「えーサクラちん溜息ばっか。そんなテストやばい?」
「テストはそこまでやばくないけど」
「まぢ?リオンはやばい。こんな事してる場合じゃなくてウケる」

はぁ。また溜息が溢れてしまった。球技大会が無事終わって季節はまた移り変わろうとしている。夏休み前の期末試験が全生徒の頭を悩ましている中、夏休み読書習慣イベントに向けて図書委員は作業に追われていた。
机を向かい合わせて俺に喋り続けているのは同じ図書委員の平澤(ひらざわ)りおんさん。喋り方から分かるように分類するなら陽キャというかギャルだ。来週配布する資料のホチキス止めと栞のリボンを通しながらひたすらに平澤さんは口を動かす。
「てかさ、クオン今日帰ったの?」
「うん、なんか用事あるって言ってた」
「えー用事って何?ちょー気になるってか、逆によく毎日サクラちんの仕事終わるの待ってるよね。本来リオンの仕事じゃん?だから、クオンに帰っていいよって言ったらなんて言われたと思う?」
「えーわかんない」
殆ど初対面と言っていいほど平澤さんと会話したことがなく、返答に戸惑っては当たり障りの無さそうな選択をしていく。
「詩と一緒に仕事すんの俺に譲ってくんない?だって!いやーイケメンって言うことまでイケメンでびっくりした!!そしてリオンは罪悪感なく放課後業務はクオンにやってもらうことにしたワケ」
別にサボってる訳じゃないんだよ?と平澤さんは付け足して、ひとりではしゃいだ。
「平澤さんから見て、藍はその、かっこいいと思う?」
「え〜そりゃあめっちゃ思う。下手なアイドルとかより全然!素でもう光ってるもん。サクラちんは?クオンとずっと一緒なんでしょ?女子たちがめっちゃ羨ましがってたっていうか、サクラちんのポジ狙ってる」
「なにそれ」
ぱち、ぱち、とホッチキスを握る手に力が入る。やっぱ誰が見たって藍はイケメンだ。それに平澤さんのグループみたいな見た目に気を遣った華のある女子は藍とお似合いだろう。女子が俺と同じ土俵に上がったら勝ち目なんてない。
藍が俺を気にかけている理由は幼馴染である以外に何も無いからだ。
「でもぶっちゃけ全世界の誰もサクラちんには勝てないってリオンは思うけどね。サクラちんよく見ると超顔整ってるし。前髪とかあげないの?」
「前髪?あーなんか前に藍が下ろしてた方がいいって言うからそのままにしてて」
「ふはっ、なにそれ牽制じゃん」 平澤さんは俺の返答が余程面白かったのか手を止めて口を押えて笑っている。
「もーお世辞だったでしょ。てかなんの話だっけ?」 恥ずかしくなって話題を変えようとすれば平澤さんは「忘れた〜」と更に可笑しそうに笑った。

「てか、そもそもはさ、サクラちんが溜息ばっかりだからだよ。なんかあったんでしょ?テストじゃないってことは恋の悩み?」
「恋?んー俺とは無縁だよ。別に悩みなんか無いけどね」
「ほんとー?じゃあリオンの恋バナ聞いてよ。聞くだけでいいからさ〜今好きな人の話、誰にも言ったことないの。言ったら絶対馬鹿にされるからさ」
「誰も他人(ひと)の好きな人を馬鹿になんてしないよ」 本心だった。
「えへ、サクラちん良い人だよね〜ねぇ、これ終わったら駅前のドーナツ屋さん寄ろ!話聞いてくれたらドーナツ一個奢ってあげる!リオンクーポンとかめっちゃ持ってるし!」
平澤さんの人の良い笑顔に断れる訳もなく、作業を終えると俺たちは平澤さんオススメのドーナツ屋さんに移動した。



