小鳥遊綾という私の名前が書かれた大学ノートと、参考書を自分の席に置いて自習をしている。
高校2年生になってからは、いつも放課後はこうして自習をして来た。
色々とあったお陰で、この形が一番都合の良い解決策になったからだ。
そう、最初はそうだったのに。快適で孤独な時間を過ごせていたのに。
少し前から私の放課後ライフは変わってしまった。あまり嬉しくない方向へ。
「何か?」
視線を感じて私は尋ねた。
「何も言ってないだろ?」
やや低めの綺麗な声が返答した。
「……ふんっ」
教室のちょうど中央辺りにある私の座席。その前にある席へ腰かけた、1人のムカつく男子生徒がずっとこちらを見ている。
身長はデカくて多分180cmぐらい。体育会系だからがっしりとした体格だ。
短めの黒髪を、ウルフカットとか何とかいう髪型にしている。
ハーフだかクォーターだか知らないけど、日本人とは思えない程に整った顔。
男子の癖に睫毛がパッチリで、リップでも塗っているのかというぐらい艶々の唇。
目の色も髪の色も黒だけど、彫りが深くて鼻も高い。そんな学校でも有名なイケメンが、地味で平凡な私に何の用事があるというのか?
大体バスケ部はどうしたエースさんよ。1週間も私に粘着していて良いの?
「早く部活に行けば?」
サボりか? ちゃんと部活に行きなさいよ。こんな所で油を売ってないで。
「ん~今日は休む」
「それ昨日も聞いたけど?」
何がしたいんだこの男は。ただ勉強をしている私を、ずっと見ているだけなんて。
嫌がらせか? 邪魔がしたいの? その割に露骨な妨害をして来ないから、文句を言うにも少し理由が弱い。
じゃあ私が図書室にでも行けば良いのかと思ったら、この男は着いて来る。
そしてまた対面に座って、ニコニコとこっちを見ているのだ。
本当に何なの? 少なくとも私の事が好きなんて事は絶対にない。
だって接点なんてまともに無かった。2年生になって同じクラスになっただけ。
それ以上でもそれ以下でもない。そして私は自分がこんな恵まれた男子から、好かれる人間だと自惚れてもいない。
「暇なの?」
「暇といえば暇だし、暇じゃないと言えば暇じゃない」
ニコニコと笑いながら、彼はそんな事を言う。答えになっていないんだけど?
「何それ? どっちなのよ」
この男は叶蒼汰という学校で人気のイケメン男子だ。バスケットボール部のエースで、1年生の頃から有名だった。
色んな先輩達から告白を受け、全てを断っているとか何とか。
じゃあ同級生に恋人でも居るのかと思えば、特にそういう訳でもないらしい。
同級生の女子からの告白も当然断っている。一時期は女性に興味が無いのでは? とまで言われていたぐらいだ。
それ程にまで人気の男子が、何故か毎日こうして目の前に来る。
気が散るから止めて欲しい。でも私から逃げたら、負けたみたいで嫌だ。何よりまだ帰るには微妙な時間だ。
「続けないの? そこ、間違えているけど」
彼は毎日当たり前の様に、私の間違いを指摘して来る。間違えたと言う事実が、少し恥ずかしい。
「なっ!? わ、分かってますうー!」
「ふーん、なら良いけど」
ああ本当にムカつく男だ。顔良しスポーツ良し頭も良しと、三拍子揃ったエリート君。
私のような運動微妙で見た目も微妙、特別頭が良い訳でもないと微妙の三冠王とは真逆だ。
ちなみにどこが間違いなのか分かっていない。つい言い返してしまっただけで。
間違いを探していると、男性らしい大きな手が視界に入る。
ここだよと言わんばかりに、問題の箇所を指先でトントンと計算式を叩く。
完全に邪険には出来ない理由がここにある。悔しいけどコイツ、間違いを教えてくれるから。
邪魔をしたいのか教えてくれるのか、ハッキリしてよ。何がしたいのさ本当に。
「あれ? 何も無し?」
「ぐっ……あ、ありがとう」
悔しい。何がしたいかよく分からない変な男子に、こうも良いようにされてしまうのが。
「どういたしまして」
ああもう何なの本当に!? 確かにお礼を言わなかった私が悪いけど!
それにしたってこの男、目的をせめて明かしてよ! 何がしたいのか分かっていれば、多少はマシかも知れないのに!
本当に意味が分からない。変人だよ変人。お前は今日からエリート変人だ。
エリートな癖に変、ぴったりなネーミングだ。面と向かってはとても言えないけど。
そしてそんな私を見て、またニコニコと笑っている。もういい、考えるのは止めだ。
変な間違い指摘マシンが、目の前にあると思って自習を続けよう。
1週間もこんな事をしていたのだから、そろそろ飽きるでしょ。私を見ていて楽しい筈もないし。
「そこXとYが逆」
「うっ……はい」
「集中しないとダメだよ?」
腹立つ。誰のせいでこんな…………そうだ。本当に悪いのはこのエリート変人じゃない。
この男はまあノイズではあるけれど、正直この程度なら別に良い。良くはないけど良い。
私がこんな風にして、下校時間ギリギリまで残らないといけない原因は彼ではない。
誰なのかが分かれば、一番良いのだけど。姿も名前も分からない相手、でも目の前のコイツみたいに理由は不明じゃない。
だからこそ、こうする以外に無かった。この方法で今の所は上手く行っている。
それを思えば、こやつなんて可愛いもの。全然可愛いくはないけど。
「ほらまた、集中しないから」
誰のせいで集中出来ないと思っている? 君のせいだからね?
「……はぁ」
「どうしたの? 疲れちゃった?」
ええ疲れてますよ今まさに。原因の2割ぐらいは目の前に居るけど。
何でこうなったのかなぁ? 私は神様に恨まれる様な事を何かやっちゃいましたか?
