五色に溶けた空の色



「お疲れさまでした」

 興味のない場所に時計の秒針が何度も動くまでいるというのは、彼女にとっては退屈だっただろうか。ただ、そんな彼女は「楽しかったですよ」と言った。それは演技ではないような気がした。彼女なりに楽しめたのだと思う。

 帰りのバスに乗る際、特典であるという非売品のストラップを貰った。僕の欲しかった超レア商品だ。彼女に渡されたものと合わせると、ハートも誕生するという小細工付きだ。

 バスの中で窓ガラスに寄せ付けて、ハートを完成させ写真を撮り、それを共有した。彼女の役作りは続いていたみたいだったが、僕の方は幾分気楽になった。

 短いけれど僕の望みがなかったイベントが終わり、駅に戻ってくる。数時間前の空とはうって変わり、すでに太陽が今日の仕事を終えようとしていた。

「最後に、桑本に挨拶してきてもいいか?」

「どうぞ。じゃあ私はここで待ってますね」

 いっても桑本のことは同志だと思っているので、最後にもう一言ぐらい話そうと、桑本たちのいる方に向かった。いつの間にか、相手は先に行って見えなくなることはあるかもしれない。でも、僕は必要なのであれば、大切なものを時間を掛けてでも誰かと育みながらこの世界にいるたった一人を掴むんだと決めた。桑本にとって大切な人が見つかったのであれば、僕は応援するだけだ。

「じゃあ、今日は本当にありがとうございました」

「では、またのご利用お待ちしております」

 生まれて初めて目が点になったかもしれない。桑本は彼女さんにお金を渡し、さらに彼女さんは「ご利用」といかにもビジネスを想起させるような言葉を使ったのだ。

「……おい、■■、見るなよ。まあ、あれだよ、その……レンタル彼女。ネットで知り合ったんだ、嘘じゃないだろ?」

 たしかにネットから申し込んだのであれば、出会いはネットというのはあながち嘘ではない。とはいえ、こういう結末を迎えられるとコメントに困る。僕は苦笑いすることしかできなかった。きっと僕も彼も居心地が悪いことだろう。僕はもう何も言う気が起きず、「またな」とだけ言って、凛音の元に戻ろうとした。ただ、桑本は一言だけ僕の耳元で呟いて走り去った。

「お前ら、楽しそうだったぞ。いい彼女見つけたな」

 第三者から見て今日の僕らはそういう風に見えたのだろうか。でも、先ほどのレンタル彼女の衝撃の方が大きすぎて、今日の僕らを回想している余裕はなくなってしまった。

 急に重しが乗せられたような背中で凛音の元に戻ると、彼女の表情はいつものように戻ったが、どこか深刻そうに眉間にしわを寄せ、厳しい目つきをしていた。やはり、負担をかけすぎたせいかもしれない。これは、長時間説教モードだろうか。

「ごめ——」

「ちょっとメッセージ見て」

 僕が謝ろうとしたのなど全く聞こえていなかったかのように、凛音は僕に向かってスマホを突き出す。さっきまでの清楚系はどこかに落としてきてしまったのだろうか、表情以外の部分も完全にいつもの凛音に戻ったが、口調はどこか暴力性を秘めているようでもあった。凛音のスマホに映っていたのは僕たちのグループチャットだった。どうやら花梨が部室に置いていた下着が盗まれていたそうだ。しかし、近くにはサイズピッタリの新品の下着が置かれていたという。下駄箱にあった謎の出来事も考えると、とうとう無視できない領域に入ってきたかもしれない。
 
「嫌がらせの線は少ないかもな。用意周到に新しい下着まで」

「だよね、ストーカーの線が高いかな」

 僕と凛音はグループチャットでオンライン通話を開始した。すると、学校にいるという花梨と一葉につながった。花梨はどうやら心に大きな穴が開いたようにショックを受けていて、一葉が傍にいながら感情を落ち着かせているようだった。

『トーク内容見てくれた?』

 一葉が話す近くで、鼻水をすするような音がする。きっと花梨だろう。

「うん、見たよ。可能性として挙げられる、なりすまし事件の犯人。その線を探ってみようか?」

『いや、今回のは流石に違うと思う。やり方がまるで違うし、私も疑ってその人と同じクラスの子に聞いてみたんだけど、どうやら今、他県にいるみたいなんだよね。この情報は間違いないっぽい』

「やはり、そうなると犯人は別か」
 
 凛音はなりすまし事件の犯人である北川くんを今回の容疑者として挙げたが、一葉の情報でどうやらその線はほとんどなくなった。

 ストーカーと言っても、部室に入っている以上、学校関係者の可能性が高い。とはいえ、花梨の後をつけているような気配はあっただろうか。目をつぶって考えてみるが、思い当たる節はない。

「まって、もしかしたら、この間の文化祭の時、花梨に対して彼氏いるかとか聞いてきた人がいた気がする。その人、同じ制服着てたし、もしかしたら……。ただ、何組の人かはわからない」

「それで、花梨は何と答えたんだ?」

「『彼氏はいないです』って言ってた気がする。そのあと、その男たちは何もしなかったけど、狙ってたんだと思う。怪しい行動をしてた気がするから」

 凛音は有益な情報を思い出したようで、僕らにそれを共有した。確かに、元々容姿の整っている花梨がメイド服姿を着ていれば、男の子を一瞬で落とすのもそう難しいことではないのかもしれない。さらに、彼氏がいないとなるとレンコンの穴のように隙間だらけだ。

『たしかに、そんなことも、あった……』

 花梨は遠くの向こうから頑張って声を出し、僕らに凛音の話が本当だということを伝えた。

「花梨に彼氏がいれば、その行為はなくなる可能性が高いかもな」

『その可能性は高いよね。手が出せないとなると諦めざる負えないし』

「でも、その彼氏役誰がやるの? 私たちの中から?」

『……じゃあ、提案してくれた■■くん、花梨のためにお願いできないかな。花梨もいい?』

『うん、このままじゃ怖いから、お願いします』

 確かにいだしっぺは僕ではあるが、偽彼氏役などやったことがない。とはいえ、今さっきまで偽彼女役をやり遂げた人が目の前にいるし、ここで僕が断わるわけにもいかない。僕の使命はグループの誰かが痛みを負った時はちゃんと相談し、その痛みは全員で分かち合い協力して解決すること。そうやって今日までやってきたのだから。

「うん、わかった。引き受ける」

『ありがとう、明日から解決するまでの間頼むよ。じゃあ、とりあえず切るね。また情報があったらチャットで』

 一葉はゆっくりと電話を切った。気づけばいつの間にか辺りは真っ暗になっていた。僕が役割を得た頃に、太陽は今日の役割を完全に終えていたのだ。隣にいる凛音の気持ちがどこか分かった気がする。たしかに、僕がその役割を担えるのか怖い。

 その日の夜、あの時間に会話できなかったオーロラのような彼とも連絡し状況を共有した。偽彼氏役を交換しようかとも言われたけれど、一度背負ったカバンを途中で誰かに渡すほど僕も惨めな奴ではない。気持ちだけ受け取って、断った。花梨も一葉のおかげでだいぶいつもの自分に戻ることができたらしく、帰りは花梨が近くのコンビニで買ってきてくれた下着で帰ったそうだ。