オレに母猫の記憶はない。気がついたら、もじゃっとしたおっさん猫の元にいた。
べつに親ではないけど、野垂れ死にそうになっていたオレの面倒をみてくれていたらしい。
おっさんは、周りの猫から『長老』と呼ばれてたから、相当な歳やったのやろう。
『チビスケ、早うわしがいなくても生きていけるようになってくれよ』と言って、オレに野良猫として生きるための術をいろいろおしえてくれた。
その中のひとつが、"腹が減ったら毛が金色の人間を探せ"というものやった。
毛が金色の人間は、人間の間ではヤンキーと呼ぶらしい。長老いわく、ヤンキーは猫に優しいと。
長老はしばらく一緒にいてくれたが、ある日突然いなくなり、天に召されたと周りの猫たちは言っていた。
寂しかったが、それよりも困ったのは腹が減ったということや。
小さいオレにはまだ獲物を獲ることはできなかったから。
だからオレは、ある公園のベンチの下に隠れて、来る日も来る日も毛が金色の人間、すなわちヤンキーを探し続けた。
けどこの街には、ヤンキーは少なかったんかなあ。
なかなか現れんかった。
そしてもう限界や、明日の朝にはオレも長老のとこへ行ってしまうと思ったある日、ついに目の前に念願のヤンキーが現れた。
ベンチの下で丸まったままそれを見たオレは、テンションが爆上がりになり、残り少ない力を振り絞って、近づいていた。
おーいヤンキー! 飯をくれ!
「うるさい!」
ところがそのヤンキーは怒鳴るではないか。
え、全然優しくないやんと、目を丸くしていると、どうやらオレに言ったのやなくて、もうひとりの男に言ったようだった。
「私のことは放っててよ、ようちゃんには関係ないでしょ」
「でも、茜ちゃん。おじさんも心配してるし。このままじゃ危険な目に遭いかねないし」
男が弱々しく言う。
こっちは毛は黒色、……ということはヤンキーではない。残念。
「それが余計なお世話だって言ってるの。私になにかあってそれがようちゃんにどんな関係があるっていうのよ」
ヤンキーは相変わらず怒っている。
そんなことよりも、ヤンキー。飯をくれ、飯を!
一生懸命アピールするが、それどころではないようだ。
「でも、僕と茜ちゃんは幼馴染だし……」
「それがなによ。幼なじみが私に説教する権利ある?」
「説教じゃなくて……そんなつもりはないけど……僕も心配だから……」
「なんでよ。なんでそんなに心配なのよ」
……取り込み中か、話が終わるまで待つしかないか。
それまでオレの体力がもてばいいが……。
「それは僕が茜ちゃんを、す、す、好きだからだよ!」
大きな声が、公園に響き渡る。
オレはそれをぼんやりとして聞いていた。
なんのこっちゃわからんけど、なんでもいいから早く終わってくれ。そしてヤンキーはオレに飯を……。
「……それがなに? なんの関係があるの」
「関係っていうか、だから、心配だってだけで」
「そんな気持ち、私にとっては迷惑」
「そう……そうだね。ごめん」
そこでようやく話が終わったようで、静かになった。
そろそろ飯か?と期待する。
「ごめんね、じゃあ」
男はトボトボと帰っていった。
なんや、死にかけのオレよりも顔色悪いな。
とはいえ、ようやくヤンキーと話ができる。
なんやさっき茜と呼ばれてたな。お前の名前は茜か? おい茜、飯をくれ飯を。
にゃあにゃあいいながら最後の力を振り絞って、オレは茜に近づいた。
今度こそヤンキーらしく飯をくれると期待して。
でもそこで茜は。
「なによなによなによ! ようちゃんのばか!」
大きな声で叫んで、転がっていた透明な何かをばこっと蹴り上げる。
それがオレに命中した。
ぎゃあ!
なにかが身体にぶちあたる衝撃に、ふみっ!っというか細い声が口から出て、オレの意識はそこで途絶えた。
——そして次に目を開けた時はなんや白い台の上に乗せられていた。
う、なんや! ま、まぶしっ!
