年々、夏休み中の時間の流れが早いと感じる。昨晩はバイトもなかったため、久しぶりに夜遅くまでゲームをして過ごし、今朝は昼過ぎまで眠っていた。リビングに顔を出しても、すでに俺以外の家族は仕事や遊びに出払っていて、飼い猫のあさりが気怠そうに俺を見るぐらいだった。アルバイトの無い一日は前日から夜更けまで遊び、昼過ぎから活動が常になり、身体もそのサイクルに慣れ始めている。正直、もう一生こんな生活リズムでいたい。学校は行きたい時に行けば良い気がする。人間、流石にやべえって思ったら行動に移すと思うんだよな。
欠伸をしながらテーブルの食パンを二枚袋から出し、冷蔵庫から牛乳を取り出す。トースターにパン入れてスイッチを押すと、グラスに注いだ牛乳を一気に飲み干した。もう一杯注いでいると、あさりが俺の足に擦り寄った。人懐っこいキジトラの性格のせいなのか、あさりは毎朝必ず家族全員の足に擦り寄って挨拶をしていた。ゴロゴロと鳴る喉の音が聞こえ、俺はグラスを片手にしゃがみ込んであさりを撫でた。すると、短パンのポケットに入れていたスマホから通知音が鳴った。グラスをシンクに入れ、スマホ確認すると、明日の予定が表示されていた。
「……え、もう明日か」
オープンキャンパス、とだけ書かれた予定に、心臓が騒がしくなった。あのファミレスに呼び出されたのはもうニ週間も前だ。あれから深谷とは個人的に連絡をとっていない。だが、海斗や航からグループチャットに集まろうという連絡は何度かあり、顔を合わせてはいた。まぁ、会えばいつもの調子でどうにか遠回しの「好き」を伝えて来る始末。ただでさえ暑苦しい夏だというのに、更に鬱陶しい。この前は航発案の肝試しで、俺があみだくじで一人で回る事になると、真剣な顔で「悪霊から瑠珂を守れるのは俺だけだと思う」と、のたまい始め、頑なに俺から離れなかった。結局言い出しっぺの航が一人で大騒ぎしながら回り、海斗と日向、俺と深谷で回った。みんなで図書館に集まって課題をやった時も、隣りに座って時折俺の足を突いたり、肩に肩をくっ付けてきたり、無駄に目を合わせてきた。三人の前ではっきり好意は伝えてはこないが、このあからさまな態度に薄々気が付かれている気がする。特に日向は鋭いし、目が合うと苦笑いをされたあたりから、俺も色々と気まずくなった。
そんな訳であいつらとも一旦会うのをやめようと思い、バイトのシフトを調整した。でも結局、八月の頭はサッカー部の合宿と被るため、五人のグループチャットが動くことが殆どないままだった。そんな訳で、そこから深谷と連絡をしてなければ会ってもいない。バイト以外に予定が無かった俺は、昼夜逆転生活をしていたため、連絡のタイミングを失っていた。
でも、さすがにそろそろ電車とバスの時間調べないとだよなぁ……。あー、その前に明日だってこと連絡しなきゃ。約束したのなんてだいぶ前だし、あいつ忘れてたり……いや……しないか。深谷だもんな……うん、しないわ。
脳内で繰り広げた独り言に、思わず苦笑いが浮かぶ。ふと、ファミレスでの会話が頭の中に浮かんだ。
『じゃあ、ルームシェアは?』
『え?』
『言ったじゃん。俺、瑠珂と同じ大学行くって。二人で住んだほうが安上がりだよ』
深谷がどこまで本気なのかは分からないが、あの目はマジだったような気がする。一瞬身震いし、あさりを撫でる手が止まった。勝手に辞めるなと、あさりは不機嫌そうな声を出す。再び撫で繰り回すと、あさりはまた気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「俺の……何が気に入ったんだろうな」
俺の呟きに両目を薄っすらと開け、何の話?と聞き返すように、あさりは耳を動かした。
「ごめん!」
小走りで待ち合わせの改札前に向かう。集合時間はもう三十分も過ぎていた。自転車を勢いよく走らせ、駐輪場がらガンダッシュ。汗だくになろうが、とにかく走った。なんせ、言い訳はただの寝坊。昨晩もいつも通り夜中までゲームをしてしまったツケがこれだ。唯一助かったのはオープンキャンパスに行くということで、制服を着ていたということ。服を選ばないというだけで時短になった。ワイシャツがピタリと肌につく気持ち悪さはこの際目を瞑る。
「大丈夫。そんなに待ってないよ」
