「あー……クソ」
姉ちゃんのパスタをしこたま食べた俺は、シャワーを浴びて部屋に閉じこもった。さっき買って帰って来た箱アイスに名前を書いていなかったのを思い出したが、今はそれどころじゃない。どうせ三本ぐらい勝手に消えても大丈夫なように買って来たものだし。名前を書いておいたとしても、一人で食べたら腹を壊すだなんだと理由を付けて勝手に食べる人達なのは分かっている。ていうか、本当にアイスのことなんて今はどうでもいい。
俺はベッドに寄りかかるように床に座ると、タオルで乱暴に濡れた頭を拭いた。
つーか、なんで言わないんだよアイツ。
モヤモヤを通り越してなんだかイライラする。確かに、俺が忘れていたことが一番良くないだろうけどさ。言ってくれないと分からないだろうが。身長だって俺よりもデカくなってるし、顔つきなんて全然違って面影ゼロだし、声だってだいぶ低くなってるし。
「全然、分かるわけねぇじゃんっ」
あーもう考えるのやめだ、やめ。寝ちゃお。ぜーんぶ、一旦忘れよ。
そう思ってベッドに這い上り、目を瞑った。が、結局全然眠れなくて溜息が代わりに出る。欠伸すら出ないってどういうことだよ。こうなったら、俺からみっちゃんが深谷だと気がついたら事を話すべきなのか?そうすれば、この変なモヤモヤが消えるだろうか……。いや、今更恥ずかしいっつーの。これに関してはアイツが話さないのが悪い。うん、アイツが悪いことにしとこ。
とはいえ、今更関係を正そうとも思えない。今の俺にとって深谷光明は、突然告白したおかしなやつのままだ。
ていうか……もしかして、アイツ気が付いて欲しくて俺に「好き」とか言ったんじゃ……?
ハッとして、ベッドから起き上がる。
きっとそうだ。絶対それじゃん!遠い記憶を脳の奥から呼び起こすためには、インパクトも大事とか、そんな事をテレビで専門家が言ってた気もする。なるほど。アイツ、そんな手の込んだことを……。
すると、タイミングよくスマホが鳴った。スマホを手元に手繰り寄せると、画面に深谷の名前とメッセージが表示されている。その字面にドキンと心臓が反応し、自分の頬を軽くつねる。なんでドキドキしてんだよ。
アプリを開くと、『お疲れ様。そろそろレポート、できたんじゃない?』という呑気なメッセージとハテナマークを頭に浮かべているポメラニアンのスタンプが送られてきていた。時刻はすでに深夜。こんな時間までアイツは何をしているんだろう。勉強か……?いや、どうせ余裕のあるやつだ、読書や優雅に映画鑑賞って感じもする。そう考えると、ここ二日程で必死にレポートを書き直した事を思い出し腹が立った。返事をする気にもなれず、既読をつけたまま画面を閉じる。
今更だけど深谷の言動には引っかかる部分がそこかしこにあった気がする。俺の記憶力が残念だとか、将来の夢を知っているとか、一番最初に仲良くなった人……とか。腹立つ事も言われているが、このアイツが散りばめたヒントは、ただ単に気がついて欲しかったせいだ……と思う。いや、そうだとしてもやり方が遠回りすぎるし、不器用すぎだろ。呆れすぎて溜息も出やしない。さっきうるさくなった心臓も、冷静になるとようやく大人しくなり始めた。
タイミングを見て俺から話す……か。アイツは気が付いて欲しいからあんな事、言ったわけだしな……。でも、それだけのために簡単に好きとか言ってんじゃねぇって思う。だからと言って、いきなりお前がみっちゃん?なんて直球を投げる自信は全くない。レポートに関しては明日の朝に連絡するとして……。今日は一旦、マジで寝よ。
俺はやっと出てくる気になった欠伸をすると、大きく伸びをして目を瞑った。
翌朝、俺は昨晩スルーしたメッセージに返信をし、殴り書きしたレポート用紙の写真も送り付けた。字の汚さで更に減点を食らいそうだったので、清書する事も念の為伝える。すると、数分後に深谷から返信が来た。メッセージを開くと 『今日は会える?』という連絡だけで、レポートの内容には触れてこない。
もしかして、読みにくかったとか?
