なんとか重い足取りで学校までたどり着き、残っていた先生に事情を話すと、とりあえず応接室で待機していていいということになった。応接間は暖房が効いていて、先ほどまであった出来事をほんの少し笑いごとにさせてくれるようだった。グループの三人は無事に帰れたようで、私たちを心配するメッセージやスタンプを送ってくれたが、『無事だよ』と短く返信した。
「二人とも、災難だったね。保護者の方には他の先生が連絡とってる所だから安心して」
「すみません、ご迷惑おかけしてしまって」
「すみません、ありがとうございます」
担任の先生が私たちに温かいお茶を差し出す。温かいものを求めていた私たちは遠慮なく、体に含ませた。スマホの充電も、特別に許可されたのでコードに差している。体と一緒に電池残量が少しずつ回復していく。
「でも、おばあさんを助けたのは立派な行為だからそこは自信持ちな」
そうだ、私たちはいいことをしてこのような状況に陥ったのだ。気に病む必要はない。むしろ、非日常感があっていいじゃないか。学校に泊まるなんてことは普通はできない。
我慢していた足を見ると、やはり靴擦れを起こしていた。寒さでも、好意でもない赤を見たのは今日初めてだ。そんな私の靴擦れを見た秀雪くんは特に何かを言うこともなく、カバンにあった絆創膏を器用に張ってくれた。張り終わると「ほい」と自慢げに言う。今日に限ってなぜこの長靴で来てしまったのだろう。まだピリピリと痛むが、少しは緩和された。私も子供のようなかわいげを含めながら「ありがとう」と言う。
「▼▼さん、親と電話繋がったんですけど、話しますか?」
「あ、じゃあ、お願いします。秀雪くん失礼するね」
他の先生に呼ばれて、私は一旦親と電話をすることにした。親の第一声は『大丈夫? 無事?』だった。電話に出ているのだから、無事なのは間違いないのに、やはり高校生になってもまだまだ子ども扱いされてしまうのだなと思ってしまう。かといって、嫌な気持ちにはならない。
「うん、大丈夫だよ。他にも、いつも仲良くさせてもらってる秀雪くんも一緒にいるから」
『それなら少しは安心だね。ごめんね、迎えに行けなくて。秀雪くんにも、先生にも迷惑かけないようにね』
「ありがとう。声を聞けてて少し安心したよ。まだまだ私も子供だな、それだけで嬉しくなっちゃうなんて」
『子供のままでいいんだよ。甘えられるときは甘えなさい。何かあったらちゃんと連絡するのよ。じゃあね』
「うん、じゃあ」
私が受話器を置いたとき、一滴だけ涙がポタリと流れたような気がした。もし、秀雪くんが見ていたら恥ずかしくなってしまうのに、何かの感情も押し寄せぶつかった結果、一滴だけが生まれたのだと思う。ただ、それ以上は生まれなかった。
応接室に戻ると、秀雪くんはすでにお茶を飲みほしていた。そして、すれ違いになるように今度は秀雪くんの親に電話がかかってきたようだ。そして、秀雪くんが抜ける。私は残りのお茶を一気に飲み干した。
しばらくの間は、応接室で二人仲良く勉強をしていた。とはいっても、さっきから秀雪くんの髪を触る仕草だけでもどうも気になってしまう。正直、勉強どころではない。なんとかノート書き記した文字はおそらく日本語ではなかった。
教科書を閉じて暇そうにしていた私たちを見てか、先生たちは「少しぐらいなら校内を探検してきていいよ」と言ってくれた。なので、お言葉に甘えて私たちは応接室を出て、小さな冒険を始めた。
「一時はどうなるかとも思ったけれど、何とかやり過ごせそうだね」
「そうだな。とはいえ、今日の夕飯は防災食かな。デリバリーのピザとか欲しかったな」
「今の防災食って思っているよりおいしいらしいよ」
「少しは期待しておこうかな」
そんな話をしながら、まずは図書室に向かった。そこで、気になっていた小説の続きを読んだ。秀雪くんも何かにとりつかれるように本を読んでいた。
そして、屋根のある渡り廊下に行って、私たちだけの小さな雪だるまを作った。この先に飛び込めば、もっと大きな雪だるまだって作れるんだろうけど、そんなことしたらまたびちゃびちゃになってしまう。小さくたって雪だるまは雪だるまだし、私たちにはこれだけで十分なんだ。形はいびつだけれど、心配してくれている三人のために写真を撮って、グループチャットに送った。すると、皆からは、おしるこやおでん、こたつでくつろぐ猫の写真が送られてきた。
「ねえ、体育館行かない? バスケしたいな」
