〇束樹町・道(夕)
   琥珀の外套の中で、ポカンとしている陽琉。
陽琉「い、今……」
   陽琉、きょろきょろと辺りを見回す。
   自分の手を見る陽琉、透けていない。
   ごくりと唾を飲み込む陽琉。
琥珀「陽琉?」
   首をかしげる琥珀。
   顔を上げる陽琉。
陽琉「なんか、いつもと違ってて……」
琥珀「違う、とは」
陽琉「私ここでは……何も触れない、相手から見えてない、はずなんだけど……」
   一瞬視線を外し、頷く琥珀。
琥珀「お前、先ほどぶつかられて……謝られていたな」
陽琉「や、やっぱりそうでしたよね!?」
琥珀「ああ」
   呆然と往来を見つめる陽琉。
陽琉「どうして……気の、せい?」
琥珀「いや。確かにお前を見ていた」
   琥珀を見る陽琉。
琥珀「俺と出会ったことで、何かが変わったのかもしれないな」
   どこを見ているのかつかめない琥珀。
陽琉「変わった……」
   陽琉、バッとポケットのコンパクトを見る。
   陽琉の全身から汗が噴き出す。
陽琉「ちょ、ちょっと、ちょっと帰ります!」
琥珀「ああ」
   陽琉、全力でトンネルに戻る。
   コンパクトを開く陽琉。
   革多町が見える。
   唾を飲み込む陽琉。
   陽琉、勢いよく革多町へと踏み出す。
   いつの間にか目を閉じていた陽琉、革多トンネルにいる。

〇革多トンネル(夕)
   後ろを振り向く陽琉。
   まだ大正の束樹町が見えている。
   ほっと息をつく陽琉。
陽琉「戻れなくなったわけじゃない……よかった」
   走って乱れた息を整える。
   コンパクトを閉じると、束樹町の風景は消える。
   再び振り向く陽琉。
陽琉「琥珀に、ちゃんと挨拶できなかったな……」
   陽琉、少しだけ顔を伏せる。

〇都並家・リビング(夜)
   ダイニングテ―ブルを囲んで照葉と食事をとっている陽琉。
   陽琉、焼き魚を見つめたまま動かなくなる。
照葉「陽琉?」
陽琉「……」
照葉「陽琉!」
陽琉「え、はい!」
   慌てて返事をする陽琉。
   心配そうに首をかしげる照葉。
照葉「どうしたの? 具合でも悪い?」
   何度も首を横に振る陽琉。
陽琉「ううん! 大丈夫! ちょっとぼーっとして……なんでもない!」
   笑顔で焼き魚をほおばる陽琉。
   怪訝な表情をしつつ微笑む照葉。
   照葉が食事を再開したのを見て、人知れずほっと息をつく陽琉。
陽琉(琥珀は、食事はどうしてるのかな……)
   陽琉、少しだけ目を伏せる。

〇同・陽琉の部屋(夜)
   ベッドに寝転んで天井を見ている陽琉。
   目を閉じ、今日の出来事を思い返す。
   帽子の男と再会したこと、自分を認識した男……琥珀と再会したこと、友達と   
   食事に行ったこと、認識されないはずの町で挨拶をされたこと。
   陽琉、閉じた瞼に力をこめる。
陽琉「色々ありすぎる……」
   パッと目を開ける陽琉。
   陽琉、勉強机の上のコンパクトを見る。
   デスクライトの光を受けて縁がきらきらと光っているコンパクト。

〇束樹山・川辺(夜)
   川べりで夜空を見上げている琥珀。
   ふっと表情を緩める。
琥珀「朝が待ち遠しいなんて、いつぶりだったかな……」
   くつくつと笑う琥珀。

〇束樹トンネル(朝)
   トンネルの前でレンガ壁にもたれて立っている琥珀。
   何もないはずの空間から歩いてくる陽琉。
   陽琉、琥珀を見とめて少し驚いた顔をした後、ほほを緩める。
陽琉「琥珀、おはようございます」
琥珀「おはよう陽琉」
陽琉「どうして、ここに」
琥珀「来るような気がしたんだ。やはり来た」
   微笑む琥珀。
   少し困ったような顔になる陽琉。
陽琉「でも、私が来なかったら琥珀……ずっと、待つことになる……」
   くすりと笑う琥珀。
琥珀「面白い娘だ」
陽琉「面白いかな……」
琥珀「前にも言った。俺にはお前が分かる。お前たち人間とは知覚の形が違う。お前が危惧しているようなことは起こらないさ」
陽琉「なら、いいんだけど……」
   ほっと視線を下げる陽琉。
   琥珀、柔らかい眼差しで陽琉を見つめる。
琥珀「陽琉は、あたたかいな」
   ポカンとする陽琉。
   それを見て満足そうに笑い声をあげる琥珀。

