好きって言ったら友達やめる!

「終わったな……」
 独り言をぽつんと呟いた。ほんの数秒前まで打ち上げ花火を見ていたせいで、夜空が薄ぼんやりと明るく見える。ほんのりと火薬の香りが鼻を掠めた。スマホを見ると、大して時間が経っていないことに驚いた。花火大会は四十分程度で終わったらしい。深谷が帰ってしまってから、一人でぼうっと眺めた花火大会は体感何十時間もあったような気がする。
 怒らせた……んだよな……。
 脳裏に、深谷の歪んだ顔が浮かぶ。
 あんな顔、させるつもりは無かったのに。片思いごっこ、あれは俺の勘違いだった……ってことだろう。つまり、転校初日に俺を見据えて「好き」と言ったあの言葉は冗談じゃなかったということだ。深谷は本気で俺に気持ちをぶつけていた。最初からずっと、本気で。告白なんて滅多にされないから、どう捉えていいか分からなかった……なんてまったく言い訳にもならない。今更あんな軽口を叩いたことを後悔するなんて情けなさすぎる。呆れを通り越して、自分に腹が立った。最初からちゃんと、深谷に向き合っていれば良かった。急な告白に動揺して、変な約束を勝手に押し付けた自分が恥ずかしい。
 人の気持ちに寄り添える人だと思われていたのに……。
 俺は全然、最初から深谷の気持ちに寄り添っていなかった。
 深くて長い溜息を吐く。昼間より幾分かマシではあるが、夏の夜のじっとりした空気に汗が滲んだ。花火大会が終わって、来た道を戻り始める人の声がした。花火演出のために消されていた街頭も再びつき始め、植え込みから立ち上がり、冷めたたこ焼きのパックを持った。買った時の会話が楽しかった……なんて俺がそんなことを思う資格はない。人混みとまではないかないが、多人数が一気に動き出す。周りの流れに乗るように俺も移動を開始した。足取りは重く、枷のような物を引きずっているようだった。
 縁日会場まで戻るのには、来た時よりも時間が掛かった。ふと、目に入った金魚掬いの屋台に足が止まった。
 あー……そういえば。
 幼い頃の記憶が脳裏に浮かび出す。確かあれは、小学校に入学する前だった。みっちゃんと初めて花火大会に行った帰り、屋台の灯りに反射した金魚達が凄く綺麗で、二人で足を止め、母さん達にどうしてもとせがんだのだ。
「みっちゃん、どいつ狙う?」
「赤と白の大きいやつ」
「じゃあ、どっちが多く取れるか競争しよっ」
 大人達は、どうせ取れないと思っていたはず。ポイを貰って、しゃがみ込んだその後ろ姿は、確か母さんとおばさんが写真に撮っていたのも覚えているし、今もアルバムにしっかり仕舞われていたはずだ。
 俺は無難にすぐ手前の赤くて小さな金魚を狙った。どっちが多く取れるかが勝負だったのだ、大きさなんてどうでも良かったんだろう。勝ちたい気持ちが大きかった。我ながら勝利に貪欲すぎる。みっちゃんは、ポイを水に入れたまま、あの大きな赤と白の金魚をずっと追いかけていた。横目でそれを見ながら俺は『しめた』と思った。水にポイを入れたままでは破けてしまうのは幼い俺でもすぐに分かった。でも、勝つためだけに俺は黙っていた。それに、みっちゃんの目は凄く真剣だったのを覚えている。
 結局、俺が一匹掬い上げて勝敗がついた。予想通り、みっちゃんのポイは早々に破け、大きな金魚はもちろん、小さな金魚も掬えなかった。
「やっりぃ!俺の勝ち!」
 勝ったことが嬉しくて、破けたポイを見つめるみっちゃんの横ではしゃいだ。ドンマイぐらい言ってやれよ、なんて今なら思うけど、あの時はそんなフォローも出来ない子どもだった。だからだろう。俺の追い打ちもあったせいか、みっちゃんは声を上げて泣いた。
「うわぁんっ」
 いつもすぐ泣くので、大人達も俺も「もう、みっちゃんすぐ泣いて」なんて呆れ半分に笑っていたが、その時は相当悔しかったのかなかなか泣き止まず、おばさんですら驚いていた。
「みっちゃん」
