古藤は波喜を一人日本に置いたままロンドンに行っても楽しめないのではないかと思っていたが、現金なもので三泊五日を堪能した。
 正直、英語で見る演劇はほとんど理解が出来なかったし、それが今後のゼミの授業で生かせるのかはわからなかったが、劇場の雰囲気や観客の熱量、演者の演技力とすべてに魅了された。
 梶田は日本と比べると信じられないぐらい活発で行動力があり、英会話も何の問題もなく、古藤はただただ後をくっ付いていくだけで楽勝だった。
 古藤は背の高さと濃い目の顔立ちのせいかロンドンでもよく声を掛けられた。
 梶田がマネージャーよろしく全てをあしらってくれたが、なんだか楽しかった。
 滞在中はマメに波喜にはLINEをしていたが、やはり波喜からの反応は薄かった。
 自分が旅先でハイになっていることもあり、波喜のテンションからしたらウザかったのではないかと反省もした。

「お前、波喜くんと何かあるのか?」

 唐突に梶田に言われ古藤は固まる。

「いや、俺こういうの鋭いのよ。別にどんな関係でも俺は気にしないけどな」
「どういう意味ですか?」
「うん? 付き合っているんじゃねーのって話」
「どうしてそう思いますか?」
「ゼミでの二人の感じとかさあ、ただの友達にこんなにマメにLINEとかしなくね? 俺はしないからさ、っていうか彼女とはしたりするけど、であればそうなのかなって」

 梶田の鋭さに正直になるしかなかった。

「はい、付き合っていますけど……やっぱりヘンですか?」
「素直に認めるの潔くていいな。俺はセクシャリティに関しては何とも思わないから。子役やっている時に大スターの俳優さんがさ、楽屋で若い新人の男の子とそういうことしているのを見て以来、子供ながら世の中にはいろんな人がいるんだなって思ったんだよな。だからお前は気にしなくていいよ」

 この旅行で梶田への認識が大きく変わった。
 世捨て人かと思っていたが、その場その場で臨機応変に立ち回れて、頭もよく、何よりも人としての器がでかい。
 でもそのあたりのことを隠して、人にどう思われようが好きなように生きている。
 やはり波喜に似ている。表現の仕方が違うだけだ。

「先輩……好きです」

 いきなりの告白に梶田が飛び上がるほど驚いたリアクションを見て古藤は大笑いする。

「ビビり過ぎですよ。俺は人間として梶田先輩が好きなんです。先輩ぐらい器が大きくなりたいっす」
「び…びっくりさせるなよ。俺みたいになるにはまだまだ修行が足りないな」

 満更でもないリアクションにより笑ってしまう。

「お前、笑いすぎ」

 ロンドンの最後の夜は大笑いで明け方まで過ごした。

 🔸🔸🔸

 波喜はいても立ってもいられずに、朝から羽田空港に来ていた。
 十二日、古藤がロンドンから帰ってくる日だ。
 一応帰りの便が何時に着くかは聞いていたが、その時間までマンションで一人待っているのも嫌で来てしまった。古藤には伝えていない。
 十七時到着とあったが、まだ朝の八時だ。
 これから九時間もこのロビーで一人過ごすことになるがこの五日間のことを思えばなんてことはなかった。それだけ古藤が恋しかった。

 毎日LINEのやり取りをしていたが、日に日に自分の気持ちが落ちていくのと比べて古藤がハイになっているのがわかって余計に寂しくなった。
 もう自分は必要ないんじゃないのか……ロンドンで吹っ切れて帰国するのではないかと悪い方へ考えが行きがちだった。
 古藤に力強く抱きしめて欲しい、古藤の唇が恋しい、古藤の優しい愛撫を受けたい、何よりもあの豪快で優しい笑顔を向けてほしい、頭の中は古藤でいっぱいだった。
 あらためて、古藤が自分に言った言葉を思い出す。
『俺は波喜ともっと一緒に居たい。俺が居ようが居まいがお前は好きなことをしていても全然構わない。同じ空間で同じ空気を吸うだけでもいい』
 そのまま自分の言葉として古藤に返したかった。
 離れてみてやっと古藤の気持ちがわかった。
 今までどれだけ好き勝手に振舞っていたかも。
 何よりも早くこの言葉を伝えたい、だから無事に帰ってきて、そう願わずにはいられなかった。

