「文化祭の作品だけど、キャンバスを買って描く余裕が無さそうなんだ。タブレットの絵をプリントアウトするだけでも大丈夫?」
「全然構いません。むしろ、目新しいくて楽しいと思います」
「あたし、大学の美術サークルの油絵だけど」
「この間、SNSに投稿していた作品ですか? むしろ、良いんですかお借りしても」
「喜んで貸すよー。大学の文化祭は11月だから、9月の高校の文化祭と期間が重ならないし」
この美術部では、卒業生有志の作品も文化祭で展示します。そのための打ち合わせに先輩達が来てくれたはずなのですが、打ち合わせとは名ばかり。喋りに来ただけです。昨年もそうでした。
「安心した」
昨年まで部長だった先輩は、当時の定位置だった椅子に座りました。私服の先輩は新鮮ですが、何だか懐かしいです。
「3年が4人も抜けて当時1年生のきみひとりになっちゃうから、廃部のおそれもあると心配したんだ。でも、信頼できる新入生が来てくれて、良かった」
他の先輩も首を縦に振ります。赤ベコみたいです。
「ほんと。新入生に感謝だよ。うちらの帰る場所を残してくれて、ありがとう」
「小動物後輩よ、セクハラされてないか? こいつ、人目を気にしないで着替える癖があるから、気をつけた方が良いよ」
先輩達の遠慮ない言い方にも、彼は臆しません。
「安心して下さい。慣れました」
自信満々に受け答えしてくれますが、何を言っているのか、わかっているのでしょうか。
そのとき、美術室の戸が開きました。顧問かと思いましたが、違うようです。彼のクラスメイトで、美術部に名前を貸してくれた1年生でした。確か、文芸部と兼部しており、そちらを優先していたはずです。文芸部員が去った後、彼がちょこちょこと戻ってきました。
「返しに来てくれました!」
「何のこと?」
先輩が居ると、会話のラリーが速いです。
「文芸部が文化祭で販売する冊子の挿絵を俺が描いたんですけど、その原画を返してくれました。美術部の展示に使います」
彼はその絵を俺に見せてくれました。先輩達が覗き込みます。
「これ、ボールペン?」
「そうです。0.3ミリの油性」
「タブレットじゃないの?」
「タブレットだと滑ってしまう気がして、質感が上手く出ないので」
彼が描いたのは、サイバーパンクみたいな街並みで、鉛筆画同様描き込みが細かく、文芸部が挿絵に欲しがるのも頷けます。
「金、取りなよ」
「お菓子もらいました」
有料で描いた方が良い、という先輩の提案に、彼はファミリーパックのチョコ菓子を見せてくれます。
「あんた小動物みたいだから、お菓子あげたくなっちゃうんじゃない?」
俺が言いたかったことを、先輩が代弁してくれました。
「俺、そんなに小物感ありますか?」
「小物というか、愛されキャラ?」
「意外と身長あるよね」
「よし来い、ミーアキャット」
「がおー!」
彼は先輩にとびつきます。俺の前では、こんなにテンション高くはしゃぐことは、ありません。楽しいみたいです、俺と居るよりも。
「ランチ、どうする?」
女子の先輩が聞いてくれます。
「うちら卒業生は学食使えないじゃん。この辺はコンビニもファミレスも無いし」
「おじちゃんに、おすすめのお店とかお弁当屋さんを聞いてみます」
彼は、ぴょこっと美術室を出てゆきました。
「……今の美術の先生が、彼の昔からの知り合いみたいです」
「それで、おじちゃんなんだね」
一瞬、美術室に沈黙が訪れました。
「あの子がいない今だから、話すよ。あの先生のこと、あたしは今でも悔やんでる。不慮の事故で、今更どうしようもないことはわかってるけど、今でも割り切れない」
「……俺も、だよ。教員は卒業式まで居るものだとばかり思っていたから」
「先生、まだ若かったよね。30歳になってないんじゃなかった?」
先輩のひとりが嗚咽をこぼしてしまいました。背中をさすろうとしたとき、美術室の戸が勢い良く開きました。彼です。
「おじちゃんが! 嬉野のお弁当奢ってくれるって!」
嬉野は、この辺りにあるという、仕出し弁当の老舗らしいです。職員室で先生達が話しているのを何度も聞いたことがありますが、駅までの経路上にあるわけではないので、生徒は店の詳細を知りません。そのため、生徒の間では伝説の弁当屋になっています。顧問がその弁当を奢ってくれるそうです。
「よくやった、ミーアキャット!」
先輩達が、ガッツポーズをします。
「俺、ミーアキャットじゃなくて人間です!」
「悪い、悪い」
伝説の嬉野の幕の内弁当でランチにしてから、午後は作業再開。タブレットを持ってきた先輩も、文化祭の展示用の絵を描き始めます。
「賑やかな美術部、初めて!」
彼の目が輝いています。これが、青春している人の目なのでしょうか。
「活動してるのは、ふたりだけなんだって? こいつはあまり喋らないから、気まずくならないか?」
「ならないです。静かなのも好きです」
