「ここの料理、本当に美味しいね」
彼が予約してくれたフレンチレストラン。私は魚料理、彼はお肉を選び、お互いに好みのワインを味わっていた。
「その指輪、すごく似合ってる」
「ふふ、ありがとう」
彼――弘也にプロポーズされた時に受け取った婚約指輪。細身のリングには、一粒のダイヤがデザインされている。籍は元旦に入れることになっていて、片倉さんを含む職場の人にはそれから報告するつもりだ。
「結婚式は籍を入れて落ち着いたらって思ってるんだけど、千鶴的にはどう?」
「うん、私もそれがいい。お色直しは何回かできたら嬉しいけど、大規模よりは親しい人だけを集めたレストランウェディングがいいかなって」
「そうだね。僕も結婚式は身内だけでもいいって思ってるよ」
身内だけという言葉に、思わず動揺した。弘也には、父が借金を背負っていなくなったことは、打ち明けてある。だけど、十年ぶりに連絡が来たことはまだ話せていない。弘也とはこれから家族になるし、隠し事はしたくない。私はワインの力を借りて、父と電話したことを伝えた。
「話したって言っても10分くらいだった。会って謝罪したいって言われたけど、なんて答えたらいいのかわからなくて電話を切っちゃった」
「結婚のことは伝えたの?」
「まさか、言うわけないよ。関係ないもの」
「でも、やっぱり千鶴のお父さんだし、できれば僕もしっかり挨拶したいよ」
「ありがとう。でも、挨拶は大丈夫。来週おばあちゃんのところに一緒に行ってくれるだけで私は十分だから」
「お父さんのこと、結婚式には呼ぶ?」
「もう、呼ぶわけないでしょ?」
冗談はやめてよと、食事とワインがぐいぐい進む。
正直、父が今どんな姿をしているのか想像もできない。十年であれだけの借金を返したということは、きっと慎ましく暮らしていたのだろう。痩せていたら、弱っていたら、私が知らない父だったら。十五歳の時で止まっている父の面影が変わってしまっていたらと思うと、怖くてたまらない気持ちになる。
「僕は呼んでほしいと思ってるよ。千鶴の家族は、僕の家族だ。色々と思うことはあるかもしれないけど、一回だけ会ってみたらどう?」
「今さら父と会ったって、話すことはなにもないよ」
「今さらじゃなくて、今だから話せることがあるはずだよ。もし不安なら、僕も一緒に付いていくから」
弘也の実家は、絵に描いたような家族だ。弘也と同じく公務員のお父さんに、料理上手なお母さん。看護師として働くお姉さんに、教師になることを目指している大学生の弟。それから、ポメラニアンが二匹いる。
みんなとても素敵な人たちで、私のことも快く歓迎してくれた。この家族の一員になれる嬉しさもあったが、同時にコンプレックスも芽生えた。
弘也は身内だけの式を望んでいるけれど、私の身内は祖母だけだ。親戚の縁も薄く、一人っ子だから姉弟もいない。弘也は家族の絆はなによりも強いものだと信じているが、私は違う。家族であっても、家族じゃなくなる場合もあるのだ。
「……弘也には、私の気持ちなんてわからないよ」
お酒のせいもあってか、ついそんな言葉が口から出ていた。
「わからないって、どういうこと?」
「弘也は家族に恵まれてるから、元に戻れるって思うんだよ。私と父は、もう元には戻れない。だから会っても仕方ないの」
「本当にそれでいいの?」
「うん」
「後悔しない?」
「それともお父さんがいない私じゃ嫌?」
「どうしてそんな話になるの?」
「……だって何度も聞いてくるってことは、弘也は私とお父さんを引き合わせたいんでしょ? 考えてみれば、両親がいない人との結婚なんて気が引けるもんね。結婚式を挙げてもうちのほうは集まらないだろうし、お互いに気を使うっていうか――」
私は、慌てて口を閉じた。弘也が今まで見たことのない顔をしていたからだ。彼と付き合ってから一度も喧嘩をしたことがなく、私が些細なことで八つ当たりをしても優しく受け止めてくれた。だけど、今の弘也は怒っている。初めて、怒らせてしまった。