というか、今日はこれから支度をして朝からアルバイトの予定がある。夕方からなら時間は取れなくはないけど……。
『バイト終わりで良ければ。シフト、この前と同じ』
メッセージを送ると、直ぐに既読が付いた。
『じゃあ、バイト先に行くよ。瑠珂は俺とのご褒美デート、どこ行きたいか考えておいて』
ご褒美デートって……誰の、ご褒美だよ。
俺は心の中で突っ込んだ。
ん?いや待て。デートってことは、もしかして……。俺のレポートの出来が良かったって事……だよな?それならそうとハッキリ言えば……いやでも俺、文才ないって言われたばっかだし、流石に一発合格はないんじゃ……。
それに別に会うことなくね?なんて思う反面、なんとなく浮ついている自分がいる。相手が深谷だ、というより心のどこかでは『幼馴染のみっちゃん』と思っているのだろうか。まぁ、でも……深谷のことだ。レポートに対しての嫌味の一つも溢すかもしれない。
俺は『わかった』とだけ返信をすると、朝食を食べるために部屋を出た。
「文才ゼロにしては進歩したよね」
くすくすと笑いながら、深谷が楽しそうに言った。
「良いのか悪いのか、分かんねぇ言い方すんな」
俺が言い返すと、カウンターの方から鋭い視線が更に鋭く尖って向けられる。今日も前回と同じく、女性陣達の視線が痛い。
「でも、よくあの文字読めたじゃん」
あの殴り書きを、しかも写真から。念の為に原本も持ってきているが、清書はまだしていない。解読できない箇所があると言われたらその都度俺が読んでやれば良いと思っていた。
「読めるよ。だって瑠珂の字だし」
「なんだそれ。じゃあ、航の書いた字だったらどうしたんだよ」
我ながらよく分からん質問を投げる。しかし、深谷はテーブルに片肘をつけると俺の方に顔を向けながら「んー」と考える。
「多分、それは読めないかも。瑠珂の字なら俺は読めるの」
「……つまり、若干苦戦したってこと?」
「結果的に読めたからなんでも良いだろ。まぁ、清書はした方が良いけど」
「それは勿論するけど……」
ていうか、今、サラッと恥ずかしいこと言ってたよな?クーラーが効いている店内だというのに、途端に汗が滲み出る。
「字は自分でどうにか出来ると思うけど……。あとは、この辺を少し直せば良いと思う」
深谷は俺に、どうせ書き直すからと言って修正箇所を原本に書き込んだ。レポートは俺が書いたというのに、自分でも疑わしい出来になっていく。現代文の先生が見たら「頭でも打ったのか」なんて言い出しそうだ。
「それで、約束のデートはどこ行くか考えたの?」
「えっ。あー……まぁ、一応は」
深谷が乗り出しながら俺に尋ねたので、反射的に身体が反れる。いきなり顔を近付けるのは癖なのだろうか。心臓に悪いからやめてほしいんだけど。
「……とりあえず顔、近い」
深谷を座り直させ、俺は手前のコーラを一口飲む。メッセージで『わかった』と返事をした以上、考えないのも無責任だと思って、念の為考えてきた。まぁ、絞り出せた候補はたった一つだけだけど……。なのに、めちゃくちゃ期待の眼差しを向けられ、どうにも言い難い。だが、このまま口籠っているのもなんだか深谷の手中で踊らされている気がして、俺は意を決して口を開いた。
「明後日の花火大会、とか……どう?」
「……花火大会って、ああ、近所の?」
俺が頷くと深谷の細い目がゆっくりと開く。そりゃ、まぁ、こいつにとってのデートは、もしかしたら映画だったり買い物だったりを想像していたのかもしれない。俺だって間違いなく女の子相手ならそうするし。でも、相手は男で深谷だ。こうやってバイト先で顔突き合わせるだけでも、他の視線がある。この前のオープンキャンパスだって、他校の女の子達数名の視線が深谷に集まっていた。この男と出掛けるとなると、そういう弊害がある。ただでさえイライラとモヤモヤが付き纏う相手なのだ。だったら、夜の人混みに紛れて終わらせた方が無難だっていうのが俺の考えだ。それに、俺のように深谷光明という男は『泣き虫みっちゃん』だと記憶に残っている人が多いはず。この高身長で嫌味かつ、おかしな男をその泣き虫だとは思うまい。同級生の誰かに声かけられたとしても『高校の友達』っていう紹介で終わるはずだ。
「ちょっと待って」
深谷はすかさずスマホを開き、スケジュールを確認した。明後日ってのは確かに急すぎたかも、と一瞬心配したが「あ、大丈夫そう」と言う返事が返された。
「いいよ。浴衣着てくるの?」
「持ってねぇよ。つーか、そんなに大きな花火大会じゃないし」
花火大会って言っても、この近所の花火大会は自治会が主催しているだいぶ小規模なもの。どっかの大きな川沿いでやるものと比べても時間は少ないし、打ち上がる花火も少ないが、夜店が並ぶ開場広場は割と長時間開放されている。
「なぁんだ」
いやいや、レポートの添削のお礼には十分すぎると思いますがね。
俺が文句を言いたげにジト目を向けると、深谷はくすくすと嬉しそうに笑う。
「でも、楽しみ。瑠珂が本当に考えてきてくれて、嬉しい」
噛み締めるようにそう言われて、下っ腹のあたりが熱くなる。ゴクンと唾を飲み込んだ音を掻き消すように、小さな声で「んじゃ、明後日な」と早口で言うと、俺はストローを咥え、音を立ててコーラを飲んだ。