 俺が声をかけても、みっちゃんは下を向いたまま涙をポロポロこぼす。屋台のおじさんも、心苦しそうに俺達を見ていた。
「なぁ、泣くなよ」
「ぼく、金魚欲しかったんだもん」
 嗚咽混じりにみっちゃんは答える。溢れる涙で地面に黒い点々の跡が出来ていた。
「みっちゃん、アレ、水にずっと入れっぱなしなんだもん」
 当時はポイの名称が分からなくて、アレと言った。みっちゃんにはそれで伝わり、ぐずぐずの鼻を啜りながら俺を見る。破けるのが分かっていたのに、教えなかった事を後悔した。胸の奥がズンと重くて、勝負に勝ったのに嬉しさなんて消えていた。
「だってぇ」
「もう、しょうがないなぁ」
 俺は生意気にそう呟くと、自分が掬い上げた金魚の入った袋をみっちゃんの腕に引っ掛けた。
「あげる」
「……いいの?」
「うん。どうせ姉ちゃん達に取られちゃうし」
 姉達の「私達が名前を考えてあげる」だの「餌やりも私たちがやる」という声が、まだ言われてもいないのに勝手に脳内で響きゾッとした。
 そんな俺の心中を知らないみっちゃんは、涙で赤く腫らした目を擦り、鼻を啜ると嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとう」
 その顔にドキりとしたのを思い出す。たぶん、あの時は俺の方がみっちゃんから向けられる視線を無意識のうちに意識していたんだと思う。
「瑠珂は優しいね」
「……みっちゃんが泣いてるのは嫌だから」
 それは今も昔も本心だ。あいつが俺のせいで傷ついたなんて……最悪すぎる。夢見が悪いなんてものじゃない。
 鼻の奥がつうんと痛む。目頭が熱くなって、視界が霞んだ。傷ついているのは俺じゃないのに、どうしようもないこの気持ちに困惑する。涙で濡れた目を肩口で雑に拭き、もう一度長めの深呼吸をした。




「おはよ、瑠珂」
 教室へ向かう階段で、日向に会った。夏休みはほとんど室内にいたようで、日焼けのない笑顔はある意味眩しい。
「おはー」
「あれ、元気ない?」
「……別に」
 変なことろで勘が良いな、こいつは。俺は誤魔化すように足早に階段を上がる。日向はクスクスと嬉しそうにその後ろを追いかけてきた。
「そういえば昨日、部活で海斗達に会ったんだけどね、誰だかわからないぐらい真っ黒に焼けてたよ」
「ふぅん」
「あ、信じてないな?」
「嘘だとは思ってな…………いや黒すぎだろ!」
 教室に入る直前に海斗と航がバカ笑いしているのが聞こえてはいたが、ドアを開けて想像以上に本当に真っ黒に焼けていることに驚き、俺は大きな声を出した。
「マジで誰かわかんねぇな!」
「お、久々だな瑠珂っ!」
「見ろ、俺と海斗の汗と涙の部活の結晶を!」
「いやいや、見ろっていうか丸見えっつーか。な、深谷……」
 無意識に名前を呼んでいて、思わずハッとした。慌てて視線を窓際の一番後ろの席へ向けると、既に登校していた深谷が机に突っ伏しているのが見えた。
「あれ。深谷くん、寝てるね」
 固まった俺の代わりに、日向が言った。
「そうそう。俺らもびっくりしたとこ」
「俺らが朝練から教室上がってきたらもういて、そん時もすでに爆睡してた」
 珍しいよな、と航が付け加えると、その場にいた全員が頷いた。確かに珍しい。というか、この二人の笑い声でも起きないのは流石に驚きだ。そもそも深谷は焦って勉強を詰め込むほど困っていないはず。ていうか、夏休み明けのテストだって余裕ある気がするんだけど……。
 結局、深谷が俺達が不思議な視線を向けていることに気がつくことなく、朝のホームルームを知らせる予鈴が鳴った。


「なぁ、深谷ってなんかあった?」
 昼休みに海斗が俺に尋ねた。その視線は机に突っ伏して寝こけている深谷を捉えている。
「……俺が知る訳ないだろ」
「はぁ?大親友だろ」
「誰と誰が」
「瑠珂と深谷くん以外にいる?」
