「千鶴ちゃん、今日もお疲れさま!」
 いつもどおり十八時に仕事が終わり、片倉さんもスタッフルームに入ってきた。
「あ、お疲れ様です」
「結婚式の準備はどう? ドレス決まった?」
「はい、ドレスは無事に決まりました。試着の時の写真見ます?」
「ううん、本番の楽しみに取っておくわ。私、絶対に泣いちゃうと思う」
「はは、院長にも同じことを言われましたよ」
 あれから弘也と話し合い、結婚式は身内だけではなく、職場の人たちにも来てもらうことにした。私のためにクリニックはその日だけ臨時休業してくれるらしく、みんな結婚式を楽しみにしてくれている。
「もしかして今日も旦那さんとディナー?」
 念入りにメイクを直している私を見て、片倉さんがにやにやしていた。
「いえ、今日は別の人と食事なんです」
「そんなに綺麗にしちゃって、旦那さん焼きもち焼くんじゃないのー?」
「彼も知っているので大丈夫ですよ」
 私は何度も鏡で身だしなみを確認してクリニックを出た。
 ――これから、十年ぶりにお父さんと会う。
 自分から電話をかけ直すことができたのは、間違いなく、あの日に出会った不思議な猫たちのおかげだ。
 父と待ち合わせをしている場所へと向かっていると、弘也からメッセージが届いた。今日ふたりで会うことを強く後押ししてくれた弘也だけど、どうやら私以上に緊張しているみたい。
 父と約束している思い出の洋食屋が見えてきた。あの頃座っていたいつもの窓際に、少し小さくなった背中を見つける。それだけで、一気に想いが込み上げた。メイクが崩れないように上を向くと、あの日と同じ柔らかな月が浮かんでいた。
 雨の日にしか開かない雨宿り喫茶。今日もどこかで雨の匂いがするお客さんを導いているのだろうか?
 私は、洋食屋のドアノブにそっと手をかける。
 お父さんはきっと何度も何度も謝るだろうけど、私が伝えたいことは決まっている。
 謝罪はいいから、お母さんの味のナポリタンを一緒に食べよう。
 私も会いたかった。
 ずっとずっと、会いたかった。
 それから、ひとつだけお願いがあるんだけど――。
 バージンロードを一緒に歩いてくれる?

「お父さん」
 震える声で呼びかけると、そこには私の知っている優しい顔が待っていた。