「ちょっ、マジかよ最悪っ!」
俺は思わず大声を出した。さっきまで全然回ってこなかったババがここに来て俺の手札にやってきたのだ。
「瑠珂、それバレバレだから」
「ババ持ち確定だな、みんな今日は瑠珂にゴチになるぞー!」
クラスメイトの関田海斗の声を合図に、ババ抜きに参加していた残り二人、貴船日向と貝塚航がゲラゲラと笑いながら「はーい」と返事をした。
「あーもうっ!ふざけんなしっ」
「いやいや、バラしたのお前だから。本当ポーカーフェイス苦手だよな」
そう言って海斗は手持ちの最後の一枚を俺に引かせようとする。
「え、待って……えっ!海斗最後の一枚?」
「そうだよ。それも今更気が付いたんか?」
ドッと笑いが起きた。おいしいとは思いつつも俺の顔面は引き攣りまくり。今日のババ抜きは負けた人が昼休みにジュースを奢る罰ゲームとなっている。しかもその言い出しっぺは俺だった。
「えーっ!これ引いたら負けじゃんっ!」
「良いから負けを認めて引けっつーの」
「四人分のジュースっていくらかかると思ってんだよ!」
「いや、瑠珂が言い出した事でしょ」
海斗の後ろで腹を抱え笑いながら日向は涙を拭う。そんなに笑う事か?
「……もう一回!」
全員の同情を引き出そうと必死の顔をしたが、丁度予鈴が鳴り響く。もう一度ひと笑い起きて、俺は頭を項垂れた。
「自分の言ったことには責任を持とうね〜」
航はニヤニヤと嬉しそうに言うと、カードの山を丁寧に重ねてケースへ戻す。
「じゃ、二人とも何買ってもらうか午前中じっくり考えようぜ」
航の一言を合図に、海斗と日向は自席へと戻って行く。昼休みという近い未来の小さな出費を思うと、地味に懐が痛い。ゴールデンウィークに遊びすぎたツケが響いている。クラスの体育祭打ち上げに前から気になっていた女子、潮田来海が参加するのを聞きつけて、調子に乗ってカラオケまで参加したりと散財をした結果だった。更に言えば今月末からテスト期間に入るため、バイトのシフトも調整されてしまうのだ。まぁ、負けたのは俺だし、確かに言い出しっぺは俺なんだけど。腑に落ちないまま机に突っ伏していると、教室の前のドアが開き、担任の小浦美咲先生が教室に入ってきた。
「みんなおはよう!」
新任である小浦先生は、いつも楽しそうに教室に入ってくるが、今日はいつにも増してその足が軽やかに感じる。
「先生、なんか良いことあったっしょ?」
俺と同じく先生の様子に気がついた海斗が声を上げる。
「ふふふん、関田くん気がついた?」
「そりゃ、スキップしてればね」
軽やかに感じる、というか実際に軽やかだったらしい。先生は「あはは、そうだよね」と笑って答え、俺たち生徒を見渡すと、鼻息荒めに話し始めた。
「実は!今日からこのクラスに転校生が来ることになりましたっ」
小浦先生のこの一言で、一気に教室が騒つき始める。イケメンだろうか、可愛い子だろうか、どんなやつがくるのだろかで一気に全員の目が輝いた。転校生という響きは、いつだって特別な存在には間違いない。俺はさっきの敗北を忘れ、意気揚々と手を上げた。
「はいはいっ、可愛い子ですかっ!」
「私にとってはみんな可愛い生徒です〜」
「いや、そういうんじゃなくてさぁ」
「はいはい、静かに」
先生は俺をさらりとかわし、教室の前扉へ身体を向けると「さ、入って来て」と、転校生を促した。クラス中の視線が教室の前扉へ集中する。もちろん俺の視線も流れるようにそこへ向いた。開いた前扉から入って来たのは高身長の男子生徒だった。黒髪に縁の太い眼鏡が印象的だが、ごくごく普通の高校生である。女子の弾んだ声が教室中で起こると同時に、バスケ部員やバレー部員の男子生徒達もそわそわとし始めたが、俺を含めた数名は心の中で「なーんだ、男か」と勝手に肩を落としていた。
「じゃあ、自己紹介よろしく」
小浦先生は男子生徒を見上げながら言った。よく見るとかなりの身長差で、流石の俺も興味を戻す。日本人の平均的な身長をなぞる自分より身長の高い人間はたくさん見て来たが、こんなに高い人と対面したことはなかった。
「……深谷光明」
黒板を背に、でかい男がボソリと名乗る。深谷はそれ以上は喋る気がないようで黙り込んだ。小浦先生はその横で彼の名前をデカデカと板書するが、深谷とのテンションの違いに、騒いでいたクラスがだんだんと静まっていく。
「はいっ、今日からクラスメイトの深谷くんです!みんな仲良くね」
パラパラと疎に拍手が起きる。周りに合わせるように俺も手を叩いていると、深谷とがっつり目が合った。勘違いかと思ったが、そうではなさそうだ。明らかに真っ直ぐ俺を見ている。
え……な、なんだ?