「▼▼、バスケできたっけ?」
「いや、体育の授業ぐらいでしかやったことがないな。でも、なんとなく? 秀雪くんはできるでしょ、バスケ部員なんだから」
「まあ、他にすることないしいっか」
私はなぜだかバスケがしたくなり、秀雪くんを誘った。開放感のある体育館は寒かったけれど、ドリブルをするとすぐに体は温まってきた。シュートを放ってみるが、私は嫌われているのか何回も跳ね返される。そんな私の横で秀雪くんは遠くから軽々とシュートを決めていく。秀雪くん自身が決めているというより、ゴールがまるで魂を持つかのように吸い込んでいくといった方が正しいかもしれない。
「んー、なんでそんなにうまくできるの?」
「そりゃ、バスケ部員だからなあ。初心者にしては▼▼もいいと思うけどな」
そういうと、前にいたはずの秀雪くんは私の背後に回る。そして、私の腕を触る。なんでこんなにも急接近——いや、コツを教えてくれているだけだ。「こうやって投げるんだよ」と教えているだけにすぎない。でも、いつもよりも早く秀雪くんの言葉が耳の中に入る。ちょっとした誤差なんかじゃない、明らかに違う。
「ほい、じゃあ、一人で投げてみて」
「……うん」
二人での特訓が終わると、私は秀雪くんの補助なしでシュートを決めることになった。数分間の中で秀雪くんに教えてもらった動きを真似しながら、ゴールに入るイメージを思い浮かべボールを離す。本当であれば、それは一瞬のことなはずなのに、私にはゆっくり半円を描くようにボールが動いているように思えた。
「えっ、入ったよ!」
「すごいじゃん!」
さっきまではこの距離からも入らなかったのにも関わらず、今回は一発でクリアした。そのことが嬉しくて気づけば秀雪くんとハイタッチで祝福しあう。
「ねえ、私がフリースローの場所から入ったら一つさ、質問に答えてくれない? 秀雪くんはそうだな……センターラインの所から入ったら私に何でも質問していいよ。必ず答えるから」
「面白そうだな。とはいえ、そんな簡単じゃないぞ。今さっき▼▼がシュート入れた場所よりも遠いし」
「うん、知ってる。でも、今の私なら何か入りそうなんだ。根拠も何もないけど」
ゲーム感覚なら普段は聞けないような質問をする権利だって得られる。私、少し天才かもと思いながらも、入らなければ何の意味もない。でも、謎の自信がどこからともなく湧いてきた。まずは、秀雪くんがセンターラインからのシュートに挑戦する。センターラインはちょうどコートの半分。距離にするとどうやら十四メートルもあるらしい。大型バスよりも長いじゃないか。そんなところから入るのかとは思うけれど、秀雪くんは手を挙げて「始める」といった。
私の最初の視線はどこに向けるべきか。秀雪くんか、ゴールか、それとも真上か。秀雪くんは力を込めてボールを放った。
私はコートの端っこにいるはずなのに、私の真上を通ったような錯覚がした。入るかというドキドキよりも、憧れの方が大きかった。もう、これはきっと入ってしまうんだろうなと、素人の私でも確信した。もし、太陽の光がさしていればこれほど美しい景色とは出会えないのだろう。でも、外は雪だけがまだ降りしきっている。
「よーし、決まったぞ。次、▼▼な」
「すごい。やっぱり得意なんだね」
「当たり前だ」
あっけなくも決まってしまった秀雪くんは、ゴール下に走り、ボールを手に取り、その反動で私にパスする。私がそのボールを受け取ると、フリースロースペースに行く。さっきよりも遠い。数分前まではあんなにも自信があったはずなのに、やはりここに来ると、こんな私が入ったら奇跡なのではと思った。とはいえ、中学生時代も今も大きな実績があるわけではないけれど一応は運動部だ。これぐらいミスしてたまるか。
「じゃあ、いく」
さっき教えてくれた時の秀雪くんを思い出す。今は遠くで結果を見守っているけれど、私のすぐそばには秀雪くんが補助してくれてるんだと思うと、勝手にゴールまでボールが導いてくれるようだった。私はしっかりと視線をゴールに向けると、ボールを投げた。ただ、怖くなってすぐにしゃがみ、目を閉じてしまった。その間にボールが地面に落下した音がした。
「……おー」
これは、どっち? 入ったの? 惜しかったの? 全然違う方向に飛んでいってしまったの? 体育館に秀雪くんの声だけが響く。ただ、その声だけで確定できたわけではないけれど、好きな人の声なのであれば、感情を読むこともそう難しくはない——入った?