あると言うなら今すぐ私ごと、目の前の男を落雷でふっ飛ばして貰えませんか?
結局今日も完全下校時間になるまで、ムカつくクラスメイトに粘着された。
でも目的の時間になったから、とりあえずはオッケーかな? 今の所は気配がない。
GWも過ぎて、最近は日没の時間が遅くなって来ている。
ほんのり薄暗い程度の通学路を歩きながら、私は警戒を怠らない。
出来るだけ人の多い道を選んで、狭い道や裏通りは避けて移動する。
だけどどうしても人通りが少ない道を通らざるを得ないタイミングもあって。
2週間ぐらい何も起きていないから、多分大丈夫だと思うけど……。
(お願い……)
私が高校2年生になってすぐ、帰り道で人の気配を感じる様になった。
友達と途中までは帰り道が一緒だったけど、分かれた後から明らかに視線を感じる様になった。
最初は勘違いかと思った。だけど1週間も続いたら、どう考えても普通じゃない。
軽く小走りで移動しても、しっかり着いて来る。私が立ち止まれば、背後の気配も止まる。
もうこれは間違いない、目的は私で、恐らくこれは……ストーカーだ。
そう気付いた私は、最寄りの交番に行って相談した。けれど、それだけでは動けないと言われてしまった。
(良し、今日もいない)
素早く自宅の前に移動して、玄関の鍵を開ける。サッと玄関を潜りドアを閉じて施錠した。
帰宅した私の家には、私以外に誰もいない。人の気配は一切ない。
大して広くもないありきたりなアパートで、母親と2人で暮らしている。
父親は離婚して、遠くの街に引っ越してしまった。離婚が決まった7年前は、母親の言い分を信じた。
でも今は、父親の方が正しかったのではないか? そう思えて仕方がない。
母親が今なぜ居ないのか、それは新しく作った彼氏の家に居るからだ。
お母さんはいつもそうだ、自分の恋愛が最優先。もっと早くに気づくべきだった。
「一応食事代を置いておく程度の常識は、まだ残っているんだね」
リビングの机に上には、1万円札が1枚だけ置かれていた。
母親は今何の仕事をしているのだろうか? 興味は無いけれど、稼ぎがちゃんとあるかが不安だ。
お母さんは私が大学に行きたいって、分かってくれている?
前にも伝えたのに、口を開けば自分の男の話ばかりで話にならない。
再婚したら貴女のお父さんにとか、聞きたくもない話題だ。
誰だよそいつは、私の父親はお父さんだけだ。名前も聞きたくない誰かじゃない。
そもそも母親らしい事を殆どしていないのに、今更そんな話をするのか。
自分で朝食もお弁当も夕食も作って、洗濯も掃除も自分でやっている。
生活費だって、多分これはお父さんのお金だと思う。お母さんは転職を繰り返している。
「何なの、本当に……」
こうして1人で孤独に生活していると、惨めで涙が出そうになる。
訳の分からないストーカーに、当てにならない母親。私が何をしたっていうのか。
一応生活は出来ているし、学校も通えている。でもこれ以上酷くなるなら、どうにかしてお父さんの連絡先を手に入れる。
どうやら電話番号が変わったらしく、私から連絡を取る事が出来ない。頑なに教えてくれないお母さんだけど、知ってはいると思う。
恐らくは、お母さんのスマートフォンに登録されている筈。ただ殆ど家にいないせいで、盗み見るチャンスがない。
このまま大学に行けなってしまう前に、お父さんを頼ろう。
勤務先をちゃんと覚えておけば良かったと、何度後悔した事か。
「はぁ……」
児童相談所に行く方が良いのかな? でも警察であの対応だよ?
お母さんが何の仕事をしているのか、そもそも就職しているのかも分からない現状で、相手にして貰えるの?
親の苦労も分からない子供って、思われるだけじゃない?
警察も頼れないのに、児童相談所じゃあね。確か、そんなに強い権力無かったよね?
じゃあやっぱり期待出来ない。自分で何とかするしかない。
だってお父さんの連絡先さえ手に入れば良いのだから。
家庭の事情も知らない他人に必死に説明するよりも、お母さんの人間性を知っているお父さんの方が安心だ。
他に頼れる人なんて、私の数少ない友達以外には……。
『集中しないとダメだよ?』
「いやいやいや! あれはムカつくヤツだから違う!」
どうしてこのタイミングでエリート変人が出て来るのさ?