仕方なく拍手をしているのが見透かされたのだろうか。俺は慌てて拍手をし直す。
「席は窓側の後ろね」
小浦先生が机を指差すと、深谷は静かに頷いて席へと向かう。転入早々に良い席とは、特別扱い受けすぎだろ。そんな小さな恨み言を思うと、席へ向かう深谷とまた目が合った。その視線はさっき向けられた物よりも明らかに鋭く感じ、俺の背筋が自然とピンとなる。横をすれ違う瞬間は心臓が変に騒がしくなった。
あいつさっきからなんだ?俺、顔に何かついてる……?あ、もしかして朝食べたピザトーストのソースとか……。
こっそりとリュックからスマホを取り出し画面を覗く。暗い画面に薄っすら映る自分を凝視したが、ソースが付着しているようには見えない。というか、付いていたらすでに海斗や日向、航から指摘は受けているはずだ。
じゃあなんであいつは俺のことやたらと見てくるんだ……?
窓側の後部席に視線を送ると、深谷はリュックを机の横に引っ掛けている最中だった。いや、これで顔を上げた時に目があったら、ホームルーム後に声かけて確かめれば良いか。
「……ちょっと、水沢くん?私の話聞いてる?」
「えっ」
突然名前を呼ばれ顔を上げると、小浦先生と目が合った。というか、先生が直ぐ真横に立っていることに気が付いた。
「スマホもしまって。好きな子からメッセージ来てても今はダメ。今日、避難訓練があるって話聞いてた?」
いや、初耳。
俺は苦笑いを浮かべ、首を横に振る。スマホは潔くリュックへ仕舞い込んだ。
「全く……。六時間目の最中に放送が入るから、ちゃんと対応してよ?」
「お、ラッキー。授業すぐ終わるじゃん」
「それ、もう関田くんがさっき言いました」
どんだけ話聞いてないのよ、と小浦先生のツッコミによりどっと笑いが起きる。ニヤニヤとこちらを見て笑う海斗に恥ずかしいを超えて悔しいが勝り、ジト目を返した。
昼休みになると、俺は今朝の罰ゲームを実行するために一階の購買まで送り出された。教室を渋々出て行く俺に、航と海斗は調子に乗って炭酸飲料、日向は俺を哀れんでパックジュースの商品名を順に投げ掛ける。はいはい、どうせ俺が負けましたよ。こんなことなら罰ゲームなんて言い出さなきゃ良かったな。俺は小さな溜息を吐いた。
小銭の入った財布をポケットに忍ばせ、階段を降りて行く。踊り場からまた階段を降り始める時、ふと後ろを見上げると、そこには転校生の深谷の姿が見えた。俺の視線に気が付いた深谷は降りる足をぴたりと止める。
「え、あ……深谷も購買?」
足を止めさせた俺はなんだか気まずくなり、そのまま声をかけていた。深谷は黙ったまま頷き、階段を降りる。踊り場まで来ると、その身長差に思わず首が上がった。不思議な顔で俺を見る深谷に、俺は自分の名を伝えていないことを思い出す。
「あー……俺、同じクラスの水沢瑠珂。瑠珂で良いよ」
深谷は静かに頷く。縁の太い眼鏡の下の方にほくろを見つけた。
「てか、購買の場所分かんの?」
「……一階、とは聞いた」
「うわぁ、雑な案内だなそれ」
俺は深谷に憐みの目を向けた。うちの学校の購買部は、一階の体育館渡り廊下のど真ん中に昼休みにだけ存在する。並ぶ商品はおにぎりや惣菜パン、菓子パン、菓子類や飲み物が主で、近所の弁当屋さんが昼休みに合わせて教職員の弁当を配達するついでに運営をしてくれているため、おにぎりは圧倒的人気を誇る。小さなおかず付きのミニ弁当が出ていたりもしているが、殆どお目にかかれない。しかも昼休み開始から数分後に完売することもあるため、うかうかしていると昼食を食いっ逸れることもあるのだ。深谷の場合、購買部で昼食を買う予定だったのだろう。チャイムと同時にダッシュをしていない時点でこいつの昼飯はない。
「とりあえず案内するけど……もう殆ど何も無いと思えよ?」
「別に良い。飲み物買えれば」
「あ、そうなの?まぁ転校初日に昼飯抜きは最悪だもんな。良かったじゃん」