深谷との約束は夕方の十八時三十分。会場は家の近所の川沿いで、待ち合わせは人混みを避けるために少し離れたコンビニ前にした。自治会が運営する花火大会というおかげで、ほんの少し離れると人混みが見えないほどだ。前回は深谷を待たせてしまったので、今日は早めに家を出た。おかげで待ち合わせの十五分前にコンビニに着いた。なんだか楽しみにしていたようで思わず視線が泳いだ。どうやら深谷が来る様子はまだない。ホッとして、暗くなる様子が見えない空を見上げた。まだ陽が眩しく、キャップ帽を被って来て正解だった。陽が落ちればもう少し涼しくなりそうだったが、ねっとりとした暑い空気が肌に触れ、じわりと汗ばむのを感じた。
そういえば、この花火大会に来るのっていつぶりだろうか。記憶の中を探ろうとすると、この前の深谷がポンと頭の中に浮かんだ。
「記憶力が残念だから」
このカチンと来る言い方に、ムキになって俺は思い出そうと必死になる。中学の時はそれこそ誰と誰が一緒に来ていただとか噂になるのが嫌で、家の中で音だけを聞いたのは確かだ。
なら、やっぱり小学生の時だったかな……。
何人かで集まって行ったこともあった気がする。あと、親にも連れてきてもらったはず。そうだ、あの時は姉ちゃん達に、くじ引きで俺が引き当てたラメの入ったカラフルな五色入りのペンを取られたんだったな。代わりにあの二人が当てた恐竜の消しゴムを押し付けられてさ……。あの消しゴム、全然消えねぇんだよなぁ。当時はもう少し悔しかった気がするけど、今では笑い話だ。あとは確か……。
「なに笑ってんの?」
「なっ……お前かよ」
顔を上げると嬉しそうな顔をした深谷が立っていた。その表情にもだが、十以上差のある身長が余計に勘にさわる。
「俺しかいないでしょ、瑠珂の相手」
「……どういう意味だよ」
「どうって、そのまんま。ほら、行こう」
そう言って深谷は手を差し出した。花火の会場から離れているとはいえ、人の往来は割とある。そういえばこいつは、人の目とか気にしないタイプだったな。
俺はその手を掴まず、深谷の隣に並ぶ。手を引っ込めないあたりが強気だったが、頑なに手を出さずにいると渋々諦め、歩き始めた。
「あーあ。せっかくのデートなのに」
「流石にこんな人混みじゃ、無理だっつーの」
「へぇ、人混みじゃなきゃ良いんだ」
「そんな話してねぇだろっ」
「今時気にする?同性相手だからとか」
「はぁ?普通、気にするだろ。そんなの、同性でもそうじゃなくても……」
そう言っている途中で、自分が深谷の存在とその気持ちを否定していないことに気が付き、声が萎んでいく。
「いや、今のはその……」
横を通り過ぎる人達の話し声や、道路を通過して行く車の音が、爆速で鳴る心臓に消されていく。次第に顔が熱くなり、俺は被っていたキャップ帽を目深に下げた。こういう時に限って、夏の夕空は明るくて嫌だ。最悪だ。いきなりこんな展開になるなんて。でも仕掛けたのは俺じゃない。深谷のせいだ。発言は俺かもしれないが、その発言を引き出したのは深谷で……。
「ねぇ、縁日の屋台で一番好きな食べ物、なに?」
黙り込んでしまった俺に、深谷は静かに話しかけた。差し出されていた手は、既に引っ込まれ、深谷は俺の少し先を歩いている。
「俺はね」
「……お前が答えるのかよ」
「ふふ。だって瑠珂、下向いてるから」
俺のツッコミに笑いながら深谷は言った。
「気を遣わせて悪うございましたねっ」
俺は顔を上げ、下唇を軽く噛む。顔にのぼった熱は下がった気はしないが、空が群青色に変わり始め、はっきりとは見えないと思った。
「それで。何?」
「焼きそば」
「……え、焼きそば?」
綿飴じゃなくて?と聞きそうになったのを慌てて飲み込む。幼い頃のみっちゃんは、確かキャラクターの袋にパンパンに詰められた綿飴を手に持っていた印象が強かった。だが、返ってきた答えはなんだか正反対な食べ物に思え、俺の声が裏返った。
「うん。麺がチリチリに焦げてて、パサパサのやつ」
「うわ、ちっとも美味そうじゃねぇ……」
「でもマヨネーズとソースかけて、紅生姜が入ったら化けるじゃん」
「それマヨソースなら何でも良いやつじゃねぇか」
「じゃあ、瑠珂は?」
「俺は…………たこ焼きかな」
「なんだ、同じじゃん」
「おい、全然違うだろ。俺はパサパサは好きじゃないからな」
「マヨソースなら何でも良いところが同じって話だよ」
「それ、やっぱ焼きそばじゃなくても良いやつじゃねぇか」
大したオチのない会話にケラケラ笑う。だんだんと縁日会場が近付いているせいか、さっきから話題に出てるソースの焦げた匂いが熱い空気と混じって香ってきた。腹の虫が一気にそっちへ集中し、最初は腹ごしらえだと意見が一致した。
縁日会場は近所の広い芝生のある公園だった。いつもなら犬の散歩をしている人が数人いるかいないかだが、今日は右も左も人だらけだ。深谷は冗談混じりで「やっぱ繋いどく?」と笑いながら声をかけてきたが、俺は「バーカ」の一言で一蹴した。
「お前みたいなデカいやつ、見失うほうが難しいわ」
「ふぅん。瑠珂、俺のことずっと見てくれるんだ」
「……そういう言い方してないだろ」
「俺はそういう言い方して欲しいんだよね」
深谷はくすりと笑うと「冗談だよ」と言った。
今の、絶対冗談じゃねぇだろ……。
俺のツッコミは口から出ることはなく、焼きそばの屋台を見つけて足早に進んで行く深谷の背中を、小走りで追いかけた。
「ここで良いんじゃね?」
俺達は、花火会場付近の狭い植え込みに買ってきたものを並べた。花火まで三十分ともなると、会場に人が溢れ出した。立つこともままならないため、離れることに決めた俺達は会場を早々に出た。いつの間にか陽も暮れて、少し遠くに見える縁日会場の提灯が薄ぼんやり見える。
「まぁ、見えなくはなさそうだけど……」
