僕たちの道しるべ




「もーっ、むかつく!!」

 半分ほどビールが減ったジョッキをテーブルに叩きつける。

「ちょっと歩実、呑むペース早いって」

 あたしを止めるのは、大学時代からの友達の千里(ちさと)だった。

「だって連絡ひとつで別れようなんてひどくない? せめて理由のひとつでも教えてくれたらいいじゃん! なのに、ごめん別れよう、なんて……あーっ! 思い出すだけでむかつく!!」

 正志からのメッセージのあと、どうしたらいいか分からなかったあたしは大学時代の友達、千里に連絡をした。
 そうしたら千里が『会って詳しく聞かせて』ということだったので、それから今に至る。

「正志くんに腹を立てる気持ちも分からなくはないけどさ、歩実はどうなの? 自分が振られた理由に心当たりないの?」

「ないよ! ないない! だってあたし、べつにわがまま言うわけじゃないし、正志の時間だって尊重するし、会えるときに会おうって約束してるわけだし……」

「じゃあなんで正志くんはそんなこと言ったの?」

「だから、それが分かったら苦労しないんだってば!」

 分からないから尚更腹が立つのだ。
 急にメッセージで『会えない』と。しかも『別れよう』なんて。

「てか、なんでメッセージで別れようなんて言うのかなあ。ひどくない? せめて会って直接言ってくれた方がよくない?」

「じゃあ、直接会って言われたら受け入れたわけ?」

「それは無理だけど……」

 そう答えると、千里は「でしょ」と笑いながらビールを飲む。

「もーっ! 話を逸らさないでよ! あたしが言いたいのは、メッセージで簡単に別れ話を済ませようとしてることに腹が立ってるってこと! だってそうでしょ。あたしと正志は付き合って二年半だよ? なのに終わるときはそんなあっさりなの? 普通ならもっと相手に情が湧いて、しっかり会って話そうとかなるでしょ!?」

 感情が篭ってつい口調が荒くなる。
 そんなあたしを見て、千里は苦笑いをすると、

「べつにさぁ、何年付き合ってよーが終わるときはあっさり終わるでしょ」

 と、清々しい顔をしてさらりと言われる。
 なのであたしは何も言い返せなくなり、静かにビールを呑む。

「……じゃあ、正志はあたしのこと好きじゃなくなったってこと?」

「さあ、それは分からないけど。知りたいなら本人に聞いてみたらいいんじゃない」

 別れようとメッセージを送られてきたあとに、『あたしのこと好き?』って普通聞く?
 それこそ嫌がらせみたいに思われるんじゃ……。

「無理! 聞けるわけないじゃん!」

「じゃあもう仕方ないんじゃない」

「え、なに。別れろってこと?」

「そうは言ってないけど。ほんとに別れたくないならちゃんと自分の気持ち伝えてみれば?」

 別れなくて済むなら自分の気持ちを伝えたい。

「でもさ、もし自分の気持ちを伝えてみても正志の気持ちが変わらなかったらどうする。別れるってこと? やだやだ、そんなの怖くて無理!」

「ちょっと歩実〜、子供じゃないんだからさぁ」

 あたしを見て千里は苦笑いをする。

 そんな彼女と仲良くなったキッカケは大学に入学して一ヶ月したあたりだった。まだ友達もできておらずに一人で講義を受けるために席についていたら、『隣いい?』と声をかけてきたのが千里だった。

 気さくで明るい千里の性格のおかげで、あたしたちはすぐに仲良くなる。

 すでに千里はサークルに入っていて、彼女に勧められて入ったのが『キャンプ同好会』だった。サークルといっても活動はいたって緩いらしくて、普段の活動は週に二回の清掃らしい。
 けれど、それ以外にも月に一回は山や川に行ってキャンプをして、おいしいものが食べられるということだったので入部した。

 正志と知り合ったのは、それから一年が過ぎた大学二年生の春。千里の友達の繋がりで正志もキャンプ同好会に入部した。
 人付き合いが得意な千里はすぐに正志と打ち解けて、あたしもその流れで仲良くなった。