俺はそう言うと「じゃあ、こっち」と言って深谷を先導した。
一階に着くと、既に購買で買い物を終えた生徒達数名とすれ違った。みんな手には戦利品であるパンやおにぎりを持っている。この分だと食べ物は殆ど残ってないだろう。今朝、母さんから受け取った弁当が急に有り難みを増した気がして、心の中で拝む。
渡り廊下に出ると、購買のおばちゃんがパイプ椅子に座っていた。飲み物は何種類か残っていたが、やはりおにぎりやパン類はもう残っていない。
「こんちは、おばちゃん。俺これね」
俺は購買のおばちゃんに声を掛け、パックのミルクティーを指差した。日向はいつもパックの飲み物だとこればかりだ。小銭を取り出し、おばちゃんからミルクティーを受け取る。炭酸飲料は残念ながらいつも最初になくなってしまうので、購買から歩いてすぐの体育館横に設置されている自販機へ行くしかない。
「んじゃ、俺は自販行くから」
俺の後ろでボーッと並んでいる飲み物を見ていた深谷に声をかける。すると、黙っておばちゃんに小銭を渡し、コーヒー牛乳のパックを手に取った。そのまま教室に戻るのだろうと思っていたが、深谷は俺のことをじっと見ている。
「……え、なに?」
「自販機、場所どこ」
「あぁ、体育館横だけど……なに、着いてくるの?」
深谷はコクンと首だけを動かして頷いた。
「んじゃ、着いてきて」
俺が声を掛けると黙って背後を歩き始める。ちょっと前に父さんから借りた某人気ゲームのパーティのようだったが、それを伝えて笑ってくれるほどノリが良さそうには見えなくて一人で想像して笑いを堪えた。
「ほら、あそこね」
体育館の横に並ぶ自販機を指さし、後ろを向く。深谷は俺の顔をじっと見てから自販機の場所を確認した。
「あのさ、さっきから目合うよな?」
なんとなく気になってそんなことを口走っていた。ホームルーム中にやたらと目が合ったのはきっと勘違いではないだろう。
「……いや、別に」
言い淀む深谷を横目に、俺は炭酸飲料の並ぶ自販機に小銭を入れる。
「俺に用があるとか?」
あいつらが飲んでいるのって……そうそう、海斗はコーラで航はレモンスカッシュだ。
並ぶ商品を見てあの二人がいつも好んで飲んでいる物を思い出す。コーラを買ってからもう一度小銭を投入している時、やっと深谷が口を開いた。
「用というか……お願い的な?」
「お願い?あぁ、引っ越して来てまだ道が分からんとか?」
確かに土地勘無いと不安だよなぁ。高校生の小遣いで腹が膨れるほど食べれる町中華とか、意外と穴場あるし……。
「あ、今日の放課後さ海斗達も誘って色々回るのとかどうだ?」
俺はレモンスカッシュを取り出し口から取り出すと、我ながら名案だと思い、深谷の方へ向き直った。すると深谷は首を振った。
「違う、そうじゃなくて」
「なんだよ、ノリ悪う〜。あ、まだ引っ越ししてきて日浅いから部屋片付いてないとか?ならさ、色々落ち着いたら一緒に」
「俺と、付き合ってほしい」
…………ん?え、今……な、なん……んん?
「……え、えと、あぁっ!分かった、次の化学室!場所分からないよな!」
「まぁ、場所は知らないけど」
「だ、だよな!あは、あはははっ」
あ、焦った……。そう、だよな……俺の耳が変な勘違いというか、聞き間違いをしたんだろう。絶対そう。そうじゃなきゃおかしい。おかしい以外に何も当てはまらない。
「あー……ったく、変な言い回しやめろよなぁ?心臓に悪すぎ。俺はギリギリセーフだけど、他のやつにはやめとけよ?」
バシバシと深谷の背中を叩く。良かった……。まったく、変な汗かいただろうが。
「他のやつ……?いや、俺が好きなのは瑠珂だけなんだけど……」
首を傾げて深谷が言った。その一言に、思わず力がするりと抜けて腕に抱えていた炭酸のペットボトルを二本とも地面に落としてしまった。
今……こいつ、好きって…………言いました?
