床に転がったのはクリスマスプレゼント。
 父の日に渡したかったプレゼント。
 おじさんに渡したかった誕生日プレゼント。
 渡せなかった1年間のイベントの、プレゼントの数々。

 おじさんは拾い集めた。手が止まる。
 ちょっとだけ古くて、ちょっとだけ端っこが破れてしまったおじさんだけの絵があった。ほくろの位置が同じだから、誰とも間違えようがない。絵を裏返す。日付から『父の日の絵』だって気づいたみたいだ。

「学校で描いたんだ」
「うん」とだけ小さく言った。
 とっても下手くそな絵なのに、僕をみて目を細めて「よく似てるよ」なんてすぐにわかる嘘をいった。

 バレてしまった恥ずかしさと、隠していたものをもう隠さなくて良くなった安心感に包まれた。
 家族って何だろう。

「ゆっくりでいい、いつか父親だと思ってくれるようになるまで、呼んでくれるまで待ってる」と、おじさんは一番最初に僕にいった。

 会ったことがない「僕に会いたがっていた天国にいる本当のお父さん」も、いま僕の目の前の「新しいお父さん」も、どちらが『お父さん』なのかっていわれると困る。わからないんだ。どっちにも、悲しんで欲しくない、どっちが一番って決めたくない。どちらも僕のお父さん、でいて欲しい。でも結局、僕はお母さんがいちばん大好きで、いつも幸せで笑っていて欲しい。お母さんも、いまの僕と同じ気持ちだろうか。

 僕を取り巻く世界は『家族』を決めたがる。

 まだ恥ずかしくて、お父さんとは呼べない。でも、もう少しおじさんとの距離が縮まったら、もう少し大きくなってきたら、きちんと言える気がする。おじさんは、それまでの間、ゆっくりと待ってくれるような、そんな気がした。

 ベコベコにへこんだ(いびつ)なプレゼントは、まるで僕の心の中みたいに思える。頑張って飾り立てたけどみっともなくて。それでも、おじさんは大切そうに拾い上げて受け取った。ありがとう、と小さくいって、大きな手が僕の頭の上にのり、いつも以上に優しく撫でられる。とても暖かくて気持ちがいい。まるでニャン吉になった気分だ。

 そうだ、ニャン吉を『家族』に入れ忘れた。 
 だから怒ったのかな、次の授業で画用紙に描き足そう。
 次の授業はいつだったか、楽しみになってきた。

 空の上のお父さんも、おじさんも、両方描いてしまおう。
 おじいちゃんも、おばあちゃんたちも、全員描いてしまおう。
 きっと画用紙が白からたくさんの色で埋まってしまうだろう。
 でも、僕の周りにいる人たちが、僕の思う『大好きな家族』なんだと思う。

 ニャン吉を見ると、いつも通りのすました顔で、にゃあんと鳴いた。