模試なんか気にする余裕もなく、衝動のまま作品に向かいます。画材やら考えるのももどかしく、スケッチブックに鉛筆で下書きし、水彩絵の具で彩色します。
何を食べて何時間寝て、授業の内容は何だったのか、覚えていません。親や顧問は心配しているようですが、クラスメイトは話しかけてきません。彼は変わらずに近寄ってくれると思っていましたが、彼は絶賛スランプ中で神社の絵に行き詰まっています。
作品に向かいながら、あなたのことを思い出しました。
初めてあなたと出会ったのは、美術部の見学に行ったとき。第一志望の高校に進学できず希望の持てなかった俺は、ムラサキと名づけられた野良猫を抱きかかえて午睡するあなたに目を奪われました。なんと無防備で、美しい空気を纏っているのかと。まだ部員の来ていない美術室で、俺に気づいたあなたは、俺を強引に勧誘するわけでもなく、自然に迎えてくれました。
河鍋暁斎の作品が好きだと打ち明けると、「河鍋暁斎良いじゃないか! 戸隠神社の天井絵は見たことあるか?」と急に食いつきました。あなたは、俺の好きなものを否定することはしませんでした。
昨年の夏休み、文化祭に展示する絵を描いたとき。俺は自分の心に気づきました。光に向かって手を伸ばす人物を描いた絵は、まさにあなたに手を伸ばす俺自身でした。
文化祭が終わり当時の3年生が引退し、美術部員は俺一人になりました。下絵ごと美術室の床に寝転ぶ俺に、世話が焼けるとばかりに下絵を拾って、あなたは手渡してくれました。その時間が、俺にはかけがえのないものでした。俺があなたに近づくことができる数少ないタイミングだと思ったのです。
秘めた心を隠し切ることは、できませんでした。2学期の終業式の後、俺は美術室であなたに心を打ち明けました。あなたとどうにかなってしまいたい衝動に駆られ、服を脱ごうとした俺を、あなたは抱きしめて止めました。
「きみが卒業したら、戸隠神社に行こう。箱根の彫刻の森にも、青森の県立美術館にも、直島にも、ふたりで」
戸隠神社は日帰りで行ける場所ですが、他の施設は泊まりがけでないと行けない場所です。
「行きます」
俺は、あなたを抱きしめました。運が悪かったです。あなたの後ろに見えた時計は、学校を出ないと電車に間に合わない時間を示していました。
先生、良いお年を。そう言って別れたのが、最後でした。
年を越さないうちに、あなたは帰らぬ人になってしまいました。高校近くの国道で車数台が絡む事故が発生し、あなたは運転する車ごと巻き込まれ、病院に搬送されて死亡が確認されました。年明けに学校で流れた噂によると、あなたは年末に帰省してお見合いをする予定になっていたそうですが、それを断ったそうですね。あなたは、馬鹿です。お見合いを断らずにさっさと帰省していれば、事故に巻き込まれることはなかったのに。
俺の方が、馬鹿です。あのタイミングであなたに想いを伝えなければ、あなたを失わずに済んだのに。
俺は、あなたを裏切りました。あなたが俺の中の思い出になってしまったことを、俺自身は認めたくないのに。
文化祭前日の深夜に完成した絵は、簪を外して髪を下ろした着物の女性が仰向けで寝転がる構図。夢見心地の双眸は、思いを寄せる相手を待つ眼差し。俺が衝動に駆られて描いたのは、彼に触れられたくて彼を待つ俺自身の心象でした。
何を食べて何時間寝て、授業の内容は何だったのか、覚えていません。親や顧問は心配しているようですが、クラスメイトは話しかけてきません。彼は変わらずに近寄ってくれると思っていましたが、彼は絶賛スランプ中で神社の絵に行き詰まっています。
作品に向かいながら、あなたのことを思い出しました。
初めてあなたと出会ったのは、美術部の見学に行ったとき。第一志望の高校に進学できず希望の持てなかった俺は、ムラサキと名づけられた野良猫を抱きかかえて午睡するあなたに目を奪われました。なんと無防備で、美しい空気を纏っているのかと。まだ部員の来ていない美術室で、俺に気づいたあなたは、俺を強引に勧誘するわけでもなく、自然に迎えてくれました。
河鍋暁斎の作品が好きだと打ち明けると、「河鍋暁斎良いじゃないか! 戸隠神社の天井絵は見たことあるか?」と急に食いつきました。あなたは、俺の好きなものを否定することはしませんでした。
昨年の夏休み、文化祭に展示する絵を描いたとき。俺は自分の心に気づきました。光に向かって手を伸ばす人物を描いた絵は、まさにあなたに手を伸ばす俺自身でした。
文化祭が終わり当時の3年生が引退し、美術部員は俺一人になりました。下絵ごと美術室の床に寝転ぶ俺に、世話が焼けるとばかりに下絵を拾って、あなたは手渡してくれました。その時間が、俺にはかけがえのないものでした。俺があなたに近づくことができる数少ないタイミングだと思ったのです。
秘めた心を隠し切ることは、できませんでした。2学期の終業式の後、俺は美術室であなたに心を打ち明けました。あなたとどうにかなってしまいたい衝動に駆られ、服を脱ごうとした俺を、あなたは抱きしめて止めました。
「きみが卒業したら、戸隠神社に行こう。箱根の彫刻の森にも、青森の県立美術館にも、直島にも、ふたりで」
戸隠神社は日帰りで行ける場所ですが、他の施設は泊まりがけでないと行けない場所です。
「行きます」
俺は、あなたを抱きしめました。運が悪かったです。あなたの後ろに見えた時計は、学校を出ないと電車に間に合わない時間を示していました。
先生、良いお年を。そう言って別れたのが、最後でした。
年を越さないうちに、あなたは帰らぬ人になってしまいました。高校近くの国道で車数台が絡む事故が発生し、あなたは運転する車ごと巻き込まれ、病院に搬送されて死亡が確認されました。年明けに学校で流れた噂によると、あなたは年末に帰省してお見合いをする予定になっていたそうですが、それを断ったそうですね。あなたは、馬鹿です。お見合いを断らずにさっさと帰省していれば、事故に巻き込まれることはなかったのに。
俺の方が、馬鹿です。あのタイミングであなたに想いを伝えなければ、あなたを失わずに済んだのに。
俺は、あなたを裏切りました。あなたが俺の中の思い出になってしまったことを、俺自身は認めたくないのに。
文化祭前日の深夜に完成した絵は、簪を外して髪を下ろした着物の女性が仰向けで寝転がる構図。夢見心地の双眸は、思いを寄せる相手を待つ眼差し。俺が衝動に駆られて描いたのは、彼に触れられたくて彼を待つ俺自身の心象でした。