「それ炭酸なんじゃなかった?」
何してんの、と深谷が呆れ口調で言うと、屈んで転がったペットボトルを拾い上げる。その様子をぼうっと眺めてしまい、ペットボトルを手渡されるまで口を開けたまま呆けていた。
「……瑠珂?」
屈んだまま顔を覗き込まれる。目が合った瞬間、心臓がやたらと大きな音を出して弾けた気がした。
「い、いやいやいや!俺男だけど!」
「知ってる」
「知ってるって、おまっ……」
「俺、瑠珂が好き」
深谷の目は真っ直ぐ俺を捉えている。正直に言って、冗談を言っているようには見えなかった。が、しかし。
「無理無理!いや、そういうね?同性同士を否定するとかじゃなくて、俺の言いたいこと分かる……よね?」
俺の問いに深谷は首を傾げる。
「なっ……え、わ、分かんない?」
俺は首を思い切り振った。あまりの勢いに、まだ昼食も食べていないのに気持ち悪くなる。しかし今はそんなことどうでも良い。顔は熱くなり、心臓も意味わからないほど脈を打っている。その一方で目の前の訳の分からない転校生は至って冷静に俺を見ていて、俺は堪らず奥歯を噛み締め目を逸らす。
「普通に考えて、今日会ってすぐに好きとかならないだろ?少なくとも、俺は段階を踏むタイプだけどっ!」
「段階?」
「そうだよ!今時、マチアプだっていきなり付き合ったりしないだろ」
いや、使ったことないから知らねえけど。一気にしゃべったせいで息が上がる。落ち着こうにも落ち着かない。心臓は相変わらずざわついて、こめかみがギュッと絞まった。
「……普通、友達からだろ」
「……そこから?」
「普通って前置き聞いてたか?」
俺は溜息を吐いた。なんだこいつ、全然会話にならないんですけどっ!
「まず俺達はお互いの事を知らないだろ?お前は転校生で、今日俺と話した事なんて購買と自販機の場所を聞いただけなんだから」
俺が懇切丁寧に説明をしてやっているというのに、深谷は口をへの字に曲げて不機嫌な顔を向ける。いや、なんでそんな顔するんだよ。
「それに、第一印象で告って振られたら友達としても気まずいだろ?」
「別に俺は瑠珂の事、第一印象で決めた訳じゃないけど」
俺はもう一度大きな溜息を吐いた。
「……お前の感覚は俺にはよく分かんねぇよ。俺の中でお付き合いっていうのは、まず友達から始まって、関係を深めてからじゃないと無理なのっ」
俺がぴしゃりとそう言うと、深谷は黙って考え込んだ。そして数秒後、ゆっくり頷くと口を開いた。
「……分かった」
本当に納得いったのかは定かではないが、深谷が渋々と答えた。
「仕方ないけど……そこまで言うなら、まだ友達で良いよ」
まだってなんだよ。俺の方が譲歩しているんですが?
「いや全然分かってねぇな?まぁ、友達からなら別に……」
「ちなみに、いつまでが友達期間?」
「……あのなぁ……」
もう言い返すのも面倒になり、俺は溜息だけ返すとスマホを取り出した。
「そういうのは、心境ってのが変わるまでだろ。ほら、連絡先」
メッセージアプリを開き、プロフィールのID画面に切り替えると、スマホごと深谷に差し出した。兎にも角にも、このまま放置してしまえば後々教室で変な事を言われかねない。不本意ではあるが、連絡先の交換を俺から提案した。
「ちなみに……俺の心境が変わるまで、好きとか言うなよ」
「え、なんで?」
「なんでって……なんでも!特にクラスの連中の前とかで言ったらマジで口きかないし、最悪絶交だからな!」
「絶交って、今時小学生でも言わないんじゃない?」
深谷はクスクスと笑いながら俺の連絡先を登録するとスマホを寄越した。ちょうど日向から何かあったかと心配のメッセージが飛んできたところだった。
「やば、あいつら待たせてるんだったわ」
「……ねぇ、それ」
「ん?」
「俺もそこに混ざって良い?」
そういってさりげなく俺の手からペットボトルを一つ取る。自分の分を含めて三本持つのは歩き難いが、さっきの事がある以上、俺の気は変な意味で張って仕方ない。
「……別に、いいけど…………さっきのは絶対に」
「言わないよ。ほら、行こう瑠珂」
怪訝そうな顔の俺に、深谷はそう言うと、手を差し出した。そのあまりにも自然な流れに、思わずその手を掴みそうになったが、ハッとして代わりにジト目を向ける。
「お前、本当に分かってるんだよな……?」
「分かってるよ。でも、友達でも手ぐらい繋ぐものじゃないの?」
「いや、高校生男子はそうもいかねぇだろ」
再び溜息が漏れる。まだ昼休みの最中だというのに、物凄く体力を消耗した気がした。しかも同性に告白されたのは人生で初めてで、どんな顔をしているのが正解かすら分からない。この対応で良かったのかは分からないが、相手を大きく傷付けずにかわせたことは、我ながら機転が効いたと思う。それに不思議とこの深谷とのやり取りが少しだけ懐かしく感じた気がしたし、嫌悪感は無かった。まぁ、何を言っても通じない所には苛々したけれど……。兎にも角にも、今後こいつがみんなの前で変な事を言わないように気を張って過ごさなければならないと思うと、胃に穴が開きそうだ。俺は卒業まで変な気を起こしませんようにと、深谷の背中に向かって祈りながら教室へ戻って行った。
俺は思わず大声を出した。さっきまで全然回ってこなかったババがここに来て俺の手札にやってきたのだ。
「瑠珂、それバレバレだから」
「ババ持ち確定だな、みんな今日は瑠珂にゴチになるぞー!」
クラスメイトの関田海斗の声を合図に、ババ抜きに参加していた残り二人、貴船日向と貝塚航がゲラゲラと笑いながら「はーい」と返事をした。
「あーもうっ!ふざけんなしっ」
「いやいや、バラしたのお前だから。本当ポーカーフェイス苦手だよな」
そう言って海斗は手持ちの最後の一枚を俺に引かせようとする。
「え、待って……えっ!海斗最後の一枚?」
「そうだよ。それも今更気が付いたんか?」
ドッと笑いが起きた。おいしいとは思いつつも俺の顔面は引き攣りまくり。今日のババ抜きは負けた人が昼休みにジュースを奢る罰ゲームとなっている。しかもその言い出しっぺは俺だった。
「えーっ!これ引いたら負けじゃんっ!」
「良いから負けを認めて引けっつーの」
「四人分のジュースっていくらかかると思ってんだよ!」
「いや、瑠珂が言い出した事でしょ」
海斗の後ろで腹を抱え笑いながら日向は涙を拭う。そんなに笑う事か?
