五色に溶けた空の色



 僕って意外と効率厨なのかもしれない。

 もしかしたら好きになるかもしれない人とのお出かけだというのに、美容院に行って髪を切ったり、新しい服を新調したりとかっこいい姿を見せようとかすることをせず当日を迎えてしまった。とはいえ、仮に花梨だったとしても同じ道をたどるのだろう。

 待ち合わせは駅前。ここは誘ったものの礼儀として先に待つ——そう思っていたが、すでに時計塔の下には白いワンピースを身にまとい、ハンドバッグを両手で持っている凛音の姿があった。いつもよりどこか大人のように感じてしまう。一瞬別人に見えてしまったのは、そのためだろうか。

「早くない? まだ集合十五分前だよ」

 何度かスマホで時間を確認してから凛音に声をかける。

「おはよう。そんなこといったら君もね。私は遅刻したくないだけだよ」

「そうか」

 凛音の言ったその理由があくまで照れ隠しだったのかはわからない。とはいえ、遅れて来られるよりは何倍もましだ。服装をほめようと思ったが、うまくタイミングを掴めずにいた。

「というか、そのカメラかっこいいじゃん」

「ありがとな。高校に入る前にお小遣いをはたいて買った特別品だからな」

 僕が首から下げていたカメラに凛音が反応する。流石お目が高い。十五万円ほどする一眼レフカメラは僕のカッコいい相棒だ。

 駅の自販機で僕と凛音の分の缶のホットコーヒーを買って手渡した。今日は「小春日和」という言葉が似あうような日ではあったが、それでも冷たい風は吹いていたのでちょうどいい相棒になるだろう。意外と気が利くじゃんみたいな顔をされたあとに、予定よりも一本早い電車でイベント参加者の集合場所である駅まで向かった。電車の中では特に何かを話すということもなく、凛音はただ遠くの景色を窓から眺めているようだった。

 駅にはすでに僕のより何倍も高性能であろうカメラを持った男の人と、いわゆる美少女たちが戯れていた。僕は身を隠すようにリュックサックに入れていた帽子を取り出して、深くかぶる。もちろんこの理由が全くないとは言えないが、美女を見たことにより興奮して鼻が伸びていることを悟られないためではない。

「あ、■■じゃないか」

 皮肉だ。唯一の懸念点は、知り合いの鉄道オタクにバレることであった。オタク会で顔を知っているものがいる中、彼女を連れてきていることもあり、正直声をかけてほしくなかった。

 この低く曇り空のように重い声の主が誰かを確認するために、帽子のつばをほんの少し上げる。たしか、桑本(くわもと)という僕と同い年の男の人だ。彼のお父さんが電車の運転手ということもあり、僕よりも知識の面では圧倒している。

「ああ、久しぶり」

 桑本の手には何やら柔らかそうなものが握られていた。その先を辿るようにすると、桑本というオタク顔には似合わないようなモデル体型の、雪のように白い肌を持っている美女がいた。同じ土壌にいたはずの彼が、いつの間にか月に手が伸びていたのか。どこか悔しい気持ちになるが、そういうことで争う場ではないと思い、その気持ちを押し殺した。

「こんにちは」

 桑本の彼女が僕に対して礼をしてきたので、僕も何となく礼で返す。特に理由はなかったが話すこともなかったので興味本位で「二人はどこで出会ったの?」と桑本に聞いてみた。

「あ、俺らはネットで出会ったんだ」

 桑本は即答した。もし、偽彼女なら多少戸惑うだろうから、やはり本物の彼女なのだろうか。一瞬でも疑ってしまった彼に申し訳ない。

「そういう■■はどこで出会ったんだ?」

 今度はその質問を僕らに返す。思わず自分から質問をしてしまったが、返されることまで想定せずに興味が先走ってしまったことを後悔する。

「……ん? 学校で同じクラスなんだ」

 僕も即答した。偽恋人なのは事実だが、凛音と出会った場所はまったくもって嘘をついていない。おそらく凛音は偽恋人になること自体は了承してくれたけれど、ここまで巻き込まれなきゃいけないとは思っていなかっただろうし、おそらく後で大きなお説教が待っているに違いない。とはいえ、ここで変な真似をすると僕の尊厳にかかわる。桑本は意外とおしゃべりなやつなのだ。僕の隠していた超激レアグッズを持っていることを鉄道オタクのチャットで暴露したという前科持ちだ。

