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朝、ユズとメイのごはんの催促で目が覚める。
どうやらあのまま眠ってしまったらしい。床に敷いているラグの上で寝ていたせいであちこちが痛くなっていた。
ユズとメイにごはんをあげたあと、もうひと眠りしようと今度はベッドに横になる。
そのままいつのまにか眠ってしまって、着信音で目が覚めた。寝ぼけ眼でスマホに手を伸ばし、重たいまぶたを押し上げながら画面をタップする。
「もしも……」
あたしの言葉を遮って、
『よかったぁ、生きてた!』
と、千里の大きな声がスマホ越しに聞こえてくる。
「い、生きてたって、そんな大袈裟な……」
『何言ってんの! 昨日あれほど帰ったら連絡してねって言ったのにどれだけ待っても連絡ないからさすがに不安になってメッセージ送ったんだよ! なのに返信もないし既読にもならないし、あたしがどれだけ心配したか分かってる?!』
捲し立てられるように告げられて、さすがに口出しをするわけにはいかなくなる。
「……ご、ごめん。あのあとすぐ寝ちゃって……」
というのは嘘だけれど、本当のことを言ったら絶対に怒られるので黙っておく。
『まあ、実際無事だったならよかったけど。でも、返信ないと生きてるか分からなくて心配するからせめてスタンプだけでも送って』
「生きてるか分からないって……」
『だってそうでしょ。彼氏に振られてヤケになって何を起こすか分からないじゃない』
「さすがにそこまではならないけど……分かった。スタンプだけは送るようにするから」
『ほんとにね。頼むよー』
千里があたしの友達でほんとによかった。
『まあ、昨日の今日で元気出せってのも無理だけどさ、今日は休みなんだから一日何も考えずにゆっくりしなよ。あっ、でも、ごはんだけはしっかり食べなね。お腹空いてなくても食べなきゃダメだよ。わかった?』
「……千里、お母さんみたい」
あたしが笑うと、
『ちょっとー! あたし、そんなに老けてないんだからね! 世話好きなのはママの影響なだけだから!』
と、千里は照れくさそうに言う。
「はいはい、ありがとね。千里ママ」
あたしはそれに笑った。
通話が終わると、時刻が十一時を過ぎていることに気がついた。
「……さすがに何か食べるか」
二日酔いの気持ち悪さを抑えながら立ち上がり、キッチンに向かって冷蔵庫を開ける。調味料やヤクルト、半分ほど残ったキャベツくらいしかなかった。
料理がとにかくできなくて、いつもはお総菜を買ってくるか、お弁当を買って済ませてしまうので食材はほとんど入っていない。
「……買い物行くか」
昨日、お風呂に入っていなかったので髪はベタベタだし、おまけにすっぴんはやばい。一度、シャワーを浴びたあと軽く身支度を整える。
テーブルにチュウハイの空き缶やお菓子のゴミが散乱していたのでそれを片付けていると飴を買っていたことに気づく。
何も食べないよりはマシか。そう思って飴を口に入れると、近くのコンビニに歩いて向かった。
そこで肉まんとおでんを買って帰る。
「……ただいま」
別に返事をしてくれる相手もいないけれど、家に帰るとつい言ってしまう。
「なんかいい匂いがする! 猫カンかな?」
……え?
言葉が聞こえて動揺したわたしは固まる。
まさか不審者がいる? いやいや、ちゃんと鍵は閉めて行ったし、不審者が〝いい匂いがする〟とか〝猫カン〟とか言ったりしない。
だったら一体誰が……?
恐る恐るリビングに続くドアを開けると、すぐに足元に纏わりつく一匹がいた。
「…………ユズ?」
ポカンと固まったあたしは、その場にかがみ込む。
ユズはわたしを見て、口を開けて鳴く。
「僕のごはん!」
「……え?」
今、ユズが喋った?
いやいや、まさか。そう思っていたら今度は少し離れたところで優雅に爪とぎをしてからユズに近づいたメイが、口を開けて鳴いた。
「ごはんはさっき食べたでしょ。ほんと、ユズって食い意地張ってるわね」
また言葉が聞こえてくる。というか頭の中に流れてくる。
「…………め、メイ?」
目の前で起こっている出来事を受け止めきれずに瞬きを繰り返す。
「……なんで、二匹が話してるの?」
思わず言葉にするが、それに答えてくれる人は誰もおらず。
「ねえ、なにもってるの? 猫カン? 僕たちのおやつでしょ? だってカツオの匂いするもん!」
ユズがあたしにすりすりしながら鳴いている。
けれど、聞こえてくるのは話し声。
「カツオの匂いがするからってあたしたちのごはんとは限らないの」
今度はメイがユズの頭をポンポンッと叩いた。俗に言う猫パンチだ。
すると、ユズはあたしの目の前から離れていく。
「……カツオの匂いって、確かにおでんはカツオ出汁だけど……」
二匹の話し声を聞いて思わずポツリと言葉を漏らす。
「じゃなくて!! なんで言葉が聞こえるようになったの?」
混乱するあたしはあたりをキョロキョロする。
そういえばあたし、コンビニに行く前にお腹が空いてたから飴を食べたっけ。
思い出したあたしはゴミ箱の中を覗き込む。そこにはやぶられた飴の袋が入っていた。そっ、と袋を掴んでパッケージを見ると、『猫の気持ちが分かるようになるかも飴』と書かれていた。
「……え、猫の気持ちが?」
分かるようになるかも飴。だから今、話し声が聞こえてるってこと?
だけど、なんであたし、こんなの買ったんだろう……。
「あ、そうだ」
あたしはこれを『人の気持ちが分かるようになる飴』と勘違いして買ったんだ。正志に振られた直後だったから、正志の考えていることが分かればいいのにって思ったんだった。
……正志のことは今、考えたくないな。
──グウ、とお腹が鳴る。
「……とりあえずこれ食べよ」
一旦考えることをやめる。
まだ温かいおでんと定番の肉まんを食べる。大根にカツオ出汁が沁みていて心も身体も温まる。
「……おいしー」
ふと、あることを思い出す。
──『おでんの具で一番何が好き?』
──『あたしは大根かな。出汁が沁みてるから』
──『おっ、俺と一緒だ! 俺も大根が一番好き! 俺ら気が合うな』
大学のとき、一緒に何度もコンビニのおでんを買って食べた。
大学時代から一人暮らしをはじめた。お金もあまりなかったしお互いにカツカツな生活だったので、肉まんとあんまんをひとつずつ買ってそれを半分ずつ交換して食べたこともある。思い出したら止まらない。
「……楽しかったなぁ、懐かしい……」
スマホは当然、誰からもメッセージはない。もちろん彼氏からも。
【ごめん、別れよう】
たったこの文字だけで別れられるほどあたしたちの関係は脆いものだったのだろうか。
「……なんで」
突然そんなことを言われたのか分からない。
結局、おでんと肉まんを食べ終えると、またベッドに横になった。
***
翌日の朝。起きると、ユズとメイの言葉が聞こえなくなっていた。
飴のパッケージを再度見てみると、小さな文字で『※効果は七時間』と記載されていた。信じているわけではないけれど、もう一度飴を舐めてみる。しばらくして効果が効いてきたのかユズたちの声が聞こえてくる。
「ごはんちょうだいー」
「あたしも」
どうやら原因はこの飴にあるらしい。
ありえない状況が目の前で二度も起こったので、あたしはそれを受け入れることしかできなかった。
しばらくすると声は聞こえなくなり、そのたびに飴を舐める。すると、また声が聞こえてくる。
そんな日を一週間繰り返した。