そう答えた深谷の首筋に汗が滲んでいるのが見え、俺は申し訳なさに目を背けた。偶然にも深谷は俺と同じ最寄り駅に引っ越して来ていたのをファミレスで会った日に知った俺は、今日の待ち合わせ場所は最寄り駅に決めた。しかし、年々暴力的な暑さを更新しているというのに、この駅は全く冷房の効いている所はどこにもない。しかも相手は深谷だ。転校して来てから今日までのあいつの行動、言動パターンを考えると、絶対に待ち合わせ場所から動かないと思った。その読みが当たるかは殆ど賭けだったが……ていうかすぐ近くのコンビニに入るぐらいして欲しかったけど。案の定、馬鹿正直に改札前に立っていた。だからこそ、待たせるのは悪いと思い、死ぬ気で走って来たのだ。なのに、だ。深谷は涼しげな顔で何ともないと言い、改札を進む。俺はその後を追い、ホームの自販機でペットボトルの飲み物を二本買った。
「え、良いの?」
俺がスポーツドリンクのペットボトルを差し出すと、きょとんとして首をかしげる。小銭を取り出そうとする手を引っ掴み、俺は無理矢理手渡した。
「良い……つか、このクソ暑い中待たせてごめん。俺が遠い学校見に行くって言ったくせに……」
「気にし過ぎ。俺が一緒に行きたいって言ったのに。まぁ、確かに喉は渇いたけど」
深谷は受け取ったペットボトルのキャップを開けると、すぐに口を付けた。飲み込むたびに動く喉仏に思わず視線が止まる。
「……ん、なに?」
「あ、いや別に……な、なんでもないっ」
俺は慌てて目を逸らす。なんでか心臓がばくばくとうるさく鳴り、耳の奥がぼんやりした。自分のペットボトルを開けて渇いた喉にスポーツドリンクを流し込むと、心音と喉の音が身体中に響く。すると、次発列車の運行案内が切り替わり、電車の入線案内が流れた。途端にホームに流れ込む夏の熱風も強くなる。
「あ、丁度良く来た」
深谷のその声が耳を掠めた。隣に立って、わざわざ俺の身長に合わせて屈んで話したせいだった。一瞬で背筋が伸びる。びくんと俺の肩が揺れるのを見て、深谷は吹き出すと、くつくつと静かに笑う。
「おまえな……耳元で話すのやめろ」
「だって、反応可愛いから」
「可愛いとか言うなっつーの。キショい」
「ちょっとはしゃいだだけじゃん」
「はしゃいで同級生の男に可愛いとか言わねぇから。第一、おまえは遅刻されてんだからはしゃぐ要素ゼロだろ」
すると、深谷は「え?」と、不意をつかれたような声を出した。
「いや、三十分炎天下で待たされたら普通怒るだろ……?」
俺が怪訝そうに尋ねると深谷はまた一人でくすりと笑って首を振った。同時にホームに電車が入り、同時に強い風が汗を飛ばすように吹き抜け、徐々に緩くて温い風に変わっていく。
「俺さ、遅刻されたの、ちょっと嬉しかったんだよね」
「……は?」
一瞬何を言っているのか分からず、俺は気の抜けた声を出した。
「だって、俺に気を許してるって事じゃん」
深谷の満足そうな表情に、ポカンと口を開けたまま、俺は深谷と流れるように電車へ乗り込んだ。車内は冷房が効いていて、汗がいっきに乾いていく。昼時だからか、乗客は殆どいない。ドア横の端の席に深谷が腰掛けると、俺は席を一つ飛ばして横に座った。横に座れと言わんばかりの視線をこちらに投げられたが、暑いので無視する。電車が動き出すと、諦めたようで、深谷は俺の方を見ながら嫌味のように長い足を組んだ。
「……いや、意味わかんねぇ!」
「あはは、すごい時差!」
ケラケラと笑う深谷に俺は怪訝そうな顔を向ける。マジで……いや、ポジティブにも程があり過ぎるだろ!
「ゲームの寝落ちで起きられなかっただけだっつーの!」
「えー、そうなの?」
「そうだよっ!深い意味なんてある訳ねぇからっ」
えー残念、と言いながらくすくす笑う深谷と目が合った。車内は涼しくて、汗は渇いたはずだったのに、身体の熱がまたじわじわと籠り出し、心臓も騒がしくなる。そのせいで顔まで熱く感じ、俺は片手に持っていたペットボトルをもう一度開けて、残りを一気に飲み干した。
「ね、そろそろ隣り詰めない?」
「……暑いから無理」
「じゃあ、汗引いたら……」
「無理拒否却下」
「心許し合ったはずなのに……」
俺は深谷の方を見ないよう下を向く。キンキンに冷えた車内でも、どういうわけかこの熱が落ち着くのには、だいぶ時間が掛かりそうだった。
電車とバスを乗り継ぎ、やって来た承応大学は周りが山々に囲まれた緑の多いキャンパスだった。駅前は大学最寄りという事もあって、スーパーは勿論、居酒屋やカラオケ店、ボウリング場と栄えているように見えたが、バスが走り出してからは、ほんの数分で民家と田畑ばかりが目に入ってきた。終点の「承応大学前」というアナウンスが聞こえて来た時には、思わず最後に見たコンビニは、この停留所の何個前辺りだったかと考えてしまった。想像していた以上に山奥だ。スマホに電波が入るのか心配になり、バスを降りるなりスマホの電波表示を確認した。まぁ、大学が圏外だったらおかしな話だけど。
「……凄いとこだなぁ」
俺のすぐ側で、周りの風景に唖然としながら深谷が言った。
「確かに。田舎っていうか……ほぼ山?」