「■■の彼女さん、■■とどうして付き合ったの?」

 桑本はさらに畳みかけるように、凛音に対し細かな情報を求めてきた。凛音は手を後ろにやって、目の前の二人にばれないように僕の背中を強くつまんできた。思わず「痛い痛い」と言ってしまいたくなるぐらいの強さだった。当然の報いだと思ったが、そのあと僕の想定をいい意味で上回った。

「■■くんは、こう見えて人の細かいところによく気づいてくれて、とっても頼りになるんです。それに、小さな気遣いがとてもできる人なんです。だからこの人だって思ったんです」

 彼女はあくまで清楚系のスタンスでいこうとしたのか、いつもと声色が違う。バッグを両手でしっかりと持ったまま、はきはきとした話し方で即興で考えたであろう僕と付き合った理由を語った。そして、最後にそっと微笑んで見せた。演じている彼女を見るとなんだか儚くもなるが、太陽に照らされる瞳そのものは間違いなく彼女のものだった。

「へー、よかったな。■■、素敵な彼女さんじゃないか。あんま長居すると邪魔だろうし、僕らはこれで失礼するよ」

 どうやら桑本も偽彼女説を疑っていたのだろう。しかし、僕の元から立ち去ったということはそういうことだ。単純すぎる奴で助かったとはいえ、桑本はその手がマフラーで巻かれているかのように彼女と手をつないでいる部分を見るとどこか気が落ち着かない。

「どうでしょうか? 私」

 ふわっと妖怪が現れたかのように冷感がする。そりゃそうですよね……と半ばあきらめていた。だって、見えない部分の悪魔は僕にとっては当然かのように見えているから。

「ありがとうございます、完璧です」

「まあ、今日は大目に見ますよ。その代わり、清楚キャラでいきますので、御不満はお受けできません。では、もうそろそろ受け付け開始ですし、■■くん、いきましょうか」

 人って着ぐるみをかぶると、その中身を知っている人はこんなにも体の震えを止めるのに必死にならないといけないのかと痛感した。流石に手まではつないでもらえないようで、凛音はバッグを両手で持ったまま僕を受付まで先導した。

「でも、なんで清楚系?」

「普段の姿ですと、不満を爆発させてしまいそうですので。でも、楽しみましょう。私もどことなく■■くんと出かけること、楽しみにしていましたので」

「そうか」

 唯一心配だったのは、受付の際に本当にカップルなのかを調べるために「キスをしてみて」など言われることだったが、それはもちろん杞憂だった。

 厄介な桑本とはバスの場所も離れた。なのであれば、正直、この後は凛音を友達として見ればいけるはずだ。とはいえ、一度決めたことを捻じ曲げるようなことはしないようで、バスの中でも凛音はキャラを崩さなかった。

「あ、ごめん、ティッシュ持ってない?」

「■■くん、忘れちゃったんですか? はい、これをどうぞ。旅には必須ですから今度から忘れないでくださいよ」

 そう言って彼女は僕にティッシュを渡す。将来演劇部員でも目指しているのだろうかと思ってしまう。そんな彼女の欠片を代弁する役割を持つのがチャットであった。


※※※

凛音:私にはこの役、重すぎるんですけど!(怒った熊のスタンプ)

■■:友達的な感じでの振舞いでいいのだが。桑本の件があるとはいえ、なんか怖いんですけど……

凛音:そんなこといわれても、その桑本さん? という人の前で清楚系を演じちゃったんだから、しょうがないでしょ! 予期せず桑本さんにばれても困るでしょ? 君のためだよ!

■■:まあ、そうだけど……

凛音:いつか■■くん、きっと痛い目にあうからね! というか、あっちゃえ!

■■:ああ、ですね……(ぺこりとしたイヌのスタンプ)

※※※

 とはいえ、演じなくてもいい唯一の方法があった。僕らはお互いにその作戦にしようと合意し、目を閉じた。これなら演じる必要もなくなる。我ながら甘辛い作戦を思いつくものだ。目を閉じれば、あとはバスが自動に僕らを目的地まで連れていってくれる。

 そのはずなのだが、昨日、睡眠時間を多くとりすぎてしまったせいか、全然眠れそうにない。体が寝ることに対し拒絶反応まで引き起こしてしまう次第だ。

 ただ、唯一の救いだったのが、凛音は僕のことなど忘れたかのように眠っていることだ。襲うつもりなどは一切ないが、どこか興味本位で凛音の顔を見てしまう。素人の目ながらいつもよりも化粧による彩りが添えられているのは確かだった。あくまでデートではないとはいえ、形ぐらいは整えたいと思ってくれていたのだろう。ただ、潤いのある滑らかな唇にどうしても視線がいくのは抑えられなかった。

