「わー! 猫じゃん! 猫ー!」
にゃ!
新庄が女に飛びかかった。
ペチン!
すかさずカオルの平手打ちが新庄の鼻をノックアウトする。
「ったく! 何やってんだ! ごめんね、カナちゃん。ちょっと寝室に閉じ込めとくね。」
いつもの定位置ソファでおくつろぎのところ、両脇を抱えて、乱暴に寝室へ投げ込まれる。
「ここなら何してもいいから。じゃあな。」
そう言うとカオルはピシャリと寝室の襖を閉めた。
*
「おはよー。猫ー!」
にゃ!
「イッターい!」
「もう、カナちゃんそろそろ学習してー。もううちに来て1週間でしょ。」
そう、1週間なのだ。
カオルが突然こよ女を連れ込んでから、もう1週間、ずっとこの女が居る。日中は出掛けるようだが、夜には必ず帰ってくる。
今まで特別だったチャオを毎日くれるのも、この女。そして毎朝激しく近づいてきて逆鱗に触れさせるのも、この女。だんだん日が経つにつれ、カオルは新庄を叩かなくなってきた。なぜって?
明らかにこの女の学習能力がなさすぎだから。
これに尽きる。
「人間に噛み付いてはいけない」というのは、新庄が身体で覚えさせられることかもしれない。でも同じように「猫(さま)の嫌がることをしてはいけない」というのも、女に身体で覚えていただかなくては。
「もぅ。カオルんチ来てから、生傷たえないんだけどぉ。」
「猫は触らないのが1番。そろそろ学習して。」
「でも、お近づきになりたいじゃん。ねー!」
にゃ!
何言ってるかは知らんが、カオルは自分の味方らしいと、新庄は理解していた。甘噛みくらいでは、この女、全然学習しない。
「イッタ、痛〜い!!!」
バッコーン!
跡がしっかり残るくらい、かじらないと学習しない、ということを「学習」した新庄は、強くかじってカオルに跳ね飛ばされた。
にゃあ、にゃあ。
その日のうちカオルがケージを買ってきて、新庄は狭い格子の先に閉じ込められた。
にゃあ、にゃあ、にゃあ。
「なんか、今日、頭痛えんだよなぁ。」
「うちが心配かけてるからかな? ほんと、新庄くんったらツンデレさんなんだからっ!」
どれだけ甘い声を出しても、カオルは無視するばかり。空気読めない女は格子の隙間から人差し指を突っ込んでくる。
「あ! かじってこないってことは、これ、お許しの印??」
「興味ないだけだと思うよー。」
そう。カオル、その通りさ。
というわけで、興味ないやつの指を間違ってかじらないように、用意された毛布にくるまって、寝るとするか。
*
コトは月曜日に起きた。
平日が仕事のカオルは仕事に行ってしまい、月曜日は休みらしいあの女と新庄が2人きりで日中を過ごした月曜日の夜だった。
「だから本当だってば〜。」
「んなわけあるかよ。」
あの女、「猫と話せるの〜」とか言い出しやがる。新庄としても「んなわけあるかよ」である。
ーー
「今日はマグロのチャオにしよっか!」
にゃ。
「あ、やっぱササミがお好み?」
にゃあ。
「じゃあささみにしよっか!」
にゃあ、にゃあ。
ーー
新庄は渡されたチャオに飛びついて、勢いよく完食した。この一連の流れを「会話できた」と捉えたらしい。
「そー言うのって飼い主に似る? オレってどちらかと言えば肉派だから、新庄もそうなのかな? てか、チャオなら何味でもにゃあにゃあ寄ってきて食べそうだけど。」
カオル。半分は当たりだな。ただ半分は違う。
チャオの袋を見たら、芳醇で猫心くすぐるしょっぱい匂いが小さな鼻を満たして、喜んで寄っていくさ。ただ、一口食べれば味はわかる。新庄が好きなのは女の言う通り、カオルの予想通り、ささみ。そうじゃなきゃ勢いよく完食なんて、できねーよ。
「ねぇ、明日のズーム会なんだけど。」
「ああ、言ってたね。どうかした?」
「実は先輩が猫見たいって言ってて。リビングで新庄と映ってて大丈夫?」
新庄はよくわからないが、自分が話題の中心に引き寄せられたのを察知して、鋭い瞳をカオルに向ける。カオルは手元のスマホに夢中で、まったく気づかない。
「いいよ。こんなトラ猫でよければ。」
カオルはニヤッと笑みを見せて、スマホを持ったまま、風呂場に行った。
*
「じゃあオレ寝てっから。いてて。」
「心配だね、よく寝て治してね。」