〇束樹町・道(朝)
   琥珀と並んで歩いている陽琉。
   陽琉、自分の手を見る。
   陽琉の手は透けている。
   道行く人々も陽琉を認識している様子はない。
   首をかしげる陽琉。
   ふっと口角を上げる琥珀。
琥珀「考えていることが手に取るように分かるな、お前は」
   気まずそうに照れ笑いを浮かべる陽琉。
陽琉「だって、どうしてかわからないんですもん……」
   琥珀、じっと陽琉を見る。
琥珀「時間はどうだ」
陽琉「時間?」
琥珀「お前が声をかけられたのは、夕刻だっただろう」
陽琉「そういえば……」
   思い返して上の方を見る陽琉。
琥珀「いるといい。夕刻まで」
   まっすぐに陽琉を見つめて柔らかく微笑む琥珀。
   琥珀の瞳は陽琉を見るときだけ熱を持っている。
   美しい琥珀の瞳に射止められ、思わず赤くなって身をかがめる陽琉。
   陽琉、目を泳がせる。
   気にすることなく、陽琉の顔を見ているままの琥珀。
陽琉「それは、別にいいんだけど……一日中いたこともあるし」
   ちらりと琥珀に目を向ける陽琉。
陽琉「こ、琥珀は? 私といても何も触れないし、気付かれない、けど……」
   キョトンとした後、優しく目を細める琥珀。
琥珀「何も触れなくても、気付かれなくても、お前はここにいるだろう」
   息を飲む陽琉。
琥珀「俺と話せばいい。俺と踊ればいい。俺と笑えばいい。それだけだ」
陽琉「琥珀……」
   なんだか泣きそうになり、きゅっと唇に力をこめる陽琉。
   琥珀、陽琉の手を取る。
琥珀「そら、どこに行きたい? 案内してやろう」
   琥珀の笑顔につられて陽琉も笑顔になる。
   つまずいたワンピース姿の女性が陽琉とぶつかる。
女性「失礼」
   微笑んで去っていく女性。
   はにかむ陽琉、ハッとする。
陽琉「あっあっ!」
琥珀「落ち着け、陽琉」
陽琉「今、今!」
琥珀「ああ、そうだな」
   陽琉、自分の手を見る。
   透けていない。
陽琉「どうして……」
琥珀「……陽琉」
陽琉「へ?」
   琥珀、陽琉から手を離す。
陽琉「あ」
   自分の手を見る陽琉、透けている。
   顔を上げる陽琉、琥珀と目が合う。
琥珀「そういうことだろうな」
   琥珀の腕をつかむ陽琉。
琥珀「おっと」
   陽琉、反対の手で建物に触れる。
陽琉「触れる! 触れます! 琥珀!」
   大はしゃぎの陽琉。
   吹き出す琥珀。
琥珀「よかったじゃないか」
陽琉「はい!」
琥珀「ふふ」
   ハッとする陽琉。
陽琉「琥珀、は?」
琥珀「……いや、俺はおそらく」
   琥珀の顔に影がかかる。
   陽琉、胸が締め付けられて唇をかむ。
   勢いよく着物の男性に声をかける陽琉。
陽琉「あ、あの!」
男性「はい」
   勢いに押されて目をぱちぱちさせている男性。
陽琉「この、この人……」
   陽琉、つかんだ腕を見せる。
男性「どの人?」
   息をのむ陽琉。
   静かに目を伏せる琥珀。
陽琉「わた、私たち……」
男性「? 御一人ですよね?」
   陽琉、きゅっと唇を噛みしめる。
男性「あの……何か?」
陽琉「すみません……なんでもない、です」
   不思議そうな顔で去っていく男性。
   ぎゅっと片手で胸元をつかむ陽琉。
琥珀「陽琉」
   顔を上げて琥珀を見る陽琉。
琥珀「すまないな」
   寂しそうに笑っている琥珀。
   涙をこらえる陽琉。
陽琉「すまなくない! 大丈夫ですから!」
   大声で琥珀に告げる陽琉。
   琥珀、少し面食らっていたが、すぐに笑顔になる。
琥珀「愉快だな、陽琉は」
   琥珀の雰囲気が和らいだのを見て、ほっとする陽琉。
   陽琉、何かに気づいて目を輝かせる。
陽琉「琥珀!」
琥珀「うん?」
陽琉「ミルクホール! 入れるんじゃないですか?」
琥珀「ミルクホールか……」
   少し考えるそぶりをする琥珀。
琥珀「入れるかもしれないな」
   ぱあっと明るい表情になる陽琉。
   ふっと笑う琥珀。
琥珀「入れなかったところで何も困らない。試すだけ損はしないな」
陽琉「それじゃ……!」
   琥珀、陽琉に手を差し出す。
琥珀「行こう、陽琉」
   陽琉、琥珀の手に自分の手を重ねる。
陽琉「はい!」
   満面の笑みの陽琉。
   琥珀、一瞬だけ遠くを見つめるが、陽琉は気付かない。