 今更何を、と言う顔で日向が言った。誰が大親友だよ、まったく。俺は溜息を吐いて首を振る。悪いけど、俺は本当に何も知らない。なんならあの花火大会から避けられている……気がする。まぁ、当然のことをしてしまったのは重々承知なんだけれど。でも、このままじゃ流石に俺の気持ちも納まらない。どうにか面と向かってちゃんと謝りたい。そう思うのだが、ここ最近の深谷は授業以外、教室にいる間はだいたい机に突っ伏している。新学期始まってからずっとこの調子だ。まともに顔を合わせた人は授業中の先生達ぐらいかもしれない。これは謝る隙さえ与えないあいつの作戦なのか……。だったらこっちも強引に……と、思ってはみたものの、寝息まで立てている深谷を見ると、流石にそこまで踏み込めなかった。
「なんだ、マジで何も知らないのか」
 俺が本当に何も知らないと分かると、航が納得したように言った。その言い方に苛立って、俺は眉を寄せる。
「あいつ、ここ最近サッカー部の朝練と同じぐらいに登校してるぞ」
「なんでまた」
 俺の問いに航と海斗は顔を見合わせた。口止めをされていたのか、一瞬口を開くのに躊躇したのが分かった。
「……新聞配達してるんだって。で、終わったその足で来ないと家で二度寝しちゃうとか言ってたな」
「新聞配達?」
 はぁ?なんで。
 俺がバイトしてるから……?いや、そんな変な理由は流石にありえない。すると、俺の横で「えっ!」と日向が大きな声を出した。
「待って、新聞配達も?」
「新聞配達も、ってなんだよ」
 日向の引っかかる言い方に、俺はすかさず突っ込んだ。
「僕、この前、部活帰りに駅前のコンビニでバイトしてるの見たよ。学校とは反対のバス通りのとこ。バス待ちしてたら見かけたんだ」
 日向は寝ている深谷を見ながら俺達だけに聞こえるように言った。
「……掛け持ちバイト?」
「そういう事じゃない?え、本当に何も聞いてないの?」
「……聞いて、ない」
 でも、なんで。掛け持ちするほど何か欲しいものがあったとか、そんな話すら聞いた覚えがない。まぁ、家庭の事情とかだったら話す訳はないだろうけれど。それにしたって体育の授業でもゲロゲロにへばるような深谷が、二つのバイトを掛け持ちなんて信じられなかった。
「でも、そろそろ限界近そうだよね」
 日向が溜息混じりに言った。たぶん、俺と同じく体力のない人間が棍詰めてやる事ではないと思っている。
「倒れる前に諭してあげなよ?」
「俺が?」
 日向は他に誰がいるのだと、大きく頷いた。
「そうだな、瑠珂の言うことなら聞くだろ」
「確かに。深谷って瑠珂のこと大好きだしな」
 航に続いて海斗も俺の方を見る。
「はぁ?何言ってんだよっ」
 変な事言うな、と答えながら俺はペットボトルのお茶を一口のんだ。こいつらの言う「大好き」と言うのは、たぶんだけど深谷が持っている感情とは少し違う。それに、その単語を言えば俺との今の関係はなくなるって分かってたし、こいつらの前で絶対言わなかったはずだ。
 じゃあ、なんでこの三人は……。
 頭の中でハテナが浮かぶ。まさか、深谷が俺に内緒で三人には事前に相談していた、とか……?いや、あの性格上それはない……はず。花火大会以前の深谷は、俺に対して強気な面が多かったし、結構強引なところもあった。そんなやつが悩んで他人に相談なんて一ミリも考えられない。俺に対する気持ちの自信だけは異常なまでの自信があって、真っ直ぐだし、あんな一途なやつが他の意見なんて聞くなんて有り得な…………。
 急に心臓がバクバクと忙しく鳴り始める。
 今、俺は何を考えていた?
「いや、お前らが言ったって変わらないって」
 目が泳ぎ、声が上擦る。落ち着け、と頭の中で自分に言い聞かせるが、心臓がバクバクと鳴り出して止まらない。
「いいや、俺らじゃダメだろ」
「そうそう。何しようが勝手じゃんって、あしらわれて終わりだよな」
 それは確かに目に浮かぶ返しだが……!