翌日。カオルは頭痛を訴えて、早めに寝室へ行った。女は新庄の前に正座して、やたらと話しかけてくる。
「いいですか? 新庄くん。これからズーム会です。私のお友だちたちに、新婚ほやほやのラブを見せつける会なのです!」
ハートマーク作りながら全力でこんな話とか、猫でも引くぜ。引いてんのもまったく気づかないんだろうなぁ。
「ここに来て、一緒に暮らす家族になって1週間。正直まだまだ仲良くなれてない気はしてるんだけど、どうか今日だけ、仲良く見せてください! チャオ2本!! よろしく。」
にゃあ、にゃあ。
よくわからんが、目の前のチャオ2本がもらえそうなことはわかった。新庄がそれに飛びかかろうとすると、女は立ち上がってタブレットの支度を始めた。
「ってわけなんですぅ! 猫との生活も、なんかカッチャカレそうだけど、楽しいですよぉ!」
にぁお。
新庄の指定席、ふかふかソファに腰を下ろし、脚を伸ばしてつま先をあげ、親指でハートを作るように小刻みに尻を振っている。その隣で「新しい(ラブラブ)生活」の象徴として、おとなしく鳴き声を漏らしてみる。
『かわいいトラ柄ね。カナちゃん、猫派だったけど、実家には居なかったよね? やっと飼えたんじゃない?』
「先輩、覚えてました? そーなんですよ! もう、見るのと飼うのじゃ大違いで。こんなにかじられるって知りませんでしたよぉ。」
『それ、構いすぎじゃない? うちの猫は、ほぼ放置だよ。』
にゃ、言っただろ? 本当に学習能力ないやつ。
にゃ!
「あれ? 新庄どうしたんだろ? なんか突然寝室に走ってったんですよ。」
『うちの猫もそういうことあるよ。運動会みたいな。』
にゃあ、にゃあ。
「いや。なんか違う気がします! 私、猫としゃべれるんで! 呼ばれてる気がする…。ちょっと失礼しますね。」
女は新庄に続いて寝室の、カオルの元に向かった。
にゃあ、にゃあ!
やはり、ドアの前で女を見つめながら新庄は必死に訴えかけている。
コンコンコン。
「カオル? 入るね。キャー!」
カオルはベッドの下で頭を抱えてうずくまっていた。
『カナちゃん、大ー丈ー夫? なんかあったかい?』
「先輩、それが、旦那が倒れてて。」
一旦リビングのタブレット前に戻ってきた女は青い顔をして立ち尽くしている。
『よく見つけたね。まず自分褒めよ! あと猫ちゃん! 忘れたの? うち看護師だから指示出すからタブレット移動できる?」
にゃあ、にゃあ!
女はタブレット越しに先輩から指示を受け、カオルを搬送することができた。
「だから『にゃあにゃあ』うるさいって! え? あ、ごめんなさい!」
その間、ずっとカオルのスマホの前で鳴いていた新庄を初めてけとばした。けとばしてから画面を確認して、女は新庄に土下座で謝った。
*
「手術は成功しましたので、1か月もすれば退院できると思いますよ。早く見つけていただけて、よかったですね。」
床に裾がつきそうなくらい長い白衣を着た医者はそう言い残して病室を出た。
「あんたが帰る家なんて、無いから。」
「え、カナちゃん、あそこ元々オレの家…。」
「グダグダ言わない! 私も新庄も、あんたのこと待ってないから。慰謝料請求待ってて。じゃ。」
「待ってください、そんな、乱暴な。」
「乱暴なんかじゃないでしょ? あなたも覚悟しててちょうだい。」
あの女は毅然とカオルを振り払って病室を出た。
「結婚しよって言ってたじゃない!」
パチン!
病室に残されたこの女もカオルに見切りをつけたようだ。
*
にゃあにゃあ。
「新庄〜! ただいま。今日ね、カオルにもあの女にも、ちゃんと『慰謝料取ってやる!』って言えたの。怖かった〜。」
にゃにゃ。
「ありがとう。本当、よく頑張ったよね。新婚で旦那倒れたと思ったら、不倫電話中だったなんて。も〜心臓に悪すぎ!」
にゃあにゃ、にゃ!
「新庄もね、まさか私と家族になるなんて思ってなかったでしょ。でも、私、新庄としゃべれるから! しっかりお守りするね!」
にゃ!
「ありがとう! ついてきてくれて!」
だから、エサをちゃんと出してくれ。朝から空だったんだぞ。
新庄は、この女、改め、一方的にしゃべりっぱなしのカナコの靴下に、ほおずりをした。
にゃ!