大学の最寄り駅でも山々が見えてはいたが、このキャンパスは山を切り崩して建てた事もあり、駅とは違う自然の近さに驚いた。近くに民家もあるが、そのご近所は少なくとも車で五分は走る距離。俺たちが降ろされた停留所は、くねくねと曲がる道を登った所にあった。感覚はほぼ登山と言っても間違いない。
「でも涼しいね」
「それは同意」
今日の気温はそこそこ高いはずだったが、肌を触る風が冷たく、気持ち良い。鬱陶しいぐらいの蝉の声を除けば、最高の避暑地ではある。
「あ、受付あっちだって」
深谷が校舎の方を指差した。一号館という立札のすぐ横に、オープンキャンパス参加受付の文字と矢印が見えた……が、俺は同時に「ゲッ……」という声を漏らした。矢印の向かう先が結構な勾配の坂道だったのだ。
「マジかよ……」
落胆とはこのことで。背負って来たリュックがそのままずり落ちそうだった。
「山だし想定内じゃない?」
涼し気な顔で深谷はさらりと言った。
「でもさぁ、大学って結構お金あるじゃん?普通、こういう道こそ上手い具合に舗装されているでしょ。しかも田舎を感じさせないようなオシャレな形にさぁ……」
俺は肩を落としたまま答えた。ここに進路を決めたら、毎日この坂を上るのだ。こんなの、足だけマッチョになっても仕方ない。噂通りの立地の悪さに物凄く納得してしまう。
「瑠珂、ここに入って俺とルームシェアするんでしょ?」
しのごの言わず、と続けられそうだったが、俺は即座に口を挟んだ。
「いや、ルームシェアの約束はしてねぇよ」
なんとか坂を上り切り、受付を済ませた俺たちは、早速講堂へ案内された。講堂で大学の学部についての説明や、行事の説明を受けた。授業は実習系が多く、中でもグループワークに重点を置いているらしい。教育学部も経営学部も進路の先は人との繋がりが重要な未来が多いから、という理由らしい。人と繋がりを持つ事は苦手ではないし、座学中心だと集中力が持ちそうにない俺は、身体全体で身になりそうな授業をしているこの大学に、俄然興味を持った。隣で黙って説明を聞いていた深谷は受付で配られたパンフレットに色々と書き込んでいる。こいつも冗談で視野を広げた訳じゃないらしい。
ルームシェア、結構ガチだったりして……。
横目で深谷を見ながらそんな事を考えていると、深谷と目が合い微笑まれた。……こんな所でにやけんな。
講堂を出ると、出口で構内案内図が配られた。その案内図の各所にはスタンプを押すための空欄があった。どうやらこれから各自でスタンプラリーをしながら学内を回る流れらしい。
「どこから回る?」
「こんなん、どこでも良いだろ」
「じゃあ、遠いところから行こう」
「え、なんで?近いところから行けば良いだろ」
「先に奥に行って、戻りながら回ろうよ。その方が瑠珂も疲れないだろ?」
「いや、別に疲れてないけど」
「すでに序盤の坂でバテたの誰?」
「あれは……仕方ないだろ」
言い返す言葉も無い。でろでろに汗をかいた挙句、受付の順番が来るまで文句しか垂れていなかった。おかげで講堂での説明会後半は眠気との攻防戦で殆ど記憶にない。
「瑠珂ってさ、前から思っていたんだけど、運動は出来るけど体力ないよね」
「運動出来ないお前に言われたかないね」
イラっとしてつい悪態をついた。自分のことは自分が一番分かってる。だから俺は部活動に所属していないんだよ。こいつのおっしゃる通り、俺には持久力がない。そりゃ、所属して真面目に活動すりゃ、少しは改善はされるだろうけど。でもなぁ。そもそもチームプレーとかがあまり得意ではない。かといって、個人プレーでは続ける自信がまったくない。だからジムに通うわけでもないし、自ら筋トレをしたり、近所をジョギングするなどもしない。良いじゃん、すぐにバテる先生がいたって!教科担当で体育さえ持たなければ大丈夫だっつーの!
「学校の先生目指すなら、多少は体力つけないと。あと協調性」
「余計なお世話だよ。てか、お前だって協調性ないだろ」
そうじゃなきゃ、他人の事を考えずにいきなり同性に向かって好きだなんて言わなだろうが。自分もそうだけど、俺がどう思われるとかは考えないのかよ。そりゃ、好かれるのは別に嫌じゃないけどさ……。いや、こんな話ではなくて。深谷はわざとらしくやれやれ、なんて言いながら、宣言通り一番遠い五号館を目指して俺の先を歩き始めた。
「おーい、足はやすぎ。その無駄に長い足の自慢でもしてるんですかー?」
後を追おうと、先を行く深谷の背中に声をかける。立ち止まらない深谷にイラっとし、小さな舌打ちをした。なんだよあいつ。足が長い上にさっきから俺が気にしてる事をチクチクと…………って、あれ……。俺は足を止めた。
おかしいな……あいつに学校の先生目指してるって話、したんだっけ…………?