 さっさと事情を聞いたらどうだと目で訴えられる。三人の視線が一気に向けられ、俺は数秒も耐えられず、観念した。
「わ、分かった。なんとか聞いてみるから……」
 肩の力を抜くと、どっと汗が噴き出た。ワイシャツがピタリと肌にくっついて気持ち悪い。俺は机の中から下敷きを出し、仰ぎながら、ゆっくり息を吐く。バクバクとやたらうるさかった心臓は、ようやく落ち着きを見せ始め、こちらの会話をよそに寝こけている深谷にジト目を向けた。


 帰りのホームルームが終わり、日直の号令とともに先生へ頭を下げると、椅子の引く音が一斉に教室中に響いた。俺はすぐさま教室の後方へ向かい、深谷の机へ向かった。欠伸をし、眼鏡をかけたまま目を擦っている。
 まったく、呑気な顔しやがって……。
「なぁ」
「……ん、瑠珂?」
 寝ぼけたような声で深谷が俺の名前を呼んだ。久々に呼ばれたせいか、胸の奥が一瞬熱くなり、背中がピンと張る。
「ちょっと、話……したいんだけど」
 変に緊張してしまい、でてくる言葉が辿々しい。
「話?いいけど……そんなに時間ないよ」
 スマホの画面を見ながら怠そうに言われた。以前と違う反応の悪さに思わず腹が立つ。前は俺が話しかけるともう少し、前のめりだったはずなのに。
「……バイト忙しいのか?」
 遠慮がちに尋ねてみた。やっと会話ができているのだ、言葉を間違えたくはない。
「……え、俺話したっけ?」
 話してねぇよ。今喋ったのだって、花火大会以来だっつーの。
 何も言わないまま俺が深谷の顔をじっと見上げると、溜息を吐かれた。吐きたいのはこっちだ。なんだか、いちいちイライラする。やっと話せてもこんな調子じゃ、関係修復なんて出来る気がしない。だが、これ以上拗らせるつもりもなかった。
「少しでいいから」
「じゃあ……駅まで歩きながらでも良い?」
 観念した深谷の提案に、俺はゆっくり頷いた。

 昇降口まで、お互いに一言も発することはなかった。空気が重く、さっさと外に出たくて俺はスニーカーを雑に履いた。踵を踏みながら、先に外へ出ると、後から出てきた深谷が俺の踵を見てすぐさま「それ、転ぶよ」と呆れ顔で言った。その一言で、さっきまでの張り詰めていたものが消えた気がし、俺は「ちゃんと履きますよーだ」と、いつもの軽口を叩いた。深谷はくすりと以前のように微笑むと先に歩き出す。俺はスニーカーを履き直してから、その後を小走りで追った。
「深谷、あのさ」
 先に謝らないと、と思って声を掛けた。深谷は歩くスピードを緩めると、視線を俺に向けた。すると、先に深谷が口を開いた。
「バイト、始めたんだ」
「えっ、あぁ……らしいな」
 話題を先に振られて、謝るタイミングを失った。
「瑠珂、凄いよね。俺、短期バイトなのにもう根をあげそうでさ」
 そりゃ、朝は新聞配達、昼間は学校、夕方から夜までコンビニバイト……ってそんな生活すれば誰だって根を上げるだろ。
「短期、なのか?」
「だって場所的に高校卒業したら通うの難しいし……。そもそも最初に俺がバテるかもって思ったから」
 だったら週一シフトからコツコツやるとか段階は踏めないのかコイツは。話を聞いていて頭が痛い。後先考えているようで考えなしな事が多すぎやしないか。
「じゃあなんで、そんなに詰め込んだんだよ。バテるかもって自分で思ったんだろ?」
「だって、引越し費用って割とかかるんだよ。今からある程度貯めないと、間に合わないじゃん」
「…………は?」
 待て待て、待て。引越し?え、こいつ、ついこの前引越ししてきたばっかりじゃなかったか?
