『すれ違いってやつね。切ないわ……』
いつものようにベランダに遊びにきたカアコが、夕日を背にしてため息をついた。
陽二の本音を聞いたあと、オレはそれをカアコに話した。
なんでこんなややこしいことになってるのかまったくわけがわからんかったからや。
好きなのに、あんな態度を取り続ける茜も、好きなのにここを辞めるという陽二も。まったく意味不明だ。
『エモいわね』
カアコがくねくねとする。なんや気持ち悪いな。エモいって、なんやうまいんか。
それにしても意味不明や、お互いに言いたいことがあるならさっさと言えばいいやんか。
『言えないのよ。これは私の意見だけど、人間は相手に自分の本音を伝えるのが動物界で一番へたな生き物ね。言葉が喋れるくせに、変な話だけど』
じゃあなぜそれを猫のオレに言うんや?
人間同士で言えんのやったら黙っとけばいいやないか。なぜわざわざ猫のオレに言う?
オレが無駄に悩まないとあかんやないか!
『それが飼い猫の役目なんだから仕方がないわよ。飼われてることの代償ね。それが嫌だったら野良に戻りなさい』
……べつに嫌だとは言ってないけど。
『でもそれは、私も常々疑問に思っていたところではある。人間ってほんとに変な生き物で他の動物の言葉を理解できないくせに話しかけてくるのよね。そのくせ人間同士は肝心なことを言い合わない。動物界で一番変な生き物よ。私なんか昨日くたびれたサラリーマンに『君は自由でいいね』って言われたわ』
カアコが呆れたように肩をすくめる。
カアコが羨ましいのか、そのサラリーマンとやらはよっぽどやな。
『……なんか言った?』
いやべつに。
『茜ちゃんっていじっぱりだし、あの男もなんか気が弱そうだから、自分からは言わないでしょ。このままだとふたりの恋は実らないわね。まあカラスの私にはどうでもいい話だけど……。って、あらやだもうこんな時間? もう日が暮れるわ。行かないと』
え? ちょっと待ってくれ。まだなにも解決策が出てないやないかい。
オレは引き止めるけど。
『私にはカアカア鳴いて、ガキどもを家に帰らす仕事があるのよ。じゃあね』
にべもなく言ってカアコは、カアカア言いながら去っていった。
カアコの言い方はアレやけど、その通りやとオレは思った。
本当に人間はやっかいで変なやつらや。
でも、もっと変なんはそれをほっとけへんオレかもしらん。
うー、なんでこんなに気になるんやと地団駄を踏んだ。
べつに子分が泣こうがどうでもいい。
茜が落ち込んでぼんやりしてるからこそ、毎回飯はカリカリじゃなくて缶詰なんや。
ならそれでいいやないかと思うけど、しょんぼりしてる茜を見たら、なんやオレもテンション下がる……。
なんなんやこの気持ちはと、カアコが去っていった空を見つめて考える。
けど答えはでないから階段を下りて一階へ行く。
夕方になるともうだいぶ冷え込む。
一階の事務所には大きなストーブが置いてあって暖かい。オレはすぐそばに置いてある椅子の上に丸くなった。
日が落ちると応接は寒くなるから、冬の午後はここで過ごす。
なんや静かやなと思ったが、それもそのはず親父はおらず茜と陽二だけやった。
オレがうとうとしていると。
「ねえ……辞めるって、本当? お父さんから聞いたんだけど」
茜が陽二に話しかける。
オレはちらりと茜を見た。珍しいな。いつもは自分からは話しかけへんのに。
「……うん、八神さんの遺言書の検認が終わったらね。当日は春雄さんに僕が付き添うことになってるから。せっかく名刺とか作ってもらったのに、ごめんね」
「……それって、私のせい?」
「いや、それは……」
不機嫌そうな茜からの問いかけに、陽二が言い淀む。
またシーンとなって、事務所の前を通りすぎる人の声と車のエンジン音が遠く聞こえた。
オレは目を開いて、陽二を睨んだ。
チャンスやないかい、陽二。
言え!
僕は茜が好きだからここへ来た、でも茜が嫌がるから辞めることにしたんだと。
オレに言ってたことをそのまま言えばいいんや!