あんな奴が頼りになるわけがない。何がしたいのかも良く分からない変な男子だ。
どうせその内、私への興味なんて無くして関わる事も無くなるよ。
きっと明日には、もう飽きているに決まっている。私なんかに興味を持ち続ける暇人は…………。
厄介な事に1人だけ居る。ネットリとした視線と、嫌な雰囲気を振り撒く誰かさん。
いやそれはともかく。エリート変人はもう飽きたに決まっている。
私よりも綺麗で、私よりも可愛いくて、私よりもスタイルが良くて、私よりも頭が良い女子は沢山居る。
君に相応しい相手と、好きなだけイチャコラしておくれ。
「あっ……焦げちゃった」
考え事をしていたら、作っていた野菜炒めが少し焦げてしまった。
お母さんは私が料理を作れないと思って、コンビニ弁当でも買えと思っているのかな。
もう私は自分で料理が出来るから、自分で作っている。
中学の時にはもう3食自分で作っていた。お母さんの真実に気付いた時から、余ったお釣りは使わず貯めている。
基本的に週1で置いておかれる1万円は、上手くやり繰りすれば5千円は残せる。
中学時代でそうだったのだから、高校生になった今では1ヶ月の食費が3万円もあれば何とかなる。
そして電気ガス水道とスマートフォンの利用料金は引き落としっぽい。
ただそれも恐らくは、お父さんの口座じゃないかと私は疑っている。
だって一度も止まった事が無いから。働いているのかいないのか、それすら怪しい母親の稼ぎなら、とっくの昔に何度も止まっている筈だから。
家庭と諸々の事情を抱えていても、次の日はやって来る。
望むかどうかは関係なく。どうにか今の状況から脱出したい私としては、凄く微妙な心境だ。
明日にならば状況が好転するかも知れないし、より悪化するかも知れない。
先が見えないトンネルの中で、僅かな明かりを頼りに歩いている気分だ。
もっとも私は今、5月の日差しに照らされているけれども。
いまは体育の時間で、女子はハンドボールで男子はサッカーをやっている。もちろん私は居るだけの数合わせ。
「綾ちゃん? どうしたの?」
5月といえどもグラウンドに出て運動をしていたら暑い。特に私の様に運動音痴は余計に辛い。
キラキラ陽キャな女子達は、楽しそうに試合をしている。そして私は、隅っこの方で文芸部の友達と休憩中。
西川紗良ちゃんという、小柄で可愛らしい女の子だ。
「何でもないよ。ただ暑いなぁって」
「今日は30℃まで上がるらしいからね」
紗良ちゃんは小学校の頃からの友達で、結構な付き合いがある。ただ私と違うのは、小さくてスタイルが良い点だ。
中途半端に身長がデカくて、中途半端な体つきの私とは違う。ザ・女の子って感じで羨ましい限りだ。
クラスの中心になるタイプではないけど、何度か男子に告白もされている。私? これを西川さんに渡して欲しいって、紗良ちゃんへのラブレターを受け取ったぐらいだよ。
「うん? 皆なにを騒いでいるの?」
「ほらアレだよ、叶君」
何やらクラスの女子達が騒いでいる。紗良ちゃんの指さす方では、男子達がサッカーをやっている。
「げっ」
そこではエリート変人が、サッカーでご活躍中だった。良いよね運動が出来る人は、私なんて碌なパスすら出せませんとも。
何より走るのも遅いし。そんな私とは違って、変人さんはパスもシュートも完璧と来た。どういう体をしていたらあんな風になれるのかな?
毎日プロテインとか? でもムキムキマッチョマンはちょっと嫌だなぁ。適度に鍛えている人が良いかも。
ボディビルダーみたいな男性は、少しだけ苦手だ。何事も限度があるよね。あれはちょっと怖い。
それにしても、何もかも完璧とか特に理解不能だよ。変人だとは言っても、流石はエリート様。そう思いながらボーっと見ていたのが悪いのだろう。
「「「」キャーッ!?」」
「あれ? 今叶君、綾ちゃんにウィンクしなかった?」
アイツ……わざとやった? 止めてよ皆が見ている中で。余計な目立ち方はしたくないのに。
「き、気のせいだよきっと。他の子じゃないの」
そう誤魔化したけど、明らかにバッチリ目が合った。というかアイツ、まだ飽きてないの? まだ絡む気なの?
もう勘弁して欲しいんですけど? ただでさえ暑いというのに、余計に気分が悪くなる。本当に何がしたいのか分からない男子だ。
何故今もまだ、私みたいな目立たない存在に構って来るのだろうか。変人の考える事はやっぱり理解が出来ないよ。
早く飽きて次の誰かに行ってくれないだろうか。小鳥遊さん? ああそんな子居たよねってポジションで良いんだ私は。下手に目立って注目されたくはない。
「もしかして綾ちゃん、叶君と何か……」
鋭い友人の勘が働いている。今はまだ疑いにすらなっていないとしても。このまま何時までも、誤魔化しきれるだろうか。
「ないない! 何もないよ!」
「そうなの?」
嘘でもあり本当でもあり、何もないとしか言うほかない。実際なにかあったかと言われても、私としては何も無い。
あっちが急に絡んで来ただけだ。本当に突然だったし、意味が分からない。頑張ったって意味ないとか突然言って来たから、私がどうするかなんて貴方に関係ないと答えただけ。
そうしたら次の日から急にあんな風に目の前で、居座ってずっと見て来る様になっただけだし。始まりから何もかも全てが、あの変人が勝手にやっている。
私は構えと頼んでないし、友達になろうとも言っていない。だから答えは何もないで合っている。だって私とアイツは今も他人のままで、ただのクラスメイトでしかないもの。
「大体接点がないじゃない、私とへ……叶君」
危うく紗良ちゃんの前で、エリート変人と呼びそうになった。危ない危ない、私とヤツに接点があると誤解されてしまう。
「まあ確かに? 綾ちゃんって、友達作るの下手だし」
「それは事実陳列罪なのでギルティ」
仕方ないじゃない、人間誰しも苦手な事だってあります。私の場合はちょっと人より、僅かながら友達が少ないだけで。
紗良ちゃん以外だと、別のクラスのもう2人ほど友達は居ます。友達が3人だけってのは、やや一般的な学生よりも……ちょっぴり少ないかも知れないけど。
でもボッチではないので。トイレで1人虚しくお弁当ではないので。その様な生き方とは無縁ですから私は。
紗良ちゃんが部活の子とお昼に行っちゃうと、私は教室に1人だけども。それはボッチとは違いますからね。
別の友達が居るクラスに行けば良いんだけど、あえてね? あえて。移動するのが面倒だなって思ったから自分の席で食べているだけでね。
ほら他のクラスの人の席を借りるのも、それなりに迷惑かなって私は思うわけでして。ええ、理性的で常識的な判断です。
「あぶない!」
「へっ?」
突然の警告に、思わずそちらを見る。何の因果か、結構な速度で飛来するボール。当然反射神経なんて大した事が無い私は、即座に反応なんて出来るわけもなく。
そこそこの硬さをお持ちのハンドボールを、顔面でブロックした私の意識はそこで途切れてしまいました。ああ、もう本当に何なの? 神様って私の事が嫌いなのかな?