 俺の頭の中で疑問が次から次に浮かび上がる。黙っていると、深谷は「あれ?」と首を傾げた。
「瑠珂とルームシェアするって約束したじゃん」
 忘れたの?と、深谷は俺の顔を覗き込むんだ。が、しかし。
「約束…………はしてないだろ」
 いや、はっきり言える。した覚えが、ない。そりゃ、確かにこいつからしようしよう言われた覚えはあるにはあるが……。
「…………えっ?」
「いや、驚いてんのこっちなんだけど……?」
 俺は大きな溜息を吐く。どういう事だよ、一体全体。
「あのな……。仮に約束してたとして、なんでお前だけが頑張るわけ?ルームシェアだろ、そういうのは相手っつーか、俺にも相談しろよ。折半する金額さえ決めてないのに、なんでお前一人で頑張る必要があるんだよ」
「……ごめん」
「いや、謝る必要は別に……そもそもそのルームシェアもするか決まってないだろ」
「俺は全然するつもりだった」
「お前は、だろ……!ちゃんと俺の話聞けっつーか、そう、俺の話!俺、お前に謝らないといけない事あるんだけどっ!」
「……え、瑠珂が?」
 ああ、本当に。調子が狂う。なんでこいつはいつも俺を中心に考えるんだろうか。イライラがまた込み上げる。でも、不思議と嫌な感情ではない。だからこそ尚更、花火大会のことは謝らないといけないと思った。
「この前は、ごめん……!俺、あの時、お前の気持ちちゃんと考えてなかった。勝手に思い込んで、そうだって決めて……ごっこ、だなんて嫌な言い方した。本当に……悪かった」
 深谷は一瞬考えてから首を振る。その反応を見るに、思っていた以上に深谷の傷は浅いのだろうか。でも、そんなのは関係ない。傷付けるような事を言ったのは事実だ。このまま頭を下げないのは絶対に違う。
「こっちこそ……せっかく、瑠珂の考えてくれたデートプランだったのに、怒って帰ってごめん……。あの時は頭に血が昇ってて冷静になれなくて……。落ち着いて考えたら、俺の方が最初に誤解されるようなやり方だったなって反省した」
 深谷はそう言ってくすりと微笑む。その柔らかな視線とぶつかって、俺は思わず目を逸らした。
「最初から自分が「みっちゃん」だって言えば良かった。そしたら、すぐに意識してもらえたのに……」
「いや、それは流石に自己過信が過ぎるだろ……」
「え、そう?」
 深谷の何もおかしな事は言ってないという顔に、俺は思わず吹き出した。すると、深谷はもう一度俺の方を見ると「ごめん……」と謝った。何に対しての謝罪か分からず、俺が眉を寄せると言いにくそうな顔をしてから静かに口を開いた。
「心配、かけたんだよね……?」
 恐る恐る聞くあたり、自覚はしているらしい。俺は黙って軽く二回ほど頷いた。
「バイト始めて、勝手にへばって……。挙げ句の果てに、人のことまで避けるしな」
「でもバイト詰めたのは、引越し代のことを考えたんだってば。流石に小遣いだけじゃ足りないし、家具や敷金礼金って結構掛かるんだよ。貯金もすぐ無くなっちゃう。それに来年からだと大手を振ってバイトには行けないじゃん」
 俺の嫌味ったらしい言い方に、深谷は食いつくように言い返した。
「バイトの理由は分かったよ。それだけなら別に避けなくても良いじゃん」
「でも片思いごっこはだいぶ俺、傷ついたし……」
 すかさず言われたこの一言に、俺はぐうの音も出ない。いくら謝っても足りないのは分かっているつもりだ。
「それは……ごめん。あの時は……」
 もう一度謝罪の言葉を口にしようとすると、深谷は首を振った。
「冗談だよ、もう怒ってないから」
「え……?」
「俺に謝る瑠珂二回も見れたし、役得かな」
「どういう感情だよ、まったく……」
 あの時、怒って帰ったんじゃないのか、この男は。俺の目を見てくすくすと悪戯っぽく深谷が笑う。
「半分は俺が最初からちゃんと伝えなかったのが悪いんだ。ごっこなんて言われるほど、中途半端だったみたいだし」