 ──『正志くん、絶対、歩実のこと好きだと思う!』

 ある日突然、千里がそんなことを言った。
 そんなことないって思ったけれど、その日を境に意識するようになった自分がいた。
 大学は人も多いし、たくさんの交流もある。だから、正志がいろんな人と仲良くしている場面も目撃して、そのたびに嫉妬もした。
 それから少しして抑え切れなくなった感情を正志に伝えた。結果は、『俺も好き』って言ってもらえて付き合うようになったんだけれど。

「なんかさぁ、人の気持ちが簡単に分かるようになればこんなに悩むことなんてないのにね」

 お酒が進んで酔ってきたあたしはそんなことを口にする。

「まあ、そう思う気持ちも分からなくはないけど、人の気持ちが簡単に分かっちゃったらおもしろくないじゃん。分からないからこそ真剣に悩んだりするわけだし」

 彼女の言葉を聞いて自分が情けなくなる。

「千里はいいよね。そうやっていつも前向きに考えるから。あたしもそんな風に思える人になりたかったなぁ」

「べつにあたしだっていつも前向きなわけじゃないよ。落ち込むときだってあるし、逃げだしたくなるときだってあるし」

 焼き鳥を食べるその姿さえ凛々しく見える。

「そうなの〜? そんな風には全然見えないけど」

 千里と出会って五年目になるけれど、落ち込んだ姿なんて二回あったかどうかくらい。

 正志から連絡がきていないかスマホを確認してみるけれど、メッセージはきていない。その代わりにさっきのやりとりが視界に入り込む。

「あーもうっ、思い出すだけで悲しくなってくる!」

 ジョッキに残っていたビールを一気に喉に流し込んでいく。

「すみません。ビール大でおかわりください!」

 店員さんに注文する。

「ちょっと歩実、やめなって!」

 千里が隣で静止するのを振り切ってあたしは、

「お願いします。あと、焼き鳥も追加で!」

 と、さらに呑む意欲を見せる。
 店員さんは「ありがとうございます!」と元気に注文を復唱する。

「歩実、あんたお酒強くないんだからやめなよ」

「だってお酒の力を借りないと悲しさから逃れられないんだもん!!」

 おつまみの枝豆を食べていると、ちょうどビールが運ばれてくる。

「お兄さん、ありがと〜」

 そう言ってあたしはまたビールを喉に流し込んでいく。

「歩実、もう酔っ払ってるじゃん。顔真っ赤だよ!」

「へーきへーき、だい、じょうぶー」

 自分でも舌が回らなくなってきてるのは分かっている。だけど、こうでもしないと現実を受け止められないのだ。
 いや、あたしはただ逃げているだけなのだ。
彼氏から振られてしまったという事実を受け止めきれられずに──。

「歩実、家まで送って行こうか?」

「らいじょうぶ。ひとりれ帰れるから〜」

 あたしは千里に手を振る。
 千里は心配そうにあたしを見つめる。

「もう、心配だなあ……。家に帰りついたらメッセージしてよ!」

「は〜い」

「絶対からだね! 約束だよ!」

 最後までしつこく言われるが、あたしはお酒が回っていたので千里に手を振りながら適当に相槌を返した。
 一人で歩いて帰っていると目の前にコンビニが見えてくる。少し酔いを覚ますために水を買おうと店内に入る。

「いらっしゃいませ〜」

 目当ての水を取ったが隣にチュウハイが見えた。

【ごめん、別れよう】

 彼氏のメッセージを思い出し、またヤケになる。
チュウハイを二本取る。甘いものが食べたくなったのでワッフルをふたつほど取ってレジに向かおうとした。
 そうしたら〝あるもの〟に目が向いて足が止まる。

