競技かるた大会は、午前中で終了。午後は授業もなく、放課となりました。
 俺は絵の続きを描こうと美術室に行き、いつものようにシャツを脱ぎ捨ててインナーのTシャツとジャージに着替えます。
「先輩!?」
 彼が先に来ていました。
「無防備にも程があります!」
「そうですか? いつもこうです」
 顧問がいたとしても、俺は気にせず着替えていると思います。先輩がいた頃も、特に気にしませんでした。あなたがいたときも。
「先輩、あの」
「頑張りましたね」
 彼を褒めたつもりでしたが、彼の言葉を遮ってしまいました。彼が謝ってしまう前に、罪悪感を消してしまいたかったのです。
「格好良かったですよ。俺は手も足も出ませんでした」
「違うんです、違わないけど、違うんです」
「誰が何と言おうと、今日のきみはヒーローでした。去年は盛り上がらなかったかるた大会が、今年は盛り上がりました」
「違います、違うんです……! 違うんです!」
 一瞬でした。初めてでした。胸倉を掴まれたのは。そのタイミングで顧問が美術室に入ってきましたが、彼は気づきません。
「そういうことじゃないんです! 俺は、俺は……!」
 ちからを込めていたのは、数秒だけでした。彼は眉間に皺を寄せ、目をきつくつむり、目尻に涙が滲みます。
「先輩に……!」
 彼は、ぽろぽろと涙をこぼします。どうしましょう。これでも俺は動揺しています。他人を泣かせてしまったことにも、それを顧問に見られたことにも、彼の感情がわからないことにも、俺がすべき行動がわからないことにも。
「2年生のきみ、何をやらかしたんだ」
 顧問は驚きもせず、彼に近づき、彼を俺に押しつけてきやがりました。彼はバランスを崩し、俺にしがみつきます。俺も彼の肩を掴んで支えます。
「僕が言うのも変だが、こいつは、きみに話を聞いてもらいたいんだよ。先回りして遮るんじゃない」
 すみません、と俺は謝りました。でも、根掘り葉掘り詮索するのは、俺のキャラではありません。
「まあ、わかりづらいよな。こいつが誰かに話を聞いてもらいたいなんて、滅多に無いことだよ。聞いて差し上げなさい」
 顧問は、彼の頭をぽんぽんと叩きます。
「お父さんのこと、申し訳なかった。見に来るのは構わないが口を挟まないように厳重注意したのだけど、大会の最中だけ口を挟まないと誤解されてしまった。校長先生も交えて話をさせてもらい、お母さんにも連絡しておいたから、普通に家に帰って大丈夫だ。堂々と帰宅しなさい。それでもお父さんに何か言われたりしたら、すぐに学校でも僕でも連絡しなさい。僕達は、きみの味方だ」
 うんうん、と彼は頷きました。
「2年生のきみ、後はよろしく」
 生徒ふたりが抱き合っているような状況で、顧問は美術室を出ていってしまいました。
「……先輩、ごめんなさい」
 彼の声が耳をくすぐります。肩で大きく息をするたびに、その動きが服越しに感じられます。
「……自分がこんなに荒れるとは思ってもみませんでした」
「良いんですよ」
「良いんですか?」
「良いんですよ」
 不謹慎ではありますが、嬉しくもありました。彼が言葉にならない感情剥き出しで俺にぶつかってきたことも、俺に事情を話したいと思ってくれたことも。こんな一面を他の誰かに見せてほしくない独占欲が、じわじわと湧いてきました。独占欲のことなんか、とても話せるわけもなく、我慢もできず、彼の薄い体を抱きしめます。
「好きです」
 涙が落ち着いた彼は、俺の背中に腕をまわします。
「先輩の、何も聞かない優しいところが、好きです」
 あなたのことを思い出していまいました。俺に告白されたあなたは、何を思ったのでしょう。今となっては、確かめようもありませんが。