「別に、そう言うわけじゃないだろ」
 中途半端なわけがない。こいつはいつだって本気だった。俺に向ける気持ちは常に真っ直ぐだ。嫌味っぽい言い方はたまにするけど、悪意なんてこれっぽっちもない。大学だって、最初は不純な動機だったとは思う。でも、自分の目で見て、感じて、決めたって言うんだから最初から信じてやれば良かった話なんだ。俺がこいつの将来にとやかく言うことなんて一つもなかった。まぁ、ルームシェアに関しては俺の意志や相談を色々とすっ飛ばしすぎているとは思うけれど……。
「まぁ、確かに告白ついでに思い出してくれれば良いなって、思ったのは違いないよ」
「ていうか、それ。なんで最初から言ってくれなかったんだよ」
 そうだ、そもそもは深谷が再会した時にちゃんと自分の事を含めて話をしてくれれば、少なくともこの前みたいな勘違いはしなかった。
「あー……それね」
 深谷は苦笑いを浮かべた。
「言えるような状態じゃなかったんだよ。瑠珂と同じクラスって分かって、俺、息するのも大変だったから」
「……いちいち大袈裟なんだよ。頼むから息はしてくれ」
 重すぎる言い分に呆れたと言い返すと、開き直ったように深谷は反論する。
「だって、ずっと会いたかった人を見つけたんだよ。全然無理だね」
 自信満々でそう言い切る深谷に、俺は小さく溜息を吐いた。
「無理ってお前な……」
「引いた?でも本当のことだし」
 そう言うと、深谷はスマホを見て、時間を確認した。バイトがあるのに引き止めすぎてしまっただろうか。すると、俺の顔を見て考えている事が分かったのか、「まだ大丈夫、全然余裕あった。あっちの木陰に行こう」と、俺の手を引っ張り、すぐ近くの公園に向かった。その手が熱く汗で少し湿っていて、炎天下で話していた事をやっと思い出す。深谷と話をすることに必死で、暑さも忘れていた。時刻は夕方に差し掛かるが、まだ陽は高い。さっきよりも西陽を強く感じていたため、公園の木陰に入ると、蝉の声が強く聞こえたが、冷んやりとした心地良い風が抜けるのを感じた。
「ごめん、暑かったよね」
「まぁ、これぐらい平気。でも本当に時間大丈夫か?」
「うん。それよりも今、ちゃんと話したいから」
 そう言うと深谷は近くのベンチに腰掛けて、俺をその横に座るよう促した。
「俺さ、瑠珂のことずっと好きだったんだよ。離れるのが嫌で、引っ越すことも全然言い出せなかった。でも、言えないままお別れするのはもっと嫌だった。だから言おうって決めたのに、そんな日に限って、牛乳イッキで囲まれててさ……」
「あー……」
 この前も思い出したが、あの時しつこく周りから煽られていて、どう切り抜けようかなんて低学年の俺には考えつかなかった。今思えばもう少しやりようはあったはず。まぁ、時すでに遅しなのだが。
「あいつら、あの日だけは凄いしつこかったよな……」
「うん。だからかな、いつも助けてくれる瑠珂が困ってるって思ったら、身体が先に動いてたんだ」
「確かにあれには助けられたけど……。でもだからって火傷はやりすぎだろ。痕になったらどうすんだよ」
「ふふふ。そしたら責任とってもらえたかなぁ」
「お前な……」
「……ごめん。ちゃんと反省したよ。瑠珂にも、他の人にも嫌な後味残して引越しちゃったなぁって。ずっと後悔してた。でも、まぁ、良い爪痕だと思ってたけど。おかげで俺のこと思い出したでしょ」
「おい」
 俺の引いてる顔を見て深谷が笑う。身体を張ってでも人の記憶にしがみつきたいと聞こえて、一瞬背筋がヒヤリとした。
「こっちに戻って来て、同じ学校だったらって淡い期待してたんだけど、まさか転入した教室に瑠珂がいるとは思わなかったんだ。瑠珂を見た途端、心臓がぎゅってなって。すごく嬉しくて、苦しかった。バックバクに煩く鳴るし、先生の声も隣にいたのに全然聞こえなくて。それでもはっきり目には瑠珂が映っててさ……」