正面には川が見え、少しずれたところに花火の打ち上げ場所が見えた。しかし、丁度その打ち上げ地点と重なる所に木が生えている。視界は良好とは言えないが、これ以上落ち着ける場所もなさそうだ。
「どうせ打ち上げられたら見えるだろ」
「低めのは見えないじゃん」
「それは首の休息時間ってことで」
そう言って笑いながら、途中で買ったラムネのビー玉を落とした。一口飲むと、強めの炭酸がこめかみをじん、と刺激する。
「俺さ」
「ん?」
ラムネの瓶を置き、隣の深谷を見上げた。
「今日、すごい楽しみだったんだよね」
「……ふぅん」
会場の方から花火開始の十分前のアナウンスが流れた。いつの前に時間が経っていて、俺も深谷も顔を一瞬見合わせる。
「夏祭りとか花火とか……子どもの時以来だし」
「……へぇ」
たぶん、俺と来た時の話だよな……。ここでも濁した言い方しやがって。なんて、俺は知らないふりを突き通す。やっぱり、こいつの「瑠珂が好き」って言葉は、自分が幼馴染だと気が付いて欲しいって意味だと感じる。ていうか、それしかない。じゃなきゃ、再会したその日の昼休みに、二人きりであの告白はしないはずだ。
「というか、瑠珂に会えてから毎日楽しい」
「そりゃ……どうも」
歯の浮くようなセリフに、なんと返して良いか分からず、俺は再びラムネに口を付ける。強めの炭酸が喉に引っかかって若干咽せたが、深谷は「ゆっくり飲みなよ」と笑った。
「あとさ、瑠珂と一緒に進学するのも楽しみなんだよね」
マジかよ。
「……お前、まだそれ言ってんの?」
驚いて目を丸くして聞き返した。すると、深谷は至極当然だと言うように強く頷く。
「うん。絶対同棲したい」
「だから、いちいち飛び越えてんだよ、受験も卒業も、俺の意思もっ!」
「照れなくて良いのに」
「お前はもっと恥じらえよな……」
すると、一拍あけて深谷は答えた。
「恥じらったら、俺のこともっと見てくれるの?」
「……すっげぇ嫌悪の目でな」
「こっちは真剣なんだけど」
……またその目かよ。泣きそうだけど、絶対に泣かないという、小動物が威嚇しているようなその目。こういう目を深谷は時々俺に向ける。その目を見るとこっちも苛立って仕方ない。
「それ……言ってるだけだろ、お前」
「え?」
深谷の眉がぴくりと反応した。気が付かないフリをし、俺はそのまま続けた。
「承応大学ってさ、辺鄙なとこにあるし、前にも言ったけどお前の学力まで下げていくとこか?」
すると、俺の発言に深谷は顔を顰めた。見たことのない表情に、思わず目を逸らす。心臓が、明らかに待ち合わせ時と違う速さで脈を打ち始めた。
「……俺だって前にも言ったよね?ちゃんとこの目で見て行きたいって思ったって」
深谷の目は真剣そのものだ。でも、それが余計に苛立った。
「……本当かよ。昔から、俺に合わせて生きてきたからじゃなくて?」
「……え?」
花火が打ち上がる音が頭上で聞こえた。心臓部まで大きな音が響いたが、その音の速さは花火のせいではないのは明白だった。
自分が要らないことを言っている自覚はあった。
「お、お前が……みっちゃんなのはとっくに気が付いてるっつーの!」
一瞬言うか迷って、結局腹の内をぶちまけた。
「……いつから?」
気不味そうに深谷が尋ねた。「そっかー、気が付いちゃったかー!」ぐらいの緩いテンションを想像していた。想像と真反対な反応に調子が狂う。
「さ、最近だけど?」
何をどう答えて良いのか分からなくなり、声が変に裏返る。やらかしたというか、今言うことじゃなかったのは頭の中で分かっていた。でも、今更開いた口は防ぐことが出来ず、俺はそのまま続けて話した。
「まぁ、お前の言動に前から引っかかるとこがあってさ。考えたら色々と辻褄が合うというか……。そりゃ最初はあのみっちゃんがあの頃とは正反対の人間になってるから信じ難かったけど……」
「……そう言われると思ったから言わなかったのに」
本当、今更何を言ってるんだ。隠す気なんてまったくなかったじゃんか。
俺は呆れ半分で溜息を吐いた。
「よく言うよ。俺に自分だって気が付かせたくて、好きとか言ったんだろ?」
「…………は?」
「もうお前があの泣き虫みっちゃんなのは分かったし、片思いごっこは終わりでいいって。ついでにさ、進路も真面目に考えたら?」
軽い気持ちでそう伝えた。自分で言っておきながら喉の奥が熱く、胸の左側がチクリと痛む。だが、深谷の目的が果たされたのなら、俺に縛られる必要なんてない。
なのに。
「……深谷?」
深谷は黙ったまま、俺の方をじっと見つめていた。その視線は胸の奥をより深く刺すような強さを持っていて、さっきよりも胸の痛みが増す。
「……片思いごっこって……。瑠珂は、俺の気持ちが嘘だと思っていたわけ?」
「何言ってんだよ。冗談意外にあんなこと言わないだろ?」
そうだ。冗談に決まっている。突然現れて、好きだなんて。まぁ、蓋を開ければ幼馴染だった、なんて話だったけれど。だけど、同性の同級生に告白された方の身にもなって欲しい。俺には気になっていた女の子だっていた。俺の中ではそういう気持ちを向ける対象は必然的に異性だとばかり思っていたからこんな事かわ起きるなんてまったく、そう、一ミリも考えた事がなかった。別に深谷に嫌悪感がある訳じゃない。ただ、あの日のあのタイミングで告白するのは「別の意味がある」としか、思えなかっただけだ。
そう思うのに、それを面と向かっては言えない俺は、黙って深谷を見つめるだけだった。なんと言うか、選ぶ言葉が全部良くない方へ向かっている気がして口を開くのが怖くなった。