俺は小さい頃から、とても背が低かった。だから舐められたくなくて、せめて運動だけは出来る様になろうと思った。
それに成長期にどうなるかなんて、誰にも分からない。煮干しをバリバリ食いまくり、牛乳もとにかく沢山飲んだ。
両親共に背は低いけど、諦めたりはしなかった。同時に運動もやりまくった。水泳陸上テニスにサッカー少年野球、昼休みは毎日ドッジボールだ。
そんな日々を過ごして迎えた、記念すべき中学入学。1年生の時点で俺は150cmしか無かった。そして俺はある情報を手に入れる。
バレーボールかバスケットボールをやれば背が伸びると。だから俺は選んだ、バスケットボールを。
これがやってみたら楽しくて、すっかりのめり込んだ。そして情報通り、俺の身長はグングン伸びた。
1年10cmという凄まじい伸びを見せ、中学卒業前に180cmを超えた。バスケも上手くなっていたし、全てが順調だった。
バカと思われたくも無かったから、勉強だって俺は頑張り続けていた。俺は高校生になり、1年生の時点で注目の選手として脚光を浴び始めた。
だがそれは、簡単に終わりを告げた。試合中の相手選手との接触で負傷し、結局怪我の後遺症は治らないまま。一気に俺の人生は、転がり落ち始めた。
2年生になったある日、たまたま放課後の教室に立ち寄った。そうしたら何故か、必死に勉強している女子が居た。
何故そんな事を言おうと思ったのか、今でも良く分からない。ただ何故か、その姿にイラっとした。
「そんなに頑張っても、どうせ意味ないよ。努力なんて、いつか無駄になるから」
「…………私がどうするかなんて、貴方に関係ないでしょ」
確かにそれはその通りだけど、大人しそうな見た目のわりに気は強いらしい。女子からそんな対応をされた事が無かったから、ちょっとだけ興味が湧いた。
コイツがどこまで頑張れるのか、この目で見てやろうと思った。で、いざ見てみたら、そこまで勉強は得意じゃないらしい。
計算をよく間違えるし、英語の綴りも間違って覚えていた。こんな風に居残ってまで勉強する癖に、がり勉ちゃんの頭でっかちでは無い。
変な奴だなと思った。だったら塾にでも通えば良いのに。ちゃんと教えて貰えよ、家庭教師でも良いから。
「ほらまた間違えてる」
相変わらず間違えている。学習能力はあるみたいだけど、あまりにも平凡過ぎる出来上がり。
「くっ……」
「そこじゃなくて、ここ」
自分が間違えた癖に、反抗的な態度を見せる。面白いおもちゃを手に入れたと思った。他の女子にやったら喜ぶ事を喜ばない。
反抗的な猫みたいな奴で、尚更面白いなと。それにイエスマンじゃない所が良いよ。何でもハイハイ従う奴はつまらない。
お前の意思は何処にあるのかと、問い詰めたくなる。面倒くさいしそもそも聞いた所で、面白い答えは返って来ないだろうけど。
大体元からつまらない奴に、最初から期待なんてしていない。でも目の前の女子はそうじゃない。嫌そうな目で睨んで来るから面白い。
自分に落ち度があるから、言い返せずに悔しそうなのも良い。見ていて飽きない新鮮さが常にある。
「何か?」
「何も言ってないけど」
ニッコリと笑ってやると、余計にイライラとした様子を見せている。相変わらず面白い女子だな。
「こっち見ないでくれる?」
そう言われて止めるとでも? もちろん止めないし、変わらず間違いを指摘する。こんな事を続けた所で、俺の未来が変わる事はない。
過去が覆る事も無い。そんなのは分かっているけれど、何故か毎日こうしている。俺の何がそうさせるのか、俺には全く分からない。
俺の心に出来た隙間へ、ちょうど良い感じに嵌ったらしい。優越感、とは違う気がする。恋心、でもないと思う。
ただ何故か、この目の前にいる女子の反応が面白いというだけ。ふっ、そこは昨日間違いだと指摘した場所。流石にもう覚えたのかな? 良く出来ました。
「ちゃんと覚えたんだ」
学習出来ている事を褒めたのに、嫌そうな表情を見せる。感情が豊かで良いじゃないか。
「ぐぬっ……」
「褒めているんだよ?」
褒めても嫌そうな顔をするのだから面白い。この子が喜ぶのって、どういう時なのかな? そんな興味も湧いて来ている。
小鳥遊綾、クラスメイトの女子。あまり目立つタイプではないし、メイクとかもあまり興味は無さそうだ。派手に着飾るタイプではない。
肌は綺麗だし、スキンケアぐらいはしているのかな? そういう所はちゃんと女子らしい。でも他の女子とはリアクションが全く違う。
やっぱり面白いよねぇ、小鳥遊さん。どんな時にどんな表情を見せてくれるのだろうか?