俺は文字通り首を傾げた。先日のファミレスの会話をなんとか思い出そうとしたが、そんな事を口にした覚えはない。というか、航や海斗、日向にもこんな話をした覚えがなかった。あいつらとは、だいたいふざけてるだけだし、進路についてなんてこれっぽっちも議論する事はない。たまに先生から進路の話が出て、この前のオープンキャンパスをどうするかとかの話でポロッと出るぐらいだ。それに日向じゃあるまいし、俺がド真面目に将来の話をしたところで「転んで頭でも打ったか?」なんて心配されてしまう。そんな面倒な上に厄介な事、自ら引き出したくはない。それに、深谷に話した記憶の中にはっきりと残っているのは、とにかく家を出たい話をしたことだった。二人の姉の事だって伏せて話したはずだ。当たり障りのない事を言って、適当に流そうとした事をはっきりと覚えている。意図していない時にポロッとこぼしたのだろうか。
いやぁ……俺、そんなヘマするか?しかも、深谷相手に?
頭の中の遠くの記憶に靄がかっているような気がして、気持ち悪い。しかも対深谷なのが余計に気になる。まぁ、バレたところで深谷が面白おかしく話すようなやつではないのは分かっているし、心配する事はないだろうけど……。
足を止めたまま、なかなか追いかけて来ない俺を不思議に思ったのか、深谷が俺の名前を呼ぶ。
「瑠珂?」
「…………い、今行く」
ぎこちない返事をし、俺は止めていた足を動かして深谷の方へ向かった。
「あー疲れた……。オープンキャンパスって意外とハードじゃね?」
「そう?承応大学が遠くて山奥なだけだと思うけど」
深谷はくすりと笑って答えた。オープンキャンパスは午後十三時には終わった。腹の虫がうるさく鳴き喚くため、俺と深谷は大学最寄りの駅でファミレスに寄り、昼食をさっさと食べると電車に乗り込んだ。夏の昼間というだけで外に出る人は少なく、俺たちはすんなりと座席を確保できた。結局、深谷が俺の将来の夢をどこで知ったのかは聞き出せないまま。タイミングを何度か逃し、電車の中は人気の少なさにより一層聞き出し難い空気が出ている。ソワソワする俺の一方で、深谷は電車に乗り込んでからスマホにばかり目を落としていた。
「あっ」
突然、深谷が声を出した。心臓がバクンと跳ね、背中がピンと張る。
「な、なんだよ」
視線をスマホに落としたままの深谷に俺は訝しげに見上げた。
「見て。この物件良さげじゃない?」
そう言って俺にスマホの画面を見せてきた。画面に映し出されていたのは、2LDKのアパートの間取りだった。
「……いつから住む気だよ」
「再来年?」
「残ってるかっつーの。今年の受験生がもう目星付けてるだろ」
「でもさぁ好条件だよ、ほら」
スマホを再び突き出された。そこには承応大学最寄駅近くの住所が記載されている。ちなみにスーパーもコンビニも近い。なんなら、大学へ行くバスの停留所は歩いて二分とはちゃめちゃに近かった。田舎というのもあってか、家賃も六万とちょっとだ。学生二人で住むには十分な条件である。
「それに、俺らが入る時に卒業する人が退去する可能性もあるよ」
「まぁ……それはそうだけど」
そんな世の中うまく回ってねぇって。どうせ、俺たちが本気で探す頃にはこんな所残っていやしないっつーの。
「そもそもお前、大学本気であそこにするつもりか?」
「うん。俺、マーケティングに興味あるし」
間髪入れずに答える深谷に、俺は眉を寄せた。どうせまた変な事言い出すんだろうが。
「嘘つけ」
「本当だよ。それに、ちゃんと説明聞いた上で決めた」
「……俺の存在抜きで決めてるんだよな?」
こんな恥ずかしい質問をすることがあるなんて。俺は言ってて恥ずかしくなり、声がだんだんと萎んでいった。
「きっかけは瑠珂だよ。でもちゃんと良い大学なのは肌で感じたから」
「……そうですか」
俺の返事に深谷が微笑んだ。俺の顔を見て口角がまた上がり、不覚にもドキりとした。俺の反応を嬉しそうに見ている深谷から顔を逸らした。あからさますぎて余計に気まずい。というより恥ずかしくなった。それを察したのか、深谷はクスクスと声を出して笑う。
「……なんだよっ」
「瑠珂の人生設計の一部に入れたの、嬉しい」
「あのな……。まだ受験も終わってねぇのにその感想やべぇから」
いや、受験終わってとかの問題じゃなくてやべぇわ。
「今のは俺の中で結構な高ポイントなセリフなんだけど」
「あいにく俺にはハマってないね」
俺が「出直せ」と笑って答えると、深谷は目を丸くして俺を見た。その頬が少しだけ桃色に染まっているのにぎょっとする。
「……出直して良いの?」
あ。やばい……俺、言葉の選択間違えた……。
嬉々として俺の顔を見る深谷に、思わずたじろいだ。
「あ、いや……今のは」
心臓が強い音を立てる。電車内でなければ、全部深谷にも聞こえていたのかもしれない。
「……ううん。出直す」
「え?」
「次は瑠珂が俺のことしか考えられないぐらいの言葉を持ってくる」
「…………あ、そぅ」