「……瑠珂って、もっと人の気持ち考えられる人だったと思うけど」
「え?」
深谷は深々と溜息を吐き、俺から視線を離した。
「それって、どういう……」
俺の言葉を遮るドン、という大きな音と共に、花火が打ち上がった。大きく開いた赤い花火が、少し離れた夜空に広がる。それを皮切りに、次々と花火が打ち上がり始めた。
「……ごめん、今日は帰る」
深谷は焼きそばのパックとラムネ瓶を手に持つと、聞こえる程度の声で静かに言った。
「え、花火は?」
「もう見たから」
「ちょ、ちょっと待てって」
立ち去ろうとする深谷の腕を、俺は反射的に掴んだ。
「俺、あのさ……」
心臓が縮みそうだった。何を言って良いのかは分からないが、この場から深谷が居なくなるのはもっと嫌だった。それに、自分のせいで傷ついてしまった深谷をそのまま帰すのも気が引ける。たぶん、いや俺の読み違いだったのだろう。また言葉を間違えてしまったら……。
「えっと…」
深谷の細い目がやっと俺を捉える。いつもとは違う冷たい視線に、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……少なくとも、俺がずっと思っていた相手は人の気持ちに寄り添える人だったよ」
深谷は俺の手を解くと「ごめん」と言って、来た道を戻って行った。
「深谷っ」
呼び止めようにも、力の入らなくなった俺の声は花火の音にかき消される。
暗くて明るい夏の夜に、俺はぽつんと立ち尽くした。
姉ちゃんのパスタをしこたま食べた俺は、シャワーを浴びて部屋に閉じこもった。さっき買って帰って来た箱アイスに名前を書いていなかったのを思い出したが、今はそれどころじゃない。どうせ三本ぐらい勝手に消えても大丈夫なように買って来たものだし。名前を書いておいたとしても、一人で食べたら腹を壊すだなんだと理由を付けて勝手に食べる人達なのは分かっている。ていうか、本当にアイスのことなんて今はどうでもいい。
俺はベッドに寄りかかるように床に座ると、タオルで乱暴に濡れた頭を拭いた。
つーか、なんで言わないんだよアイツ。
モヤモヤを通り越してなんだかイライラする。確かに、俺が忘れていたことが一番良くないだろうけどさ。言ってくれないと分からないだろうが。身長だって俺よりもデカくなってるし、顔つきなんて全然違って面影ゼロだし、声だってだいぶ低くなってるし。
「全然、分かるわけねぇじゃんっ」
あーもう考えるのやめだ、やめ。寝ちゃお。ぜーんぶ、一旦忘れよ。
そう思ってベッドに這い上り、目を瞑った。が、結局全然眠れなくて溜息が代わりに出る。欠伸すら出ないってどういうことだよ。こうなったら、俺からみっちゃんが深谷だと気がついたら事を話すべきなのか?そうすれば、この変なモヤモヤが消えるだろうか……。いや、今更恥ずかしいっつーの。これに関してはアイツが話さないのが悪い。うん、アイツが悪いことにしとこ。
とはいえ、今更関係を正そうとも思えない。今の俺にとって深谷光明は、突然告白したおかしなやつのままだ。
ていうか……もしかして、アイツ気が付いて欲しくて俺に「好き」とか言ったんじゃ……?
ハッとして、ベッドから起き上がる。
きっとそうだ。絶対それじゃん!遠い記憶を脳の奥から呼び起こすためには、インパクトも大事とか、そんな事をテレビで専門家が言ってた気もする。なるほど。アイツ、そんな手の込んだことを……。
すると、タイミングよくスマホが鳴った。スマホを手元に手繰り寄せると、画面に深谷の名前とメッセージが表示されている。その字面にドキンと心臓が反応し、自分の頬を軽くつねる。なんでドキドキしてんだよ。
アプリを開くと、『お疲れ様。そろそろレポート、できたんじゃない?』という呑気なメッセージとハテナマークを頭に浮かべているポメラニアンのスタンプが送られてきていた。時刻はすでに深夜。こんな時間までアイツは何をしているんだろう。勉強か……?いや、どうせ余裕のあるやつだ、読書や優雅に映画鑑賞って感じもする。そう考えると、ここ二日程で必死にレポートを書き直した事を思い出し腹が立った。返事をする気にもなれず、既読をつけたまま画面を閉じる。
今更だけど深谷の言動には引っかかる部分がそこかしこにあった気がする。俺の記憶力が残念だとか、将来の夢を知っているとか、一番最初に仲良くなった人……とか。腹立つ事も言われているが、このアイツが散りばめたヒントは、ただ単に気がついて欲しかったせいだ……と思う。いや、そうだとしてもやり方が遠回りすぎるし、不器用すぎだろ。呆れすぎて溜息も出やしない。さっきうるさくなった心臓も、冷静になるとようやく大人しくなり始めた。
タイミングを見て俺から話す……か。アイツは気が付いて欲しいからあんな事、言ったわけだしな……。でも、それだけのために簡単に好きとか言ってんじゃねぇって思う。だからと言って、いきなりお前がみっちゃん?なんて直球を投げる自信は全くない。レポートに関しては明日の朝に連絡するとして……。今日は一旦、マジで寝よ。
俺はやっと出てくる気になった欠伸をすると、大きく伸びをして目を瞑った。
翌朝、俺は昨晩スルーしたメッセージに返信をし、殴り書きしたレポート用紙の写真も送り付けた。字の汚さで更に減点を食らいそうだったので、清書する事も念の為伝える。すると、数分後に深谷から返信が来た。メッセージを開くと 『今日は会える?』という連絡だけで、レポートの内容には触れてこない。
もしかして、読みにくかったとか?