「せっかく褒めたのに、別の所で間違えるんだ」
「う、うるさいなぁ!」
「君の方が声は大きいけどね?」
この関係に名前を付けるならなんだろうか? 友達、とはちょっと違うな。クラスメイト、が無難な所か。
そしてこの行為は何かと言えば、恐らくは気晴らし。そう、ただの気晴らしだ。溜まりに溜まった鬱憤の、吐き出す先が見つからなくて。
イライラしていた俺の、ただの気晴らし。捨て猫を拾って育てる様な、そういう何かだ。こうして構っている間だけは、和やかな気分になれる。
ただそれだけの行為でしかなく、特別な意味がある訳でもない。飽きたら終わりの関係性だと思っているのに、今の所は飽きそうもない。
初めてかも知れないな、見ていて飽きない女子って。
高校2年生になってからは、いつも放課後はこうして自習をして来た。
色々とあったお陰で、この形が一番都合の良い解決策になったからだ。
そう、最初はそうだったのに。快適で孤独な時間を過ごせていたのに。
少し前から私の放課後ライフは変わってしまった。あまり嬉しくない方向へ。
「何か?」
視線を感じて私は尋ねた。
「何も言ってないだろ?」
やや低めの綺麗な声が返答した。
「……ふんっ」
教室のちょうど中央辺りにある私の座席。その前にある席へ腰かけた、1人のムカつく男子生徒がずっとこちらを見ている。
身長はデカくて多分180cmぐらい。体育会系だからがっしりとした体格だ。
短めの黒髪を、ウルフカットとか何とかいう髪型にしている。
ハーフだかクォーターだか知らないけど、日本人とは思えない程に整った顔。
男子の癖に睫毛がパッチリで、リップでも塗っているのかというぐらい艶々の唇。
目の色も髪の色も黒だけど、彫りが深くて鼻も高い。そんな学校でも有名なイケメンが、地味で平凡な私に何の用事があるというのか?
大体バスケ部はどうしたエースさんよ。1週間も私に粘着していて良いの?
「早く部活に行けば?」
サボりか? ちゃんと部活に行きなさいよ。こんな所で油を売ってないで。
「ん~今日は休む」
「それ昨日も聞いたけど?」
何がしたいんだこの男は。ただ勉強をしている私を、ずっと見ているだけなんて。
嫌がらせか? 邪魔がしたいの? その割に露骨な妨害をして来ないから、文句を言うにも少し理由が弱い。
じゃあ私が図書室にでも行けば良いのかと思ったら、この男は着いて来る。
そしてまた対面に座って、ニコニコとこっちを見ているのだ。
本当に何なの? 少なくとも私の事が好きなんて事は絶対にない。
だって接点なんてまともに無かった。2年生になって同じクラスになっただけ。
それ以上でもそれ以下でもない。そして私は自分がこんな恵まれた男子から、好かれる人間だと自惚れてもいない。
「暇なの?」
「暇といえば暇だし、暇じゃないと言えば暇じゃない」
ニコニコと笑いながら、彼はそんな事を言う。答えになっていないんだけど?
「何それ? どっちなのよ」
この男は叶蒼汰という学校で人気のイケメン男子だ。バスケットボール部のエースで、1年生の頃から有名だった。
色んな先輩達から告白を受け、全てを断っているとか何とか。
じゃあ同級生に恋人でも居るのかと思えば、特にそういう訳でもないらしい。
同級生の女子からの告白も当然断っている。一時期は女性に興味が無いのでは? とまで言われていたぐらいだ。
それ程にまで人気の男子が、何故か毎日こうして目の前に来る。
気が散るから止めて欲しい。でも私から逃げたら、負けたみたいで嫌だ。何よりまだ帰るには微妙な時間だ。
「続けないの? そこ、間違えているけど」
彼は毎日当たり前の様に、私の間違いを指摘して来る。間違えたと言う事実が、少し恥ずかしい。
「なっ!? わ、分かってますうー!」
「ふーん、なら良いけど」
ああ本当にムカつく男だ。顔良しスポーツ良し頭も良しと、三拍子揃ったエリート君。
私のような運動微妙で見た目も微妙、特別頭が良い訳でもないと微妙の三冠王とは真逆だ。
ちなみにどこが間違いなのか分かっていない。つい言い返してしまっただけで。
間違いを探していると、男性らしい大きな手が視界に入る。
ここだよと言わんばかりに、問題の箇所を指先でトントンと計算式を叩く。
完全に邪険には出来ない理由がここにある。悔しいけどコイツ、間違いを教えてくれるから。
邪魔をしたいのか教えてくれるのか、ハッキリしてよ。何がしたいのさ本当に。
「あれ? 何も無し?」
「ぐっ……あ、ありがとう」
悔しい。何がしたいかよく分からない変な男子に、こうも良いようにされてしまうのが。
「どういたしまして」
ああもう何なの本当に!? 確かにお礼を言わなかった私が悪いけど!
それにしたってこの男、目的をせめて明かしてよ! 何がしたいのか分かっていれば、多少はマシかも知れないのに!
本当に意味が分からない。変人だよ変人。お前は今日からエリート変人だ。
エリートな癖に変、ぴったりなネーミングだ。面と向かってはとても言えないけど。
そしてそんな私を見て、またニコニコと笑っている。もういい、考えるのは止めだ。
変な間違い指摘マシンが、目の前にあると思って自習を続けよう。
1週間もこんな事をしていたのだから、そろそろ飽きるでしょ。私を見ていて楽しい筈もないし。
「そこXとYが逆」
「うっ……はい」
「集中しないとダメだよ?」
腹立つ。誰のせいでこんな…………そうだ。本当に悪いのはこのエリート変人じゃない。
この男はまあノイズではあるけれど、正直この程度なら別に良い。良くはないけど良い。
私がこんな風にして、下校時間ギリギリまで残らないといけない原因は彼ではない。
誰なのかが分かれば、一番良いのだけど。姿も名前も分からない相手、でも目の前のコイツみたいに理由は不明じゃない。
だからこそ、こうする以外に無かった。この方法で今の所は上手く行っている。
それを思えば、こやつなんて可愛いもの。全然可愛いくはないけど。
「ほらまた、集中しないから」
誰のせいで集中出来ないと思っている? 君のせいだからね?
「……はぁ」
「どうしたの? 疲れちゃった?」
ええ疲れてますよ今まさに。原因の2割ぐらいは目の前に居るけど。
何でこうなったのかなぁ? 私は神様に恨まれる様な事を何かやっちゃいましたか?