我ながら不自然な間だった。電車内の走行音がまたしても俺の味方についた。
「うわぁ、全然響いてないじゃん……。今のも結構いけると思ってたのに」
「いけるか。鳥肌立ったわ」
「手強すぎ」
「お前の口が軽すぎるだけだろ」
そんなことないけど、と言い返すと、深谷は眉をぴくりと動かしてまたスマホに目を落とす。明らかに不貞腐れている横顔が面白くて、俺は笑ってしまった。
心臓はまだ、電車の走行音と共に強く大きく鳴り続けていた。
欠伸をしながらテーブルの食パンを二枚袋から出し、冷蔵庫から牛乳を取り出す。トースターにパン入れてスイッチを押すと、グラスに注いだ牛乳を一気に飲み干した。もう一杯注いでいると、あさりが俺の足に擦り寄った。人懐っこいキジトラの性格のせいなのか、あさりは毎朝必ず家族全員の足に擦り寄って挨拶をしていた。ゴロゴロと鳴る喉の音が聞こえ、俺はグラスを片手にしゃがみ込んであさりを撫でた。すると、短パンのポケットに入れていたスマホから通知音が鳴った。グラスをシンクに入れ、スマホ確認すると、明日の予定が表示されていた。
「……え、もう明日か」
オープンキャンパス、とだけ書かれた予定に、心臓が騒がしくなった。あのファミレスに呼び出されたのはもうニ週間も前だ。あれから深谷とは個人的に連絡をとっていない。だが、海斗や航からグループチャットに集まろうという連絡は何度かあり、顔を合わせてはいた。まぁ、会えばいつもの調子でどうにか遠回しの「好き」を伝えて来る始末。ただでさえ暑苦しい夏だというのに、更に鬱陶しい。この前は航発案の肝試しで、俺があみだくじで一人で回る事になると、真剣な顔で「悪霊から瑠珂を守れるのは俺だけだと思う」と、のたまい始め、頑なに俺から離れなかった。結局言い出しっぺの航が一人で大騒ぎしながら回り、海斗と日向、俺と深谷で回った。みんなで図書館に集まって課題をやった時も、隣りに座って時折俺の足を突いたり、肩に肩をくっ付けてきたり、無駄に目を合わせてきた。三人の前ではっきり好意は伝えてはこないが、このあからさまな態度に薄々気が付かれている気がする。特に日向は鋭いし、目が合うと苦笑いをされたあたりから、俺も色々と気まずくなった。
そんな訳であいつらとも一旦会うのをやめようと思い、バイトのシフトを調整した。でも結局、八月の頭はサッカー部の合宿と被るため、五人のグループチャットが動くことが殆どないままだった。そんな訳で、そこから深谷と連絡をしてなければ会ってもいない。バイト以外に予定が無かった俺は、昼夜逆転生活をしていたため、連絡のタイミングを失っていた。
でも、さすがにそろそろ電車とバスの時間調べないとだよなぁ……。あー、その前に明日だってこと連絡しなきゃ。約束したのなんてだいぶ前だし、あいつ忘れてたり……いや……しないか。深谷だもんな……うん、しないわ。
脳内で繰り広げた独り言に、思わず苦笑いが浮かぶ。ふと、ファミレスでの会話が頭の中に浮かんだ。
『じゃあ、ルームシェアは?』
『え?』
『言ったじゃん。俺、瑠珂と同じ大学行くって。二人で住んだほうが安上がりだよ』
深谷がどこまで本気なのかは分からないが、あの目はマジだったような気がする。一瞬身震いし、あさりを撫でる手が止まった。勝手に辞めるなと、あさりは不機嫌そうな声を出す。再び撫で繰り回すと、あさりはまた気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「俺の……何が気に入ったんだろうな」
俺の呟きに両目を薄っすらと開け、何の話?と聞き返すように、あさりは耳を動かした。
「ごめん!」
小走りで待ち合わせの改札前に向かう。集合時間はもう三十分も過ぎていた。自転車を勢いよく走らせ、駐輪場がらガンダッシュ。汗だくになろうが、とにかく走った。なんせ、言い訳はただの寝坊。昨晩もいつも通り夜中までゲームをしてしまったツケがこれだ。唯一助かったのはオープンキャンパスに行くということで、制服を着ていたということ。服を選ばないというだけで時短になった。ワイシャツがピタリと肌につく気持ち悪さはこの際目を瞑る。
「大丈夫。そんなに待ってないよ」
そう答えた深谷の首筋に汗が滲んでいるのが見え、俺は申し訳なさに目を背けた。偶然にも深谷は俺と同じ最寄り駅に引っ越して来ていたのをファミレスで会った日に知った俺は、今日の待ち合わせ場所は最寄り駅に決めた。しかし、年々暴力的な暑さを更新しているというのに、この駅は全く冷房の効いている所はどこにもない。しかも相手は深谷だ。転校して来てから今日までのあいつの行動、言動パターンを考えると、絶対に待ち合わせ場所から動かないと思った。その読みが当たるかは殆ど賭けだったが……ていうかすぐ近くのコンビニに入るぐらいして欲しかったけど。案の定、馬鹿正直に改札前に立っていた。だからこそ、待たせるのは悪いと思い、死ぬ気で走って来たのだ。なのに、だ。深谷は涼しげな顔で何ともないと言い、改札を進む。俺はその後を追い、ホームの自販機でペットボトルの飲み物を二本買った。