というか、今日はこれから支度をして朝からアルバイトの予定がある。夕方からなら時間は取れなくはないけど……。
『バイト終わりで良ければ。シフト、この前と同じ』
メッセージを送ると、直ぐに既読が付いた。
『じゃあ、バイト先に行くよ。瑠珂は俺とのご褒美デート、どこ行きたいか考えておいて』
ご褒美デートって……誰の、ご褒美だよ。
俺は心の中で突っ込んだ。
ん?いや待て。デートってことは、もしかして……。俺のレポートの出来が良かったって事……だよな?それならそうとハッキリ言えば……いやでも俺、文才ないって言われたばっかだし、流石に一発合格はないんじゃ……。
それに別に会うことなくね?なんて思う反面、なんとなく浮ついている自分がいる。相手が深谷だ、というより心のどこかでは『幼馴染のみっちゃん』と思っているのだろうか。まぁ、でも……深谷のことだ。レポートに対しての嫌味の一つも溢すかもしれない。
俺は『わかった』とだけ返信をすると、朝食を食べるために部屋を出た。
「文才ゼロにしては進歩したよね」
くすくすと笑いながら、深谷が楽しそうに言った。
「良いのか悪いのか、分かんねぇ言い方すんな」
俺が言い返すと、カウンターの方から鋭い視線が更に鋭く尖って向けられる。今日も前回と同じく、女性陣達の視線が痛い。
「でも、よくあの文字読めたじゃん」
あの殴り書きを、しかも写真から。念の為に原本も持ってきているが、清書はまだしていない。解読できない箇所があると言われたらその都度俺が読んでやれば良いと思っていた。
「読めるよ。だって瑠珂の字だし」
「なんだそれ。じゃあ、航の書いた字だったらどうしたんだよ」
我ながらよく分からん質問を投げる。しかし、深谷はテーブルに片肘をつけると俺の方に顔を向けながら「んー」と考える。
「多分、それは読めないかも。瑠珂の字なら俺は読めるの」
「……つまり、若干苦戦したってこと?」
「結果的に読めたからなんでも良いだろ。まぁ、清書はした方が良いけど」
「それは勿論するけど……」
ていうか、今、サラッと恥ずかしいこと言ってたよな?クーラーが効いている店内だというのに、途端に汗が滲み出る。
「字は自分でどうにか出来ると思うけど……。あとは、この辺を少し直せば良いと思う」
深谷は俺に、どうせ書き直すからと言って修正箇所を原本に書き込んだ。レポートは俺が書いたというのに、自分でも疑わしい出来になっていく。現代文の先生が見たら「頭でも打ったのか」なんて言い出しそうだ。
「それで、約束のデートはどこ行くか考えたの?」
「えっ。あー……まぁ、一応は」
深谷が乗り出しながら俺に尋ねたので、反射的に身体が反れる。いきなり顔を近付けるのは癖なのだろうか。心臓に悪いからやめてほしいんだけど。
「……とりあえず顔、近い」
深谷を座り直させ、俺は手前のコーラを一口飲む。メッセージで『わかった』と返事をした以上、考えないのも無責任だと思って、念の為考えてきた。まぁ、絞り出せた候補はたった一つだけだけど……。なのに、めちゃくちゃ期待の眼差しを向けられ、どうにも言い難い。だが、このまま口籠っているのもなんだか深谷の手中で踊らされている気がして、俺は意を決して口を開いた。
「明後日の花火大会、とか……どう?」
「……花火大会って、ああ、近所の?」
俺が頷くと深谷の細い目がゆっくりと開く。そりゃ、まぁ、こいつにとってのデートは、もしかしたら映画だったり買い物だったりを想像していたのかもしれない。俺だって間違いなく女の子相手ならそうするし。でも、相手は男で深谷だ。こうやってバイト先で顔突き合わせるだけでも、他の視線がある。この前のオープンキャンパスだって、他校の女の子達数名の視線が深谷に集まっていた。この男と出掛けるとなると、そういう弊害がある。ただでさえイライラとモヤモヤが付き纏う相手なのだ。だったら、夜の人混みに紛れて終わらせた方が無難だっていうのが俺の考えだ。それに、俺のように深谷光明という男は『泣き虫みっちゃん』だと記憶に残っている人が多いはず。この高身長で嫌味かつ、おかしな男をその泣き虫だとは思うまい。同級生の誰かに声かけられたとしても『高校の友達』っていう紹介で終わるはずだ。
「ちょっと待って」
深谷はすかさずスマホを開き、スケジュールを確認した。明後日ってのは確かに急すぎたかも、と一瞬心配したが「あ、大丈夫そう」と言う返事が返された。
「いいよ。浴衣着てくるの?」
「持ってねぇよ。つーか、そんなに大きな花火大会じゃないし」
花火大会って言っても、この近所の花火大会は自治会が主催しているだいぶ小規模なもの。どっかの大きな川沿いでやるものと比べても時間は少ないし、打ち上がる花火も少ないが、夜店が並ぶ開場広場は割と長時間開放されている。
「なぁんだ」
いやいや、レポートの添削のお礼には十分すぎると思いますがね。
俺が文句を言いたげにジト目を向けると、深谷はくすくすと嬉しそうに笑う。
「でも、楽しみ。瑠珂が本当に考えてきてくれて、嬉しい」
噛み締めるようにそう言われて、下っ腹のあたりが熱くなる。ゴクンと唾を飲み込んだ音を掻き消すように、小さな声で「んじゃ、明後日な」と早口で言うと、俺はストローを咥え、音を立ててコーラを飲んだ。
深谷との約束は夕方の十八時三十分。会場は家の近所の川沿いで、待ち合わせは人混みを避けるために少し離れたコンビニ前にした。自治会が運営する花火大会というおかげで、ほんの少し離れると人混みが見えないほどだ。前回は深谷を待たせてしまったので、今日は早めに家を出た。おかげで待ち合わせの十五分前にコンビニに着いた。なんだか楽しみにしていたようで思わず視線が泳いだ。どうやら深谷が来る様子はまだない。ホッとして、暗くなる様子が見えない空を見上げた。まだ陽が眩しく、キャップ帽を被って来て正解だった。陽が落ちればもう少し涼しくなりそうだったが、ねっとりとした暑い空気が肌に触れ、じわりと汗ばむのを感じた。
そういえば、この花火大会に来るのっていつぶりだろうか。記憶の中を探ろうとすると、この前の深谷がポンと頭の中に浮かんだ。