「あ、目を覚ました。ほらこれどうかな? 美味しいよ」
ふんふんふん、いい匂い。
ぼんやりとしたまま、オレは目の前にあるそのなにかをぺろりと舐める。
む、うまい、うまい。
「食べてる食べてる。ああ、よかった。うん、衰弱してるけど、大丈夫そうだ。ちゃんと食べられれば元気になるよ。病気もないし」
久しぶりにありつく飯を、オレは一心不乱に食べ続けた。
やがて腹がくちくなり改めて周りを見まわすと、飯をくれたのは知らんおっさん。白い服を着て、なぜかニコニコしてる。
「それにしても可愛いちびちゃんだね」
隣からオレを覗き込んでいるのは……さっきのヤンキや。不満そうに口を尖らせている。
「なんだ、お腹が減ってただけか。人騒がせな猫。私がペットボトルを当てたせいかと思ったじゃんか。病院にまで連れてくるんじゃなかった」
ふてくされたように言うのが許せない。
おまえのせいでもあるやろがい!
反省せえ。
「おお、にゃあにゃあ鳴いて。さっそく元気になってきたね。茜ちゃん、この子どうする? このままうちの病院で預ろうか? 飼い主さんを探すことはできるから」
撫でながら言うおっさんの言葉にオレは首を傾げた。
飼い主さん?
このまま預かる?
「それか茜ちゃんが連れてかえる?」
え? こいつに連れてかえられる?
そ、それは嫌や。オレはただ飯がほしかっただけやねん。
ずっとヤンキーと一緒にいたいわけやない。
飯をくれんどころが、ペットボトルをぶつけるこんな乱暴者と一緒になんていたくない。
まぁ、ヤンキーは猫に優しいなんて話は嘘やったから、ヤンキーもオレと同じ気持ちやろうがな。それやのに。
「……連れて帰る」
茜がぽつりと呟いたもんから、オレは目を剥いた。
はあ⁉︎ おいヤンキー、なんでやねん!
なにを血迷ってる? オレは嫌や!
「お、にゃあにゃあ言ってる。茜ちゃんちに行けるのが嬉しいのかな?」
逆! 逆や!
「お父さん説得できそうになかったら、僕も一緒にお願いするよ」
「……ありがとうございます」
一生懸命主張したが、愚かな人間どもにはオレの猫語はまったく通じず、勝手に話は決まってしまう。
ああ、オレはただ、飯がほしかっただけやのに、なんでこんなことになってしまったんや……。
「やさしい飼い主さんが見つかりそうでよかったね」
的外れなおっさんに頭をなでられながら、オレはしょんぼりと項垂れた。
べつに親ではないけど、野垂れ死にそうになっていたオレの面倒をみてくれていたらしい。
おっさんは、周りの猫から『長老』と呼ばれてたから、相当な歳やったのやろう。
『チビスケ、早うわしがいなくても生きていけるようになってくれよ』と言って、オレに野良猫として生きるための術をいろいろおしえてくれた。
その中のひとつが、"腹が減ったら毛が金色の人間を探せ"というものやった。
毛が金色の人間は、人間の間ではヤンキーと呼ぶらしい。長老いわく、ヤンキーは猫に優しいと。
長老はしばらく一緒にいてくれたが、ある日突然いなくなり、天に召されたと周りの猫たちは言っていた。
寂しかったが、それよりも困ったのは腹が減ったということや。
小さいオレにはまだ獲物を獲ることはできなかったから。
だからオレは、ある公園のベンチの下に隠れて、来る日も来る日も毛が金色の人間、すなわちヤンキーを探し続けた。
けどこの街には、ヤンキーは少なかったんかなあ。
なかなか現れんかった。
そしてもう限界や、明日の朝にはオレも長老のとこへ行ってしまうと思ったある日、ついに目の前に念願のヤンキーが現れた。
ベンチの下で丸まったままそれを見たオレは、テンションが爆上がりになり、残り少ない力を振り絞って、近づいていた。
おーいヤンキー! 飯をくれ!
「うるさい!」
ところがそのヤンキーは怒鳴るではないか。
え、全然優しくないやんと、目を丸くしていると、どうやらオレに言ったのやなくて、もうひとりの男に言ったようだった。
「私のことは放っててよ、ようちゃんには関係ないでしょ」
「でも、茜ちゃん。おじさんも心配してるし。このままじゃ危険な目に遭いかねないし」
男が弱々しく言う。
こっちは毛は黒色、……ということはヤンキーではない。残念。
「それが余計なお世話だって言ってるの。私になにかあってそれがようちゃんにどんな関係があるっていうのよ」
ヤンキーは相変わらず怒っている。
そんなことよりも、ヤンキー。飯をくれ、飯を!