「入った?」
「うん。すごいな。入った。正直、入ると思ってなかった」
「それは酷いよ! ははっ!」
ただボールが入っただけで、何も面白いことなんてないのに、なぜだかお腹を抱えて笑ってしまった。ははっ。笑いにつられたのか、秀雪くんも笑い始めた。なにもおかしくはない。むしろ、おかしいことがあるのであれば教えてほしい。でも、なぜか私は笑ってしまうのだ。
「秀雪くんに笑ってるところ、独り占めしちゃったな」
「別に、僕の笑いを独り占めしたところで何もいいことないぞ」
「そうかな、私はあると思うよ」
あるでしょ。そりゃ、好きな人が笑っているところを独り占めできたら、宝物箱にしまっておきたいと思うのが普通だよ。そう思いながら、笑う秀雪くんのことを思い出しながら、ボールを片付けた。
「じゃあ、なんでもいいよ、好きなこと聞いて」
シュートを入れたご褒美の、秀雪くんに聞きたいこと。これを聞いたらすべてが終わってしまう可能性があるかもしれないけれど、私はそれでもいい。どうせ、私たちが一年生でいるのも残り一か月半。きっと二年生では皆がパズルのピースのようにばらばらになり、違う友達ができて、私たち五人は過去の歴史というだけに過ぎなくなるんだから。
「秀雪くんって、好きな——」
「あ、いたいた。そろそろ戻ってきて」
私の声を遮ったのは担任の先生だった。たしかに、私たちが小さな冒険を始めてから幾分も時間が経過していたと思う。ゲームオーバーではないけれど、区切りは必要なのだ。流石にこのまま話を続行できるわけもなく、先生に着いて行く。ただ、秀雪くんに質問の全てを言ったわけではないので、「好きな」の後に続く言葉が食べ物や場所の可能性だって考えられる。私が「好きな人がいるか」のような質問をしようとしていたことなど一ミリも気いていないだろう。ほら、そうだ、横にいる秀雪くんはいつも通りだった。
「……あ、ごめんなさい、先生、電話が来たみたいで。出てもいいですか?」
「あ、わかった。じゃあ、先に行ってるから終わったら応接室に戻ってきなさい」
「はい、わかりました」
そんな中でスマホの着信音。最初は親からの電話だと思った。でも、私にかけてきたのはグループの女の子――霜柱みたいな子からの電話だった。私はとっさに空き教室に入る。なぜか、瞬間的に秀雪くんには聞かれてはいけない内容だと悟ったのだ。
『ごめん▼▼ちゃん、大変な時に。時間があったら少しいいかな? もし、あれだったら大したことない内容だし、全然大丈夫だから』
「うん、大丈夫だよ。今は周りに私以外誰もいないから」
『じゃあお言葉に甘えてこのまま続けさせてもらうね。秀雪くんとさ、学校で今日は待機することになったでしょ? 何かないのかなと思って』
電話の向こうの相手は、どうやら私たちに何かイベントが起きていないのかを探っているようだった。つまりはそういうことだと自分でも驚くぐらいすぐに理解した。ここで、悪戯っ子みたいに「変なことをしたよ」と言うことだってできる。でも、私みたいな人にはただ真実を伝えるだけしかできない。だから、雪だるまを作ったとか、バスケをしたとかそういう事実だけを並べていった。ただ、質問のことについては口が開かなかった。
『そうか。よかった。じゃあ、突然のさ、告白になっちゃうんだけど……私、実は、秀雪くんのことが好きなんだよね』
幻聴ではない。それだけは確実だった。ちゃんと言葉にして言われると、スマホを握る手に急に力が入らなくなった。私も何となく、気づいていたのだと思う。二人だけの中で発光する美しい球体に。ただ、見ないようにしていただけなのかもしれない。
「……へー、そうなんだ。よかったじゃん。応援してるよ」
焦りを抑える。ただ、ワザとっぽい発音の数々。それに、すぐには反応できなかった。髪の毛を手で丸めるようなしぐさをして何とか会話を続ける。相手がいるのがすぐ近くじゃなく、電話の外で本当によかったと思う。
『ありがとう』
「大丈夫。私たちは一緒にいるけど、一線を超えることは絶対にしないから。いっても学校だよ。無理でしょう」
最後の方は笑いを含ませながら言ってみた。仮にそういうことをしたくても、学校でそんなことをする勇気なんてどこにもない。
『ごめん、変なことで電話して。私もなんでしちゃったのかわからないんだ。でも、よかった』
「そうか」
『ただ、このグループの中でも他に糸は出てるんだと思うんだよね。もちろん、結ばれる人もいれば、結ばれない人も。この中にいる人もいるだろうし、もしかしたらまだ誰も好きじゃない人とか、このグループの外に思い人がいる人もいるかも。私には詳しいことは分からない。でも、そろそろ何か動いちゃうんじゃないかなって思えてきてさ』
「たしかにね。もしかしたら、誰かがライバルっていう存在になるかもしれないしね」
私もその気持ち、汲み取ることができる。事実だと思う。でも、私はそれを決して悪いことだとは思わない。
『私はたぶん、秀雪くんには好かれていないんじゃないかなって思うんだよ。あくまで友達以上の何者でもない。恋人未満にすらなれない。だから、この恋は、叶わないってどこかで決めつけちゃってる。だったら、告白なんていうものは捨てて、秀雪くんと純粋に過ごす日々を大切にした方がいいんじゃないかって』
「……もちろんそれは自由だけど、叶わないかはまだ決めつけるのは早いんじゃないかと思うよ」
『そうだよね。……大変だろうし、私も感情爆発しちゃいそうだからここまででいいよ、ありがとう。じゃあ、おやすみ』
「うん、おやすみ」
相手から電話を切った。皆、そうなのかもしれない。自分に自信を持つのは、難題だ。私だけじゃなかった。叶わないと思っている人は。だからといって、自分は叶うんじゃないかとかプラスにとらえることができたわけではない。人間って惨めでかわいそうな生き物だな——なんて思うので精一杯だった。