「記憶力が残念だから」
このカチンと来る言い方に、ムキになって俺は思い出そうと必死になる。中学の時はそれこそ誰と誰が一緒に来ていただとか噂になるのが嫌で、家の中で音だけを聞いたのは確かだ。
なら、やっぱり小学生の時だったかな……。
何人かで集まって行ったこともあった気がする。あと、親にも連れてきてもらったはず。そうだ、あの時は姉ちゃん達に、くじ引きで俺が引き当てたラメの入ったカラフルな五色入りのペンを取られたんだったな。代わりにあの二人が当てた恐竜の消しゴムを押し付けられてさ……。あの消しゴム、全然消えねぇんだよなぁ。当時はもう少し悔しかった気がするけど、今では笑い話だ。あとは確か……。
「なに笑ってんの?」
「なっ……お前かよ」
顔を上げると嬉しそうな顔をした深谷が立っていた。その表情にもだが、十以上差のある身長が余計に勘にさわる。
「俺しかいないでしょ、瑠珂の相手」
「……どういう意味だよ」
「どうって、そのまんま。ほら、行こう」
そう言って深谷は手を差し出した。花火の会場から離れているとはいえ、人の往来は割とある。そういえばこいつは、人の目とか気にしないタイプだったな。
俺はその手を掴まず、深谷の隣に並ぶ。手を引っ込めないあたりが強気だったが、頑なに手を出さずにいると渋々諦め、歩き始めた。
「あーあ。せっかくのデートなのに」
「流石にこんな人混みじゃ、無理だっつーの」
「へぇ、人混みじゃなきゃ良いんだ」
「そんな話してねぇだろっ」
「今時気にする?同性相手だからとか」
「はぁ?普通、気にするだろ。そんなの、同性でもそうじゃなくても……」
そう言っている途中で、自分が深谷の存在とその気持ちを否定していないことに気が付き、声が萎んでいく。
「いや、今のはその……」
横を通り過ぎる人達の話し声や、道路を通過して行く車の音が、爆速で鳴る心臓に消されていく。次第に顔が熱くなり、俺は被っていたキャップ帽を目深に下げた。こういう時に限って、夏の夕空は明るくて嫌だ。最悪だ。いきなりこんな展開になるなんて。でも仕掛けたのは俺じゃない。深谷のせいだ。発言は俺かもしれないが、その発言を引き出したのは深谷で……。
「ねぇ、縁日の屋台で一番好きな食べ物、なに?」
黙り込んでしまった俺に、深谷は静かに話しかけた。差し出されていた手は、既に引っ込まれ、深谷は俺の少し先を歩いている。
「俺はね」
「……お前が答えるのかよ」
「ふふ。だって瑠珂、下向いてるから」
俺のツッコミに笑いながら深谷は言った。
「気を遣わせて悪うございましたねっ」
俺は顔を上げ、下唇を軽く噛む。顔にのぼった熱は下がった気はしないが、空が群青色に変わり始め、はっきりとは見えないと思った。
「それで。何?」
「焼きそば」
「……え、焼きそば?」
綿飴じゃなくて?と聞きそうになったのを慌てて飲み込む。幼い頃のみっちゃんは、確かキャラクターの袋にパンパンに詰められた綿飴を手に持っていた印象が強かった。だが、返ってきた答えはなんだか正反対な食べ物に思え、俺の声が裏返った。
「うん。麺がチリチリに焦げてて、パサパサのやつ」
「うわ、ちっとも美味そうじゃねぇ……」
「でもマヨネーズとソースかけて、紅生姜が入ったら化けるじゃん」
「それマヨソースなら何でも良いやつじゃねぇか」
「じゃあ、瑠珂は?」
「俺は…………たこ焼きかな」
「なんだ、同じじゃん」
「おい、全然違うだろ。俺はパサパサは好きじゃないからな」
「マヨソースなら何でも良いところが同じって話だよ」
「それ、やっぱ焼きそばじゃなくても良いやつじゃねぇか」
大したオチのない会話にケラケラ笑う。だんだんと縁日会場が近付いているせいか、さっきから話題に出てるソースの焦げた匂いが熱い空気と混じって香ってきた。腹の虫が一気にそっちへ集中し、最初は腹ごしらえだと意見が一致した。
縁日会場は近所の広い芝生のある公園だった。いつもなら犬の散歩をしている人が数人いるかいないかだが、今日は右も左も人だらけだ。深谷は冗談混じりで「やっぱ繋いどく?」と笑いながら声をかけてきたが、俺は「バーカ」の一言で一蹴した。
「お前みたいなデカいやつ、見失うほうが難しいわ」
「ふぅん。瑠珂、俺のことずっと見てくれるんだ」
「……そういう言い方してないだろ」
「俺はそういう言い方して欲しいんだよね」
深谷はくすりと笑うと「冗談だよ」と言った。
今の、絶対冗談じゃねぇだろ……。
俺のツッコミは口から出ることはなく、焼きそばの屋台を見つけて足早に進んで行く深谷の背中を、小走りで追いかけた。
「ここで良いんじゃね?」
俺達は、花火会場付近の狭い植え込みに買ってきたものを並べた。花火まで三十分ともなると、会場に人が溢れ出した。立つこともままならないため、離れることに決めた俺達は会場を早々に出た。いつの間にか陽も暮れて、少し遠くに見える縁日会場の提灯が薄ぼんやり見える。
「まぁ、見えなくはなさそうだけど……」
正面には川が見え、少しずれたところに花火の打ち上げ場所が見えた。しかし、丁度その打ち上げ地点と重なる所に木が生えている。視界は良好とは言えないが、これ以上落ち着ける場所もなさそうだ。
「どうせ打ち上げられたら見えるだろ」
「低めのは見えないじゃん」
「それは首の休息時間ってことで」
そう言って笑いながら、途中で買ったラムネのビー玉を落とした。一口飲むと、強めの炭酸がこめかみをじん、と刺激する。
「俺さ」
「ん?」
ラムネの瓶を置き、隣の深谷を見上げた。
「今日、すごい楽しみだったんだよね」
「……ふぅん」
会場の方から花火開始の十分前のアナウンスが流れた。いつの前に時間が経っていて、俺も深谷も顔を一瞬見合わせる。
「夏祭りとか花火とか……子どもの時以来だし」
「……へぇ」
たぶん、俺と来た時の話だよな……。ここでも濁した言い方しやがって。なんて、俺は知らないふりを突き通す。やっぱり、こいつの「瑠珂が好き」って言葉は、自分が幼馴染だと気が付いて欲しいって意味だと感じる。ていうか、それしかない。じゃなきゃ、再会したその日の昼休みに、二人きりであの告白はしないはずだ。