「え、良いの?」
俺がスポーツドリンクのペットボトルを差し出すと、きょとんとして首をかしげる。小銭を取り出そうとする手を引っ掴み、俺は無理矢理手渡した。
「良い……つか、このクソ暑い中待たせてごめん。俺が遠い学校見に行くって言ったくせに……」
「気にし過ぎ。俺が一緒に行きたいって言ったのに。まぁ、確かに喉は渇いたけど」
深谷は受け取ったペットボトルのキャップを開けると、すぐに口を付けた。飲み込むたびに動く喉仏に思わず視線が止まる。
「……ん、なに?」
「あ、いや別に……な、なんでもないっ」
俺は慌てて目を逸らす。なんでか心臓がばくばくとうるさく鳴り、耳の奥がぼんやりした。自分のペットボトルを開けて渇いた喉にスポーツドリンクを流し込むと、心音と喉の音が身体中に響く。すると、次発列車の運行案内が切り替わり、電車の入線案内が流れた。途端にホームに流れ込む夏の熱風も強くなる。
「あ、丁度良く来た」
深谷のその声が耳を掠めた。隣に立って、わざわざ俺の身長に合わせて屈んで話したせいだった。一瞬で背筋が伸びる。びくんと俺の肩が揺れるのを見て、深谷は吹き出すと、くつくつと静かに笑う。
「おまえな……耳元で話すのやめろ」
「だって、反応可愛いから」
「可愛いとか言うなっつーの。キショい」
「ちょっとはしゃいだだけじゃん」
「はしゃいで同級生の男に可愛いとか言わねぇから。第一、おまえは遅刻されてんだからはしゃぐ要素ゼロだろ」
すると、深谷は「え?」と、不意をつかれたような声を出した。
「いや、三十分炎天下で待たされたら普通怒るだろ……?」
俺が怪訝そうに尋ねると深谷はまた一人でくすりと笑って首を振った。同時にホームに電車が入り、同時に強い風が汗を飛ばすように吹き抜け、徐々に緩くて温い風に変わっていく。
「俺さ、遅刻されたの、ちょっと嬉しかったんだよね」
「……は?」
一瞬何を言っているのか分からず、俺は気の抜けた声を出した。
「だって、俺に気を許してるって事じゃん」
深谷の満足そうな表情に、ポカンと口を開けたまま、俺は深谷と流れるように電車へ乗り込んだ。車内は冷房が効いていて、汗がいっきに乾いていく。昼時だからか、乗客は殆どいない。ドア横の端の席に深谷が腰掛けると、俺は席を一つ飛ばして横に座った。横に座れと言わんばかりの視線をこちらに投げられたが、暑いので無視する。電車が動き出すと、諦めたようで、深谷は俺の方を見ながら嫌味のように長い足を組んだ。
「……いや、意味わかんねぇ!」
「あはは、すごい時差!」
ケラケラと笑う深谷に俺は怪訝そうな顔を向ける。マジで……いや、ポジティブにも程があり過ぎるだろ!
「ゲームの寝落ちで起きられなかっただけだっつーの!」
「えー、そうなの?」
「そうだよっ!深い意味なんてある訳ねぇからっ」
えー残念、と言いながらくすくす笑う深谷と目が合った。車内は涼しくて、汗は渇いたはずだったのに、身体の熱がまたじわじわと籠り出し、心臓も騒がしくなる。そのせいで顔まで熱く感じ、俺は片手に持っていたペットボトルをもう一度開けて、残りを一気に飲み干した。
「ね、そろそろ隣り詰めない?」
「……暑いから無理」
「じゃあ、汗引いたら……」
「無理拒否却下」
「心許し合ったはずなのに……」
俺は深谷の方を見ないよう下を向く。キンキンに冷えた車内でも、どういうわけかこの熱が落ち着くのには、だいぶ時間が掛かりそうだった。
電車とバスを乗り継ぎ、やって来た承応大学は周りが山々に囲まれた緑の多いキャンパスだった。駅前は大学最寄りという事もあって、スーパーは勿論、居酒屋やカラオケ店、ボウリング場と栄えているように見えたが、バスが走り出してからは、ほんの数分で民家と田畑ばかりが目に入ってきた。終点の「承応大学前」というアナウンスが聞こえて来た時には、思わず最後に見たコンビニは、この停留所の何個前辺りだったかと考えてしまった。想像していた以上に山奥だ。スマホに電波が入るのか心配になり、バスを降りるなりスマホの電波表示を確認した。まぁ、大学が圏外だったらおかしな話だけど。
「……凄いとこだなぁ」
俺のすぐ側で、周りの風景に唖然としながら深谷が言った。
「確かに。田舎っていうか……ほぼ山?」
大学の最寄り駅でも山々が見えてはいたが、このキャンパスは山を切り崩して建てた事もあり、駅とは違う自然の近さに驚いた。近くに民家もあるが、そのご近所は少なくとも車で五分は走る距離。俺たちが降ろされた停留所は、くねくねと曲がる道を登った所にあった。感覚はほぼ登山と言っても間違いない。
「でも涼しいね」
「それは同意」
今日の気温はそこそこ高いはずだったが、肌を触る風が冷たく、気持ち良い。鬱陶しいぐらいの蝉の声を除けば、最高の避暑地ではある。
「あ、受付あっちだって」
深谷が校舎の方を指差した。一号館という立札のすぐ横に、オープンキャンパス参加受付の文字と矢印が見えた……が、俺は同時に「ゲッ……」という声を漏らした。矢印の向かう先が結構な勾配の坂道だったのだ。
