『やだ! じゃあそいつは昔の男ってこと? それは嫌よ。絶対に嫌。ああ、かわいそうに茜チャン。何年も経ってからわざわざ働きにくるなんて、ストーカーってやつじゃない?』
二階の茜の部屋のベランダにて。柵に留まっている一羽のカラスが捲し立てるようにカアカア言う。
その言葉にオレは首を傾げた。
ストーカー?
もうほとんどの人間言葉は理解できるこのオレ様でも知らない言葉だった。
『知らないの? ふてぶてしい顔してても所詮は家猫、世間知らずね。いい? ストーカーっていうのは、相手の気持ちも考えずに好きだ好きだと言いまくってつきまとうやつのことよ。私も何回も被害に遭ったわ。この美貌だから仕方がないけど』
この厚かましくて失礼なカラスの名前はカアコ。
オレにとって数少ない野生の話し相手だ。ベランダで日向ぼっこをしてる時にときどきやってきて、カアカア言われて顔見知りになった。
彼女曰く、カラスは生き物の中で一番賢いらしい。
それには全然納得できんが、ずっとそこらを飛び回り人間の生活を見てるからか確かにいろいろ知っている。わからんことがあるとオレはこいつに聞くようにしている。
陽二が来るようになってしばらく経ったが、茜の態度は相変わらず。にこりともしないし必要以上に話をしない。
そんな茜がオレは気になっていた。
とにかくあいつが来てからの茜は変なんや。
あいつの前で警戒し、口をきかへんだけでなく、それ以外の時もどこか浮かない表情で、ぼんやりと考え込んでいる。
オレに"ダイエットをさせる。缶詰は一日一回まで"としつこく言っていたくせに、ここのところは毎回缶詰や。
どうしたものかと考えて、オレはカアコに聞いてみることにした。
いやべつに、心配してるわけやないけどな!
茜はオレの子分やから、ボーっとされるとオレの身の回りの世話が疎かになる。オレはそれを心配してるというだけや。
カアコ、それはつまり陽二が茜に求愛してるということか?
『そうよ。好きだって言ってたんでしょ。まさかクロちゃん恋愛の意味がわからないほどおぼこちゃんじゃないわよね?』
そ、それくらいオレにもわかるわい。
確かに陽二は茜に好きと言ってたが、好きといってもいろいろあるやろう?
『本当にうぶね、クロちゃんは。若い男女、公園、フラれた後のこの世の終わりのような顔とくれば、どう考えても求愛じゃない』
どう考えてもと言われてもよくわからんが。
『好きな相手に求愛されるのはロマンチックだけど、そうじゃないのは最悪よ。何年も経って現れるのはもはやホラー』
けれどそう言われればここのところの茜の様子は納得だ。
オレの胸にフツフツと怒りが湧いてくる。
陽二め。あいつ、無害な顔しやがってオレの子分を苦しめてるということか……!
今までもあいつには散々冷たくしてやった。触りたそうにしているを無視して、絶対に触らせてやらんかったけど、それでは生ぬるかったのかもしらん。
明日からは引っ掻いてやるくらいはしないと。
『美しいメスはつらいのよ。クロちゃん守ってあげなさいね。私も通りで見かけたら頭突いてやるからさ』
カアコがそう言った時、ギシギシと音がして、茜が二階にやってきた。
「あ、クロ。また勝手に窓をあけて……。あら、カラスちゃんが来てたんだ。ふふふ、ほんと、仲良しだよね」
カラスといえば嫌がる人間が多いらしいが、茜はそんなことはなくカアコがベランダにいるとニコニコ話しかける。
オレとカアコは友だちだと思ってるようだ。
「こんにちは、カラスちゃん」
『こんにちは、茜ちゃん。今日もキュートね』
カアコが羽をバサバサすると茜はふふっと笑う。でもすぐにため息をついて浮かない表情になった。
畳の上にぺたりと座って、窓の外を見ている。
今日は人間の仕事はない日なはずやのに、やっぱり元気がない。
くそ、あの陽二め。
仕方なしに近寄って手をペロペロ舐めてやると、いきなりぎゅむっと抱きしめられる。
そのまますうーっ吸われた。
おい、なんで吸うねん、といつものオレなら思うとこやけど、今はまぁいい。許したろ。
元気ないならしゃあないしな。
安心せえ、明日オレが陽二のやつを、けちょんけちょんにやっつけたる。二度とここへは来れんようにしたるからな。
「——やっぱり、私の態度、悪いよね。なんで普通にできないんだろ。こんなんじゃようちゃん、仕事に来たくなくなっちゃう……」
んんんん?