「——いや、そうじゃなくて、研修仲間から大きな事務所に誘われたんだ。大きい事務所は、やっぱり案件の種類が豊富だから。経験を、積みたくて……」
オレはがっくりと肩を落とした。
カアコの話はほんまやな。
なんで人間は、本当の気持ちを言わへんのや?
「なにそれ……。それだったら、なんでこの事務所に来たのよ。そんなのはじめから知ってたでしょ」
「ほ、ほんとだよね。うん……ごめん。本当に申し訳ないことした。茜ちゃんにも嫌な思いさせたよね。……む、昔のことがあるから、気まずいだろうなってわかってたのに……」
「っつ……!」
茜の頬が赤くなった。
陽二の言う昔のことってあの公園での話やな?
茜、今や、チャンスやないかい。あの時に私は陽二を好きだと気づいたんだと言え。
そしたら万事解決や!
「それは、べつに……。ってか、今言われるまで忘れてたくらいだし」
おい〜……、まじか。
嘘つくなよ。毎日毎日ぐちぐちと言ってたくせに。
「そ、そうか……そうだよね。オレはてっきり茜ちゃんがあの時のことで僕をさけてるのかと思ってたけど」
「なんとも思ってないよ。……まぁ、退職が私が原因じゃないなら、いいけど。この話はもう終わり」
「う、うん」
そしてまた静かになる。
……やれやれやで。
ほんまに人間は意味不明な生き物やな。
ただ自分が思ってることを相手に伝える。それだけのことがなんでできん?
オレンジ色のストーブの灯りを見つめながら、オレがため息をついていると、ドアが開いて冷たい空気が入ってきた。
「ただいま。うー寒くなって来たね。もう外は真っ暗だ」
親父が帰ってきた。
陽二が「おかえりなさい」と声をかけると、茜が立ち上がった。
「おかえりなさい。今日の分は終わったから、私はもう終わりにするね。夜ごはんの買い物行ってくる」
親父に言ってさっさと隣の部屋に行ってしまう。ピシャリとやや乱暴にドアが閉まり、しばらくすると裏口から出ていく気配がした。
親父が首を傾げて陽二を見た。
「茜はどうしたのかな? なにかあった?」
ありまくりやと思いながらオレは陽二見る。
陽二がしょんぼりと肩を落とした。
「僕が辞めることについてちょっと……。無責任なことをしたのだから当たり前ですが」
親父がしばらく黙り込み、少し低い声を出した。
「いや、陽二くんのせいじゃないよ。大きな事務所に移りたいと言っていたが、本当は、茜のせいだろう? 申し訳ない。僕もまさか茜があんな変な態度をとるとは思ってなかったから。働きにくいと思うのは当然だ」
「いえ、先生、茜ちゃんは関係なくて……」
けれど陽二はそこで黙り込む。
陽二の嘘を親父はお見通しのようだった。
「……立ち入ったことを聞くけど、君たち……なにがあったの? いや本当は茜に聞くべきなんだろうけど、……父と娘というのは微妙でね。ちょっと、聞きにくくて」
陽二はそれには答えずに、ただ「すみません」と項垂れている。
「……まぁとにかく退職の件は陽二くんのせいじゃないから。大きい事務所の方が君のためにいいのは本当だし、気にしないでいいからね。商店街の人たちにも僕がちゃんと言っておく。この業界狭いんだし、これからも一緒に仕事をすることはあるだろうから、よろしくね」
親父が陽二を慰めるが、陽二は項垂れたままだった。
「はい」
「今日はもうやることはお終いだし、陽二くんも帰っていいよ」
「……はい」
のろのろと立ち上がり「おつかれさまです」と頭を下げて帰っていった。
それを見送ってから親父はガラガラガラと大きな音を立ててシャッターを閉める。
店じまいをすると、部屋の中はより一層静かになる。
いつのまにか近くの椅子に座った親父が、椅子の上のオレを撫でた。
「……陽二くんは心の優しいいい子だから一緒に働きたかったんだけどね」
話しかけられて、オレは嫌な予感がする。
まさか親父までオレに話をするつもりか?