「……もう一回!」
全員の同情を引き出そうと必死の顔をしたが、丁度予鈴が鳴り響く。もう一度ひと笑い起きて、俺は頭を項垂れた。
「自分の言ったことには責任を持とうね〜」
航はニヤニヤと嬉しそうに言うと、カードの山を丁寧に重ねてケースへ戻す。
「じゃ、二人とも何買ってもらうか午前中じっくり考えようぜ」
航の一言を合図に、海斗と日向は自席へと戻って行く。昼休みという近い未来の小さな出費を思うと、地味に懐が痛い。ゴールデンウィークに遊びすぎたツケが響いている。クラスの体育祭打ち上げに前から気になっていた女子、潮田来海が参加するのを聞きつけて、調子に乗ってカラオケまで参加したりと散財をした結果だった。更に言えば今月末からテスト期間に入るため、バイトのシフトも調整されてしまうのだ。まぁ、負けたのは俺だし、確かに言い出しっぺは俺なんだけど。腑に落ちないまま机に突っ伏していると、教室の前のドアが開き、担任の小浦美咲先生が教室に入ってきた。
「みんなおはよう!」
新任である小浦先生は、いつも楽しそうに教室に入ってくるが、今日はいつにも増してその足が軽やかに感じる。
「先生、なんか良いことあったっしょ?」
俺と同じく先生の様子に気がついた海斗が声を上げる。
「ふふふん、関田くん気がついた?」
「そりゃ、スキップしてればね」
軽やかに感じる、というか実際に軽やかだったらしい。先生は「あはは、そうだよね」と笑って答え、俺たち生徒を見渡すと、鼻息荒めに話し始めた。
「実は!今日からこのクラスに転校生が来ることになりましたっ」
小浦先生のこの一言で、一気に教室が騒つき始める。イケメンだろうか、可愛い子だろうか、どんなやつがくるのだろかで一気に全員の目が輝いた。転校生という響きは、いつだって特別な存在には間違いない。俺はさっきの敗北を忘れ、意気揚々と手を上げた。
「はいはいっ、可愛い子ですかっ!」
「私にとってはみんな可愛い生徒です〜」
「いや、そういうんじゃなくてさぁ」
「はいはい、静かに」
先生は俺をさらりとかわし、教室の前扉へ身体を向けると「さ、入って来て」と、転校生を促した。クラス中の視線が教室の前扉へ集中する。もちろん俺の視線も流れるようにそこへ向いた。開いた前扉から入って来たのは高身長の男子生徒だった。黒髪に縁の太い眼鏡が印象的だが、ごくごく普通の高校生である。女子の弾んだ声が教室中で起こると同時に、バスケ部員やバレー部員の男子生徒達もそわそわとし始めたが、俺を含めた数名は心の中で「なーんだ、男か」と勝手に肩を落としていた。
「じゃあ、自己紹介よろしく」
小浦先生は男子生徒を見上げながら言った。よく見るとかなりの身長差で、流石の俺も興味を戻す。日本人の平均的な身長をなぞる自分より身長の高い人間はたくさん見て来たが、こんなに高い人と対面したことはなかった。
「……深谷光明」
黒板を背に、でかい男がボソリと名乗る。深谷はそれ以上は喋る気がないようで黙り込んだ。小浦先生はその横で彼の名前をデカデカと板書するが、深谷とのテンションの違いに、騒いでいたクラスがだんだんと静まっていく。
「はいっ、今日からクラスメイトの深谷くんです!みんな仲良くね」
パラパラと疎に拍手が起きる。周りに合わせるように俺も手を叩いていると、深谷とがっつり目が合った。勘違いかと思ったが、そうではなさそうだ。明らかに真っ直ぐ俺を見ている。
え……な、なんだ?