なんやこの意味不明の呟きは。
茜の腕の中でオレは首を傾げた。
お前は陽二に、来てほしくないんじゃないのか???
まったく意味がわからなくて混乱するオレを抱いたまま、茜は深いため息をついた。
「あーもう、今さらすぎる……。もうとっくに吹っ切れたつもりだったのに。なんでこんな気持ちになっちゃったんだろ。だからここに来てほしくなかったのに。ようちゃんの……ばか」
お、おう、そうやんな? お前はやっぱり陽二にはここにいてほしくないんやな?
そしたら明日オレの猫パンチで……。
「……でも、ようちゃんに会えるのを嬉しいと思ってしまう私はもっとばか」
????
「告白されてから自分の気持ちに気がつくなんて、ばかすぎる……。でもようちゃんもようちゃんだよ。あの告白は最悪だった。あんな時にどさくさにまぎれて言わなくても……!」
そこで茜はまたオレを吸う。
そのすーはーすーはーは、いつもより激しかった。
しばらくすると気が済んだのか、オレを抱く手を緩める。そしてより一層元気のない声を出した。
「……本当に今さら。うちで働くってことは、ようちゃんの方はもう私のことなんてなんとも思ってないってことなのに……」
さっぱり意味がわからないオレが、もはや考えるのを放棄していると、畳の上に下ろされた。
「……なんて、クロに言っても仕方がないよね」
そしてまたため息をついて、茜は部屋を出ていった。
なんやったんや?と、首を傾げていると。
『なるほどね。そういうことか、わかったわ』
カアコが訳知り顔で呟いた。
はぁ?と思い振り向くと、『切ないわね』とため息をついた。
『恋してるのよ、茜ちゃん』
はあ?
恋って、もしかして陽二にか?
『そうよ、陽二って男に茜ちゃんが恋してるのよ』
逆じゃないのか?
茜はあいつを嫌ってるって、カアコが言ったんやろ。
『クロちゃん……さっきの茜ちゃんの話聞いてた? 告白されてから気がついたって言ってたじゃない』
そ、それは確かに……。でもじゃあなんであんな嫌な態度とる?
茜も好きなら、陽二に嫌われたらあかんやろ。
陽二も茜を好きなら、それでめでたしめでたしや。
『あら、それはわからないわよ。さっき茜チャンが言った通り、あっちはもうなんとも思ってないからこそ、働きにこれたという説もある』
さっきと言ってること違うやないかい。
『だって茜チャンの話を聞いて確かにそうだなって思ったんだもの。告白されたのって、だいぶ前のことなんでしょ。もう心変わりしてるかもしれないし。でも茜チャンは好き……。だから変な態度になってしまうのね。切ないわ』
なんじゃそらと、オレは呆れ返ってしまう。
じゃあ、心変わりしてるかどうか、本人に聞いたらいいやんか。変な態度とってんと。
『それができたら苦労はないわよ。ほんと乙女心がわからないのね。クロちゃんは。にしても。ふふふ……! 面白くなってきた』
カアコが不気味に笑った時、窓の外、電線に留まっているカラスがカアカアと鳴き出した。
『あらもうこんな時間? 私デエトの約束があるんだった。じゃあねクロちゃん。また進展あったらおしえてね〜』
カアコは、バサバサと羽を鳴らして去っていく。
電線の向こうへいちゃつきながら飛んでいく二羽のカラスを見上げながら、残されたオレはぽかんとする。
なんのこっちゃわからずに、畳の上で首を傾げた。
二階の茜の部屋のベランダにて。柵に留まっている一羽のカラスが捲し立てるようにカアカア言う。
その言葉にオレは首を傾げた。
ストーカー?