先輩が俺のことをディスるみたいですが、彼は上手く応じます。俺は普段から、彼の気遣いに救われていたのかもしれません。俺には友達と呼べる人がいませんし、友達が欲しいとも思いません。あなたが居れば充分でした。あなたが居れば充分であるはずなのに、彼が居ることで満たされそうになる自分がいます。
「先輩、先輩」
彼が途中の作品を見せてくれます。神社の背後に、杜が描かれています。描き込みは少なく、まだ描き方に迷っているようです。
「どこの神社に見えますか?」
俺は答えに窮してしまいました。
「頑張って描きます」
気を遣わせてしまいました。
「あ! ねえねえ、ビオトープ行こうよ! 高校生達も行ける?」
スマートフォンをいじっていた先輩が、検索していたホームページを見せてくれました。蛍が見られるようですが、駅から離れており、車でないと行けません。
「あたし、ここまで車を運転してきたから、乗せられるよ」
「行きたい! 親に聞いてみます!」
彼はすぐにスマホを出し、すばやくメッセージを送りました。競技かるた大会のこともあり、厳しい返事が来るのかと思いきや、許可が出たようです。
「今どき蛍が見られるのは貴重だから行って来いって! 先輩は?」
俺は特に興味無いので断るつもりでしたが、彼のきらきらした目に射られて断ることができませんでした。一応親に連絡を入れ、俺もビオトープに行くことになりました。
先輩の車に乗せてもらい、30分。静かな里山のビオトープに着いたのは、日が暮れそうで暮れない微妙な時間帯です。車を降りて彼が溜息をついたのを見逃せませんでした。
「今、枕草子の夏の段を想像していませんか?」
「先輩はエスパーですか!?」
「高校生よ、静かにしなさい。足元に気をつけて」
草陰に蛍がいないか探しているうちに、先輩達から離れてしまいました。
「いた!」
彼が指差す先に、ひとつ、蛍光イエローの点のような光が見えました。温かみのある黄色なのかと思っていましたが、本当に蛍光ペンの黄色の光を発するのは意外でした。
「初めて見ました!」
「俺もです」
儚く頼りない蛍火。確かにそこにあるのに、触れたら消えてしまいそうです。消したくない。大切にしたい。
「先輩」
彼は膝を詰めます。日が落ち、相手の輪郭がかろうじてわかるくらいの暗さの中で、彼が俺を見つめます。今までに見たことないほど切ない表情で。
「好きです」
吐息が重なります。思いがけないキスに抗わない自分がいました。あなたからもらうことができなかった心地良さに、震える自分がいました。
俺は、あなたを裏切りました。
「全然構いません。むしろ、目新しいくて楽しいと思います」
「あたし、大学の美術サークルの油絵だけど」
「この間、SNSに投稿していた作品ですか? むしろ、良いんですかお借りしても」
「喜んで貸すよー。大学の文化祭は11月だから、9月の高校の文化祭と期間が重ならないし」
この美術部では、卒業生有志の作品も文化祭で展示します。そのための打ち合わせに先輩達が来てくれたはずなのですが、打ち合わせとは名ばかり。喋りに来ただけです。昨年もそうでした。
「安心した」
昨年まで部長だった先輩は、当時の定位置だった椅子に座りました。私服の先輩は新鮮ですが、何だか懐かしいです。
「3年が4人も抜けて当時1年生のきみひとりになっちゃうから、廃部のおそれもあると心配したんだ。でも、信頼できる新入生が来てくれて、良かった」
他の先輩も首を縦に振ります。赤ベコみたいです。
「ほんと。新入生に感謝だよ。うちらの帰る場所を残してくれて、ありがとう」
「小動物後輩よ、セクハラされてないか? こいつ、人目を気にしないで着替える癖があるから、気をつけた方が良いよ」
先輩達の遠慮ない言い方にも、彼は臆しません。
「安心して下さい。慣れました」
自信満々に受け答えしてくれますが、何を言っているのか、わかっているのでしょうか。
そのとき、美術室の戸が開きました。顧問かと思いましたが、違うようです。彼のクラスメイトで、美術部に名前を貸してくれた1年生でした。確か、文芸部と兼部しており、そちらを優先していたはずです。文芸部員が去った後、彼がちょこちょこと戻ってきました。
「返しに来てくれました!」
「何のこと?」
先輩が居ると、会話のラリーが速いです。
「文芸部が文化祭で販売する冊子の挿絵を俺が描いたんですけど、その原画を返してくれました。美術部の展示に使います」
彼はその絵を俺に見せてくれました。先輩達が覗き込みます。
「これ、ボールペン?」
「そうです。0.3ミリの油性」
「タブレットじゃないの?」
「タブレットだと滑ってしまう気がして、質感が上手く出ないので」
彼が描いたのは、サイバーパンクみたいな街並みで、鉛筆画同様描き込みが細かく、文芸部が挿絵に欲しがるのも頷けます。
「金、取りなよ」
「お菓子もらいました」
有料で描いた方が良い、という先輩の提案に、彼はファミリーパックのチョコ菓子を見せてくれます。