「マジかよ……」
落胆とはこのことで。背負って来たリュックがそのままずり落ちそうだった。
「山だし想定内じゃない?」
涼し気な顔で深谷はさらりと言った。
「でもさぁ、大学って結構お金あるじゃん?普通、こういう道こそ上手い具合に舗装されているでしょ。しかも田舎を感じさせないようなオシャレな形にさぁ……」
俺は肩を落としたまま答えた。ここに進路を決めたら、毎日この坂を上るのだ。こんなの、足だけマッチョになっても仕方ない。噂通りの立地の悪さに物凄く納得してしまう。
「瑠珂、ここに入って俺とルームシェアするんでしょ?」
しのごの言わず、と続けられそうだったが、俺は即座に口を挟んだ。
「いや、ルームシェアの約束はしてねぇよ」
なんとか坂を上り切り、受付を済ませた俺たちは、早速講堂へ案内された。講堂で大学の学部についての説明や、行事の説明を受けた。授業は実習系が多く、中でもグループワークに重点を置いているらしい。教育学部も経営学部も進路の先は人との繋がりが重要な未来が多いから、という理由らしい。人と繋がりを持つ事は苦手ではないし、座学中心だと集中力が持ちそうにない俺は、身体全体で身になりそうな授業をしているこの大学に、俄然興味を持った。隣で黙って説明を聞いていた深谷は受付で配られたパンフレットに色々と書き込んでいる。こいつも冗談で視野を広げた訳じゃないらしい。
ルームシェア、結構ガチだったりして……。
横目で深谷を見ながらそんな事を考えていると、深谷と目が合い微笑まれた。……こんな所でにやけんな。
講堂を出ると、出口で構内案内図が配られた。その案内図の各所にはスタンプを押すための空欄があった。どうやらこれから各自でスタンプラリーをしながら学内を回る流れらしい。
「どこから回る?」
「こんなん、どこでも良いだろ」
「じゃあ、遠いところから行こう」
「え、なんで?近いところから行けば良いだろ」
「先に奥に行って、戻りながら回ろうよ。その方が瑠珂も疲れないだろ?」
「いや、別に疲れてないけど」
「すでに序盤の坂でバテたの誰?」
「あれは……仕方ないだろ」
言い返す言葉も無い。でろでろに汗をかいた挙句、受付の順番が来るまで文句しか垂れていなかった。おかげで講堂での説明会後半は眠気との攻防戦で殆ど記憶にない。
「瑠珂ってさ、前から思っていたんだけど、運動は出来るけど体力ないよね」
「運動出来ないお前に言われたかないね」
イラっとしてつい悪態をついた。自分のことは自分が一番分かってる。だから俺は部活動に所属していないんだよ。こいつのおっしゃる通り、俺には持久力がない。そりゃ、所属して真面目に活動すりゃ、少しは改善はされるだろうけど。でもなぁ。そもそもチームプレーとかがあまり得意ではない。かといって、個人プレーでは続ける自信がまったくない。だからジムに通うわけでもないし、自ら筋トレをしたり、近所をジョギングするなどもしない。良いじゃん、すぐにバテる先生がいたって!教科担当で体育さえ持たなければ大丈夫だっつーの!
「学校の先生目指すなら、多少は体力つけないと。あと協調性」
「余計なお世話だよ。てか、お前だって協調性ないだろ」
そうじゃなきゃ、他人の事を考えずにいきなり同性に向かって好きだなんて言わなだろうが。自分もそうだけど、俺がどう思われるとかは考えないのかよ。そりゃ、好かれるのは別に嫌じゃないけどさ……。いや、こんな話ではなくて。深谷はわざとらしくやれやれ、なんて言いながら、宣言通り一番遠い五号館を目指して俺の先を歩き始めた。
「おーい、足はやすぎ。その無駄に長い足の自慢でもしてるんですかー?」
後を追おうと、先を行く深谷の背中に声をかける。立ち止まらない深谷にイラっとし、小さな舌打ちをした。なんだよあいつ。足が長い上にさっきから俺が気にしてる事をチクチクと…………って、あれ……。俺は足を止めた。
おかしいな……あいつに学校の先生目指してるって話、したんだっけ…………?
俺は文字通り首を傾げた。先日のファミレスの会話をなんとか思い出そうとしたが、そんな事を口にした覚えはない。というか、航や海斗、日向にもこんな話をした覚えがなかった。あいつらとは、だいたいふざけてるだけだし、進路についてなんてこれっぽっちも議論する事はない。たまに先生から進路の話が出て、この前のオープンキャンパスをどうするかとかの話でポロッと出るぐらいだ。それに日向じゃあるまいし、俺がド真面目に将来の話をしたところで「転んで頭でも打ったか?」なんて心配されてしまう。そんな面倒な上に厄介な事、自ら引き出したくはない。それに、深谷に話した記憶の中にはっきりと残っているのは、とにかく家を出たい話をしたことだった。二人の姉の事だって伏せて話したはずだ。当たり障りのない事を言って、適当に流そうとした事をはっきりと覚えている。意図していない時にポロッとこぼしたのだろうか。
いやぁ……俺、そんなヘマするか?しかも、深谷相手に?
