五色に溶けた空の色




「文化祭、来れてよかったな。いよいよ当日だよ」

「ああ、本当だよ」

 『文化祭』と大きな文字でかかれた看板の下に立ち、僕と風のような彼は小さな会話を交わす。正直、文化祭までの準備期間はあまり思い出したくはない。今吹いている南風にその出来事を乗せてしまいたいぐらいだ。

「最初は午前登校だけだったりはしたけど、無事に元に戻れたよ。準備はたくさん手伝ってもらったけどな」

 彼の言った通り、最初は少しずつ登校し、時には保健室で授業を受けたりと、だんだんと慣らしていくことに努めた。そしたら体は自然と適応していったようで、多分僕らの見方であっていたのだと思う。

 プレッシャーを感じないように、バスケの練習も彼への声かけを増やしたり、チームはあくまで一人の戦いじゃないと自覚させた。グループ内でも、いつでもくだらない話をしてここが彼の居場所だということを自覚させたり、宿題すらも一緒に手伝ってあげた。一時は過保護状態にされてしまったが、それも彼のためだ。

 文化祭の準備については考えないでおこう。正直、締め切り直前の作家のようで、もう一生経験したくはない。

「まあ、僕が言ったことだから致し方ないけど、何度徹夜したことか。おかげでお気に入りのアニメ、リアタイできなかったじゃん」

「おお、そうか。ただ謝ってはやらない」

「そうだな」
 
 教室に入ると、すでにメイド服に着替えた姿のクラスメートで教室内は埋め尽くされていた。カメラのシャッター音を鳴り響かせる女の子や、鼻の下を伸ばしている変な男の子もいたが、どうやら僕の鼻は伸びそうにはない。とはいえ、三人のところへナンパしに行った。もちろん嘘だ、あくまでいつものような朝の挨拶だ。

「三人とも最初がシフト?」

 目を奪われることがないよう、あくまでもいつも通りに振舞う。いつもの呼吸速度と今のところは変わりはない。とはいえ、いつもとは違う姿を見ると、どこがこの世界の本当の場所かわからなくもなる。

「うん、私たち最初は全員シフトがあるよ。そのあとはバラバラだけど」

 僕の声を聞いて、振り向いてくれた花梨の黒色のスカートがひらひらと揺れる。カチューシャがいいアクセントになり、一瞬だけでもかわいいと思ってしまった自分がどこか恥ずかしい。

「二時からの一時間は、五人で回るんだよね」

「そうだったな」

 シフト表を確認すると、五人で約束した時間や、男子校時代の友達と回る時間など以外にも開いていた時間がいくつかあった。その一つに一葉だけが開いている時間と被った。あくまでこの非日常の雰囲気に乗せられるようにして「ねえ、一緒に行かないか」誘ってみたが、一葉は特に迷うことなく「せっかくだし一緒に行こう」とどこか嬉しそうに了承してくれた。僕も頑張りが認められた時のように嬉しいのはなぜだろうか。

 初めての文化祭が幕を開けると、お客さんが一斉に流れこんでくる。夏祭りに行った時のような活気を再び別の場所で感じられた。あの時の思い出を胸にシフト時間になり僕も働くと、なぜだか凛音にはかなりコキを使わせられた。想像以上に盛況なようで、準備していた分がなくなりそうと、急遽買い出し係が追加分を買いに行くという嬉しい悲鳴がクラスのチャットで盛り上がりをみせていた。

 二日目は初日をさらに超えたペースでお客さんが来店してくださっているようで、笑顔を絶やさないようにしながらも、恥ずかしさということを忘れ、メイド服姿で接客をこなしていった。ここまで来るとメイド服姿が嫌でも染みついてしまう。

 二日目の空き時間、特別回るような人もいなかったので、人の流れに沿って校内を一周するようにしながら小さな探検をする。どうやらあのクラスのお化け屋敷は小さな子が泣くぐらい絶叫するとか、あのクラスのポテトは有名なチェーン店と引けを取らないぐらい美味しいとか、そんな小話を耳にしながら、僕のクラスへと戻ってくる。

 僕のクラスの前には、僕らと同じぐらいの年の人だろうか——一人の女の子が教室の中を覗き込むようにしながら、どこか機会をうかがっているように立っていた。制服姿や仮装姿ではなかったので、少なくとも外部からのお客さんであろう。