もうほとんどの人間言葉は理解できるこのオレ様でも知らない言葉だった。
『知らないの? ふてぶてしい顔してても所詮は家猫、世間知らずね。いい? ストーカーっていうのは、相手の気持ちも考えずに好きだ好きだと言いまくってつきまとうやつのことよ。私も何回も被害に遭ったわ。この美貌だから仕方がないけど』
この厚かましくて失礼なカラスの名前はカアコ。
オレにとって数少ない野生の話し相手だ。ベランダで日向ぼっこをしてる時にときどきやってきて、カアカア言われて顔見知りになった。
彼女曰く、カラスは生き物の中で一番賢いらしい。
それには全然納得できんが、ずっとそこらを飛び回り人間の生活を見てるからか確かにいろいろ知っている。わからんことがあるとオレはこいつに聞くようにしている。
陽二が来るようになってしばらく経ったが、茜の態度は相変わらず。にこりともしないし必要以上に話をしない。
そんな茜がオレは気になっていた。
とにかくあいつが来てからの茜は変なんや。
あいつの前で警戒し、口をきかへんだけでなく、それ以外の時もどこか浮かない表情で、ぼんやりと考え込んでいる。
オレに"ダイエットをさせる。缶詰は一日一回まで"としつこく言っていたくせに、ここのところは毎回缶詰や。
どうしたものかと考えて、オレはカアコに聞いてみることにした。
いやべつに、心配してるわけやないけどな!
茜はオレの子分やから、ボーっとされるとオレの身の回りの世話が疎かになる。オレはそれを心配してるというだけや。
カアコ、それはつまり陽二が茜に求愛してるということか?
『そうよ。好きだって言ってたんでしょ。まさかクロちゃん恋愛の意味がわからないほどおぼこちゃんじゃないわよね?』
そ、それくらいオレにもわかるわい。
確かに陽二は茜に好きと言ってたが、好きといってもいろいろあるやろう?
『本当にうぶね、クロちゃんは。若い男女、公園、フラれた後のこの世の終わりのような顔とくれば、どう考えても求愛じゃない』
どう考えてもと言われてもよくわからんが。
『好きな相手に求愛されるのはロマンチックだけど、そうじゃないのは最悪よ。何年も経って現れるのはもはやホラー』
けれどそう言われればここのところの茜の様子は納得だ。
オレの胸にフツフツと怒りが湧いてくる。
陽二め。あいつ、無害な顔しやがってオレの子分を苦しめてるということか……!
今までもあいつには散々冷たくしてやった。触りたそうにしているを無視して、絶対に触らせてやらんかったけど、それでは生ぬるかったのかもしらん。
明日からは引っ掻いてやるくらいはしないと。
『美しいメスはつらいのよ。クロちゃん守ってあげなさいね。私も通りで見かけたら頭突いてやるからさ』
カアコがそう言った時、ギシギシと音がして、茜が二階にやってきた。
「あ、クロ。また勝手に窓をあけて……。あら、カラスちゃんが来てたんだ。ふふふ、ほんと、仲良しだよね」
カラスといえば嫌がる人間が多いらしいが、茜はそんなことはなくカアコがベランダにいるとニコニコ話しかける。
オレとカアコは友だちだと思ってるようだ。
「こんにちは、カラスちゃん」
『こんにちは、茜ちゃん。今日もキュートね』
カアコが羽をバサバサすると茜はふふっと笑う。でもすぐにため息をついて浮かない表情になった。
畳の上にぺたりと座って、窓の外を見ている。
今日は人間の仕事はない日なはずやのに、やっぱり元気がない。
くそ、あの陽二め。
仕方なしに近寄って手をペロペロ舐めてやると、いきなりぎゅむっと抱きしめられる。
そのまますうーっ吸われた。
おい、なんで吸うねん、といつものオレなら思うとこやけど、今はまぁいい。許したろ。
元気ないならしゃあないしな。
安心せえ、明日オレが陽二のやつを、けちょんけちょんにやっつけたる。二度とここへは来れんようにしたるからな。
「——やっぱり、私の態度、悪いよね。なんで普通にできないんだろ。こんなんじゃようちゃん、仕事に来たくなくなっちゃう……」
んんんん?