 深谷の転校初日をなんとなく思い出す。ぼそりと自分の名前を口にした深谷は、背の高い物静かなヤツだと思った。女の子の転校生じゃなかったと、勝手に落ち込み適当な拍手をした時に視線を感じた。あの時は俺のふざけた心の内がバレたと思っていたが、実際はそうではなかったらしい。でも、確かに深谷が席に向かう時、心臓は何故だか速く脈を打った。あれは多分……直ぐには思い出せなかったけど、身体が反応したとか、そういうことなのだろうか……。
 変な事を考えて、急に身体が熱くなった。考え方が、だんだんと深谷に似てきた気がして、なんだか恥ずかしい。
「瑠珂は覚えてないんだろうなって、すぐ分かったけど、二人きりになったらいてもたってもいられなくなったんだ。そしたら咄嗟に「瑠珂が好き」って、気持ちをぶつけていたんだ」
 好き、という言葉を久々に深谷の口から聞いて、心臓が反応を示す。耳の奥が熱を帯び、周囲の蝉の声がぼんやりと響きだした。前まではは余計な一言と、そう思ったはずなのに、今では俺の心臓を煩くさせる単語に成り変わっている。困惑して、訳の分からない約束を取り付けた事を思い出し、また身体中が熱くなった。
「俺はさ、ずっと瑠珂に会いたかった。会って好きって伝えたいってずっーと思ってた。最後に話せなかったのを凄く後悔していたんだ。だからかも、目の前に瑠珂が現れて衝動的になっちゃって。かっこ悪いって思ったけど、簡単に諦められないし、瑠珂のそばに入れれば友達でもいいって思ってた。でもね……やっぱり、友達で終わるなら、俺……」
 深谷が何を言おうとしているのかは、なんとなく想像がつき、気がつくと俺はベンチから勢いよく立ち上がっていた。側に置いたリュックが地面に落下したのも気に留めず、奥歯を噛み締め、深谷を見た。
「お……お前は、いちいち、まわりくどいんだよ」
「瑠珂……?」
 心臓が口から飛び出そうだった。驚いて、立ち上がった俺を見つめる深谷と視線が重なった。ゴクリと喉を鳴らし、ゆっくり息を吐く。身体が震えているのが分かり、一度強く目をつぶった。だんだんと加速する心音が、蝉の声に重なって聞こえてくる。
「出直すって、言ったよな……?」
 俺の一言にポカンとした顔の深谷がハッとする。
「……瑠珂のくせに、今回は記憶力いいね」
「う、うるせぇな……」
 心臓はまだ走るように脈を打っていた。落ち着かなくて、視線が定まらない。すると、深谷が静かに笑って、ゆっくりと口を開いた。
「……俺、瑠珂と一緒にいたい。離れたくない。でもそれは俺だけの気持ちだって分かった。こういうのって、やっぱり、一方的じゃ楽しくないし、幸せになんてなれないと思う。俺はさ、瑠珂にも楽しいって、幸せだって思って欲しいんだ。俺が気持ちを伝えて困らせるぐらいなら、今のままで良いよ。友達のままなら、俺は瑠珂と一緒にいるだけで幸せになれるから」
 一瞬、何を言われているのか分からなくなった。頭が真っ白になり、途端に飲み込む唾が重く感じた。冷たい空気が背中を纏う。鼻の奥がつうんと痛み、目頭が熱い。だけど、俺はそれを飲み込むように奥歯を強く噛み締めた。
「俺は勝手に幸せになる。まぁ、本音をこぼすと、瑠珂を幸せにする自信はあったんだけど」
 そう言って力なく笑う深谷を見て、俺は拳を握りしめた。
「……んだよ、それ」
「何って、そのまんまの意味だけど」
 目の前の悲しそうな瞳は、今にも泣きそうに見えた。この冷たさを孕む言い方は、俺のせいだ。顔を見られたくなくて、下を向く。
「……言わせたのは瑠珂だよ」
 そんなの、分かってる。言い返したいのに、声が出ない。悔しくて、しんどくい。でもそれを口にするのは自分勝手すぎてもっと嫌だ。
「それに俺、今日好きって何回も言っちゃったしさ。もう友達でもいられないよね」
 その一言に、俺は顔を上げた。