 🔸🔸🔸

「いつ飛ぶんすかね?」

 ヒースロー空港でもう二時間も待機させられている。見事にディレイだ。梶田は焦ることもなく、空港内を散歩している。

「こういうことは成るようにしか成らないから焦っても無駄よ。その日のうちに日本に着けば御の字だと思っておけよ」

 古藤は予定通りに日本に着いたらその足で波喜の家に向かおうと思っていた。
 この五日間で自分の中で整理できたことを伝えたかった。だからどうしても早く帰りたかった。

「そんなに波喜くんに会いたいのかよ」
「はい、愛しているんで」
「おおーおおーバレたからって開き直ってんなー」

 素直に口にしている自分に可笑しくなる。

「まあ、祈っておけよ。無事に飛びますようにって」

 古藤は電光掲示板を何回も見上げた。

 🔸🔸🔸

 予定の十七時になっても古藤が乗っているはずの便が着かない。
 波喜は事故でもあったのかと不安になり空港職員を捕まえて聞いてみる。
 三時間の遅れだと言われた。
 後、三時間も待つのか……結局一日の半分を到着ロビーで過ごすことになってしまった。
 何やっているんだろ……自分でも呆れながらもあと少しで古藤に会える方が嬉しかった。
 古藤は自分の姿を見つけて喜んでくれるだろうか、ばつの悪い顔をするだろうか。

 🔸🔸🔸

 二十時を回ってやっと羽田に着いた。結局、空港で二時間半待ち、搭乗してからも三十分待たされた。
 何とか無事に帰ってこれだけで古藤は嬉しかった。

「さっさと行けよ。会いたい人に会いに行け。俺は疲れたからゆっくり歩いて行く」

 梶田は入国審査へ向かう通路で古藤にそう声を掛けた。
 古藤はそれすらも見透かされているのかと思ったが梶田にお礼を言い、通路を走った。
 スムーズに審査をパスして荷物が出てくるのを待っていたが、なかなか出てこずにイライラしていた。挙句に飛行機の中での充電が上手くいかずにスマホのバッテリーが空のマークを示していた。
 ツイてない……朝からずっとツイていないことに今日は波喜に会わない方がいいのではないかとすら思ってしまった。
 やっと荷物が出てきた時には既に梶田も近くに来ていて、走った意味がなかったと苦笑いをしてしまった。
 そのまま税関検査を通りやっと到着ロビーに出ると一番見たかった顔が目に入ってきた。

 到着ロビーのドアが開くと一番会いたかった人がいた。
 自分の顔を見つけて驚いている表情を見て思わず嬉しくなり人目の気にせずに抱き着いた。
 波喜に抱き着かれた古藤は身動きできずにいる。
 そのうち周りの視線が気になり始める。

「な……波喜」
「会いたかった。ずっと待っていたよ、古藤」

 波喜にそう言われ自分の思いと一緒だったのかと古藤は安心する。

「うん。俺も。でもちょっとここでは……」

 古藤にそう言われ波喜もさすがに周りの視線が目に入る。

「ごめん」

 いきなり離れると、適度な距離を取った。
 古藤は波喜のその態度が可愛く、空いている方の手で手を繋いだ。
 その行動に驚き手に視線を向ける波喜。

「ずっと手を繋ぎたかった」
「……俺も」

 手を繋ぎ肩を寄せ合いながらタクシー乗り場に向かった。

 🔸🔸🔸

 波喜の部屋に入ると、これまで離れていた気持ちを手繰るように唇を合わせた。
 むさぼるように互いの唇を奪い合う。静まり返った室内に唇が触れる音だけが聞こえる。
 互いに顔を手で包み、視線を合わす。