「……ひとのきもちが、わかるようになる、あめ?」

〝新発売〟と大きく書かれたポップ書きがしており、目立つ場所に設置されている。

 べつに本気で信じているわけじゃないけれど……。

 飴で人の気持ちが分かるようになるのなら安いものだ、そう思ってあたしは飴を手で掴めるだけ掴むとそのまま取りレジに向かった。

「ありがとうございましたー」

 会計を済ませて店を出る。
 そこから五分かけて帰宅すると、猫が二匹やってくる。

「ただいま〜」

 ユズとメイだ。メイは中学生の頃から飼っていたけれど、ユズは五年ほど前にうちにやってきた。というのも、実家の近くの空き地に捨てられていたところを引き取って実家で飼うようになった。のだが、最近母に病気が見つかり入院することになったのであたしが預かっている。今、ちょうど二十日くらい。ようやく二匹がいる生活に慣れてきたけれど、夜中に運動会が始まるのだけはいまだに慣れない。

「ニャーッ」

 鳴きながら足元に纏わりつく。

「ごはんにしよーねー」

 二匹分のお皿を用意すると、それにカリカリを入れて床に置いた。
 すると、一目散にカリカリを食べだす。

「おいしーねえー。よかったねえー」

 ユズとメイを見て幸せな気持ちになる。

 帰宅したらすぐにお風呂に入るのだが、それも今は面倒くさい。洗面所でメイクを軽く拭き取ってから年季の入った部屋着に着替えて、先程コンビニで買ったチュウハイと冷凍庫にある枝豆を電子レンジで解凍して部屋で飲み直すことにする。
 枝豆がなくなると、今度は買ってきたワッフルを食べる。チュウハイの二本目を開けたとき、メイがテーブルの上に乗ってきた。その衝撃で空になった缶が床の上を転がっていく。

「あ〜、やばいやばいー」

 飲みきってはいるが中身が少しこぼれたらベタベタしてしまうので、缶をおぼつかない足で追いかける。

「もう〜、メイちゃんてばー……」

 彼女は、マイペースでおっとりした子だ。テーブルの上を見てもこちらに気を留めることもせず、毛繕いをしている。ツンデレなのだがツンが多めであまりあたしに構うことはほとんどない。
 空の缶を掴むと、ちょうど視界の先に棚が見える。そこには大学時代の思い出の品が数々入れられている。もちろん正志との思い出のアルバムもある。
 あたしは、そこに手を伸ばすとアルバムを掴んだ。広げると、中身はキャンプ同好会で行った川で撮った写真があった。これはあたしが川で転けちゃって、それを笑っている正志と千里。
それだけじゃない。お肉を頬張っている正志の写真もあれば、同好会メンバーとピースサインをしている写真もある。

「……懐かしい」

 ページをめくるたびに思い出が蘇ってくる。
 綺麗な景色が見える山のそばでキャンプもした。バーベキューのとき、お肉を食べるあたしを見て正志が『うまそーに食うね』と笑ったときの写真もあったし、薄暗い中焚き火をしてみんなで夢を語り合うときの写真もある。
片想いをしているからとあたしのために千里がこっそりと写真をたくさん撮ってくれていた。
幸せで、毎日が楽しくて、この幸せが毎日続くのかと思っていたけれど……

「……振られちゃったよー」

 目頭がじわっと熱くなってきて、視界が滲んできた。
 そこへ「ニャーッ」と鳴きながらユズがやってくる。

「どうしよう、ユズー」

 チャトラ柄のユズに手を伸ばすと顔をスリスリしてくる。これは撫でてほしいサインだ。
軽くユズの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めたあと、その場にゴロンと寝転がる。ゴロゴロと喉を鳴らしたあと、しばらくして何事もなかったかのようにその場を立ち去り、ラグの上に座って丸くなる。どうやら満たされてもう撫でるのはいいらしい。
 メイちゃんと目が合ったけれど、すぐに逸らされた。彼女はテーブルの上で優雅に横になり寛いでいるようだった。

「誰もあたしに構ってくれない。いいもんね、べつに。おさけ、呑んじゃうもんね」

 アルバムを胸に抱き留めて立ち上がり、ふらつく足取りでテーブルの前までやってくる。開けっぱなしになっていたチュウハイをグビグビと呑んでいく。