「というか、瑠珂に会えてから毎日楽しい」
「そりゃ……どうも」
歯の浮くようなセリフに、なんと返して良いか分からず、俺は再びラムネに口を付ける。強めの炭酸が喉に引っかかって若干咽せたが、深谷は「ゆっくり飲みなよ」と笑った。
「あとさ、瑠珂と一緒に進学するのも楽しみなんだよね」
マジかよ。
「……お前、まだそれ言ってんの?」
驚いて目を丸くして聞き返した。すると、深谷は至極当然だと言うように強く頷く。
「うん。絶対同棲したい」
「だから、いちいち飛び越えてんだよ、受験も卒業も、俺の意思もっ!」
「照れなくて良いのに」
「お前はもっと恥じらえよな……」
すると、一拍あけて深谷は答えた。
「恥じらったら、俺のこともっと見てくれるの?」
「……すっげぇ嫌悪の目でな」
「こっちは真剣なんだけど」
……またその目かよ。泣きそうだけど、絶対に泣かないという、小動物が威嚇しているようなその目。こういう目を深谷は時々俺に向ける。その目を見るとこっちも苛立って仕方ない。
「それ……言ってるだけだろ、お前」
「え?」
深谷の眉がぴくりと反応した。気が付かないフリをし、俺はそのまま続けた。
「承応大学ってさ、辺鄙なとこにあるし、前にも言ったけどお前の学力まで下げていくとこか?」
すると、俺の発言に深谷は顔を顰めた。見たことのない表情に、思わず目を逸らす。心臓が、明らかに待ち合わせ時と違う速さで脈を打ち始めた。
「……俺だって前にも言ったよね?ちゃんとこの目で見て行きたいって思ったって」
深谷の目は真剣そのものだ。でも、それが余計に苛立った。
「……本当かよ。昔から、俺に合わせて生きてきたからじゃなくて?」
「……え?」
花火が打ち上がる音が頭上で聞こえた。心臓部まで大きな音が響いたが、その音の速さは花火のせいではないのは明白だった。
自分が要らないことを言っている自覚はあった。
「お、お前が……みっちゃんなのはとっくに気が付いてるっつーの!」
一瞬言うか迷って、結局腹の内をぶちまけた。
「……いつから?」
気不味そうに深谷が尋ねた。「そっかー、気が付いちゃったかー!」ぐらいの緩いテンションを想像していた。想像と真反対な反応に調子が狂う。
「さ、最近だけど?」
何をどう答えて良いのか分からなくなり、声が変に裏返る。やらかしたというか、今言うことじゃなかったのは頭の中で分かっていた。でも、今更開いた口は防ぐことが出来ず、俺はそのまま続けて話した。
「まぁ、お前の言動に前から引っかかるとこがあってさ。考えたら色々と辻褄が合うというか……。そりゃ最初はあのみっちゃんがあの頃とは正反対の人間になってるから信じ難かったけど……」
「……そう言われると思ったから言わなかったのに」
本当、今更何を言ってるんだ。隠す気なんてまったくなかったじゃんか。
俺は呆れ半分で溜息を吐いた。
「よく言うよ。俺に自分だって気が付かせたくて、好きとか言ったんだろ?」
「…………は?」
「もうお前があの泣き虫みっちゃんなのは分かったし、片思いごっこは終わりでいいって。ついでにさ、進路も真面目に考えたら?」
軽い気持ちでそう伝えた。自分で言っておきながら喉の奥が熱く、胸の左側がチクリと痛む。だが、深谷の目的が果たされたのなら、俺に縛られる必要なんてない。
なのに。
「……深谷?」
深谷は黙ったまま、俺の方をじっと見つめていた。その視線は胸の奥をより深く刺すような強さを持っていて、さっきよりも胸の痛みが増す。
「……片思いごっこって……。瑠珂は、俺の気持ちが嘘だと思っていたわけ?」
「何言ってんだよ。冗談意外にあんなこと言わないだろ?」
そうだ。冗談に決まっている。突然現れて、好きだなんて。まぁ、蓋を開ければ幼馴染だった、なんて話だったけれど。だけど、同性の同級生に告白された方の身にもなって欲しい。俺には気になっていた女の子だっていた。俺の中ではそういう気持ちを向ける対象は必然的に異性だとばかり思っていたからこんな事かわ起きるなんてまったく、そう、一ミリも考えた事がなかった。別に深谷に嫌悪感がある訳じゃない。ただ、あの日のあのタイミングで告白するのは「別の意味がある」としか、思えなかっただけだ。
そう思うのに、それを面と向かっては言えない俺は、黙って深谷を見つめるだけだった。なんと言うか、選ぶ言葉が全部良くない方へ向かっている気がして口を開くのが怖くなった。
「……瑠珂って、もっと人の気持ち考えられる人だったと思うけど」
「え?」
深谷は深々と溜息を吐き、俺から視線を離した。
「それって、どういう……」
俺の言葉を遮るドン、という大きな音と共に、花火が打ち上がった。大きく開いた赤い花火が、少し離れた夜空に広がる。それを皮切りに、次々と花火が打ち上がり始めた。
「……ごめん、今日は帰る」
深谷は焼きそばのパックとラムネ瓶を手に持つと、聞こえる程度の声で静かに言った。
「え、花火は?」
「もう見たから」
「ちょ、ちょっと待てって」
立ち去ろうとする深谷の腕を、俺は反射的に掴んだ。
「俺、あのさ……」
心臓が縮みそうだった。何を言って良いのかは分からないが、この場から深谷が居なくなるのはもっと嫌だった。それに、自分のせいで傷ついてしまった深谷をそのまま帰すのも気が引ける。たぶん、いや俺の読み違いだったのだろう。また言葉を間違えてしまったら……。
「えっと…」
深谷の細い目がやっと俺を捉える。いつもとは違う冷たい視線に、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……少なくとも、俺がずっと思っていた相手は人の気持ちに寄り添える人だったよ」
深谷は俺の手を解くと「ごめん」と言って、来た道を戻って行った。
「深谷っ」
呼び止めようにも、力の入らなくなった俺の声は花火の音にかき消される。
暗くて明るい夏の夜に、俺はぽつんと立ち尽くした。