 直に目的の人が気づいてくれるだろうと思い、そのまま通りすぎようとした。

 ただ、その人を横切ったとき、何かを忘れかけたかのような不思議な錯覚に陥った。まるで、その人から何かを拾うかのように、気づけば声をかけていた。

「誰かお探しですか?」

「あの、このクラスに、××くんという方はいたりしませ——」

 その人は最後まで言うことなく、僕の顔を見て、落としものを自ら拾い上げたかのようにニコッと笑った。

「あの、今、少しだけお時間いいですか?」

「あ、はい」

「じゃあ、ちょっとだけ付いてきてください」

「はい」

 反射的に僕はそう答えてしまう。なぜだろうか、体が勝手にそう言うように命令してきたのだ。とはいえ、僕はこの人のことを知らないし、おそらく勘違いかナンパ目的だろう。新手の詐欺に引っかかりやすいことを自覚しながらも、僕はそう言ってしまった以上、致し方なく付いて行く。

 その間にも、ナンパされたときの断り方を考えていた。「彼女がいます」と嘘をつこうか、それとも「あなたに興味はない」と無理やり断るか。もしかしたら、違う何か——。とはいえ、彼女の顔をよく見てみると、整った顔立ちをしているのは確かであり、過去の僕だったら間違えなく惹かれていただろう。周囲もそのことをほのめかすかのように、一瞬だけ通った彼女に吸い込まれるようにして視線を向けていた。

 彼女が連れてきたのは、誰もいない体育館倉庫の近くだった。

 僕をコンクリート部分に座らせると、彼女は無言で僕の周りをうろうろと歩き始める。かと思えば、いつの間にか座っている。そして僕の顔を覗き込む。何をされるのかとびくびくしていたが、僕の警戒していたことは一ミリも起きそうになかった。

「——私のこと覚えてますか?」

 自動音声のように聞こえてしまったなんていうのは流石に失礼だが、実際そんな風に聞こえた。ただ、彼女がそういうからには、僕はこの人とどこかで会ったことがあるということだろうか。

「君らしき人のSNSを偶然見つけてね。そのSNSに載っている情報を、見れば見るほど君だと思ったんだ。会える可能性が少しでもあるなら、もう一度だけ会いたくなってね」

 彼女の顔をもう一度よく見て、過去の僕の思い出と照らし合わせる。

 過去、僕は一度だけ女の子と付き合ったことがあった。小学生の時までの彼女しか知らない僕の記憶から、だんだんとパーツがそろい、たしかに一致した。

「——まさか、紅葉(もみじ)?」
 
 僕は数年ぶりに彼女の名前をこの世界に吹き込んだ。柔らかく、温かみのある名前。思わずからり大きな声を出してしまった。

「……正解です。元カノのことを忘れるなんて、女性からするとマイナスポイントを付けたくなっちゃうね」

「最後に会ったの数年前だぞ、流石に色々変わってるだろ。とはいえ、まさか会いに来てくれるとは」

 僕の悲しさを埋めてくれたその笑顔は、確かに彼女が紅葉だと証明づけるには十分だった。完全に忘れてしまう前に、もう一度会えるとは思っていなかったけれど、ちゃんとこれで僕は成長できるのかもしれない。

「あくまで私は復縁を求めに来たんじゃないから、それだけは先に言っておくね。それはもちろん君もしたいと思っていないはず。だから、お互いがちゃんと道を作ってもいいんだって確認するために来たんだよ」
 
 やはり僕の元カノということだけあって、ちゃんと僕が何を望んでいるのかを理解してくれている。それにお互いそういう気持ちがあるのであれば、僕も迷っていた大部分からはやっと解放されそうだ。

「今、君は付き合ってる人とか、好きな人はいるの?」

「……ん、どうなんだろう。でも、心では誰かのことを求めている気がするんだよな」

 彼女はド直球に聞いてきた。そういえば、そんな人だった。でも、それがなんだかんだ言って嬉しかったことを覚えている。

「そうなんだ、それなら安心だよ。私のことずっと引きずられても困るしね。ねえ、少しだけ案内してよ。デート」

 彼女は立ち上がると、僕に向かって手を伸ばしてきた。立つために私の手を握りなさいという指示だとわかり、その通りに手を握った。だが、ちょうど差し込んだ太陽の光が僕の目を攻撃し、その光によって彼女がどこか大きく見えた。

「ああ、もちろん。最初で最後だ」

 そういうと、彼女と高校生になってから最初で最後のデートをすることになった。

 校内に戻ると、彼女が気になったブースをいくつか回っていく。ポテトを買って分け合いっこしたり、カジノをモチーフにしたゲームをした。周囲からの視線を浴びているのはもう自然と痛くなくなった。おそらくそれは、僕と紅葉だけのバリケードができていたからだろう。