仕方なく拍手をしているのが見透かされたのだろうか。俺は慌てて拍手をし直す。
「席は窓側の後ろね」
小浦先生が机を指差すと、深谷は静かに頷いて席へと向かう。転入早々に良い席とは、特別扱い受けすぎだろ。そんな小さな恨み言を思うと、席へ向かう深谷とまた目が合った。その視線はさっき向けられた物よりも明らかに鋭く感じ、俺の背筋が自然とピンとなる。横をすれ違う瞬間は心臓が変に騒がしくなった。
あいつさっきからなんだ?俺、顔に何かついてる……?あ、もしかして朝食べたピザトーストのソースとか……。
こっそりとリュックからスマホを取り出し画面を覗く。暗い画面に薄っすら映る自分を凝視したが、ソースが付着しているようには見えない。というか、付いていたらすでに海斗や日向、航から指摘は受けているはずだ。
じゃあなんであいつは俺のことやたらと見てくるんだ……?
窓側の後部席に視線を送ると、深谷はリュックを机の横に引っ掛けている最中だった。いや、これで顔を上げた時に目があったら、ホームルーム後に声かけて確かめれば良いか。
「……ちょっと、水沢くん?私の話聞いてる?」
「えっ」
突然名前を呼ばれ顔を上げると、小浦先生と目が合った。というか、先生が直ぐ真横に立っていることに気が付いた。
「スマホもしまって。好きな子からメッセージ来てても今はダメ。今日、避難訓練があるって話聞いてた?」
いや、初耳。
俺は苦笑いを浮かべ、首を横に振る。スマホは潔くリュックへ仕舞い込んだ。
「全く……。六時間目の最中に放送が入るから、ちゃんと対応してよ?」
「お、ラッキー。授業すぐ終わるじゃん」
「それ、もう関田くんがさっき言いました」
どんだけ話聞いてないのよ、と小浦先生のツッコミによりどっと笑いが起きる。ニヤニヤとこちらを見て笑う海斗に恥ずかしいを超えて悔しいが勝り、ジト目を返した。
昼休みになると、俺は今朝の罰ゲームを実行するために一階の購買まで送り出された。教室を渋々出て行く俺に、航と海斗は調子に乗って炭酸飲料、日向は俺を哀れんでパックジュースの商品名を順に投げ掛ける。はいはい、どうせ俺が負けましたよ。こんなことなら罰ゲームなんて言い出さなきゃ良かったな。俺は小さな溜息を吐いた。
小銭の入った財布をポケットに忍ばせ、階段を降りて行く。踊り場からまた階段を降り始める時、ふと後ろを見上げると、そこには転校生の深谷の姿が見えた。俺の視線に気が付いた深谷は降りる足をぴたりと止める。
「え、あ……深谷も購買?」
足を止めさせた俺はなんだか気まずくなり、そのまま声をかけていた。深谷は黙ったまま頷き、階段を降りる。踊り場まで来ると、その身長差に思わず首が上がった。不思議な顔で俺を見る深谷に、俺は自分の名を伝えていないことを思い出す。
「あー……俺、同じクラスの水沢瑠珂。瑠珂で良いよ」
深谷は静かに頷く。縁の太い眼鏡の下の方にほくろを見つけた。
「てか、購買の場所分かんの?」
「……一階、とは聞いた」
「うわぁ、雑な案内だなそれ」
俺は深谷に憐みの目を向けた。うちの学校の購買部は、一階の体育館渡り廊下のど真ん中に昼休みにだけ存在する。並ぶ商品はおにぎりや惣菜パン、菓子パン、菓子類や飲み物が主で、近所の弁当屋さんが昼休みに合わせて教職員の弁当を配達するついでに運営をしてくれているため、おにぎりは圧倒的人気を誇る。小さなおかず付きのミニ弁当が出ていたりもしているが、殆どお目にかかれない。しかも昼休み開始から数分後に完売することもあるため、うかうかしていると昼食を食いっ逸れることもあるのだ。深谷の場合、購買部で昼食を買う予定だったのだろう。チャイムと同時にダッシュをしていない時点でこいつの昼飯はない。
「とりあえず案内するけど……もう殆ど何も無いと思えよ?」
「別に良い。飲み物買えれば」
「あ、そうなの?まぁ転校初日に昼飯抜きは最悪だもんな。良かったじゃん」