さっぱりとしたジャスミンティーと甘いドーナツ二個をお互い選んでまた向かい合わせに座った。
「で、リオンの好きな人なんだけどウッチーなんだよね」
「ウッチーって、内田(うちだ)くん?学級委員長の?」
「そ、ウッチー。意外って顔してる。みんな思うよね〜望み薄いし」
意外なのは平澤が内田くんを好きということでは無い。今まで俺に恋愛相談してくる相手は藍の事が好きと相場が決まっていたからだ。藍の攻略方法についてしか聞かれたことがない。
「本気の恋愛相談された事ないからちょっと戸惑ってるだけ。参考までに、内田くんのどこが好きなの?」
「え〜なんだろ」 クルクルとストローを回しながら平澤さんはもう片手でクルクルと長い髪の先を巻いている。
「ウッチーはめっちゃ努力家じゃん?勉強も運動も。でもいつもクオンに勝てないとこかなぁ。何事にも一生懸命で多分諦めるとか知らないと思う。だからリオンもまっすぐにウッチーが好きなの。あー脈あるかなー!!」
平澤さんはバタバタと地面を数回蹴ってカラフルなドーナツを大きな口で齧った。
「平澤さん、テストやばいって言ってたよね?」
「ん?やばいよ、結構ガチで」
「だったら内田くんに教えて貰ったら?」
「え?え?急に?どうやって?でもリオン馬鹿だから時間の無駄って断られるかもじゃん!」
「内田くんは断らないよ。困ってる人をほっとくようなタイプじゃないし。それに赤の他人の俺の意見だから占いより当てにならないかもしれないけど、お似合いだと思うよ」
俺は澱みなく答えた。考える隙もなく言葉が出て行った、というか平澤さんによって引き出されたのだろう。
「じゃあさ、頑張ってみるとして、どうやってお願いしたらいいかな?」
「うーん、勉強教えてって普通に言えば良いと思う。平澤さんコミュ力あるからきっかけさえあればすぐ仲良くなれと思うし、もし内田くんが渋ることがあったら……ドーナツ奢るとか、言ってみたら?」
「あははは、そうだね、そうしよう!あーなんかずっとモヤモヤしてたけどスッキリしたぁ。ありがとね、サクラちん」
俺も平澤さんみたいにまっすぐ進めたらと思う。でも守りたいものがあって、この心地の良い殻から抜け出したくなくて、その一歩を踏み出す事が出来ないし、外の世界を確認する事だって出来ていない。
チョコレートの生地に包まれたベリーソースが特段酸っぱく感じた。

「サクラちんって本好きだよね?最近何読んだの?」
「ん〜好きな作家の短編集。人気どころでいったら『赤い糸』とか入ってて」
「『赤い糸』って運命の赤い糸?」
「そう。赤い糸が題材になってるんだけど、運命の人が近くにいると薬指に繋がれた赤い糸が見えるようになるんだ。相手と自分にだけ。お互い会ったこともない他人だけど、きっかけがあるから仲良くなるし、どんなにぶつかったって魂が惹かれ合ってるから別れることもない。言ってしまえば合理的で効率的な恋の話かな?」
概要だけをサラッと話している間に平澤さんはドーナツ一個を既に平らげていた。
「へぇ、でもつまんなくない?効率的だけど、どんなに多くの人に出会って仲を深めたってもう将来が決まってるってことでしょ?未来がわかるのと同じって感じだね」
「うん。俺はさ、それに凄く安心したんだよ。恋愛とか向いてないし、俺自身がつまらない人間だからそう思うのかもしれないけど」
「そんな事ないよ!それってさ、サクラちんがもう既に運命の人に出会ってるからじゃない?自分が運命の人だと思ってる人がもし違ったら怖いって思ってるからとか?」
「運命の人」
考えたことも無かった。考えないようにしていた。きっと平澤さんが今言った言葉は俺の中で具現化しまいとしていた言葉だ。
「へへ、サクラちん自覚ないって顔だね〜。リオンは今スピリチュアルな扉を開きそうな気分だよ〜」
その後、話は更にスピリチュアルな方向へと反れていき、400mlはあったであろうドリンクを飲み終わる頃には「未確認飛行物体を見たことがある」という話に変わっていた。
いつの間にか日が傾いていて、それでも外は蒸し暑かった。
駅に入り改札へ向かう途中突然平澤さんが足を止め前方を指差した。まるで信じられないものを見ているかのようなリアクションだ。未確認生物とでも遭遇してしまったのかと思いながら平澤さんのギラッギラにデコられた指の先を辿れば同じく足を止めた長身の男が立っていた。
藍だった。