「あ、あそことかどう? お化け屋敷とか入らない?」

「あそこ、怖いって有名だぞ、紅葉大丈夫か?」

「へー、じゃあ、なおさら入る価値あるじゃん」

 この手の感触から、昔のことをどうしても思い出してしまう。彼女は「今日ぐらいいいじゃないか」と言わんばかりに、手をつないだままお化け屋敷に入った。僕に今ある感情は、この手を離すべきだというものと、今だけはこのままでいたい、その二つだろうか。

「わー」

 急にぞっとした雰囲気の中、出てきたお化けに驚いたのは彼女ではなく、僕だった。彼女はむしろこの状況を喜んでいるようで、笑い声をあげた。昔からそういう強い奴だった彼女が見たかったのは、こういった僕の表情なのかもしれない。多少の恐怖を感じながら、順路通りに進んでいく。

「ねえ、なんで私と付き合おうと思ったの?」

 ふと、彼女がどこか寂しそうにそう聞く。

「なんでだろうな。その時の僕は導いてくれるとでも思ったんじゃないか」

「そうか。嘘をつきたくはないから断定はしないけど、私もきっと同じ理由だと思うよ」

 いつの間にか半分を過ぎたようだ。お化けたちは全く驚かない彼女を見て、どこか不満そうではあったけれど、その代わりに僕がその倍驚いていた。

「もし、今でも付き合ってたとしたら、私たちはどんなだったんだろうね」

 胸の中に針がチクリと刺さったかのような質問。はっきりとその景色を浮かべることはできない。誰かによって吹き消されてしまうから。だから、少し奇妙な間が開いてしまった。 

「……そうだな、幸せだっただろうな。でも、同時に苦しくもあったと思う。だから、きっとこれで正解だったんだよ」
 
 もし、ちゃんと断ち切るなら幸せだったという言葉を使うのは間違いだ。ただ、自分の気持ちに嘘をつくことはできない。もし、あのまま続いていたとしても僕らはきっといつか別れていたと思う。お互いがお互いを苦しめる恋を望むのは、僕らにとっては残酷なことだと思うから。とはいえ、僕が彼女のことを好きになるのは人生にとって大切な光だった。

 こんなことを言ったら彼女はひどく傷つくかもしれないけれど、僕らは大切なことを知ってから別れる。そのために付き合ったんだと今では思う。

 ようやくお化け屋敷の出口が見え、教室の外へ出ると、全てが噴き出せたような爽快な気持ちになった。

「無事帰還!」

「もう、大げさなー」

 結局、彼女にかっこいいところなんて一つも見せられなかった。男女でお化け屋敷に入る、それはすなわち男の活躍の場でもある。こういうおいしいところを最後に決めるのが筋っていうものだけれど、それが外れるという結果もそれはそれで面白い。

「××、汗かいてない?」

「怖かったからな」

 僕はその汗をハンカチでふき取ろうとした。ただ、手汗も出ていたためか、滑ってハンカチを地面にポロリと落としてしまう。よりによってそのウサギの刺繍入りのハンカチを紅葉に見られてしまった。ただ、紅葉はにっこりと子供のように笑顔になり、そのハンカチを拾ってくれた。よりによって、今日、これを持ってきてしまうなんて。

「使ってくれてるんだ、うれしいな」

「そんな、大げさな」

「……あんまり長く一緒にいてもらうのも悪いし、ここぐらいまでにしておこうか。ありがとね」

「こちらこそ、これで大丈夫だって言えそうだよ」

 彼女は僕がそう言ってから、一歩前へ出た。

「最後に一つ。君は神様から誰かを幸せにできる力を与えられているんだから、それを無駄にすることなく使いなさい。今ではただ見守りたい存在にすぎないけれど——」

 彼女はそういいながら手提げバッグをまわす。そして、そのまま彼女自身も一回転する。その反動で、スカートがほんの少しひらひらと揺れる。

 ——窓から漏れ出ている光よりも彼女の方がきれいに見えるのは錯覚だろうか、それとも事実だろうか。

 ……おそらく、錯覚だろう。
 
「——大好きだったよ」

 彼女は最後にその言葉を贈ってくれた。そうして、僕の傍から颯爽と立ち去った。

 今後もう会うことはない、だけど君の顔をこの瞳の中でずっと覚えている、そんなことを彼女は心の中で言っていたような気がした。

 僕たちはお互いに涙を流すことなく、最後にさようならとお別れしたのだ。僕も誰にも聞こえない声で「大好きだった」と過去形を用いて君に届けた。

 僕からのお別れの言葉は、言わせてくれないんだな。なんて思うのは自分勝手だろうか。それとも、違うだろうか。