 キスをしたいわけではない。ただ、僕の瞳がなぜだか、その唇をしっかりと見ていたいと感じているのだ。

 到着まであと少し。その時間をもし、僕と凛音が付き合ったらという妄想時間で埋めようかと思ったが、架空の妄想などしても僕には楽しむことはできない。その代わりに、凛音にそっと吹きかけるように「君と月を見たら、綺麗なのかな」と言葉をつぶやく。もちろん寝ている凛音からの返答はなかった。

 そして、ほんの少しだけならいいだろうと僕の心が勝手に許し、凛音の小指だけをそっと僕の親指と中指でつかんだ。クッションのように柔らかい。凛音は僕が触っても少しも起きる様子を見せることなく眠り続けていた。ただ、これ以上は触ることを僕の心は許さなかった。

「では、みなさん、そろそろ到着します。年に数回しか一般公開されない特別な場所ですので、十分にご堪能の上、お楽しみください。線路も現在は使われておりませんので、ご興味があればぜひ歩いてみてください」

「うーん、よく寝れたみたいです。■■くんはどうでしたか?」

 アナウンスが入ると、さっきまで深い眠りに就いていたであろう凛音が目を覚まし、手を上に伸ばす。いつもなら大きく伸ばしそうだが、今日はどこか控えめだ。

「僕も……うん、寝れたよ」

 嘘ではあるが、もし、寝ていないといえば何かしたのではないかと疑われ、更なる関係悪化に繋がりかねない。そう思い、僕はこの選択をした。

「それはよかったです。失礼かもしれませんが、■■くんと約束げんまんをしてる夢を見ました」

 約束げんまんをする指が小指だと理解すると、僕の顔が少しだけこわばった。とはいえ、あくまで偶然だろう。気持ちを切り替え、年に数回しか一般者が入ることのできない秘境駅に降り立つ。バスから降りるときも凛音は、いつも以上に足元を気にしていた。

 十数年ほど前までは通っていた鉄道も、利用者の減少により地域住民に惜しまれながらも廃線となり、一部の駅舎が残っているものの、ほとんどが茫々と生える草むらの中に取り残されている。

 僕の目の前にポツリと存在しているこの木目がはっきりとした木造の小さな駅舎は、事前情報によると当時のまま形を変えることなく残っており、シロアリなどの虫に削られたと思われる部分がなんともたまらない。他にも錆びれたネジやら鉄パイプを見ると逆らえない自然の風化を教えてくれているようだった。

 とはいえ、年に数回は一般公開もされていることもあって、駅舎周辺の高い草もある程度は整えられて、それは絵の一部になりえていた。

 無我夢中でシャッターを押す。パシャっという清々しい音が何度も鳴る。今周りからは、小さい頃にクワガタを探しに行く我を忘れた少年のように見えるであろう。

「私、こういうところは初めて来たので、ぜひ魅力を教えてください」

 そういわれて、自分だけはしゃいでいることに気づく。あくまでこれはカップルでのイベント。この駅舎のように何かを取り残してはいけない。駅舎を一周回ったり、写真を撮ったり、細かい知識を披露しながら魅力を伝えていく。彼女が理解したのかは定かではないが、弟を見守る姉のように僕の話を一文字一文字拾い上げてくれたようであった。きっと僕が何か大切なものを落としたとしても、この人ならきっと見つけて拾ってくれると考えるのは少し飛躍しすぎだろうか。

「じゃあ、あれやらないか? 線路を歩くやつ」

「昔、そんな映画を観た気もします。やりましょうか」

 他の人もやっているように、線路の上を歩き始める。多少景色映りは悪いが、人がいない反対側の線路を散歩することにした。どこか小さな世界に取り残されているのではないかという不思議な空気が僕らにまとわりつく。

「私も真似しましょう」

 僕が横に手を大きく広げると、彼女も僕と同じように真似をする。いつもは立ち入れない場所に僕ら二つの影が、太陽によって作り出される。僕はそのうちの一つの影とその姿を写真に収めた。この場所で撮った写真の中で一番幻想的に思えるものだと心の中で自画自賛した。この大地に足跡を残し、この景色と同化したいといえば大げさになるかもしれないけれど、それほど僕の今の心は満ちていた。