あると言うなら今すぐ私ごと、目の前の男を落雷でふっ飛ばして貰えませんか?
結局今日も完全下校時間になるまで、ムカつくクラスメイトに粘着された。
でも目的の時間になったから、とりあえずはオッケーかな? 今の所は気配がない。
GWも過ぎて、最近は日没の時間が遅くなって来ている。
ほんのり薄暗い程度の通学路を歩きながら、私は警戒を怠らない。
出来るだけ人の多い道を選んで、狭い道や裏通りは避けて移動する。
だけどどうしても人通りが少ない道を通らざるを得ないタイミングもあって。
2週間ぐらい何も起きていないから、多分大丈夫だと思うけど……。
(お願い……)
私が高校2年生になってすぐ、帰り道で人の気配を感じる様になった。
友達と途中までは帰り道が一緒だったけど、分かれた後から明らかに視線を感じる様になった。
最初は勘違いかと思った。だけど1週間も続いたら、どう考えても普通じゃない。
軽く小走りで移動しても、しっかり着いて来る。私が立ち止まれば、背後の気配も止まる。
もうこれは間違いない、目的は私で、恐らくこれは……ストーカーだ。
そう気付いた私は、最寄りの交番に行って相談した。けれど、それだけでは動けないと言われてしまった。
(良し、今日もいない)
素早く自宅の前に移動して、玄関の鍵を開ける。サッと玄関を潜りドアを閉じて施錠した。
帰宅した私の家には、私以外に誰もいない。人の気配は一切ない。
大して広くもないありきたりなアパートで、母親と2人で暮らしている。
父親は離婚して、遠くの街に引っ越してしまった。離婚が決まった7年前は、母親の言い分を信じた。
でも今は、父親の方が正しかったのではないか? そう思えて仕方がない。
母親が今なぜ居ないのか、それは新しく作った彼氏の家に居るからだ。
お母さんはいつもそうだ、自分の恋愛が最優先。もっと早くに気づくべきだった。
「一応食事代を置いておく程度の常識は、まだ残っているんだね」
リビングの机に上には、1万円札が1枚だけ置かれていた。
母親は今何の仕事をしているのだろうか? 興味は無いけれど、稼ぎがちゃんとあるかが不安だ。
お母さんは私が大学に行きたいって、分かってくれている?
前にも伝えたのに、口を開けば自分の男の話ばかりで話にならない。
再婚したら貴女のお父さんにとか、聞きたくもない話題だ。
誰だよそいつは、私の父親はお父さんだけだ。名前も聞きたくない誰かじゃない。
そもそも母親らしい事を殆どしていないのに、今更そんな話をするのか。
自分で朝食もお弁当も夕食も作って、洗濯も掃除も自分でやっている。
生活費だって、多分これはお父さんのお金だと思う。お母さんは転職を繰り返している。
「何なの、本当に……」
こうして1人で孤独に生活していると、惨めで涙が出そうになる。
訳の分からないストーカーに、当てにならない母親。私が何をしたっていうのか。
一応生活は出来ているし、学校も通えている。でもこれ以上酷くなるなら、どうにかしてお父さんの連絡先を手に入れる。
どうやら電話番号が変わったらしく、私から連絡を取る事が出来ない。頑なに教えてくれないお母さんだけど、知ってはいると思う。
恐らくは、お母さんのスマートフォンに登録されている筈。ただ殆ど家にいないせいで、盗み見るチャンスがない。
このまま大学に行けなってしまう前に、お父さんを頼ろう。
勤務先をちゃんと覚えておけば良かったと、何度後悔した事か。
「はぁ……」
児童相談所に行く方が良いのかな? でも警察であの対応だよ?
お母さんが何の仕事をしているのか、そもそも就職しているのかも分からない現状で、相手にして貰えるの?
親の苦労も分からない子供って、思われるだけじゃない?
警察も頼れないのに、児童相談所じゃあね。確か、そんなに強い権力無かったよね?
じゃあやっぱり期待出来ない。自分で何とかするしかない。
だってお父さんの連絡先さえ手に入れば良いのだから。
家庭の事情も知らない他人に必死に説明するよりも、お母さんの人間性を知っているお父さんの方が安心だ。
他に頼れる人なんて、私の数少ない友達以外には……。
『集中しないとダメだよ?』
「いやいやいや! あれはムカつくヤツだから違う!」
どうしてこのタイミングでエリート変人が出て来るのさ?
