「ほら! ここがとりあえず、お前の家だ」
「……」
「ま……ゆっくりしていいぜ。ほら」

俺は段ボールをゆっくりと床に置いた。じー……っと様子を見るように、段ボールからぴょこっと顔を覗かしている。

「……何だよ。出ていいんだぞ? ほら。遠慮すんなよ」
「……」

あれだけミャーミャー鳴いていた黒猫が、うんともすんとも……言わなくなった。

『猫ちゃんは、新しい場所が苦手です』
『しばらく様子を見てあげて下さいね』
『急かしたりしない方が良いかな』

動物病院の受付の人の顔が浮かんだ。

(……そっか。ちょっと放っておいた方が良いのか)

俺も黒猫の動きに合わせて、ピタリと動くのを止めた。後ろから「何をするんだ?」と思いながら……じーっと黒猫の後頭部に視線を送る。

1分ほど経つと、のそっと黒猫が動き出す。段ボールに両手をかけて……箱を乗り越えて部屋に降り立った。包帯が巻かれた部分は痛々しいけれど、それでもゆっくりと部屋の真ん中に向かって……歩いていく。

(おぉ……! やっと動き出したか!)

まるで親にでもなったかのように、俺は嬉しかった。部屋の中をキョロキョロしながら、よたよたっと歩いている黒猫を見ていると、それだけで「成功だ!」と感じていた。

「おい。適当に色々と見ていいからな?」

(……よし。一服すっか)

台所のドアをガラララ……と開けて、いつも通りの帰宅後の一服。俺は胸のポケットから煙草を取り出し、火を付け……

『猫ちゃんは煙草ダメですからね? もちろんワンちゃんも』
『できるだけ控えて下さいね?』

またしても受付の女性の顔が頭に浮かんだ。

(……あっ……)

火を付けて、一瞬だけ吸い込んだ煙草……火の付いた部分を、俺はじっと見つめて……「くそが!」と思いながら、水で無理矢理消した。

(……くそっ)
(まぁ……いい。辞めるわけじゃねぇ。……減らすだけだ)

今まで1日2箱吸っていた煙草。これが減るんだったら……健康にも良いし、金だって……節約できるじゃないか。そう思うことにした。

「にゃぁー」

部屋から黒猫の声が聞こえてきた。俺は慌ててガラッ!と台所のドアを開けて部屋へと飛び出していた。

「……どうした?」
「にゃあ!」
「ん?」
「……にゃあー!」

俺の顔を見て、再び鳴きだす。どうやら、この家にいることが……落ち着いてきたみたいだった。

『最初はたぶん、色々とお部屋のチェックをすると思います』
『自分にとって、安全な場所かどうか? みたいな感じです』
『じきに慣れてくるとは思いますけどね』

女性の言ってた通りだ。もうこれで……「安全な場所」って認識してくれたってことだな。俺はガラにもなくほっとしていた。

「……よし! 慣れたみてぇだな!」
「にゃー!」

よたよたと俺の元に近づいてきて、頭をコツン!とぶつけてきた。

なぜだ……? 
なんでなのか……良く分からない。
でも、溢れて止まらねぇんだよ……涙が……

ぐずっ……
ぐずっ……

俺が鼻をすすっていても……お構いなしに、黒猫は俺に頭をすりすりとすり寄せてきやがる……

「……んだよ。ご挨拶ってか……?」
「……」
「まぁ……よろしくな。狭い家だけどよ」

頭を撫でてやると……これまた嬉しそうにグロロロロ……って喉を鳴らしやがる……こうして俺と黒猫の生活がスタートした。