新庄が女に飛びかかった。
ペチン!
すかさずカオルの平手打ちが新庄の鼻をノックアウトする。
「ったく! 何やってんだ! ごめんね、カナちゃん。ちょっと寝室に閉じ込めとくね。」
いつもの定位置ソファでおくつろぎのところ、両脇を抱えて、乱暴に寝室へ投げ込まれる。
「ここなら何してもいいから。じゃあな。」
そう言うとカオルはピシャリと寝室の襖を閉めた。
*
「おはよー。猫ー!」
にゃ!
「イッターい!」
「もう、カナちゃんそろそろ学習してー。もううちに来て1週間でしょ。」
そう、1週間なのだ。
カオルが突然こよ女を連れ込んでから、もう1週間、ずっとこの女が居る。日中は出掛けるようだが、夜には必ず帰ってくる。
今まで特別だったチャオを毎日くれるのも、この女。そして毎朝激しく近づいてきて逆鱗に触れさせるのも、この女。だんだん日が経つにつれ、カオルは新庄を叩かなくなってきた。なぜって?
明らかにこの女の学習能力がなさすぎだから。
これに尽きる。
「人間に噛み付いてはいけない」というのは、新庄が身体で覚えさせられることかもしれない。でも同じように「猫(さま)の嫌がることをしてはいけない」というのも、女に身体で覚えていただかなくては。
「もぅ。カオルんチ来てから、生傷たえないんだけどぉ。」
「猫は触らないのが1番。そろそろ学習して。」
「でも、お近づきになりたいじゃん。ねー!」
にゃ!
何言ってるかは知らんが、カオルは自分の味方らしいと、新庄は理解していた。甘噛みくらいでは、この女、全然学習しない。
「イッタ、痛〜い!!!」
バッコーン!
跡がしっかり残るくらい、かじらないと学習しない、ということを「学習」した新庄は、強くかじってカオルに跳ね飛ばされた。
にゃあ、にゃあ。
その日のうちカオルがケージを買ってきて、新庄は狭い格子の先に閉じ込められた。
にゃあ、にゃあ、にゃあ。
「なんか、今日、頭痛えんだよなぁ。」
「うちが心配かけてるからかな? ほんと、新庄くんったらツンデレさんなんだからっ!」
どれだけ甘い声を出しても、カオルは無視するばかり。空気読めない女は格子の隙間から人差し指を突っ込んでくる。
「あ! かじってこないってことは、これ、お許しの印??」
「興味ないだけだと思うよー。」
そう。カオル、その通りさ。
というわけで、興味ないやつの指を間違ってかじらないように、用意された毛布にくるまって、寝るとするか。
*
コトは月曜日に起きた。
平日が仕事のカオルは仕事に行ってしまい、月曜日は休みらしいあの女と新庄が2人きりで日中を過ごした月曜日の夜だった。
「だから本当だってば〜。」
「んなわけあるかよ。」
あの女、「猫と話せるの〜」とか言い出しやがる。新庄としても「んなわけあるかよ」である。
ーー
「今日はマグロのチャオにしよっか!」
にゃ。
「あ、やっぱササミがお好み?」
にゃあ。
「じゃあささみにしよっか!」
にゃあ、にゃあ。
ーー
新庄は渡されたチャオに飛びついて、勢いよく完食した。この一連の流れを「会話できた」と捉えたらしい。
「そー言うのって飼い主に似る? オレってどちらかと言えば肉派だから、新庄もそうなのかな? てか、チャオなら何味でもにゃあにゃあ寄ってきて食べそうだけど。」
カオル。半分は当たりだな。ただ半分は違う。
チャオの袋を見たら、芳醇で猫心くすぐるしょっぱい匂いが小さな鼻を満たして、喜んで寄っていくさ。ただ、一口食べれば味はわかる。新庄が好きなのは女の言う通り、カオルの予想通り、ささみ。そうじゃなきゃ勢いよく完食なんて、できねーよ。
「ねぇ、明日のズーム会なんだけど。」
「ああ、言ってたね。どうかした?」
「実は先輩が猫見たいって言ってて。リビングで新庄と映ってて大丈夫?」
新庄はよくわからないが、自分が話題の中心に引き寄せられたのを察知して、鋭い瞳をカオルに向ける。カオルは手元のスマホに夢中で、まったく気づかない。
「いいよ。こんなトラ猫でよければ。」
カオルはニヤッと笑みを見せて、スマホを持ったまま、風呂場に行った。
*
「じゃあオレ寝てっから。いてて。」
「心配だね、よく寝て治してね。」