「は?詩なんでいんの?授業午後イチ終わったよな?委員会の仕事こんなに長引いたの?」
「俺からしたら藍がここに居る方がびっくりなんだけど」
近づいてくる藍に平澤さんが、「サクラちんお借りしました!お仕事終わってリオンの恋バナ聞いてもらいました!一緒にドーナツ食べただけで誤解するようなことは無いです!サクラちん、リオン明日頑張ってみるね!じゃあねクオンおつ!!」と捲し立てて、改札を通り過ぎ小走りにホームへ消えていった。



「詩が女の子と二人きりなんてなぁ、なぁ何話してたの」
ウザ絡みのように藍はホームで俺の右側に自分の体をピッタリ添わせるようにして立ち、顔を肩に預けて聞いてくる。
「初めは藍がかっこいいって話から始まって、平澤さんの恋バナ聞いてー、本の話から運命の人の話になって、平澤さんがUFO見た話きいて終わったよ」
「あー全部突っ込みたいよ今の内容。取り敢えずさ、詩は平澤サンに恋愛相談した訳?」
「え?してないよ。聞き役だったし。あ、でも『赤い糸』の話はちょっと俺の恋愛観?に絡んだかも」
「それ俺も聞いていい?」
興味を示したのか上目遣いでこちらに視線を送ってくる藍に応えるように先程平澤さんに話した概要と会話の内容をそっくりそのまま繰り返した。
「まぁ結局は、俺は運命の赤い糸みたいに形があると迷う事がなくてすげぇ安心するって話と、平澤さんみたいにドキドキする恋ってよりかは確実で落ち着くような恋のほうが良いなって話」
「ほーん、詩は薬指の赤い糸が誰と繋がっているか知りたいって事?」
「うん。不安になったり苦しくなるくらいだったら俺はその糸で縛られていたいよ」
特急列車が通過して爆音と爆風に目を閉じた。耳元で何か聞こえたような気もするが、藍の方に振り向く前に肩がフワっと軽くなった。

「俺今日、バイトの面接だったんだよね」
「なんの?」
「飲食。落ちたら恥ずいから内緒にしてる予定だったけど」
「へぇなんで急に?」
「ちょっと欲しいものがあったのと、もうすぐ夏休みだからちょうどいいかなって。でも詩と遊ぶ時間減るからすげぇ迷ってたけど、俺やるわ」
何かを宣言するように藍はそう言った。
「てか、何が欲しいの?」
「内緒。だけどなんか欲しいってよりすげー必要って感じがしてきた」
「なんだよそれ」
再度ホームに各駅停車の列車が入ってきて、俺たちはそれに乗って運ばれた。
平澤さんも、藍も、すごいと思う。なんだか俺だけがその場で足踏みをしていて前に進む事が出来ていないのだと少し苦しくなった。

「なー藍」
「なに?」
「帰ったらさ、数学教えてよ。テスト範囲のワークまだ終わってないんだよね」
「いーよ。俺ん部屋でいい?明日休みだし終わるまで寝かさないけど?」
「やだ。絶対藍のベッドで寝てやる」
「良いけど俺も自分のベッドで寝るからね」

でも、もう少しだけ、変わらないこの時間を過ごしたいと思ってしまった。