美術部は、表向きは週1回の活動ということになっていますが、実際は毎日のように美術室に入浸っています。夏休みになっても変わりません。
「先輩、先輩」
 彼も同じです。小動物のように、ちょこちょこ小走りして俺を追いかけてきます。
「どうしました?」
 絵を見てほしいのだとわかっていますが、俺は意地悪なので、あえて気づかないふりをします。
「これ」
 彼が鉛筆画を差し出したとき、無遠慮に美術室の戸が開けられました。
「涼しー! エアコン最高!」
「懐かしい! 全然変わってないね」
「よ、後輩……じゃなかった、部長! 描いてるか?」
「その子、1年生?」
 空気を読まない4人は、今年卒業した先輩達です。私服姿に見慣れず、声を聞かなければ先輩達だとわからなかったかもしれません。
 先輩達が母校にやってきた理由は、知っています。美術部の夏休みの慣習のようなものです。
「新入生くん、鉛筆画を描くの?」
「細かっ! 上手いな!」
 先輩達は、彼の断りもなく勝手に絵を覗き込みます。
「これ、稲の田んぼだよな? 描き込み凄くね? 写生したの?」
「う、うん……はい。じゃなかった、いいえ、です」
 ずかずかと先輩達に指摘され、流石の彼も気圧(けお)されてしまいます。
 彼が描いたのは、まさに秋の山と田の風景で、稲穂が重そうに垂れる様子がすぐに見て取れます。今にも揺れそうで、黄金の稲穂の波が脳裏に浮かぶモノクロの作品です。彼のことだから、おそらく、百人一首の「秋の田のかりほの稲の苫をあらみ我が衣手は露に濡れつつ」をイメージして、歌の直前の田を描いたのでしょう。
「あ、動物がいる。隠れミーアキャットだ」
 それを聞いた彼の表情が、ぱっと明るくなりました。
「ミーアキャットって、ちゃんとわかりますか? ハクビシンになってないですか?」
「よくハクビシンなんて知ってるね。ハクビシンは顔が違うじゃん。それに、里山の絵にハクビシンじゃあ、つまんないよ。いるはずのないものが隠れてた方が、気づいたときに楽しいし」
「あんた、最高だよ。これからも美術部と、こいつを頼んだ」
 こいつ、とは、俺のことです。昨年は、その呼び方が嫌でしたが、今となっては懐かしいです。内向的な俺は、この先輩達の賑やかさに救われました。もちろん、あなたに救われたという事実の方が大きいですが。
「お、ムラサキじゃん。久しぶり!」
 野良猫がいました。尾を振って先輩に歩み寄ります。
 彼は首を傾げました。
「ムラサキ?」
「そう。先生がそうに呼んでて……」
 ムラサキ。そうに名づけたのは、あなたでしたね。
 先輩は表情を凍らせました。失言したと思ったでしょう。俺を見るな。俺は聞かないふりをして、野良猫を今の名で呼びます。
「ノラちゃん、良かったですね。久しぶりに先輩達が来てくれて」
 野良猫は今日も変わらず、美術室の定位置に寝転がります。この野良猫は、あなたがいた頃と何ひとつ変わりません。