灰より出でた花は、帝の許嫁となる ~灰かぶりと蔑まれた身代わり少女ですが、冷酷な帝に一途に愛されすぎて頂点に咲き誇ります~

 戦いの夜が明けて数日。
 朝の光は柔らかく、風はやさしく、宮中はようやく落ち着きを取り戻していた。

 だが二人には、少しだけ慣れない時間が訪れていた。
 それは、何の敵も、陰謀も、危険も存在しない自由な朝。
 朱皇にとっては久しく味わったことのないものだったし、花にとっても、奉公でも後宮のしがらみでもない、ただの朝というのは不思議なくらい静かだった。

「朱皇さま、今日は……本当に、お休みでいいのですか?」
花が控えめに確認すると、朱皇は苦笑した。

「俺が休むと言ったら、周囲が勝手に動いてしまったんだ。これ以上倒れられては困るとか、朝まで戦う帝は初めて見ただとか……」

 花は思わず笑ってしまった。
「まぁ、あれだけ戦って……腹まで貫かれて……それで歩いて帰ってきたら、驚かない人はいませんよ」

「だからこそ、今日は俺も休んでくれと言われた。なので、花。今日は一日、お前と過ごす」

「えっ……そ、そんな、私なんかで……」

「私なんかは禁止だ」
 朱皇は花の額に軽く指を置いた。

「お前は俺が選んだ。理由が欲しいなら、いくらでも言ってやる」

 花は顔を真っ赤にしてうつむく。
 その姿すらいとおしいと思ってしまう自分が、朱皇には少しおかしく思えた。
 その日の宮中は、珍しいほど静かだった。
 朱皇と花が歩けば、侍女たちは遠巻きに道を開け、文官たちは息をひそめ、まるで二人の邪魔だけはするまいと言わんばかりに距離を取った。

「なんだか……気を遣わせてしまってませんか?」

「気を遣わせているんじゃない。俺がお前と過ごすと言ったから、皆が勝手にそっとしてるだけだ」

「そんなことまで」

「帝だからな。利点くらいは使わないと」
 そう言って朱皇は肩をすくめた。

 ふと、庭の向こうで、春の花が風に揺れた。

「……あ」

「どうした?」

「この花、母が好きだったんです。香りがやわらかくて……それで、かんざしの模様にもなっていて……」

「紫苑の花か」

「はい。だから、なんだか懐かしくて」

 朱皇はその花を一輪折り、花の髪にそっと挿した。
「似合う」

「えっ……そ、そんな……」

「本当だよ。お前は、自然の花に負けないくらい……綺麗だ」

 花の頬がまた赤く染まる。
「朱皇さまは、たまに……ずるいです」

「お前が照れる顔を見るのが好きなだけだ」

 二人はそのまま庭をゆっくり歩いた。
 ただ、穏やかで、静かで、少し照れくさいだけの空気が流れていく。

「そういえば、花」

「はい?」

「以前、お前を初めて見たとき」
 花は歩みを止める。そしてまっすぐ見つめた。

「あのときのあんな目で見るなという言葉……覚えてるか?」

「……はい。怒られると思って、心臓が止まりそうでした」

「怒ったんじゃない。俺は……あの目に、救われたんだ」

「救われた……?」

「あの夜、后選びの宴。周囲の姫君は皆、俺に縋りつくように視線を向けていた。だが、お前だけは……『怖いけれど、ちゃんと見ます』という目をしていた」

「そんなつもりじゃ……」

「わかってる。でもあの視線が、俺にはとてつもなく嬉しかった」

 花は胸に手を当てる。
 心臓が熱く、くすぐったい。

「花。俺は帝である前に……一人の男だ。誰かに真っ直ぐ見つめられたかった。お前が、それをしてくれた」

「朱皇さま……」

「だから、今こうしてお前と歩けることが……嬉しい」

 花は言葉を失い、ただ朱皇の袖をそっと掴んだ。
 掴んだまま離せなかった。

「花、一つ聞いていいか?」

「はい……?」

「戦が終わった今。これから先、何がしたい?」

 花は少し考えた。

 帝と過ごす未来など、想像したことすらなかったからだ。
「……誰かの役に立ちたいです。灰をかぶっていた頃の私でも、誰かの支えになれるなら……」

「それでいい」

「え……?」

「お前は、そういう人だ」

 花は息を呑んだ。

 朱皇は手を伸ばし、彼女の指をそっと絡める。
「花。お前が許すなら……これからも、俺の隣にいてほしい」

 花は静かに頷いた。

 涙が溢れたが、それは悲しみではなく、温かさからだった。
「……はい。私でよければ、いつまでも」

 花は微笑んだ。
 戦の夜を越えて、二人はようやく、本当の朝を迎える。

 その朝は、戦の匂いも陰謀の影もない、ただ穏やかで、風がやさしくて、人が人として息をできる⋯⋯そんな朝だった。
 朱皇は花の手を握ったまま歩き、花もまた、その手を握り返す。

 どちらも離さない。
 離れる必要がなかったから。
 夜が終わり、朝がある。
 二人の物語は大団円を迎えたけれど。
  ⋯⋯⋯⋯この普通の一日からまた、ゆっくりと続いていく。