なんやこの意味不明の呟きは。
茜の腕の中でオレは首を傾げた。
お前は陽二に、来てほしくないんじゃないのか???
まったく意味がわからなくて混乱するオレを抱いたまま、茜は深いため息をついた。
「あーもう、今さらすぎる……。もうとっくに吹っ切れたつもりだったのに。なんでこんな気持ちになっちゃったんだろ。だからここに来てほしくなかったのに。ようちゃんの……ばか」
お、おう、そうやんな? お前はやっぱり陽二にはここにいてほしくないんやな?
そしたら明日オレの猫パンチで……。
「……でも、ようちゃんに会えるのを嬉しいと思ってしまう私はもっとばか」
????
「告白されてから自分の気持ちに気がつくなんて、ばかすぎる……。でもようちゃんもようちゃんだよ。あの告白は最悪だった。あんな時にどさくさにまぎれて言わなくても……!」
そこで茜はまたオレを吸う。
そのすーはーすーはーは、いつもより激しかった。
しばらくすると気が済んだのか、オレを抱く手を緩める。そしてより一層元気のない声を出した。
「……本当に今さら。うちで働くってことは、ようちゃんの方はもう私のことなんてなんとも思ってないってことなのに……」
さっぱり意味がわからないオレが、もはや考えるのを放棄していると、畳の上に下ろされた。
「……なんて、クロに言っても仕方がないよね」
そしてまたため息をついて、茜は部屋を出ていった。
なんやったんや?と、首を傾げていると。
『なるほどね。そういうことか、わかったわ』
カアコが訳知り顔で呟いた。
はぁ?と思い振り向くと、『切ないわね』とため息をついた。
『恋してるのよ、茜ちゃん』
はあ?
恋って、もしかして陽二にか?
『そうよ、陽二って男に茜ちゃんが恋してるのよ』
逆じゃないのか?
茜はあいつを嫌ってるって、カアコが言ったんやろ。
『クロちゃん……さっきの茜ちゃんの話聞いてた? 告白されてから気がついたって言ってたじゃない』
そ、それは確かに……。でもじゃあなんであんな嫌な態度とる?
茜も好きなら、陽二に嫌われたらあかんやろ。
陽二も茜を好きなら、それでめでたしめでたしや。
『あら、それはわからないわよ。さっき茜チャンが言った通り、あっちはもうなんとも思ってないからこそ、働きにこれたという説もある』
さっきと言ってること違うやないかい。
『だって茜チャンの話を聞いて確かにそうだなって思ったんだもの。告白されたのって、だいぶ前のことなんでしょ。もう心変わりしてるかもしれないし。でも茜チャンは好き……。だから変な態度になってしまうのね。切ないわ』
なんじゃそらと、オレは呆れ返ってしまう。
じゃあ、心変わりしてるかどうか、本人に聞いたらいいやんか。変な態度とってんと。
『それができたら苦労はないわよ。ほんと乙女心がわからないのね。クロちゃんは。にしても。ふふふ……! 面白くなってきた』
カアコが不気味に笑った時、窓の外、電線に留まっているカラスがカアカアと鳴き出した。
『あらもうこんな時間? 私デエトの約束があるんだった。じゃあねクロちゃん。また進展あったらおしえてね〜』
カアコは、バサバサと羽を鳴らして去っていく。
電線の向こうへいちゃつきながら飛んでいく二羽のカラスを見上げながら、残されたオレはぽかんとする。
なんのこっちゃわからずに、畳の上で首を傾げた。