「……出直すとか言っといて、怖気付いたのかよ」
 返事もなく、深谷の目は殆ど俺を見ていない。こいつは本気で……。
 苛立っても仕方ない。こんなことを言わせたのは全部自分のせいだ。だけど、俺だってそんな事を言われたまま、引き下がれはしない。
「……分かった。友達、やめてやるよ」
「……うん。約束、だしね」
 苦しそうに声を出す深谷に、俺は思い切り息を吐いてから勢いよく言ってやった。
「あぁ、友達は終わりだ。俺だって、お前のこと…………好き、だしっ!」
「…………え?」
 ポカンとする深谷。その間抜けな顔と言ったら、きっと俺の知っているみっちゃんでさえも見せたことがないはず。
「……い、言ったろ、好きって言ったら友達やめるって」
「そりゃ、言ったけど……。え、瑠珂、今俺のこと……好きって言った?言った、よね?」
「……何回も言わせんなバカ」
「バカって言った方がバカでしょ」
「い、今それ言うんじゃねぇし!」
 思いっきり大きな声が出て、自分の顔が赤くなっていくのがわかる。恥ずかしい。けど、目の前で嬉しそうに頬を赤く染めている深谷を見ているのは悪くない気がした。
「どうしよう……夢なら新婚生活から喧嘩するところまで冷めないで欲しい……」
「いや、もっと早く起きろっつーの」
 とうとうルームシェアも飛ばしやがったな、コイツ。深谷の突拍子もない妄想に、いつもの調子が戻り、思わず吹き出した。俺につられて深谷も笑う。途端にじん、と胸が熱くなった。
「……あのさ、瑠珂」
「……なん、だよ」
 改まって名前を呼ばれると、むず痒い。目を合わせるのすら難しくなり、無駄に目が泳いだ。
「俺も好きだよ」
「……もう、知ってるしっ」
 深谷が手を伸ばし、俺の手を握った。緊張で手汗が滲んだその手のひらを愛おしそうに見つめられ、余計にどうして良いかわからなくなる。
「これって、キスとかしていいってことだよね……?」
「なっ!…………そ、それはちょっ、まだ……」
 む、無理無理無理っ!心臓いくつ合ったら足りると思ってるんだよっ!
 予想外の質問に思い切りたじろいだ。するしないはともかく、今さっき自分の気持ちを吐くだけで心臓が飛び出るぐらいの緊張だったのだ、そんな心の準備までできていない。ぶんぶんと首を振る俺を見て、深谷はくすりと笑う。余裕な表情に腹が立つが、今はそんなことを言ってられない。すると、深谷はベンチから立ち上がると、俺の方に近寄ってきた。
「えっ、なっ……だから今はっ」
「……唇は今度ね」
 耳元でそう呟くと、深谷は俺の頬に触れるだけのキスをした。声にならない悲鳴を俺が上げる。嬉しそうに、してやったりな顔をして深谷は「顔、真っ赤だ」と笑った。
「だ、誰のせいだっ!誰のっ」
「瑠珂の彼氏」
「なっ……」
 よくもまあ、そう恥ずかしいことを……!さっきからずっと深谷の独壇場だ。正直言って、マジで、本当に、全然面白くないっ!
「じゃあ、俺はそろそろバイトに向かわないと……。瑠珂との将来かかってるし」
 どこまでもお前のペースかよ、と突っ込みたいところだが、頬に残った柔らかな感触にそんな言葉を投げる余裕が殆ど残ってない。
「……次はないからな」
「次?」
 首を傾げる深谷に、どうにか絞り出せた声で俺は言った。
「……一人でやろうとするなって言ってんの。それ、俺も関係あるんだろ。だったら、俺も金貯めるし……。つか、せめてシフト減らせよ。学校でぐらい喋らせろ」
 柄でもない事を言っているのは自覚しているが、たぶんこうでも言わないとこいつはまだ無理をしそうな気がする。案の定、深谷は今日一の目の輝きで、俺を見つめ、嬉しそうに頷いた。


「そうそう。引越し先は俺がもう探してあるからさ、瑠珂はペアのマグカップとか、色違いのルームウェアとか探しておいてよ。ちなみにベッドはダブルで」
「だぁから!色々ブッ飛びすぎなんだよお前はっ!」