俺はそう言うと「じゃあ、こっち」と言って深谷を先導した。
一階に着くと、既に購買で買い物を終えた生徒達数名とすれ違った。みんな手には戦利品であるパンやおにぎりを持っている。この分だと食べ物は殆ど残ってないだろう。今朝、母さんから受け取った弁当が急に有り難みを増した気がして、心の中で拝む。
渡り廊下に出ると、購買のおばちゃんがパイプ椅子に座っていた。飲み物は何種類か残っていたが、やはりおにぎりやパン類はもう残っていない。
「こんちは、おばちゃん。俺これね」
俺は購買のおばちゃんに声を掛け、パックのミルクティーを指差した。日向はいつもパックの飲み物だとこればかりだ。小銭を取り出し、おばちゃんからミルクティーを受け取る。炭酸飲料は残念ながらいつも最初になくなってしまうので、購買から歩いてすぐの体育館横に設置されている自販機へ行くしかない。
「んじゃ、俺は自販行くから」
俺の後ろでボーッと並んでいる飲み物を見ていた深谷に声をかける。すると、黙っておばちゃんに小銭を渡し、コーヒー牛乳のパックを手に取った。そのまま教室に戻るのだろうと思っていたが、深谷は俺のことをじっと見ている。
「……え、なに?」
「自販機、場所どこ」
「あぁ、体育館横だけど……なに、着いてくるの?」
深谷はコクンと首だけを動かして頷いた。
「んじゃ、着いてきて」
俺が声を掛けると黙って背後を歩き始める。ちょっと前に父さんから借りた某人気ゲームのパーティのようだったが、それを伝えて笑ってくれるほどノリが良さそうには見えなくて一人で想像して笑いを堪えた。
「ほら、あそこね」
体育館の横に並ぶ自販機を指さし、後ろを向く。深谷は俺の顔をじっと見てから自販機の場所を確認した。
「あのさ、さっきから目合うよな?」
なんとなく気になってそんなことを口走っていた。ホームルーム中にやたらと目が合ったのはきっと勘違いではないだろう。
「……いや、別に」
言い淀む深谷を横目に、俺は炭酸飲料の並ぶ自販機に小銭を入れる。
「俺に用があるとか?」
あいつらが飲んでいるのって……そうそう、海斗はコーラで航はレモンスカッシュだ。
並ぶ商品を見てあの二人がいつも好んで飲んでいる物を思い出す。コーラを買ってからもう一度小銭を投入している時、やっと深谷が口を開いた。
「用というか……お願い的な?」
「お願い?あぁ、引っ越して来てまだ道が分からんとか?」
確かに土地勘無いと不安だよなぁ。高校生の小遣いで腹が膨れるほど食べれる町中華とか、意外と穴場あるし……。
「あ、今日の放課後さ海斗達も誘って色々回るのとかどうだ?」
俺はレモンスカッシュを取り出し口から取り出すと、我ながら名案だと思い、深谷の方へ向き直った。すると深谷は首を振った。
「違う、そうじゃなくて」
「なんだよ、ノリ悪う〜。あ、まだ引っ越ししてきて日浅いから部屋片付いてないとか?ならさ、色々落ち着いたら一緒に」
「俺と、付き合ってほしい」
…………ん?え、今……な、なん……んん?
「……え、えと、あぁっ!分かった、次の化学室!場所分からないよな!」
「まぁ、場所は知らないけど」
「だ、だよな!あは、あはははっ」
あ、焦った……。そう、だよな……俺の耳が変な勘違いというか、聞き間違いをしたんだろう。絶対そう。そうじゃなきゃおかしい。おかしい以外に何も当てはまらない。
「あー……ったく、変な言い回しやめろよなぁ?心臓に悪すぎ。俺はギリギリセーフだけど、他のやつにはやめとけよ?」
バシバシと深谷の背中を叩く。良かった……。まったく、変な汗かいただろうが。
「他のやつ……?いや、俺が好きなのは瑠珂だけなんだけど……」
首を傾げて深谷が言った。その一言に、思わず力がするりと抜けて腕に抱えていた炭酸のペットボトルを二本とも地面に落としてしまった。
今……こいつ、好きって…………言いました?