「何時から待っていたんだ?」
「うん……朝からだよ」
「朝から? 十七時着って教えてあったよな」
「わかっていたけど、いても立ってもいられなくて空港に居た」

 古藤は波喜の行動に驚き、感動していた。
 あれだけ、家に引き籠るのが好きで自分の時間を大事にする波喜が古藤のためにその大事なことを放棄してくれた。

「……俺に会うために?」
「うん。それ以外何があるんだよ」

 少しムキになって返す波喜が愛おしい。

「古藤がロンドンに行ってから一人でいろいろ考えた。これまでの古藤の俺に対する気持ちとか接し方とか。俺は古藤に甘えていたなって思って。何でも俺が言うことを聞いてくれるからそれが当然だと思っていたけど。こうやって一人になるとすごくワガママだったんだなって。俺はずっと古藤と一緒に居たい。離れていて本気でそう思った。もう古藤がいつこの部屋に来ても全然構わないよ。だからこれ用意した」

 波喜はポケットから鍵を出した。

「これは古藤の合鍵。俺がいなくても入って待っていて欲しい」

 古藤は波喜の言葉が信じられなかった。
 これほど饒舌に話すのは告白された時以来だ。
 余程色々考えてこの決意に至ったのだろうと思うとその勇気に泣けてきた。

「……聞いている? 古藤」

 波喜は何の反応も示さない古藤を不安に思った。
 もしかしてこれは古藤が望んでないことなのかもしれない。

「え……ちょっと古藤泣いている?」

 波喜は顔を下げたまま目をこすりながら鼻をすすっている古藤を見て驚く。

「だってさあ、お前今までと全然ちがうし。そんなこと言わせて俺ちょっと申し訳ない気持ちになっちゃったよ」
「なんでだよ。お前が気にすることじゃないだろ」
「だって一人の時間を誰よりも大事にする波喜がさあ、俺のためにその時間も犠牲にしていいと思ってくれるとかさあ、もうなんか嬉しいじゃん」
「なんだよ、嬉しいんじゃないか! だったらいいだろ」

 泣きながら肯定的な言葉を口にする古藤が面白い。
 古藤は波喜の手を取り繋ぐ。

「ずっとこうやって繋いでいよう」
「人前でも?」
「……それは時と場合による」

 古藤の素直な言葉により信頼感を増す波喜。

「うん。繋がなくても愛していることに変わりはないから」

 古藤は満足そうに笑った。

 🔸🔸🔸

「おー久しぶりだな。元気だったか?」

 夏休み明け、掘立て小屋に梶田を訪ねる古藤と波喜。
 梶田は二人で来たことに驚きつつも歓迎する。

「いや、ここの夏は地獄っすね。暑すぎる」

 舞台用の巨大な扇風機しかない小屋は灼熱だった。

「この扇風機回さないんですか?」
「お前、この扇風機をこの小屋で回したらここにある物全て吹っ飛ぶぞ。想像力無いのかよ」

 波喜は古藤と梶田のボケとツッコミのような会話が面白く聞き入ってしまった。

「波喜くんよく焼けているね。古藤は元々黒いからあんまり変わらないけど。夏休み満喫してた感じするよ」
「はい、この夏は古藤とリゾートバイトしていました」
「青春! 青春!」

 古藤は嬉しそうに梶田に報告する波喜をじっと見ていた。
 梶田はその視線に気づきヤジを飛ばす。

「お前、波喜くんのこと見過ぎ。ここは二人の世界じゃないんだぞ」
「羨ましいならそう言ってくださいよ。素直じゃないなー。梶田先輩もいい加減世話してくれる人見つけた方がいいですよ。どうせ卒業も危ういんだから」
「おまっ! 余計なこと言うな!」

 あまりの暑さに早々に掘立て小屋を退散した二人は自然と手を繋ぐ。

「これから何しようか」
「波喜の部屋一択だろ」
「だね。今日は何作ろうかな」
「俺が作る。バイトで仕込まれたカレー作ってやるよ」
「え! あれ辛すぎてお客さんからブーイング出たじゃん」
「でもお前美味い、美味いって喰ってたじゃん。客のために作るんじゃねえよ、お前のために作るの」
「はい、はい」

 呆れながらも古藤の言葉が嬉しくなる。
 そこへ前から女子の集団が歩いてくるのが見えた。思わず手を離す二人。
 通り過ぎたのを確認すると再度手を繋ぎなおす。
 互いに目があい思わず笑ってしまう。
 手を繋いでいても、繋がなくても二人の気持ちは一緒だった。