翌日。カオルは頭痛を訴えて、早めに寝室へ行った。女は新庄の前に正座して、やたらと話しかけてくる。
「いいですか? 新庄くん。これからズーム会です。私のお友だちたちに、新婚ほやほやのラブを見せつける会なのです!」
ハートマーク作りながら全力でこんな話とか、猫でも引くぜ。引いてんのもまったく気づかないんだろうなぁ。
「ここに来て、一緒に暮らす家族になって1週間。正直まだまだ仲良くなれてない気はしてるんだけど、どうか今日だけ、仲良く見せてください! チャオ2本!! よろしく。」
にゃあ、にゃあ。
よくわからんが、目の前のチャオ2本がもらえそうなことはわかった。新庄がそれに飛びかかろうとすると、女は立ち上がってタブレットの支度を始めた。
「ってわけなんですぅ! 猫との生活も、なんかカッチャカレそうだけど、楽しいですよぉ!」
にぁお。
新庄の指定席、ふかふかソファに腰を下ろし、脚を伸ばしてつま先をあげ、親指でハートを作るように小刻みに尻を振っている。その隣で「新しい(ラブラブ)生活」の象徴として、おとなしく鳴き声を漏らしてみる。
『かわいいトラ柄ね。カナちゃん、猫派だったけど、実家には居なかったよね? やっと飼えたんじゃない?』
「先輩、覚えてました? そーなんですよ! もう、見るのと飼うのじゃ大違いで。こんなにかじられるって知りませんでしたよぉ。」
『それ、構いすぎじゃない? うちの猫は、ほぼ放置だよ。』
にゃ、言っただろ? 本当に学習能力ないやつ。
にゃ!
「あれ? 新庄どうしたんだろ? なんか突然寝室に走ってったんですよ。」
『うちの猫もそういうことあるよ。運動会みたいな。』
にゃあ、にゃあ。
「いや。なんか違う気がします! 私、猫としゃべれるんで! 呼ばれてる気がする…。ちょっと失礼しますね。」
女は新庄に続いて寝室の、カオルの元に向かった。
にゃあ、にゃあ!
やはり、ドアの前で女を見つめながら新庄は必死に訴えかけている。
コンコンコン。
「カオル? 入るね。キャー!」
カオルはベッドの下で頭を抱えてうずくまっていた。
『カナちゃん、大ー丈ー夫? なんかあったかい?』
「先輩、それが、旦那が倒れてて。」
一旦リビングのタブレット前に戻ってきた女は青い顔をして立ち尽くしている。
『よく見つけたね。まず自分褒めよ! あと猫ちゃん! 忘れたの? うち看護師だから指示出すからタブレット移動できる?」
にゃあ、にゃあ!
女はタブレット越しに先輩から指示を受け、カオルを搬送することができた。
「だから『にゃあにゃあ』うるさいって! え? あ、ごめんなさい!」
その間、ずっとカオルのスマホの前で鳴いていた新庄を初めてけとばした。けとばしてから画面を確認して、女は新庄に土下座で謝った。
*
「手術は成功しましたので、1か月もすれば退院できると思いますよ。早く見つけていただけて、よかったですね。」
床に裾がつきそうなくらい長い白衣を着た医者はそう言い残して病室を出た。
「あんたが帰る家なんて、無いから。」
「え、カナちゃん、あそこ元々オレの家…。」
「グダグダ言わない! 私も新庄も、あんたのこと待ってないから。慰謝料請求待ってて。じゃ。」
「待ってください、そんな、乱暴な。」
「乱暴なんかじゃないでしょ? あなたも覚悟しててちょうだい。」
あの女は毅然とカオルを振り払って病室を出た。
「結婚しよって言ってたじゃない!」
パチン!
病室に残されたこの女もカオルに見切りをつけたようだ。
*
にゃあにゃあ。
「新庄〜! ただいま。今日ね、カオルにもあの女にも、ちゃんと『慰謝料取ってやる!』って言えたの。怖かった〜。」
にゃにゃ。
「ありがとう。本当、よく頑張ったよね。新婚で旦那倒れたと思ったら、不倫電話中だったなんて。も〜心臓に悪すぎ!」
にゃあにゃ、にゃ!
「新庄もね、まさか私と家族になるなんて思ってなかったでしょ。でも、私、新庄としゃべれるから! しっかりお守りするね!」
にゃ!
「ありがとう! ついてきてくれて!」
だから、エサをちゃんと出してくれ。朝から空だったんだぞ。
新庄は、この女、改め、一方的にしゃべりっぱなしのカナコの靴下に、ほおずりをした。