「それ炭酸なんじゃなかった?」
何してんの、と深谷が呆れ口調で言うと、屈んで転がったペットボトルを拾い上げる。その様子をぼうっと眺めてしまい、ペットボトルを手渡されるまで口を開けたまま呆けていた。
「……瑠珂?」
屈んだまま顔を覗き込まれる。目が合った瞬間、心臓がやたらと大きな音を出して弾けた気がした。
「い、いやいやいや!俺男だけど!」
「知ってる」
「知ってるって、おまっ……」
「俺、瑠珂が好き」
深谷の目は真っ直ぐ俺を捉えている。正直に言って、冗談を言っているようには見えなかった。が、しかし。
「無理無理!いや、そういうね?同性同士を否定するとかじゃなくて、俺の言いたいこと分かる……よね?」
俺の問いに深谷は首を傾げる。
「なっ……え、わ、分かんない?」
俺は首を思い切り振った。あまりの勢いに、まだ昼食も食べていないのに気持ち悪くなる。しかし今はそんなことどうでも良い。顔は熱くなり、心臓も意味わからないほど脈を打っている。その一方で目の前の訳の分からない転校生は至って冷静に俺を見ていて、俺は堪らず奥歯を噛み締め目を逸らす。
「普通に考えて、今日会ってすぐに好きとかならないだろ?少なくとも、俺は段階を踏むタイプだけどっ!」
「段階?」
「そうだよ!今時、マチアプだっていきなり付き合ったりしないだろ」
いや、使ったことないから知らねえけど。一気にしゃべったせいで息が上がる。落ち着こうにも落ち着かない。心臓は相変わらずざわついて、こめかみがギュッと絞まった。
「……普通、友達からだろ」
「……そこから?」
「普通って前置き聞いてたか?」
俺は溜息を吐いた。なんだこいつ、全然会話にならないんですけどっ!
「まず俺達はお互いの事を知らないだろ?お前は転校生で、今日俺と話した事なんて購買と自販機の場所を聞いただけなんだから」
俺が懇切丁寧に説明をしてやっているというのに、深谷は口をへの字に曲げて不機嫌な顔を向ける。いや、なんでそんな顔するんだよ。
「それに、第一印象で告って振られたら友達としても気まずいだろ?」
「別に俺は瑠珂の事、第一印象で決めた訳じゃないけど」
俺はもう一度大きな溜息を吐いた。
「……お前の感覚は俺にはよく分かんねぇよ。俺の中でお付き合いっていうのは、まず友達から始まって、関係を深めてからじゃないと無理なのっ」
俺がぴしゃりとそう言うと、深谷は黙って考え込んだ。そして数秒後、ゆっくり頷くと口を開いた。
「……分かった」
本当に納得いったのかは定かではないが、深谷が渋々と答えた。
「仕方ないけど……そこまで言うなら、まだ友達で良いよ」
まだってなんだよ。俺の方が譲歩しているんですが?
「いや全然分かってねぇな?まぁ、友達からなら別に……」
「ちなみに、いつまでが友達期間?」
「……あのなぁ……」
もう言い返すのも面倒になり、俺は溜息だけ返すとスマホを取り出した。
「そういうのは、心境ってのが変わるまでだろ。ほら、連絡先」
メッセージアプリを開き、プロフィールのID画面に切り替えると、スマホごと深谷に差し出した。兎にも角にも、このまま放置してしまえば後々教室で変な事を言われかねない。不本意ではあるが、連絡先の交換を俺から提案した。
「ちなみに……俺の心境が変わるまで、好きとか言うなよ」
「え、なんで?」
「なんでって……なんでも!特にクラスの連中の前とかで言ったらマジで口きかないし、最悪絶交だからな!」
「絶交って、今時小学生でも言わないんじゃない?」
深谷はクスクスと笑いながら俺の連絡先を登録するとスマホを寄越した。ちょうど日向から何かあったかと心配のメッセージが飛んできたところだった。
「やば、あいつら待たせてるんだったわ」
「……ねぇ、それ」
「ん?」
「俺もそこに混ざって良い?」
そういってさりげなく俺の手からペットボトルを一つ取る。自分の分を含めて三本持つのは歩き難いが、さっきの事がある以上、俺の気は変な意味で張って仕方ない。
「……別に、いいけど…………さっきのは絶対に」
「言わないよ。ほら、行こう瑠珂」
怪訝そうな顔の俺に、深谷はそう言うと、手を差し出した。そのあまりにも自然な流れに、思わずその手を掴みそうになったが、ハッとして代わりにジト目を向ける。
「お前、本当に分かってるんだよな……?」
「分かってるよ。でも、友達でも手ぐらい繋ぐものじゃないの?」
「いや、高校生男子はそうもいかねぇだろ」
再び溜息が漏れる。まだ昼休みの最中だというのに、物凄く体力を消耗した気がした。しかも同性に告白されたのは人生で初めてで、どんな顔をしているのが正解かすら分からない。この対応で良かったのかは分からないが、相手を大きく傷付けずにかわせたことは、我ながら機転が効いたと思う。それに不思議とこの深谷とのやり取りが少しだけ懐かしく感じた気がしたし、嫌悪感は無かった。まぁ、何を言っても通じない所には苛々したけれど……。兎にも角にも、今後こいつがみんなの前で変な事を言わないように気を張って過ごさなければならないと思うと、胃に穴が開きそうだ。俺は卒業まで変な気を起こしませんようにと、深谷の背中に向かって祈りながら教室へ戻って行った。