「ふたりの間になにがあったのかな……クロは知ってる?」
知ってるで、とオレは顔を上げた。
あのふたりはお互いに好きなんや。でも自分の気持ちを言わんから喧嘩したみたいになってるんや。
「おお、おお。なんか言いたいことがいっぱいありそうだな」
笑って、親父はオレを撫でている。そして少し遠い目になった。
「クロは茜の気持ちを、たくさん聞いてくれているのかな? ……ありがとう。クロが家に来てくれて本当によかったよ。なにしろ妻が亡くなってクロが来るまで、この家は最悪の状態だったんだ。……妻の生前は、僕は仕事ばっかりで妻に家のことはすべて任せきりだったから。茜はママっ子だったから荒れて荒れて……ろくに口をきいてくれなくなってしまった。『お母さんが病気に気が付かなかったのは忙しかったからよ。全部やらせてたお父さんのせいだ』と言われたよ。ひと言も言い返せなかったな……。髪を金髪にしたり、夜は帰ってこなかったり」
ああ、そういえばあの頃の茜はヤンキーやったな。
「すごく心配だったけど言って聞く歳じゃなかったし。でもクロを拾って帰ってきたあの日から、家にいてくれるようになったんだ」
大きな手が身体を撫でるのが気持ちいい。ストーブのせいか身体がポカポカとした。
「……あの二人にになにかあったんだとしたら、茜の方が意地を張ってるような気がするなあ」
さすがは親やな、よくわかってる。
「あの子は本当にいじっぱりだからなぁ。ただ、根は優しい。事務所のことも家のことも今はしっかりやってくれてるし。クロを連れてかえって来た時も絶対に家で育てる!って言い張って……クロもそう思うだろう?」
……まぁな。オレはあの時、茜と出会わんかったらとっくの昔に長老のところへ行ってたやろうしな。
「茜も陽二くんもどちらもいい子なんだけど……。難しいね」
親父のため息を聞きながら、オレはゆっくり目を閉じた。
自分の気持ちをそのまま伝える。
好きやつに好きだと言う。
それだけのことが、なぜできないのか。
それのどこが難しいのか、やっぱりいくら考えても、猫のオレにはさっぱりわからんかった。
いつものようにベランダに遊びにきたカアコが、夕日を背にしてため息をついた。
陽二の本音を聞いたあと、オレはそれをカアコに話した。
なんでこんなややこしいことになってるのかまったくわけがわからんかったからや。
好きなのに、あんな態度を取り続ける茜も、好きなのにここを辞めるという陽二も。まったく意味不明だ。
『エモいわね』
カアコがくねくねとする。なんや気持ち悪いな。エモいって、なんやうまいんか。
それにしても意味不明や、お互いに言いたいことがあるならさっさと言えばいいやんか。
『言えないのよ。これは私の意見だけど、人間は相手に自分の本音を伝えるのが動物界で一番へたな生き物ね。言葉が喋れるくせに、変な話だけど』
じゃあなぜそれを猫のオレに言うんや?
人間同士で言えんのやったら黙っとけばいいやないか。なぜわざわざ猫のオレに言う?
オレが無駄に悩まないとあかんやないか!
