが、月那の話に盛大に溜め息を吐いたのには、もう一つ、大きな理由がある。

「お前さぁ、人間なんかに入れ込んで、最後に悲しい思いをするのは自分だよ?」
「…そんな事ないよ、それに、もう嫌われたかもしれないしね」

月那はアズにそう苦笑いベッドに腰かけると、時緖の頭をそっと撫でた。その愛しそうに時緒を見つめる瞳に、アズは再び溜め息を吐いて、テーブルに肘をついた。