放課後。先ほどまで周囲からの針のようにチクチクとした痛みに耐え抜いた私は、元カレが私たちを呼んだ屋上に、海虎くんたちと向かった。日が傾き始め、北風も吹き始めたため少し肌寒い。ただ、雨が降りそうな気配はどこかに消えていた。
元カレはフェンスに背を預け、薄っぺらい笑いを浮かべながら、私たちを待っていた。
「私だけで大丈夫だから。皆は見守ってて」
「ああ、○○が言うならわかった。だだ、無理はするなよ」
海虎くんたちに離れたところで見守っていてほしいと伝えると、元カレの方に歩みを進める。その距離はおよそ五メートル。これ以上は前に進むことができなかった。ここには見えない大きくて分厚いコンクリートの壁があるようだった。進もうとしても跳ね返される。
「よう、久しぶりだな」
「そうですね」
これがほんの少し前まで尽くそうとしていた人だと思うと、なんだが絶望感すらも覚える。私はそんな元カレに対し、他人行儀で答える。声は震えていなかったけれど、深呼吸をして彼の言葉を待った。
「まあ、僕に逃げ場はもうないようだから。君の一番知りたい答えを教えてあげよう。——犯人は、俺だ」
元カレは今、吐き捨てるように、はっきりと犯人だと自白した。私は元カレの口の動きをしっかりと刻んだ。そうなら、もう、逃がさない。突き進む場所は一点に絞られた。
「とはいえ、君は他人も利用するなんて卑怯だね。あの女の子二人も、本当に俺と連絡先を交換したいだけだと思ったからさ。まんまと引っかかったよ」
もし、私が一人で前に出ると言わなければ、グループの誰かが「○○は卑怯なんかじゃない」と擁護してくれることだろう。でも、そういう気遣いを求めていないことを知っているからこそ、誰も、一言も言わなかった。私がそんな言葉で挫けるわけがない。
「どうして、あんなことしたんですか……」
「そんな複雑な話じゃない。君に別れを告げたとき、遊びだったといったよね? 俺の彼女も、俺と同じことをしてたんだよ。それを知ったのが、ここ最近。君は俺の言葉で落ち込んで居場所すらもない高校生活をしていると思ったけどさ、なぜかそこの人たちと一緒に、居場所を得ていると知ってなんだか異様にムカついてね。人間が誰かを攻撃する理由って、案外そんなもんだろ?」
私にやったことを、元カレは実際にされていた。居場所を見つけた私を許せなかった。あまりに理不尽だ。聞くまでもなかった。
頭に血が上る——なぜだかそういうようなことはなかった。だからと言って元カレを許そうとか、寄り添おうとかは一切思わない。
ただ、私の仲間を巻きこんだ代償は、それなりに払ってもらう。
「たしかに、そうですね。案外そんな理由なのかもしれませんね。ただ、この事件を起こして悪いことをしてた自覚はあったんですか?」
「誰が見ても俺が悪いことをしたとしか見てくれないと思うし、俺も否定はできないな。俺はきっと学校から処分が下るだろうし、それ相応の報いは受けることになる。ただ、俺は君に謝るつもりはない」
「……そうですか、わかりました」
彼は罪そのものを認めているだけで、反省してるようには到底思えなかった。どこまでも自分勝手な奴だ。
こんなやつに、時間を汚されたのか。有限の時間を。彼と付き合った頃の自分を殴りたい、吐き捨てたい。
「とはいえ、君には俺を懲らしめる権利を与えよう。約束するよ、君が今から俺を殴ろうが、蹴りとばそうが誰にも言わない。むしろ、君が何かしたところで、こんな事件を起こした俺のことなど誰も信じてはくれないだろう。せめてもの報いの時間を楽しめよ」
元カレの言葉を聞くと、私は腕に自然と力がこもった。私は元カレに二度も居場所を失わさせられたのだ。こんな絶好のチャンスはもう二度とない。
さっきまで壁があってこれ以上は進めないはずだったのに、今は自然と通り抜けることができた。距離が四メートル、三メートルと近づいていく。もうすぐ、楽しむ時間が訪れるのだ。
後ろから「ちょっと待って!」という声が聞こえた。そんな気がするけれど、私はそれを聞こえなかったふりをした。
数十センチ。ほとんど元カレとの距離がなくなると、私はさっき元カレがやったように歯を見せてやりと笑って見せた。こんなにも近くで顔を見るのは実に久しぶりだ。この顔を今だったら、一生元に戻れないぐらいぐしゃぐしゃにすることだってできる。
吹く風すらも味方に付けて、大きく腕を振り上げた。
拳を振るえば、心が晴れる。
元カレは、もう何が起きても怖くないと言わんばかりに目をつぶった。
私たちの大切な仲間を巻き込んだ代償は、思っている以上に大きいことを、今、知らしめてやる。
——バーン!
その音が響いたら、どんなに快感だっただろう。
決して全部とは言わないけれど、どれだけ報いを与えることができただろう。
私の拳は、彼の額の数センチ手前で、ぴたりと止まった。
何かが邪魔をしたのではない。最初から、彼を殴る気などさらさらなかった。
そんなことをしても、意味はない。そう悟ったのだ。
元カレは目を開けた。そして私は、元の体勢に戻った。
私は、殴るかわりに最後に元カレにとある言葉を贈った。
「……許すことは、ありません。でも、あなたも私と同じ人間。私に殴る権利はないし、殴ったところでどちらにとってもいいことは訪れない」
最初、言葉に詰まりそうになったけれど、ここまで冷静に対応することができたのは海虎くんをはじめ四人のおかげだ。
夕日が眩しい。きっとここで笑顔を見せれば元カレにとって私の顔は一生忘れられないものになるだろう。元カレに笑顔を見せた。付き合った時でさえ見せなかった満面の笑みだ。
「——君がちゃんと幸せに生きられる道に戻れるよう応援してます。付き合ってた時に作ってくれたアップルパイは、とてもおいしかったです」
その笑みを見せると、私はグループの所に颯爽と戻った。もっとも彼が何を感じたのかはわからない。それを知っているのはきっと屋上を照らしている黄金色の夕日、ただそれだけだ。もう、二度と、暗闇へは戻らない。