頭の中の遠くの記憶に靄がかっているような気がして、気持ち悪い。しかも対深谷なのが余計に気になる。まぁ、バレたところで深谷が面白おかしく話すようなやつではないのは分かっているし、心配する事はないだろうけど……。
足を止めたまま、なかなか追いかけて来ない俺を不思議に思ったのか、深谷が俺の名前を呼ぶ。
「瑠珂?」
「…………い、今行く」
ぎこちない返事をし、俺は止めていた足を動かして深谷の方へ向かった。
「あー疲れた……。オープンキャンパスって意外とハードじゃね?」
「そう?承応大学が遠くて山奥なだけだと思うけど」
深谷はくすりと笑って答えた。オープンキャンパスは午後十三時には終わった。腹の虫がうるさく鳴き喚くため、俺と深谷は大学最寄りの駅でファミレスに寄り、昼食をさっさと食べると電車に乗り込んだ。夏の昼間というだけで外に出る人は少なく、俺たちはすんなりと座席を確保できた。結局、深谷が俺の将来の夢をどこで知ったのかは聞き出せないまま。タイミングを何度か逃し、電車の中は人気の少なさにより一層聞き出し難い空気が出ている。ソワソワする俺の一方で、深谷は電車に乗り込んでからスマホにばかり目を落としていた。
「あっ」
突然、深谷が声を出した。心臓がバクンと跳ね、背中がピンと張る。
「な、なんだよ」
視線をスマホに落としたままの深谷に俺は訝しげに見上げた。
「見て。この物件良さげじゃない?」
そう言って俺にスマホの画面を見せてきた。画面に映し出されていたのは、2LDKのアパートの間取りだった。
「……いつから住む気だよ」
「再来年?」
「残ってるかっつーの。今年の受験生がもう目星付けてるだろ」
「でもさぁ好条件だよ、ほら」
スマホを再び突き出された。そこには承応大学最寄駅近くの住所が記載されている。ちなみにスーパーもコンビニも近い。なんなら、大学へ行くバスの停留所は歩いて二分とはちゃめちゃに近かった。田舎というのもあってか、家賃も六万とちょっとだ。学生二人で住むには十分な条件である。
「それに、俺らが入る時に卒業する人が退去する可能性もあるよ」
「まぁ……それはそうだけど」
そんな世の中うまく回ってねぇって。どうせ、俺たちが本気で探す頃にはこんな所残っていやしないっつーの。
「そもそもお前、大学本気であそこにするつもりか?」
「うん。俺、マーケティングに興味あるし」
間髪入れずに答える深谷に、俺は眉を寄せた。どうせまた変な事言い出すんだろうが。
「嘘つけ」
「本当だよ。それに、ちゃんと説明聞いた上で決めた」
「……俺の存在抜きで決めてるんだよな?」
こんな恥ずかしい質問をすることがあるなんて。俺は言ってて恥ずかしくなり、声がだんだんと萎んでいった。
「きっかけは瑠珂だよ。でもちゃんと良い大学なのは肌で感じたから」
「……そうですか」
俺の返事に深谷が微笑んだ。俺の顔を見て口角がまた上がり、不覚にもドキりとした。俺の反応を嬉しそうに見ている深谷から顔を逸らした。あからさますぎて余計に気まずい。というより恥ずかしくなった。それを察したのか、深谷はクスクスと声を出して笑う。
「……なんだよっ」
「瑠珂の人生設計の一部に入れたの、嬉しい」
「あのな……。まだ受験も終わってねぇのにその感想やべぇから」
いや、受験終わってとかの問題じゃなくてやべぇわ。
「今のは俺の中で結構な高ポイントなセリフなんだけど」
「あいにく俺にはハマってないね」
俺が「出直せ」と笑って答えると、深谷は目を丸くして俺を見た。その頬が少しだけ桃色に染まっているのにぎょっとする。
「……出直して良いの?」
あ。やばい……俺、言葉の選択間違えた……。
嬉々として俺の顔を見る深谷に、思わずたじろいだ。
「あ、いや……今のは」
心臓が強い音を立てる。電車内でなければ、全部深谷にも聞こえていたのかもしれない。
「……ううん。出直す」
「え?」
「次は瑠珂が俺のことしか考えられないぐらいの言葉を持ってくる」
「…………あ、そぅ」
我ながら不自然な間だった。電車内の走行音がまたしても俺の味方についた。
「うわぁ、全然響いてないじゃん……。今のも結構いけると思ってたのに」
「いけるか。鳥肌立ったわ」
「手強すぎ」
「お前の口が軽すぎるだけだろ」
そんなことないけど、と言い返すと、深谷は眉をぴくりと動かしてまたスマホに目を落とす。明らかに不貞腐れている横顔が面白くて、俺は笑ってしまった。
心臓はまだ、電車の走行音と共に強く大きく鳴り続けていた。