「あんた小動物みたいだから、お菓子あげたくなっちゃうんじゃない?」
俺が言いたかったことを、先輩が代弁してくれました。
「俺、そんなに小物感ありますか?」
「小物というか、愛されキャラ?」
「意外と身長あるよね」
「よし来い、ミーアキャット」
「がおー!」
彼は先輩にとびつきます。俺の前では、こんなにテンション高くはしゃぐことは、ありません。楽しいみたいです、俺と居るよりも。
「ランチ、どうする?」
女子の先輩が聞いてくれます。
「うちら卒業生は学食使えないじゃん。この辺はコンビニもファミレスも無いし」
「おじちゃんに、おすすめのお店とかお弁当屋さんを聞いてみます」
彼は、ぴょこっと美術室を出てゆきました。
「……今の美術の先生が、彼の昔からの知り合いみたいです」
「それで、おじちゃんなんだね」
一瞬、美術室に沈黙が訪れました。
「あの子がいない今だから、話すよ。あの先生のこと、あたしは今でも悔やんでる。不慮の事故で、今更どうしようもないことはわかってるけど、今でも割り切れない」
「……俺も、だよ。教員は卒業式まで居るものだとばかり思っていたから」
「先生、まだ若かったよね。30歳になってないんじゃなかった?」
先輩のひとりが嗚咽をこぼしてしまいました。背中をさすろうとしたとき、美術室の戸が勢い良く開きました。彼です。
「おじちゃんが! 嬉野のお弁当奢ってくれるって!」
嬉野は、この辺りにあるという、仕出し弁当の老舗らしいです。職員室で先生達が話しているのを何度も聞いたことがありますが、駅までの経路上にあるわけではないので、生徒は店の詳細を知りません。そのため、生徒の間では伝説の弁当屋になっています。顧問がその弁当を奢ってくれるそうです。
「よくやった、ミーアキャット!」
先輩達が、ガッツポーズをします。
「俺、ミーアキャットじゃなくて人間です!」
「悪い、悪い」
伝説の嬉野の幕の内弁当でランチにしてから、午後は作業再開。タブレットを持ってきた先輩も、文化祭の展示用の絵を描き始めます。
「賑やかな美術部、初めて!」
彼の目が輝いています。これが、青春している人の目なのでしょうか。
「活動してるのは、ふたりだけなんだって? こいつはあまり喋らないから、気まずくならないか?」
「ならないです。静かなのも好きです」
先輩が俺のことをディスるみたいですが、彼は上手く応じます。俺は普段から、彼の気遣いに救われていたのかもしれません。俺には友達と呼べる人がいませんし、友達が欲しいとも思いません。あなたが居れば充分でした。あなたが居れば充分であるはずなのに、彼が居ることで満たされそうになる自分がいます。
「先輩、先輩」
彼が途中の作品を見せてくれます。神社の背後に、杜が描かれています。描き込みは少なく、まだ描き方に迷っているようです。
「どこの神社に見えますか?」
俺は答えに窮してしまいました。
「頑張って描きます」
気を遣わせてしまいました。
「あ! ねえねえ、ビオトープ行こうよ! 高校生達も行ける?」
スマートフォンをいじっていた先輩が、検索していたホームページを見せてくれました。蛍が見られるようですが、駅から離れており、車でないと行けません。
「あたし、ここまで車を運転してきたから、乗せられるよ」
「行きたい! 親に聞いてみます!」
彼はすぐにスマホを出し、すばやくメッセージを送りました。競技かるた大会のこともあり、厳しい返事が来るのかと思いきや、許可が出たようです。
「今どき蛍が見られるのは貴重だから行って来いって! 先輩は?」
俺は特に興味無いので断るつもりでしたが、彼のきらきらした目に射られて断ることができませんでした。一応親に連絡を入れ、俺もビオトープに行くことになりました。
先輩の車に乗せてもらい、30分。静かな里山のビオトープに着いたのは、日が暮れそうで暮れない微妙な時間帯です。車を降りて彼が溜息をついたのを見逃せませんでした。
「今、枕草子の夏の段を想像していませんか?」
「先輩はエスパーですか!?」
「高校生よ、静かにしなさい。足元に気をつけて」
草陰に蛍がいないか探しているうちに、先輩達から離れてしまいました。
「いた!」
彼が指差す先に、ひとつ、蛍光イエローの点のような光が見えました。温かみのある黄色なのかと思っていましたが、本当に蛍光ペンの黄色の光を発するのは意外でした。
「初めて見ました!」
「俺もです」
儚く頼りない蛍火。確かにそこにあるのに、触れたら消えてしまいそうです。消したくない。大切にしたい。
「先輩」
彼は膝を詰めます。日が落ち、相手の輪郭がかろうじてわかるくらいの暗さの中で、彼が俺を見つめます。今までに見たことないほど切ない表情で。
「好きです」
吐息が重なります。思いがけないキスに抗わない自分がいました。あなたからもらうことができなかった心地良さに、震える自分がいました。
俺は、あなたを裏切りました。