あんな奴が頼りになるわけがない。何がしたいのかも良く分からない変な男子だ。
どうせその内、私への興味なんて無くして関わる事も無くなるよ。
きっと明日には、もう飽きているに決まっている。私なんかに興味を持ち続ける暇人は…………。
厄介な事に1人だけ居る。ネットリとした視線と、嫌な雰囲気を振り撒く誰かさん。
いやそれはともかく。エリート変人はもう飽きたに決まっている。
私よりも綺麗で、私よりも可愛いくて、私よりもスタイルが良くて、私よりも頭が良い女子は沢山居る。
君に相応しい相手と、好きなだけイチャコラしておくれ。
「あっ……焦げちゃった」
考え事をしていたら、作っていた野菜炒めが少し焦げてしまった。
お母さんは私が料理を作れないと思って、コンビニ弁当でも買えと思っているのかな。
もう私は自分で料理が出来るから、自分で作っている。
中学の時にはもう3食自分で作っていた。お母さんの真実に気付いた時から、余ったお釣りは使わず貯めている。
基本的に週1で置いておかれる1万円は、上手くやり繰りすれば5千円は残せる。
中学時代でそうだったのだから、高校生になった今では1ヶ月の食費が3万円もあれば何とかなる。
そして電気ガス水道とスマートフォンの利用料金は引き落としっぽい。
ただそれも恐らくは、お父さんの口座じゃないかと私は疑っている。
だって一度も止まった事が無いから。働いているのかいないのか、それすら怪しい母親の稼ぎなら、とっくの昔に何度も止まっている筈だから。
家庭と諸々の事情を抱えていても、次の日はやって来る。
望むかどうかは関係なく。どうにか今の状況から脱出したい私としては、凄く微妙な心境だ。
明日にならば状況が好転するかも知れないし、より悪化するかも知れない。
先が見えないトンネルの中で、僅かな明かりを頼りに歩いている気分だ。
もっとも私は今、5月の日差しに照らされているけれども。
いまは体育の時間で、女子はハンドボールで男子はサッカーをやっている。もちろん私は居るだけの数合わせ。
「綾ちゃん? どうしたの?」
5月といえどもグラウンドに出て運動をしていたら暑い。特に私の様に運動音痴は余計に辛い。
キラキラ陽キャな女子達は、楽しそうに試合をしている。そして私は、隅っこの方で文芸部の友達と休憩中。
西川紗良ちゃんという、小柄で可愛らしい女の子だ。
「何でもないよ。ただ暑いなぁって」
「今日は30℃まで上がるらしいからね」
紗良ちゃんは小学校の頃からの友達で、結構な付き合いがある。ただ私と違うのは、小さくてスタイルが良い点だ。
中途半端に身長がデカくて、中途半端な体つきの私とは違う。ザ・女の子って感じで羨ましい限りだ。
クラスの中心になるタイプではないけど、何度か男子に告白もされている。私? これを西川さんに渡して欲しいって、紗良ちゃんへのラブレターを受け取ったぐらいだよ。
「うん? 皆なにを騒いでいるの?」
「ほらアレだよ、叶君」
何やらクラスの女子達が騒いでいる。紗良ちゃんの指さす方では、男子達がサッカーをやっている。
「げっ」
そこではエリート変人が、サッカーでご活躍中だった。良いよね運動が出来る人は、私なんて碌なパスすら出せませんとも。
何より走るのも遅いし。そんな私とは違って、変人さんはパスもシュートも完璧と来た。どういう体をしていたらあんな風になれるのかな?
毎日プロテインとか? でもムキムキマッチョマンはちょっと嫌だなぁ。適度に鍛えている人が良いかも。
ボディビルダーみたいな男性は、少しだけ苦手だ。何事も限度があるよね。あれはちょっと怖い。
それにしても、何もかも完璧とか特に理解不能だよ。変人だとは言っても、流石はエリート様。そう思いながらボーっと見ていたのが悪いのだろう。
「「「」キャーッ!?」」
「あれ? 今叶君、綾ちゃんにウィンクしなかった?」
アイツ……わざとやった? 止めてよ皆が見ている中で。余計な目立ち方はしたくないのに。
「き、気のせいだよきっと。他の子じゃないの」
そう誤魔化したけど、明らかにバッチリ目が合った。というかアイツ、まだ飽きてないの? まだ絡む気なの?
もう勘弁して欲しいんですけど? ただでさえ暑いというのに、余計に気分が悪くなる。本当に何がしたいのか分からない男子だ。
何故今もまだ、私みたいな目立たない存在に構って来るのだろうか。変人の考える事はやっぱり理解が出来ないよ。
早く飽きて次の誰かに行ってくれないだろうか。小鳥遊さん? ああそんな子居たよねってポジションで良いんだ私は。下手に目立って注目されたくはない。
「もしかして綾ちゃん、叶君と何か……」
鋭い友人の勘が働いている。今はまだ疑いにすらなっていないとしても。このまま何時までも、誤魔化しきれるだろうか。
「ないない! 何もないよ!」
「そうなの?」
嘘でもあり本当でもあり、何もないとしか言うほかない。実際なにかあったかと言われても、私としては何も無い。
あっちが急に絡んで来ただけだ。本当に突然だったし、意味が分からない。頑張ったって意味ないとか突然言って来たから、私がどうするかなんて貴方に関係ないと答えただけ。
そうしたら次の日から急にあんな風に目の前で、居座ってずっと見て来る様になっただけだし。始まりから何もかも全てが、あの変人が勝手にやっている。
私は構えと頼んでないし、友達になろうとも言っていない。だから答えは何もないで合っている。だって私とアイツは今も他人のままで、ただのクラスメイトでしかないもの。
「大体接点がないじゃない、私とへ……叶君」
危うく紗良ちゃんの前で、エリート変人と呼びそうになった。危ない危ない、私とヤツに接点があると誤解されてしまう。
「まあ確かに? 綾ちゃんって、友達作るの下手だし」
「それは事実陳列罪なのでギルティ」
仕方ないじゃない、人間誰しも苦手な事だってあります。私の場合はちょっと人より、僅かながら友達が少ないだけで。
紗良ちゃん以外だと、別のクラスのもう2人ほど友達は居ます。友達が3人だけってのは、やや一般的な学生よりも……ちょっぴり少ないかも知れないけど。
でもボッチではないので。トイレで1人虚しくお弁当ではないので。その様な生き方とは無縁ですから私は。
紗良ちゃんが部活の子とお昼に行っちゃうと、私は教室に1人だけども。それはボッチとは違いますからね。
別の友達が居るクラスに行けば良いんだけど、あえてね? あえて。移動するのが面倒だなって思ったから自分の席で食べているだけでね。
ほら他のクラスの人の席を借りるのも、それなりに迷惑かなって私は思うわけでして。ええ、理性的で常識的な判断です。
「あぶない!」
「へっ?」
突然の警告に、思わずそちらを見る。何の因果か、結構な速度で飛来するボール。当然反射神経なんて大した事が無い私は、即座に反応なんて出来るわけもなく。
そこそこの硬さをお持ちのハンドボールを、顔面でブロックした私の意識はそこで途切れてしまいました。ああ、もう本当に何なの? 神様って私の事が嫌いなのかな?