『それが飼い猫の役目なんだから仕方がないわよ。飼われてることの代償ね。それが嫌だったら野良に戻りなさい』
……べつに嫌だとは言ってないけど。
『でもそれは、私も常々疑問に思っていたところではある。人間ってほんとに変な生き物で他の動物の言葉を理解できないくせに話しかけてくるのよね。そのくせ人間同士は肝心なことを言い合わない。動物界で一番変な生き物よ。私なんか昨日くたびれたサラリーマンに『君は自由でいいね』って言われたわ』
カアコが呆れたように肩をすくめる。
カアコが羨ましいのか、そのサラリーマンとやらはよっぽどやな。
『……なんか言った?』
いやべつに。
『茜ちゃんっていじっぱりだし、あの男もなんか気が弱そうだから、自分からは言わないでしょ。このままだとふたりの恋は実らないわね。まあカラスの私にはどうでもいい話だけど……。って、あらやだもうこんな時間? もう日が暮れるわ。行かないと』
え? ちょっと待ってくれ。まだなにも解決策が出てないやないかい。
オレは引き止めるけど。
『私にはカアカア鳴いて、ガキどもを家に帰らす仕事があるのよ。じゃあね』
にべもなく言ってカアコは、カアカア言いながら去っていった。
カアコの言い方はアレやけど、その通りやとオレは思った。
本当に人間はやっかいで変なやつらや。
でも、もっと変なんはそれをほっとけへんオレかもしらん。
うー、なんでこんなに気になるんやと地団駄を踏んだ。
べつに子分が泣こうがどうでもいい。
茜が落ち込んでぼんやりしてるからこそ、毎回飯はカリカリじゃなくて缶詰なんや。
ならそれでいいやないかと思うけど、しょんぼりしてる茜を見たら、なんやオレもテンション下がる……。
なんなんやこの気持ちはと、カアコが去っていった空を見つめて考える。
けど答えはでないから階段を下りて一階へ行く。
夕方になるともうだいぶ冷え込む。
一階の事務所には大きなストーブが置いてあって暖かい。オレはすぐそばに置いてある椅子の上に丸くなった。
日が落ちると応接は寒くなるから、冬の午後はここで過ごす。
なんや静かやなと思ったが、それもそのはず親父はおらず茜と陽二だけやった。
オレがうとうとしていると。
「ねえ……辞めるって、本当? お父さんから聞いたんだけど」
茜が陽二に話しかける。
オレはちらりと茜を見た。珍しいな。いつもは自分からは話しかけへんのに。
「……うん、八神さんの遺言書の検認が終わったらね。当日は春雄さんに僕が付き添うことになってるから。せっかく名刺とか作ってもらったのに、ごめんね」
「……それって、私のせい?」
「いや、それは……」
不機嫌そうな茜からの問いかけに、陽二が言い淀む。
またシーンとなって、事務所の前を通りすぎる人の声と車のエンジン音が遠く聞こえた。
オレは目を開いて、陽二を睨んだ。
チャンスやないかい、陽二。
言え!
僕は茜が好きだからここへ来た、でも茜が嫌がるから辞めることにしたんだと。
オレに言ってたことをそのまま言えばいいんや!
「——いや、そうじゃなくて、研修仲間から大きな事務所に誘われたんだ。大きい事務所は、やっぱり案件の種類が豊富だから。経験を、積みたくて……」
オレはがっくりと肩を落とした。
カアコの話はほんまやな。
なんで人間は、本当の気持ちを言わへんのや?
「なにそれ……。それだったら、なんでこの事務所に来たのよ。そんなのはじめから知ってたでしょ」
「ほ、ほんとだよね。うん……ごめん。本当に申し訳ないことした。茜ちゃんにも嫌な思いさせたよね。……む、昔のことがあるから、気まずいだろうなってわかってたのに……」
「っつ……!」
茜の頬が赤くなった。
陽二の言う昔のことってあの公園での話やな?
茜、今や、チャンスやないかい。あの時に私は陽二を好きだと気づいたんだと言え。
そしたら万事解決や!
「それは、べつに……。ってか、今言われるまで忘れてたくらいだし」
おい〜……、まじか。
嘘つくなよ。毎日毎日ぐちぐちと言ってたくせに。
「そ、そうか……そうだよね。オレはてっきり茜ちゃんがあの時のことで僕をさけてるのかと思ってたけど」
「なんとも思ってないよ。……まぁ、退職が私が原因じゃないなら、いいけど。この話はもう終わり」
「う、うん」
そしてまた静かになる。
……やれやれやで。
ほんまに人間は意味不明な生き物やな。
ただ自分が思ってることを相手に伝える。それだけのことがなんでできん?