一生懸命アピールするが、それどころではないようだ。
「でも、僕と茜ちゃんは幼馴染だし……」
「それがなによ。幼なじみが私に説教する権利ある?」
「説教じゃなくて……そんなつもりはないけど……僕も心配だから……」
「なんでよ。なんでそんなに心配なのよ」
……取り込み中か、話が終わるまで待つしかないか。
それまでオレの体力がもてばいいが……。
「それは僕が茜ちゃんを、す、す、好きだからだよ!」
大きな声が、公園に響き渡る。
オレはそれをぼんやりとして聞いていた。
なんのこっちゃわからんけど、なんでもいいから早く終わってくれ。そしてヤンキーはオレに飯を……。
「……それがなに? なんの関係があるの」
「関係っていうか、だから、心配だってだけで」
「そんな気持ち、私にとっては迷惑」
「そう……そうだね。ごめん」
そこでようやく話が終わったようで、静かになった。
そろそろ飯か?と期待する。
「ごめんね、じゃあ」
男はトボトボと帰っていった。
なんや、死にかけのオレよりも顔色悪いな。
とはいえ、ようやくヤンキーと話ができる。
なんやさっき茜と呼ばれてたな。お前の名前は茜か? おい茜、飯をくれ飯を。
にゃあにゃあいいながら最後の力を振り絞って、オレは茜に近づいた。
今度こそヤンキーらしく飯をくれると期待して。
でもそこで茜は。
「なによなによなによ! ようちゃんのばか!」
大きな声で叫んで、転がっていた透明な何かをばこっと蹴り上げる。
それがオレに命中した。
ぎゃあ!
なにかが身体にぶちあたる衝撃に、ふみっ!っというか細い声が口から出て、オレの意識はそこで途絶えた。
——そして次に目を開けた時はなんや白い台の上に乗せられていた。
う、なんや! ま、まぶしっ!
「あ、目を覚ました。ほらこれどうかな? 美味しいよ」
ふんふんふん、いい匂い。
ぼんやりとしたまま、オレは目の前にあるそのなにかをぺろりと舐める。
む、うまい、うまい。
「食べてる食べてる。ああ、よかった。うん、衰弱してるけど、大丈夫そうだ。ちゃんと食べられれば元気になるよ。病気もないし」
久しぶりにありつく飯を、オレは一心不乱に食べ続けた。
やがて腹がくちくなり改めて周りを見まわすと、飯をくれたのは知らんおっさん。白い服を着て、なぜかニコニコしてる。
「それにしても可愛いちびちゃんだね」
隣からオレを覗き込んでいるのは……さっきのヤンキや。不満そうに口を尖らせている。
「なんだ、お腹が減ってただけか。人騒がせな猫。私がペットボトルを当てたせいかと思ったじゃんか。病院にまで連れてくるんじゃなかった」
ふてくされたように言うのが許せない。
おまえのせいでもあるやろがい!
反省せえ。
「おお、にゃあにゃあ鳴いて。さっそく元気になってきたね。茜ちゃん、この子どうする? このままうちの病院で預ろうか? 飼い主さんを探すことはできるから」
撫でながら言うおっさんの言葉にオレは首を傾げた。
飼い主さん?
このまま預かる?
「それか茜ちゃんが連れてかえる?」
え? こいつに連れてかえられる?
そ、それは嫌や。オレはただ飯がほしかっただけやねん。
ずっとヤンキーと一緒にいたいわけやない。
飯をくれんどころが、ペットボトルをぶつけるこんな乱暴者と一緒になんていたくない。
まぁ、ヤンキーは猫に優しいなんて話は嘘やったから、ヤンキーもオレと同じ気持ちやろうがな。それやのに。
「……連れて帰る」
茜がぽつりと呟いたもんから、オレは目を剥いた。
はあ⁉︎ おいヤンキー、なんでやねん!
なにを血迷ってる? オレは嫌や!
「お、にゃあにゃあ言ってる。茜ちゃんちに行けるのが嬉しいのかな?」
逆! 逆や!
「お父さん説得できそうになかったら、僕も一緒にお願いするよ」
「……ありがとうございます」
一生懸命主張したが、愚かな人間どもにはオレの猫語はまったく通じず、勝手に話は決まってしまう。
ああ、オレはただ、飯がほしかっただけやのに、なんでこんなことになってしまったんや……。
「やさしい飼い主さんが見つかりそうでよかったね」
的外れなおっさんに頭をなでられながら、オレはしょんぼりと項垂れた。