俺は小さい頃から、とても背が低かった。だから舐められたくなくて、せめて運動だけは出来る様になろうと思った。
それに成長期にどうなるかなんて、誰にも分からない。煮干しをバリバリ食いまくり、牛乳もとにかく沢山飲んだ。
両親共に背は低いけど、諦めたりはしなかった。同時に運動もやりまくった。水泳陸上テニスにサッカー少年野球、昼休みは毎日ドッジボールだ。
そんな日々を過ごして迎えた、記念すべき中学入学。1年生の時点で俺は150cmしか無かった。そして俺はある情報を手に入れる。
バレーボールかバスケットボールをやれば背が伸びると。だから俺は選んだ、バスケットボールを。
これがやってみたら楽しくて、すっかりのめり込んだ。そして情報通り、俺の身長はグングン伸びた。
1年10cmという凄まじい伸びを見せ、中学卒業前に180cmを超えた。バスケも上手くなっていたし、全てが順調だった。
バカと思われたくも無かったから、勉強だって俺は頑張り続けていた。俺は高校生になり、1年生の時点で注目の選手として脚光を浴び始めた。
だがそれは、簡単に終わりを告げた。試合中の相手選手との接触で負傷し、結局怪我の後遺症は治らないまま。一気に俺の人生は、転がり落ち始めた。
2年生になったある日、たまたま放課後の教室に立ち寄った。そうしたら何故か、必死に勉強している女子が居た。
何故そんな事を言おうと思ったのか、今でも良く分からない。ただ何故か、その姿にイラっとした。
「そんなに頑張っても、どうせ意味ないよ。努力なんて、いつか無駄になるから」
「…………私がどうするかなんて、貴方に関係ないでしょ」
確かにそれはその通りだけど、大人しそうな見た目のわりに気は強いらしい。女子からそんな対応をされた事が無かったから、ちょっとだけ興味が湧いた。
コイツがどこまで頑張れるのか、この目で見てやろうと思った。で、いざ見てみたら、そこまで勉強は得意じゃないらしい。
計算をよく間違えるし、英語の綴りも間違って覚えていた。こんな風に居残ってまで勉強する癖に、がり勉ちゃんの頭でっかちでは無い。
変な奴だなと思った。だったら塾にでも通えば良いのに。ちゃんと教えて貰えよ、家庭教師でも良いから。
「ほらまた間違えてる」
相変わらず間違えている。学習能力はあるみたいだけど、あまりにも平凡過ぎる出来上がり。
「くっ……」
「そこじゃなくて、ここ」
自分が間違えた癖に、反抗的な態度を見せる。面白いおもちゃを手に入れたと思った。他の女子にやったら喜ぶ事を喜ばない。
反抗的な猫みたいな奴で、尚更面白いなと。それにイエスマンじゃない所が良いよ。何でもハイハイ従う奴はつまらない。
お前の意思は何処にあるのかと、問い詰めたくなる。面倒くさいしそもそも聞いた所で、面白い答えは返って来ないだろうけど。
大体元からつまらない奴に、最初から期待なんてしていない。でも目の前の女子はそうじゃない。嫌そうな目で睨んで来るから面白い。
自分に落ち度があるから、言い返せずに悔しそうなのも良い。見ていて飽きない新鮮さが常にある。
「何か?」
「何も言ってないけど」
ニッコリと笑ってやると、余計にイライラとした様子を見せている。相変わらず面白い女子だな。
「こっち見ないでくれる?」
そう言われて止めるとでも? もちろん止めないし、変わらず間違いを指摘する。こんな事を続けた所で、俺の未来が変わる事はない。
過去が覆る事も無い。そんなのは分かっているけれど、何故か毎日こうしている。俺の何がそうさせるのか、俺には全く分からない。
俺の心に出来た隙間へ、ちょうど良い感じに嵌ったらしい。優越感、とは違う気がする。恋心、でもないと思う。
ただ何故か、この目の前にいる女子の反応が面白いというだけ。ふっ、そこは昨日間違いだと指摘した場所。流石にもう覚えたのかな? 良く出来ました。
「ちゃんと覚えたんだ」
学習出来ている事を褒めたのに、嫌そうな表情を見せる。感情が豊かで良いじゃないか。
「ぐぬっ……」
「褒めているんだよ?」
褒めても嫌そうな顔をするのだから面白い。この子が喜ぶのって、どういう時なのかな? そんな興味も湧いて来ている。
小鳥遊綾、クラスメイトの女子。あまり目立つタイプではないし、メイクとかもあまり興味は無さそうだ。派手に着飾るタイプではない。
肌は綺麗だし、スキンケアぐらいはしているのかな? そういう所はちゃんと女子らしい。でも他の女子とはリアクションが全く違う。
やっぱり面白いよねぇ、小鳥遊さん。どんな時にどんな表情を見せてくれるのだろうか?
「せっかく褒めたのに、別の所で間違えるんだ」
「う、うるさいなぁ!」
「君の方が声は大きいけどね?」
この関係に名前を付けるならなんだろうか? 友達、とはちょっと違うな。クラスメイト、が無難な所か。
そしてこの行為は何かと言えば、恐らくは気晴らし。そう、ただの気晴らしだ。溜まりに溜まった鬱憤の、吐き出す先が見つからなくて。
イライラしていた俺の、ただの気晴らし。捨て猫を拾って育てる様な、そういう何かだ。こうして構っている間だけは、和やかな気分になれる。
ただそれだけの行為でしかなく、特別な意味がある訳でもない。飽きたら終わりの関係性だと思っているのに、今の所は飽きそうもない。
初めてかも知れないな、見ていて飽きない女子って。