オレンジ色のストーブの灯りを見つめながら、オレがため息をついていると、ドアが開いて冷たい空気が入ってきた。
「ただいま。うー寒くなって来たね。もう外は真っ暗だ」
親父が帰ってきた。
陽二が「おかえりなさい」と声をかけると、茜が立ち上がった。
「おかえりなさい。今日の分は終わったから、私はもう終わりにするね。夜ごはんの買い物行ってくる」
親父に言ってさっさと隣の部屋に行ってしまう。ピシャリとやや乱暴にドアが閉まり、しばらくすると裏口から出ていく気配がした。
親父が首を傾げて陽二を見た。
「茜はどうしたのかな? なにかあった?」
ありまくりやと思いながらオレは陽二見る。
陽二がしょんぼりと肩を落とした。
「僕が辞めることについてちょっと……。無責任なことをしたのだから当たり前ですが」
親父がしばらく黙り込み、少し低い声を出した。
「いや、陽二くんのせいじゃないよ。大きな事務所に移りたいと言っていたが、本当は、茜のせいだろう? 申し訳ない。僕もまさか茜があんな変な態度をとるとは思ってなかったから。働きにくいと思うのは当然だ」
「いえ、先生、茜ちゃんは関係なくて……」
けれど陽二はそこで黙り込む。
陽二の嘘を親父はお見通しのようだった。
「……立ち入ったことを聞くけど、君たち……なにがあったの? いや本当は茜に聞くべきなんだろうけど、……父と娘というのは微妙でね。ちょっと、聞きにくくて」
陽二はそれには答えずに、ただ「すみません」と項垂れている。
「……まぁとにかく退職の件は陽二くんのせいじゃないから。大きい事務所の方が君のためにいいのは本当だし、気にしないでいいからね。商店街の人たちにも僕がちゃんと言っておく。この業界狭いんだし、これからも一緒に仕事をすることはあるだろうから、よろしくね」
親父が陽二を慰めるが、陽二は項垂れたままだった。
「はい」
「今日はもうやることはお終いだし、陽二くんも帰っていいよ」
「……はい」
のろのろと立ち上がり「おつかれさまです」と頭を下げて帰っていった。
それを見送ってから親父はガラガラガラと大きな音を立ててシャッターを閉める。
店じまいをすると、部屋の中はより一層静かになる。
いつのまにか近くの椅子に座った親父が、椅子の上のオレを撫でた。
「……陽二くんは心の優しいいい子だから一緒に働きたかったんだけどね」
話しかけられて、オレは嫌な予感がする。
まさか親父までオレに話をするつもりか?
「ふたりの間になにがあったのかな……クロは知ってる?」
知ってるで、とオレは顔を上げた。
あのふたりはお互いに好きなんや。でも自分の気持ちを言わんから喧嘩したみたいになってるんや。
「おお、おお。なんか言いたいことがいっぱいありそうだな」
笑って、親父はオレを撫でている。そして少し遠い目になった。
「クロは茜の気持ちを、たくさん聞いてくれているのかな? ……ありがとう。クロが家に来てくれて本当によかったよ。なにしろ妻が亡くなってクロが来るまで、この家は最悪の状態だったんだ。……妻の生前は、僕は仕事ばっかりで妻に家のことはすべて任せきりだったから。茜はママっ子だったから荒れて荒れて……ろくに口をきいてくれなくなってしまった。『お母さんが病気に気が付かなかったのは忙しかったからよ。全部やらせてたお父さんのせいだ』と言われたよ。ひと言も言い返せなかったな……。髪を金髪にしたり、夜は帰ってこなかったり」
ああ、そういえばあの頃の茜はヤンキーやったな。
「すごく心配だったけど言って聞く歳じゃなかったし。でもクロを拾って帰ってきたあの日から、家にいてくれるようになったんだ」
大きな手が身体を撫でるのが気持ちいい。ストーブのせいか身体がポカポカとした。
「……あの二人にになにかあったんだとしたら、茜の方が意地を張ってるような気がするなあ」
さすがは親やな、よくわかってる。
「あの子は本当にいじっぱりだからなぁ。ただ、根は優しい。事務所のことも家のことも今はしっかりやってくれてるし。クロを連れてかえって来た時も絶対に家で育てる!って言い張って……クロもそう思うだろう?」
……まぁな。オレはあの時、茜と出会わんかったらとっくの昔に長老のところへ行ってたやろうしな。
「茜も陽二くんもどちらもいい子なんだけど……。難しいね」
親父のため息を聞きながら、オレはゆっくり目を閉じた。
自分の気持ちをそのまま伝える。
好きやつに好きだと言う。
それだけのことが、なぜできないのか。
それのどこが難しいのか、やっぱりいくら考えても、猫のオレにはさっぱりわからんかった。



